Culture
2020.03.10

漫画家もクリエイターも「ヤベェ」の声続出!あの話題本の著者に聞いた、千年続く「有職装束」の世界

この記事を書いた人

昨年の9月、一冊の本がSNSのTwitterで話題になりました。
その名も、『有職装束大全(ゆうそくしょうぞくたいぜん)』(平凡社刊)。

B5判で320ページもあり、鈍器レベルのボリューム。実際に前にすると、ものすごい存在感です。

長らく出版不況と言われるこの時代で、半年も経たないうちに何度も増刷がかかったのは、それだけ「有職装束」に関心を持つ人が多い証明ではないでしょうか。
今回は、その『有職装束大全』の著者・八條忠基先生に装束についてのお話をたくさんお聞きしました!

今回お話を聞かせてくださった、綺陽装束研究所主宰の八條先生。

有職装束とは、奈良・平安時代以降の朝廷や公家社会、武家の儀式などで用いられてきた衣装です。平安時代の絵巻で公家貴族が身に着けている、一般的に「十二単」と呼ばれる五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)や束帯、狩衣がイメージしやすいでしょうか。
八條先生の主宰する綺陽(きよう)装束研究所は、そうした有職に関する研究・普及活動を行う場であり、装束体験施設「待賢殿(たいけんでん)」では着装体験のほか、勉強会・講座が行われています。

現代のツールがつなげた、有職故実の世界

たった一つのつぶやきが巻き起こしたムーブメント

―Twitterで『有職装束大全』が話題になったとき、先生はまだTwitterを始められていませんでしたよね?

八條:はい。若い会員が「なんか、先生の本がTwitterに出ています、騒ぎになっていますよ」と教えてもらいました。

このつぶやきから、瞬く間に書籍が話題に。

―そのときはまだTwitter自体ご存知ではなかったのですか?

八條:存在は知っていましたが、そこまで関心が高くはありませんでした。昔、同じようなサービスを試しに使ったことはありましたが、その時は「つぶやく」という行為がよくわからなくて……。あとは、いまだにガラケーを使っているのもありますね。
140字のTwitterとは違ってたくさん文章が書けるので、SNSはFacebookを主に使っていました。どうも書く文章が長くなって毎回1000字にはなるんですよ。
今回は期せずして、私が考えもしないところでやってくださった方がたまたまいらっしゃって、ありがたいと思っております。
ともかく盛り上げていただいたので、『お礼を言わなきゃ』と思ってTwitterを始めました。

即位礼正殿の儀当日は大盛り上がり!

―即位礼正殿の儀が行われた日は、先生がTwitterで細かく装束の解説を実況中継されていましたね。あの日はずっと追いかけてました。

八條:私自身もわくわくしていましたし、面白かったです。話題になった本は、翌年に即位の礼があることを見込んで、出版社に企画を持ち込んだのですよ。
ただ当日は、雨が降ってしまった関係で、庭に装束を着た人たちが並べなかったのが残念でした。30年待っていて、ハイビジョンで録画する予定だったのに……。

―雨が降ったのもその後に虹が出たのも神秘的だと世間は盛り上がっていましたが、確かにそのお話は胸が痛くなりますね。

八條:やはり、庭にズラーッと庭上参役(ていじょうさんえき/即位礼正殿の儀のときに宮殿正面の庭に並ぶ人々のこと)が並ぶと壮観なんですよね。実は、私の弟子も着付けに伺っていたのです。50人くらいの大勢の皆さまに装束をお着せしたのですけど、中止になったので残念ながら脱がせることになってしまったそうです。晴れるのがあと、2~3時間早ければよかったのですが……。

即位の礼から感じる、伝統を継承していく意味

―今回のように即位の礼の様子が記録に残せるのは、後世の人々にとっては良いものだったのではないでしょうか。

八條:平成のときは、いろいろな意味で試行錯誤だったそうです。高御座(たかみくら/天皇即位宣言をするときに使われる台座)を京都から運搬するときに、どうやって分解していいのかわからなかったり……。いろいろ調べた結果、一つの部品を外したらあとは組子細工みたいに外れたそうです。

―そういう知識を継承していくのは大事ですよね。

八條:今回はちゃんと記録が残っているので、次回以降は大丈夫じゃないでしょうか。
明治天皇は「即位と大葬の儀式は京都でやるように」と仰せだったそうで、高御座を分解することも、京都から運搬することも想定していなかったのでしょう。
装束にしても、今のようなものを着て即位礼を行うようになったのは、大正の御大礼からです。

―結構新しいですよね。そういえば、昔はもっと中国風だったんでしたっけ。

八條:そうなんです。他にも、さまざまなところが変わってるんですよね。いいものはいいですし、守るべきものは守るし、変えるべきところは変える……これが大事です。
明治の即位礼は、見ようによっては「トンデモない」と言えるものでした。中国風をやめることになって極端に和風化したり、面白いのは紫宸殿(ししんでん/内裏の正殿)の前に大地球儀が置かれていたのですよ。「世界に開かれた新時代を拓く」という意味を込めて。
地球儀を置くのは大正以降は行っていませんが、ここで一つの故事が生まれたわけなんですよね。そうやって、有職故実は変わっていくものなのです。

―変わっていくということは生きている文化なんですよね。

八條:千年前の装束が、博物館のガラスの向こうにある遺物だけじゃなくて、現代にも着て動いている人がいる……多少かたちは変わっていますが、基本的には千年前の姿が残っていることは世界的にも珍しいことですよね。今回、そんな風に思ってくださった方々が、私以外にも他にもたくさんいたということを認識できたっていうのが嬉しいことです。

インターネットから広げる伝統文化

綺陽装束研究所のホームページはかなり前からあるようですけど、早くからインターネット自体には注目されていたんですか?

八條:昔から関心は持っていました。私が綺陽装束研究所のページを作ったのは、1998年なんですよ。22年前……ちょうどネットの草創期ですね。Googleはまだ一般的ではなく、Yahoo!の検索システムはこちらから申請して載せてもらう時代でした。申請を断られたり、キーワードがきちんと合わないと検索に引っかからなかったり……。Googleの登場があり、どんどん検索で引っかかるようになった時代になったからこそ、私のような特別なことをしていると言われがちな人も、世界中で仲間を見つけられます。
今回の本について、あちこちで「こんな特殊な本がたくさん売れて……」と言われましたが、私自身は特殊な本だと思っておりません。話題になったのも、私と同じように有職装束がお好きな人がたくさんいたからでしょう。
近年は特に、日本のいいものを再認識するという風潮が高まってきています。それが、今回盛り上がった要因の一つになったのではないでしょうか。有職装束を愛好する人がたくさんいらっしゃることが実感できました。

―仰るとおり、自分が好きなものを、同じように好きだと思う人がいてくれるのは嬉しいですよね。

八條:いろいろな方々に申し上げていることなんですが、ここが今回の件で肝になる部分ですね。
今回の件で何が一番嬉しかったかというと、自分自身が「いいな、素敵だな」と思うものを、同じように「素敵だな」と思う方がたくさんいた、ということです。それが、本が売れること自体よりもずっと嬉しいことでした。
インターネットが発達する前は、単なる孤立した変わり者でしかなかったと思います。同好の士がどこにいるのかわからないじゃないですか。
ところが、ネットでつながることによって、同好の士が集まる。「みんな黙ってたけど案外いるんだ」とわかるのがインターネットの大きな力ですね。

―先生のホームページは、有職文様の配布素材が豊富ですよね。あれもいい資料なうえに無料で使えるので、インターネットの恩恵を感じました。

平安素材集「綺陽堂」で配布されている素材のごく一部。サイトへのリンクを張る、再配布禁止などの条件を守るのであれば、好きに活用していいとのことです。

八條:有職文様については他にも、素材集の本を出したりしています。いいものをみんなに普及させたいと思ったときに、単なる本よりもデジタルデータにしたほうがイラストレーターさんが使いやすいでしょ? Adobeのソフトで使えるように、苦労しながらアウトライン化しました。(アウトライン化とは、図形をコンピュータ上で使いやすくする処理。写真等から画像を取り込んで処理する場合、複雑な図形であればあるほど手間がかかる)

生きた文化としての有職装束に触れる!

有職の研究ってどんなことをするの?

―普段はどんなご活動をされているのでしょうか?

八條:普段は、研究所の会員たちに、装束の着付けをお教えしています。一般的な着物と違い、有職装束の着付けは勉強しても、実践できる場がそうあるわけではありません。ただ、私たちの場合は、全国の神社の祭典やイベントに呼んでいただき、会員がアルバイトという形で装束着付けのお手伝いをさせていただいています。お仕事として取り組む以上、責任が発生しますし、やりがいが生まれます。何より、観光客としては得られない感動的な経験ができます。
神社の方が身に着ける装束は衣冠が多いですが、束帯は少し特殊で難しいのでお呼びがかかります。 毎日でなくとも、時々需要があるので、会員もやりがいを感じてくれているのではと思います。単に着付けを覚えておしまい、だとつまらないじゃないですか。お稽古はおなじことの繰り返しで飽きがちですが、こうして身につけた技が活かせるのは、やりがいがあることなんじゃないかと思います。

先生のお話に出てきた衣冠。元々は宮中での勤務服にあたります。下の束帯に比べてみると、やや簡素化された装束なのがわかります。(画像は国立国会図書館デジタルコレクション『装束着用之図』より)

こちらが束帯。衣冠とのわかりやすい違いの一つとして、後ろに下襲(したがさね)の裾が引きずるほど長いことが挙げられます。この裾の長さと威厳が結びつき、長いほど格が高いとされたようです。(同じく、画像は国立国会図書館デジタルコレクション『装束着用之図』より)

―今回お邪魔している施設「待賢殿」はいつ頃始められたんですか?

八條:6年くらい前ですね。それまでは固定した場所がなかったので、着付けの勉強会のたびに車に装束を積んで、公民館のような施設を借りて行っていました。「待賢殿」ができてからは装束の運搬がなくなりましたから、ぐっと楽になりました。
装束は実際に触ってみないと、わからないところだらけです。やはり体験は大事ですね。平安時代とまったく同じではないとしても、昔の人の生活を追体験すると、当時の人たちの気持ち、思いすらわかります。そういうことを大切にしたくて、こうした、体験をしていただける場所を作ったわけです。

「本物」を知ること

―普段大切にしていることはなんですか?

八條:客観的な視点を大切にしたい、と常に考えています。有職故実のような古いものの勉強でも、私は客観的に、科学的に見ていきたいと思っています。今回の本にしましても、ルーペが必要なくらいびっしり、典拠となる文献資料を載せています。根拠がないと、無責任な言いっぱなしになってしまいますから。
出版にあたっては「学術書ならともかく、一般向けの本で、こんな部分は誰も読まないのでは?」という意見もありました。でも結果として、Twitterでこの部分を高評価していただけたのは、「我が意を得たり」と嬉しかったですね。何ごとにつけて、ソース、エビデンス、根拠があって言っている、という部分は大切にしていきたいです。今までの有職故実の世界では、「教えてくださった先生がこう仰るから、これが絶対正しい」という主張をよく耳にします。しかしそれは科学ではなく、宗教になってしまいます。人間の生活なんてその時によって融通無碍に変わるわけですし、有職故実で「絶対これが正しい」ということなんて、そうそうあるものではありません。

―着物の世界も今、そういう議論が活性化していますよね。

八條:着物の先生が着付けると、やっぱり綺麗です。ただ、やはりそれはハレ(非日常)の着物であって、ケ(日常)ではない。江戸時代の長屋のおかみさんが着付け教室に通っていたわけではないですよね。毎日着るものですから、みんな自由に好き勝手に着ていたはずです。そうした自由さは、着物の再認識、復興を考えるときに忘れてはいけないことだと思いますよ。

―『有職装束大全』は創作活動を行う人たちから多くの反応がありましたが、そうした方々もできれば自分のクリエイティブとは別に「本物を知りたい」という思いはあったのではないかと思います。

八條:実は私はアートの世界にも関わりを持っているのですが、アーティストやデザイナー、クリエイターは真摯な人が多いと思います。いい加減なものは作りたくないんですよね。デフォルメはいいけど、いい加減なものは嫌だっていう人は多いと思います。

―先ほど「日々変わっていくもので絶対の正解はない」というお話がありましたが、クリエイターが自分なりのアレンジをするとしても、まずは本物を知ってから……という人が多いですよね。

八條:そのとおりです。「本物を知ってから」は大事です。
知ってから、それをどうアレンジするかはその人の感性、芸術表現ですけど、本物を知った人が作るのと知らない人が作るのとでは、出来上がった作品世界がまったく違ってくるでしょう。人を感動させるのは、やはり本物を踏まえたものだ、と思います。

待賢殿のコレクション拝見!

―せっかくなので、待賢殿内にある装束や資料を拝見してもよろしいですか? この装束がまず気になっておりました。

見ているだけで、遥か昔の時代への想いが募ります。

八條:これは練習に使っているもので、今出来のものです。でも練り絹だから、とっても柔らかくて絹の良さが感じられます。

―今、こういった衣装を仕立てられる方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

八條:装束自体は、神主さんとかが着ますから、今でも少しずつでも作られているんですけれども、十二単を作るような方は非常に少ないですね。この文様は東大寺の唐櫃(からびつ)の文様が元で、そのあと有職文様になりました。有職文様はわりと、正倉院とか東大寺とか大昔のものを受け継いで、再利用しているものが多いんですよ。

―勉強になります! 有職の文様は美しいですよね。

八條:いろいろと約束事がありましてね。たとえば、ここに向かい唐鳥の丸っていうのがありますよね。この二羽は雄と雌なんです。くちばしが開いていないのが雄で、開いているのが雌。

よく見ると、確かにくちばしに違いがあります!

小袿や表着です。一番下のは明治時代の袿。保存状態が良かったです。

―そういう知識があると、見方や印象が変わってきますね!

八條:あとは、大正の御大礼(即位礼)の装束に使われた生地を貼った屏風も、よい資料ですのでどうぞご覧ください。

―六曲一双! これは素晴らしいですね!

六曲一双とは、6つの扇面が連なった屏風がペア(2つで1組)になっているもの。展覧会に出される屏風ではよく見られる形式です。ちなみに、対ではなく単独の場合は「一隻」と数えます。

八條:実はもう六曲一双あったのですが、そちらは男性のものが多くて地味でして、こちらは女性の装束の文様ばかりで華やかです。私としても、すごく気に入っているんです。御大礼にかかわる品々は大正時代のものが最高です。明治は維新の動乱があったし、昭和も関東大震災があったり情勢が良くなかったので。

―なるほど……。こちらに使われている文様も、解説していただいてよろしいですか?

八條:例えば、これは鸚鵡(おうむ)ですね。鸚鵡は、高貴な文様として昔からよく愛用されています。

個人的には鸚鵡が有職文様になるほど昔からいたイメージがなかったのですが、インタビュー後に改めて調べたところ、古くは飛鳥時代に大陸から日本にもたらされた記録があるのだとか。

―先ほど見せていただいたのは唐鳥でしたが、鳥ってモチーフになりやすかったんですか?

八條:空を飛べるものは特別扱いで、蝶々と鳥が特に好まれていました。地面に足を着けているもの、四つ足の獣は有職文様にあんまり出てきませんね。

―言われてみれば……。格としては下になるんですか?

八條:そうですね。空を飛べるってすごいことじゃないですか。そのせいか、蝶と鳥が何かと文様になっています。あと、屏風を見ると多くの裂れ地が、ふたつのモチーフが組み合わさった文様になっていますよね。これは比翼文(ひよくもん)といって、比較的カジュアルな文様の使い方なんです。一つの文様が単独であるほうが、格としては高いです。ここには昭憲皇太后の小袿と、大正の御大礼のときの女官や女子皇族の装束があります。他には、華族などのご夫人たちが着ていた、華やかな比翼文様の袿が貼り交ぜられています。

左側一番上が、昭憲皇太后が着用された小袿。ふたつのモチーフを組み合わせた比翼文は、右の上から3番目がわかりやすいでしょうか。

ここに収められているのは貴重な装束の裂れ地ばかりなのだと思うと震えました……。

―家紋が入っている場合もあったのですか?

八條:ひとくちに華族といっても、お武家さんとか、いろいろな方々がいらっしゃいます。そういう人は家紋と有職文様を組み合わせたことが多かったようですね。オモダカなど有職文様にはあまり使われないモチーフもありますよね。これらは全部、新規にデザインされたものです。ここでもやはり鳥が好んで使われていますが。

―昔から、人間は空へ憧れがあったのでしょうか。

八條:天上界へ繋がるものとして好まれたのではないでしょうか。これは大正の御大礼のときに使われた檜扇ですけど、これも蝶と鳥がふんだんに使われています。

檜扇の表面。

蝶と鳥尽くしの裏面。

檜扇の要は、表が蝶で裏が鳥。

―あ、本当ですね!

八條:いかに蝶鳥が愛好されていたかがわかるでしょう?

―はい! 私はこの飾りにときめきを感じるんですけど、檜扇にも文様みたいな約束事はあるんですか?

八條:山科流と高倉流があります。これは山科流の糸花で、梅と松が付いていますね。高倉流はここに橘が加わります。実は檜扇も昔のものと現代のものとでは違います。昔のものは持ちやすさを考えて、扇の一枚一枚の木の厚みを先端と手元で変えて、先は広がっているけど手元は細くなるように作られています。今作られる物は一定の幅なので、箱みたいな見かけです。

新しい檜扇も見せていただきました。

―今度から展示や儀式のニュースで檜扇を見るのが楽しみです。先生がこうして生き生きと喋ってくださって、お話をお聞きしていると本当に楽しくなります。

八條:繰り返しになってしまいますが、自分自身がこの世界が大好きですから楽しいんですよ。今回SNSで著作が話題になったことで、いろいろな人たちと好きなものを共有し合える、いい時代になったなと思います。

八條先生、貴重なお話をありがとうございました!

こうして雑誌だけでなく和樂webで、日本文化の良さをたくさんの人たちに伝えられるのも、インターネットの良さだなと私自身感じました。
現代ならではの方法で、今後もさまざまな知識の共有や人々のつながりが生まれることを思うと、わくわくします。

書いた人

日本文化や美術を中心に、興味があちこちにありすぎたため、何者にもなれなかった代わりに行動力だけはある。展示施設にて来館者への解説に励んだり、ゲームのシナリオを書いたりと落ち着かない動きを取るが、本人は「より大勢の人と楽しいことを共有したいだけだ」と主張する。