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2020.03.16

「生きた大日如来」といわれた美女がいた。見た目も心も清らかで美しいお竹さん伝説とは?

この記事を書いた人

時代は寛永のころ(約380年まえ)。ところは花のお江戸。
よく働き、貧者に施しをし、町民たちに「生きた大日如来」と慕われた女性がいました。
名を「お竹(於竹とも)」と言います。

「お竹さん」の名で親しまれ、芝居に小説に講釈、さらには錦絵にも登場し、江戸の町で一大ブームを巻き起こした彼女はいったいどんな女性だったのでしょうか?

※アイキャッチ画像はイメージです

あまりにも立派すぎる女性の一生。貧者に捧げたお竹の生涯

お竹さんの生まれは湯殿山のふもと。
山形県庄内に生を受けたお竹さんは、両親に先立たれ、一人身の気易さで全国を歩きました。
お竹さんは18才のとき、江戸の日本橋の豪商佐久間家で奉公人となります。
伝馬町の佐久間善八は反物屋を商っており、お竹さんはここで女中として住み込みました。

お竹さんの善行がすぎるエピソード

お竹さんはよく働くだけでなく、信心に篤く、つねに称名を唱えては貧しい人や悩みを抱えた人たちに慈悲を怠らなかったそうです。
そんな彼女の善行が〈すぎる〉エピソードを紹介しましょう。

その1 働きすぎて、後光が差す

子どものころ「一粒のお米には七人の神様がいる」と耳にしたことがあるかもしれません。
「米」という漢字は八十八と書きます。お米を作るまでにお百姓さんが88もの作業を行うことが「米」という漢字の由来だと言われています。
食べものを粗末にしないようにとの戒めの言葉なのでしょうが、これを実行するとなるとなかなか難しい。

さて、お竹さんの行いは何事にも誠実親切なことで有名で、「一粒の米 一きれの野菜も決して粗末にせず貧困者に施した」と言い伝えられています。

たとえば、お竹さんは洗い物をするときは必ず流し場に袋や桶を置きました。洗い流した米を拾い、一粒の米まで粗末にしないためです。そうして、こぼれた米は乾かして食べたと言います。
その善行は目を見張るほどで、お竹さんのいる勝手元からはいつも後光がさしていたとか。

その2 働きすぎて、人の仕事を奪う

お竹さん、とにかく働きます。

住み込みの女中と言っても、佐久間家にいる女中はお竹さん1人ではありません。何人もいるのですから、自然と仕事の分担が決まっています。しかし、そこはお竹さん、完全に他の女中をスルーします。

自分の仕事はもとより、彼女たちの仕事まで手伝い、奉公人の洗濯を一手に引き受け、さらには疲れた人の肩腰までもむという次第。雇い主の善八がたまげるほど働きます。
こうなるとほかの奉公人もモタモタしてはいられません。誰もが働き者になってしまったとか。

お竹さんの美人がすぎるエピソード

働きすぎるお竹さん。
だけど、お竹さんは誠実親切でよく働くだけではありません。

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳 は「下女如来障子へうつる法のかげ」という作品で、お竹さんに男が言い寄ろうとしている画を描いています。
そう、お竹さんはとっても美人だったとか。だから、モテる。
しかも、その美しさは外見だけにとどまりません。

その1 心根も、美しすぎる

手と足はいそがしけれど南無阿弥陀仏
口と心のひまにまかせて

これは彼女が詠んだ歌です。
お竹さんの人柄を感じさせる歌ではありませんか。

実は、お竹さんが流しの下に置いた桶(野菜くずや米を集めるためのもの)にかけていた麻布は今も残されていて、お竹さんの物語がただの伝説ではないことを物語ってくれます。

その2 美しすぎて、大日如来になる

やがて、佐久間家にお竹という慈悲深い下女がいるとの噂が江戸市中に拡がります。お竹さんを拝もうと来る人は数知れず、お竹大日如来として後まで慕われるようになります。

そうして後世に語り継がれた「於竹伝説」。
いろいろなものが残されていますが、もっとも有名なのは、羽黒山の行者が「竹は大日如来の化身である」という夢のお告げを受けたお話でしょう。
行者がお告げの通り、お竹さんに会いに行くと、彼女の全身から光が差しているのを目にしたというお話。夢のお告げは正しかったのかもしれません。

一躍、時の流行神。その後、お竹さんは……

やがてお竹さんが亡くなると、家主の夫妻は等身大の仏像をつくってお竹さんを供養します。仏像は出羽の羽黒山の黄金堂に安置されました。

嘉永2年(1849年)、江戸ではお竹大日如来の出開帳が行われたのに合わせて錦絵や浮世絵など多くの摺物が板行されますが、これが大当たり。
江戸の奉公人の美談は町の噂話から伝説になり、善行を積んだお竹さんは庶民信仰の対象となっていきます。

日本橋本町3丁目、小津本館ビル横の片隅にある「於竹井戸」跡。

「於竹大日如来縁起碑」の碑文に「馬込家」とあるのは、佐久間家と馬込家を同一とする説によったものだとか。

いま小津本館ビルが建っている土地は、江戸の草創名主で創業者である小津清左衛門長弘の主人、佐久間善八の屋敷跡です。小津和紙の一角には、いまもお竹さんが愛用していた井戸が「於竹大日如来井戸跡」として残されています。

おわりに

忙しくとも人のために情けを。一粒のお米も大切に。
お竹さんの善行は、慌ただしい現代人の身に沁みます。

人のために行動するというのはおいそれとできないものです。
「情けは人の為ならず」なんて世知辛い言葉を耳にする世の中。
ひとつこの辺りで、あまりにも立派過ぎるお竹さんの一生を参考にしてみてはどうでしょう。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。