普通のサラリーマンから世界的コレクターに!宮津大輔さんに聞く、現代アート収集の醍醐味

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普通のサラリーマンが、約30年かけて現代アートをコツコツ集め、今では400作品以上の一大コレクションを形成。好きな現代アーティストに設計を依頼して新築した自宅は、現代アートで埋め尽くされたギャラリーに。50代にして脱サラ後は、目標だった大学教授へのステップアップを果たし、ついには美術大学の学長にまで上り詰めてしまった……。そんな規格外の個性派アートコレクターが、横浜美術大学教授・宮津大輔さんです。

執筆活動に講演会、美術展の監修等で毎日が超多忙な「アート漬け」の充実した毎日を過ごす宮津さんに「現代アートのコレクション」の楽しみや意義、そして良い作家の見分け方、作品を買う上で心がけていることなどの話を伺いました。(対談場所はnca | nichido contemporary art)。


ゲスト:宮津大輔さん

アートコレクター。横浜美術大学教授、森美術館理事。1963年東京都出身。広告代理店、上場企業の広報・人事管理職を経て大学教授に転身。横浜美術大学第三代学長として改革を推進し、コロナ禍におけるV字回復を達成。また、既存の芸術祭とは異なる「紀南アートウィーク2021」の芸術監督として、斯界に新風を吹き込む。他方、世界的な現代アートのコレクターとしても知られ、台北當代藝術館(台湾・台北)での大規模なコレクション展(2011)や笠間日動美術館とのユニークなコラボレーション展(2019)などが大きな話題となった。文化庁「現代美術の海外発信に関する検討会」委員や「Asian Art Award 2017」「亜州新星奨 2019 」での審査員を歴任。主な著書に『現代アートを買おう』(2010年 集英社)、『アート×テクノロジーの時代』(2017年 光文社)、『現代アート経済学II 脱石油・AI・仮想通貨時代のアート』(2020年 ウェイツ)など。2022年秋には、福岡アジア美術館にて自身のコレクションを披露する企画展「エモーショナル・アジア:宮津大輔コレクション×福岡アジア美術館」(2022/9/15~12/15)が開催予定。

21世紀のハーブ&ドロシー!普通のサラリーマンが日本を代表するアートコレクターに

セバスチャン高木(以下、高木):私は半年ぐらい前に、東京藝術大学との共同プロジェクトである藝大アートプラザの運営を担当せよと会社から言われ、それまでよく知らなかった現代アートについて勉強する必要ができました。そこでまず疑問に思ったのが、なぜみんな現代アートを買うのだろうか、ということ。そこでアートの買い方から調べていったところ、宮津さんの本にたどりつきました。

宮津大輔さん(以下、宮津):拙著『現代アートを買おう!』(光文社新書)ですね。これは僕が47歳の時に書いた処女作です。

高木:本書の中で、※映画『ハーブ&ドロシー』で有名になったアートコレクター・ヴォーゲル夫妻の話が紹介されています。ちょうど私が運営するアートプラザも、ヴォーゲル夫妻のようなコレクターが訪ねて来るような場所にしたいな、という思いを持って運営を始めたばかりの時期だったので、これはぜひお話を伺いたいなと思いました。まず、宮津さんはどのようにして400作品ものコレクションを集められたのか、そのあたりからお聞きしたいです。

ニューヨークで1LDKのアパートに住むヴォーゲル夫妻(郵便局員のハーブと図書館司書のドロシー)が、慎ましい生活を送る中で約30年かけて集めた現代アートが、世界的に有名なアート・コレクションとして注目されるまでの経緯を追ったアートドキュメンタリー。老夫婦がアーティストと気さくに交流し、ひたむきにアートを愛する気持ちが伝わってくるハートウォーミングな映画です。

宮津:僕は今でこそ大学で教授をやっていますが、ずっとサラリーマンコレクターです。普通の大学に行って小さな広告代理店に就職したので、年収は数百万。今まで一番給料が高かったときでも、税込で1000万円もありませんでした。そんな平均的なサラリーマンがアートをコレクションするとなると、高いものはまず買えません。でも、良い作品は欲しい。そうなると、安い作品を探すしかありませんよね。

高木:安いとなると、たとえば、特定のジャンルに絞り込んだりされたのですか?

宮津:僕は、安くていい作品が買えれば、絵画でも彫刻でも映像作品でも、ジャンルはなんでもいいのです。自宅はアーティストと一緒に建てたものなので、無理して家に飾る必要もありません。だから作品サイズや、自宅の内装との調和も関係ない。大事なのは、僕にとって素晴らしいと思える作品で、かつ価格が折り合うこと。そうすると、結果的に当時人気薄だった映像作品が多くなりましたね。今でこそNFTアートの普及などもあって映像作品を買うことに抵抗がない人も増えてきましたが、当時は、そんなコピーできるような作品は買わないよ、というような風潮でした。だから、もの凄くクオリティの高い作品が、映像作品なら安く買えたのです。


高木:それで、アジア系の映像作品が宮津さんのコレクションには比較的多いのですね。

宮津:アジア系が中心なのも、サラリーマンとしての時間的な制約があったからです。現代美術は、アーティストが今生きていることが非常に大きな魅力。僕はアーティストにも会いに行きたいので、沖縄のアーティストだったら沖縄、北海道のアーティストだったら北海道、上海のアーティストだったら上海で、“地産地消”の作品を購入します。金曜の午後に半休を取って羽田発の夜便のLCCに乗れば、アジアなら夜中のうちに到着するため、翌日の朝一からアーティストに会ったり、展覧会を見たりギャラリーに行ったりできますよね。それで、月曜日の朝6時台羽田着の便で帰ってきたらそのまま出勤できる。これがヨーロッパやアメリカだったら1週間必要になるので、サラリーマンにはちょっと難しい。そういった事情もあって、僕はアジアにどんどんのめり込んでいきました。中でも、彼らの若い頃の代表作が多いですね。人気が出て高くなったら、もう買えません。僕はお金がないので、キャリア初期に才能や素晴らしさに気づかないと二度と買うチャンスがないのです。

高木:なるほど。宮津さんは、まさに日本の“ハーブ&ドロシー”ですね。

宮津:実は、日本で公開されるよりもかなり以前に映画「ハーブ&ドロシー」については存じ上げており、日本上映時にはプロモーションに協力させていただきました。でも、アーティストと交流し、直接アーティストから購入するスタイルは、20世紀のニューヨークだからできたことですよね。21世紀に生きている僕が、今、彼らと同じことをやってもうまくいかないと思いました。だから、ヴォーゲル夫妻とは違うやり方で集めています。たとえば、彼らのようにアーティストと交渉して直接買うのではなく、ギャラリーを通して買うようにするとか。

高木:それはなぜですか?ギャラリーを挟まず、ヴォーゲル夫妻のようにアーティストから直接購入したほうが安く買えますよね。

宮津:僕は一介のサラリーマンなので、アーティストの面倒まで見られないからです。でも、ギャラリーはアーティストに寄り添って、彼らの制作や生活までまるごと面倒をみてくれます。それならば僕は、ギャラリーがアーティストの生活を支えている分の手数料を喜んで払いたいと。

高木:なるほど。それは、ある種コレクターとしての美学みたいなものでもありますね。

宮津:もうひとついうと、僕は、儲かるから買うといった投資目的で作品を買いません。一度買ったら作品を売らない。サイズもこだわらない。家に入らなくても、温湿度が一定の倉庫を借りればいいと。色々な人に凄い財産だねって言われるのですが、全くいいことがないわけですよ。売らないから、作品を買えば買うほど、むしろ毎月の倉庫代の支払いがかさんでいきます。今、4か所で借りているので、一軒分の家が借りられる家賃相当のものを払っているわけですよ。

高木:それなら、倉庫代にお金を払うより、その分のお金で別の作品を買ったほうがいいって言われませんか?

宮津:それはもちろんそうです。でも、自分の持っているものをきっちり管理できない人が作品を買っちゃいけないと思っています。個人コレクションって、ある意味凄くエゴなことだと思っていて。所有することでしか味わえないような体験を得たいのであれば、やっぱり作品へのリスペクトを守りたいと思うのです。僕が持っていることによって作品にカビが生えたり状態が悪くなったりするようなことは、絶対ないようにしたい。誰よりも良い状態で持っていたいのです。だって、僕はいつも自分の中で「100年後にはこいつはゴッホみたいにビッグになるかもしれないぞ」と思って若手の作品を買っていますから。教員になってからは、これまで送り出してきた教え子たちに「オレがこれだけ命がけでコレクションしているのに、お前、そんなチャラチャラした気持ちでアーティストやられちゃったら困るよ」なんて、いつも冗談で話していますね(笑)。

高木:ところで、宮津さんにはライバルのコレクターっていらっしゃるんですか?

宮津:うらやましいと思うコレクターはいても、ライバルはいないですね。というのも、みんな僕よりも半端ないくらいお金持ちなので(笑)。そもそもコレクションの仕方が僕とはみな違う。僕が今、たとえば手元に10兆円ぐらいあって彼らと同じ買い方ができるようになったら、いろんな人がライバルになるかもしれないですけどね。でも、ちょっと自慢っぽいですけど、※アート・バーゼルで「グローバル・パトロン・カウンシル」という、約150名くらいしか入れない世界的なコレクターのグループがあって、僕はそのメンバーに選ばれています。日本だと、大林組会長の大林剛郎さんとベネッセの福武總一郎さん、それから高橋コレクションの高橋龍太郎さんと僕の4人だけ。僕以外はみんな金持ちです。でも、カウンシルのメンバーにはアラブの王族や多国籍企業のトップなどもゴロゴロいるから、僕の年収なんか彼らのお昼代にもならないぐらいなんですよ(笑)。

アート・バーゼルは、スイス北西部の都市バーゼルで毎年開催される世界最大級の現代アートフェア。例年、6月に開催されてており、著名なギャラリーやコレクター、セレブなど、世界中からアート界の有力者が集結するアート界のビッグイベントです。

高木:そんな中、宮津さんがメンバーに選ばれているのは……。

宮津:たぶん、それは僕の「目利き」の力をアート・バーゼル関係者が評価してくれているからだと思います。僕はさながら21世紀版のヴォーゲル夫妻みたいな存在なのでしょうね。もちろん、あと年に1000万でいいからもう少し多くお金をかけられたらいいな、といった望みはありますけどね。

世界屈指の目利きがアドバイス。良い現代アート作品の見分け方とは


高木:宮津さんは、良い作品に対する目利きの力を評価されているわけですが、そんな宮津さんから見て、良い作品、悪い作品の見分け方はありますか?

宮津:2つあります。まずひとつは、優れた作品というのは、パッと見てそれが何なのかはわからなかったとしても、心をわしづかみにするような「何か」を持っているということ。もちろん、初見では非常に難解で、しっかり調べたり、話を聞かないとよくわからなかったりする作品もあります。だけど、そういった場合も、作品のバックグラウンドがわかってくるにつれてジワジワ良さが伝わってくるなら、それは良い作品といえます。噛めば噛むほど味が出るといったように。要するに、最初から面白くないものにたいした作品はないし、逆に、単純に面白いで終わっちゃう作品はつまらないということです。

高木:ご自身の中で、何か基準みたいなものが見えていらっしゃるのですか?

宮津:いえ、僕は特に基準みたいなものは設けていません。まず、完全にオープンな気持ちで作品に向き合って、「あれっ? これは凄いな!」といった驚きや、「えっ、これは何を意味しているのだろう?」といった違和感のようなものも含めて、何かしら心をつかまれた経験を大事にしています。気に入っていないものを買うのは違うと思うけれど、第一印象だけでは買いません。大事なお金を使うので、しっかり調べてから買う。だけど、自分の心に引っかかりがなかったものは、どんなに薦められても買いません。客観的に見て凄く良い作品なのかもしれないけど、別に僕が買わなくてもいいじゃないか、と思っています。

高木:なるほど。

宮津:もうひとつは「同時代性」を帯びている作品です。現代美術は、英語に訳すと「コンテンポラリー・アート」ですよね。「コンテンポラリー」の意味のひとつは「現代の」。だから“現代アート”とか“現代美術”なんて言われるのですが、もうひとつ「同時代の」という意味もあります。今、私たちが生きている時代のアート、つまり同時代の問題意識を共有していることが大事なのです。この、同時代の問題意識が欠けている作品は、ただ現在につくられた美術でしかなくて、グローバルな意味でのアートにはならない。同時代性を欠いた作品というのは、たとえ今価格が高くても、10年、20年で廃れていきます。逆に、同時代性に富んだものであれば、100年、200年と残るはずです。たとえば、ルネサンスの美術はまさに当時の“現代アート”だったわけですが、500年経った今でもしっかり生き残っていますよね。

高木:つまり、世界との交わりがないものに関しては、やはり現代アートとはいえないと?

宮津:そうですね。それぞれの作家が置かれている立場から世の中を見た時の、この時代に対する問いかけとか、問題意識とか、そういったものが欠けている作品は、要するに100年経って振り返ってみた時に、ただのきれいなものでしかないということです。

現代アートの収集を通じて世の中を知り、自分を知る


高木:ところで、宮津さんにとって、アートを買う楽しみとはどんなところにありますか?

宮津:その時代を知ることができる、という点ですね。この世に生まれた限り、誰しもが自分の生まれた時代が何なのかということを知りたいと思っているはずだし、世の中のことをよく知りたいと思うんです。僕は、そのためにアートを買いたいと思っています。でも、僕は別にアートを買うことが高尚な趣味である、とか思っていません。小説を読んだり、仲間と飲みに行ったりすることで時代を知ることができるっていう人もいると思うし、サッカーや音楽などひとつの趣味を追求することで見えてくるかもしれない。だから僕はそんなにアートを特別なものだとは考えていません。男女交際とか、音楽を楽しむことと似ていますよね。ただ、かかるお金とか、倉庫の問題がちょっとデカイだけであって(笑)。

高木:現代アートの場合、作家に会えるのもひとつの魅力ですよね?

宮津;そうです。古典や近代美術だと、どんなに作品を好きでもゴッホとかフェルメールにはもう会えないわけで。現代アートなら、アーティストが生きているのでギャラリーやアトリエなどを訪問して話すことができるし、作品を購入すれば気軽に質問することもできます。若いアーティストなら、一緒にご飯を食べたり酒を飲んだりできるわけじゃないですか。その醍醐味っていうのは凄いなと思っています。だから僕は「アーティストに会いたい」といつも言っています。実際、若い頃には草間彌生さんとかゲルハルト・リヒター、オラファー・エリアソンといった大物とも直接話をする機会がありましたよ。

高木:会いに行ける、という意味では、美術館に行って作品を見てもいいですよね。そこであえて作品を購入する、所有するというのは、宮津さんにとってどんな意味があるのでしょうか。

宮津:そこは恋愛に例えてみるとわかりやすいかもしれません。たとえば、今、好きな人と付き合いはじめたとしますよね。それで、デートして、ご飯を食べに行きますと。最初の頃は門限があったりするかもしれないけれど、そのうち一緒に旅行に行って、同棲して、結婚するといった感じで発展していくわけじゃないですか。このプロセスって、アート作品も同じなのです。

高木:なるほど。


宮津:たとえば、今、とある美術館でセザンヌの凄い作品を見て、気に入ったとしますよね。でも、どんなに好きになって、年間パスポートを買って毎日見に行ったとしても、夕方5時になったら閉館するので帰らないといけません。美術館だと、限界があるんです。でも、購入して自分のものになったら門限がないじゃないですか。いつでも好きな時に見ることができるわけです。

高木:それは大きいですね。

宮津:さっきも言ったように、僕は作品を売りません。そうすると興味深いことが起きます。たとえば僕が30歳の時に最初に買った現代アート作品は草間彌生さんの水玉のドローイング作品なんですが、これを40歳で見たときと50歳で見たときと、作品の見え方が違って感じられたのです。当たり前ですけど作品は変わっていない。ということは、僕の変化を作品が反映してくれているのでしょう。良い作品の場合、作品が、自分自身を見つめるための鏡のような役割を果たします。もちろん美術館に行ってそれができないとは言わないけれど、やっぱり僕からすると、美術館で見るのはテレビで見る女優やアイドルみたいなもので、自分が持っている作品は、奥さんや彼女みたいな、一緒に暮らして、そこにずっといるような存在なんです。アートと暮らしてみて、ハッキリわかりましたね。

宮津大輔さんの今後の活動について


高木:プロフィールを拝見していると、地域芸術祭の芸術監督や公募展の審査員など、非常に幅広く活躍なさっていますが、今後の活動への抱負などを教えていただけますか。

宮津:僕には、“アートコレクター”という肩書が一番最初に来ます。2022年3月末で、横浜美術大学の学長は退任させていただきましたけれど、こうした学長や理事や教授、といった肩書は僕だけでは決められないし、退任したら終わってしまう。でも、コレクターである限り“アートコレクター”は、死ぬまで僕の肩書としてありますから。よく、アーティストって商売や職業じゃなくて、生き様なんだ、という話がありますよね。それと同じで、僕にとっての“アートコレクター”は、単純に物を集める……というよりも、僕の生き様や人生そのもの。だから、死ぬまでコレクションを続けたいし、死ぬまでいい作品を手に入れたいというのが、僕が目指しているところです。

高木:そうやって集まったコレクションは、最終的にどうなるのでしょうか?

宮津:うまく人生を終えられるのなら、僕は最後には自分のコレクションをすべて美術館に寄贈したいと思っています。僕が集めた作品が美術館に収蔵されて50年、100年と経ってから、それらを全体として俯瞰して見たときに、その作品群の中に何らかの通底する「同時代性」が表現されていたら嬉しいですね。

高木:そこもまた、『ハーブ&ドロシー』のヴォーゲル夫妻と同じですね。

宮津:はい。それから、書籍もどんどん書きたいと思っています。僕は年に1冊ぐらいのペースで本を書きたいと思っていて、出版社に提案するために常に企画書を持ち歩いています。今日も高木さんに逆プレゼンする気満々でここに来ましたから(笑)。

高木:もちろん、出版の話は大歓迎です(笑)。

宮津:たとえば、2022年6月にも2冊出る予定です。ひとつは、アートの保存・修復について書いた『美術作品の修復保存入門 古美術から現代アートまで』(青幻舎)。伝統的な油絵や日本画からNFTアートまで、修復保存の全てみたいなガイドブックです。もうひとつは、美術史上、現代アートにおける「書」の位置づけについて論じた『現代美術史における前衛書のリポジショニング』(思文閣出版)。数年前に僕が京都造形大学で修士の学位を取得した際に書いた論文をベースに、紀要などで発表した論文などをまとめたものですね。

高木:凄いですね。ちなみに、次は何を書かれるか、もう構想は決まっているのですか?

宮津:実は今、東京藝術大学の博士課程で学んでいるのですが、その博士論文が※「京焼」についてなので、“工芸と製陶業における芸術と産業のアウフヘーベン”というテーマで書こうと思っています。もうひとつの構想では、日本画と空間表現についてもまとめてみたいと思っています。書・陶芸・日本画の3冊を、僕の“近代三部作”と位置づけて今後書きたいと考えています。

桃山時代後期から江戸時代初期にかけ、茶の湯の流行にともなって茶陶の生産が盛んになったころに成立した、京都東山を中心として盛んになった焼き物の総称。野々村仁清や青木木米といった名工を輩出した。

高木:なぜ、書と陶芸と日本画なのですか?

宮津:日本の現代アート、アジアの現代アートを集めて理解している気になったけれども、その前段階の近代東アジアでの芸術表現を、きっちり自分として理解し直してみたいと思ったからです。僕は、小学生の頃から東京国立博物館に通い詰めていたので、陶芸も日本画もベースの知識はそれなりにあると思っています。だから、独学で身につけてきた知識や解釈の仕方を、今改めてアカデミックにもう1回やり直してみたい。そう思ったので、修士や博士課程に通って論文を書いていくつもりです。

高木:本当にやりたいことが多くて充実していらっしゃいますね。

宮津:今回の対談を機に、ぜひ今後小学館さんともご一緒に仕事をしていければいいですね。今後とも、よろしくお願いします。

高木:はい! いろいろご一緒できれば嬉しいです。


写真:篠原宏明
撮影協力:nca | nichido contemporary art
Courtesy the artists and the gallery
©Tawan Wattuya / ©Sokchanlina Lim / ©Lina Pha
展覧会:「IN BETWEEN / 境界」
会期:2022年5月13日(金)- 2022年6月18日(土)
作家:ソクチャンリナ・リム (Sokchanlina Lim) / リナ・ファー (Lina Pha)/ ピヤラット・ピヤポンウィワット (Piyarat Piyapongwiwat)/ アリン・ルンジャーン (Arin Rungjang)/ タワン・ワトゥヤ (Tawan Wattuya)