五代目 中村歌六(なかむら・かろく)
思い出の衣裳は「忘れちゃった」
インタビューの席についた歌六さんの第一声は、「思い出の衣裳と言われてもな。忘れちゃったよ」でした。冗談めかしたボヤキに一同笑いに包まれましたが、仮に「忘れちゃった」が本当だったとしても不思議ではありません。なぜなら歌六さんは、初舞台の4歳から今に至るまで、あまりにも多くの役をつとめてこられたからです。
古典歌舞伎の世話物(江戸時代の町人の暮らしを描いた作品)や時代物(江戸時代以前の公家や武家社会を描いた作品)はもちろん、スーパー歌舞伎シリーズや新作歌舞伎の『風の谷のナウシカ』や『ファイナルファンタジーX』でも、物語の展開に欠かせない重要な役をつとめています。現代とは切り離された世界の息づかいを感じさせ、また明瞭な声と存在感で芝居に重厚感を与えます。そんな歌六さんが、テーブルの上の舞台写真の1枚に目をとめました。
『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』の主人公、一條大蔵長成の拵えの写真です。
「これは『ぶっかえり』の衣裳だね。一口にぶっかえりと言っても、役々にそれぞれ合ったものがあるのですが、これは大蔵卿用のもの。祖父の三代目中村時蔵の衣裳を使いました」
一條大蔵は源氏に心をよせつつも、それを平家方に知られないよう、わざと阿呆のふりをして……という物語。「ぶっかえり」は、歌舞伎の衣裳の仕掛けのことです。お芝居のクライマックス(「大蔵館奥殿の場」)で一條大蔵が本心をあらわす時、真っ白の綸子(りんず)が一瞬で柄の入った千早(ちはや)に変わるのです。心の変化を見た目にも表現してみせます。
近年の上演では、オレンジ色を基調とした市松模様のデザインが多い傾向にあります。歌六さんのぶっかえりの衣裳は、白地に蝶が舞っています。歌六さんの家紋は揚羽蝶です。
この衣裳をオーダーメイドした三代目時蔵さんは女方で活躍。3人兄弟で3人とも歌舞伎俳優でした。
「初代中村吉右衛門のおじさま、祖父の三代目時蔵、それから十七代目中村勘三郎のおじさん。兄弟でも芸風が異なる3人でしたが、一條大蔵は珍しく3人ともがやった役。皆がそれぞれに衣裳を作っていました。何年か前、(今年三回忌をむかえる二世)吉右衛門の兄さんも大蔵卿用のものを新調なさったそうです。ですから祖父の衣裳は、祖父より後に誰にも使われることなく20年以上、根岸(根岸衣裳。現・日本演劇衣裳)の蔵に眠っていた。僕が五代目歌六の襲名披露で大蔵卿をやることになり、古くからいる衣裳屋さんが『たしかにあるはずだ』と引っぱり出してきてくれた」
三代目時蔵さんは、歌六さんにとって「ものすごく甘い」「欲しいものは何でも買ってくれる」おじいさまだったそうです。孫と共演したいがために、子役を出せる演目をよく選んでいたのだとか。
「出なくてもいい芝居にまで出ていました(笑)。初舞台の年に祖父が『女暫』の巴御前をやった時、僕は茶後見(花道の湯飲みをもって出て巴御前に差し出す役)で出ることに。まだ体も小さく湯飲みを出しても届かないのに。そこで播磨屋の大番頭と言われていた初代中村吉之丞さんが、僕の後ろからついてきて、祖父の横へ来たところで僕は吉之丞さんへ湯飲みを渡す。受け取った吉之丞さんが祖父に飲ませる。そして吉之丞さんが僕に湯飲みを返す。そして引っ込む……絶対いらない役でしょう!?」
はやくも(主におじいさまから)ひっぱりだことなった歌六さんは、初舞台から12か月で9作に出演。いずれも三代目時蔵さんとの共演でした(「歌舞伎 on the web」参照)。1959年に三代目時蔵さんは他界されますが、臨終の際には「しん坊(進一。歌六さんの本名)を皆で可愛がってやってくれよ」と言い残したそうです。
『金閣寺』でおみごろもの国崩し
9月は歌舞伎座で『金閣寺』に出演し、松永大膳(まつながだいぜん)をつとめます。一條大蔵と同じく高貴な身分を表す白塗りの顔ですが、大膳は大悪党。金閣寺に立てこもり、雪舟の孫娘の雪姫を自分のものにするべく軟禁。自身は優雅に囲碁を打ちながら天下乗っ取りの計画を立てます。このような大悪党キャラクターを、歌舞伎では「国崩し(くにくずし)」といいます。
小忌衣(おみごろも)と呼ばれる衣裳を着ています。神事などで使われる祭服の小忌衣とはまったく別のもので、歌舞伎の衣裳として創作され、時代物の衣裳として定着しました。ひだのある立襟について「エリマキトカゲみたいな襟が結構うっとおしいんです」と笑う歌六さん。役への意気込みをうかがうと表情が変わりました。
「大膳をやらせていただくのは初めてです。芸格の大きな先輩方がなさってきた役です。僕は顔もガタイもそれほど大きくありませんし、芸風でいっても僕にどうにかできるお役とは思っておりません」
控え目な言葉の背景には、歌六さんがこれまでに見てきた、先人や先輩俳優たちによる松永大膳の姿があるようです。
「初めてこの芝居に出た時、私は松永鬼藤太の役でした。大膳は先代(初代)の松本白鸚のおじさまです。芝居の最初に御簾の中でおじさまと2人きりになりますね。碁盤の向こうのおじさまの大膳を見て、“すごいな、かっこいいなあ”と思いました。そのおじさまから繋がる、今の松本白鸚のおにいさんや中村吉右衛門のおにいさんも、やはり大きな大膳です。皆さん、芸格が大きい。あの大きさを芝居で出すのは至難の業ではありますが、精一杯努力しようと思っております」
雪姫役は、歌六さんのご子息の中村米吉さんと、中村福助さんのご子息の中村児太郎さんがダブルキャストでつとめます。
「福助さんと児太郎さん親子もそうですが、雪姫をやる役者は、父親も雪姫をやる女方さんのことが多いですね。今回のように、親子で大膳と雪姫となる舞台はそこまで多くないように思います」
歌六さんは立役、米吉さんは女方。
「子どもの頃から踊りの稽古には通わせていましたが、普通に大学に通い、やりたいことをやればいいと思っていました。子役時代は舞台にもそれほど立っていなかったしね。それが大学に入ったくらいの頃に、『役者になります、女方を勉強します』って。僕から役者になれと言ったことはありません。女方を教えることもできません。彼は自分で決めたのだから自分の責任。『そうですか、がんばりなさい』と答え、あとは『教わり上手になりなさい』とだけ言いました。この子には教えてあげたいな、と思われる役者に」
それは歌六さん自身も大切にしてきたことでした。
「僕の父は早くに去りましたから、歌舞伎のことは(十七代目)勘三郎のおじさんに一から教えていただきました。おじさんは、それはすごい役者でしたが、人に教えるとなるとね(笑)。長嶋茂雄さんが『ボールが来るからバットを振るとホームランになるんだよ』と教えるのと一緒。何でこれができないんだ! と怒られてばかりでした。それでも同じ楽屋においてくれて、周りには『おじさんは、こんな意味で言っていたんじゃないか?』と通訳してくれる人もいた。他にも色々な先輩がたくさんのことを教えてくださいました。親がいない分、いい意味で口を出しやすかったのでしょう。苦労ですか? あまりないね。はやくに親を亡くした役者は結構います。僕が楽天的な性格で、運が良かったのもあるのかもしれません」
初日とは?修業とは?
今年7月、重要無形文化財「歌舞伎脇役」保持者の各個認定を受けました。いわゆる、人間国宝です。俳優として心がけてきたことを、歌六さんは次のように答えました。
「一生修業、毎日初日」
ストイックな日々を想像しますが、長男の米吉さんは過去の取材で、「父が家で稽古をするのをみたことがない」と。どういうことか尋ねると、歌六さんは「仕事は家に持って帰りません」と答えてニヤリとしました。
「するとしても朝5時から7時。皆がまだ寝ている間に、少し調べものをしたり台詞を覚えたりするくらいでしょうか。稽古があまり好きではないんです。ただ、うちの奥さんは恵子という名前。あまり『けいこ嫌い!』なんて言っちゃまずいよね?(小声)」
歌舞伎俳優として68年。「毎日初日」の「初日」とは、どきどきとワクワクのどちらの感情で迎えるものなのでしょうか。
「どちらかといえばワクワクです。初日になってお客様が入り、初めて反応が分かる。特に世話物に近い作品や新作歌舞伎は発見が色々あります。緊張はあまりしませんね。歌舞伎役者は、きっとみんなそうでしょう。舞台に出るのは、歯を磨くのと一緒。子供の頃から毎日やっていることだから」
では「一生修業」の「修業」とは。
「毎日発見があるから、毎日が修業になる。昔の名人上手の影を求めて足掻き続けるわけです。新作歌舞伎だと、そのような模範解答も目標物もないので怖いですね。台本を読み、絶えず客観的に自分なりの修正をしていかないといけません。でも芝居ってそういうものですし、古典にも同じことが言えるような気もします。古典でも新作でも、与えられたものを真摯につとめるだけ。必死になって先人の後を追っかけるのが修業であり、目標に向って足掻くことが楽しいのでしょうね。歌舞伎は初日が開いたら25日間続きます。楽しみがなきゃ、25日間やるのは大変でしょう?」
関連情報
『秀山祭九月大歌舞伎』
二世中村吉右衛門三回忌追善
会場:歌舞伎座
日程:2023年9月2日(土)~25日(月)
休演日:11日(月)、19日(火)休演
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/827