ランウェイに現れた黒の輝きを放つ伝統染め
2026年2月15日に開催された「TGC(東京ガールズコレクション) in あいち・なごや2026」でランウェイを歩くモデルが着用したのが、漆黒の生地に白い8つの丸い紋があしらわれたワンピース。その斬新なデザインと黒の美しさに思わず釘付けとなりました。

黒地に白紋が映えたワンピースは、黒の美しさが際立ち、洗練された上品さを醸し出しています。しかしこのスタイルに行きつくまでには紆余曲折があったのだとか。
「伝統工芸の世界はどこも先細りで、着物を主とする織物や染色も後継者不足で危機的な状況です。それでも、大正時代から100年以上続く染屋として、何かできないかと考えるうちに、『和装でやっていたことを洋装に落とし込もう』という考えにいきついたんです。それで2013年から、いろいろな色染めTシャツを作り始めました」と語る中村さん。
しかし、当初は他社との差別化ができず、売上も期待には及ばなかったそうです。ただこのことがきっかけで、名古屋三越のオリジナル商品として大判ストールを作ることになります。黒紋付染の技法を活かすなら「白と黒だけでやろう」と決めた結果、これが思いのほか評判となり、その後いろいろなブランドから声がかかるようになったのだとか。

「2015年からは僕自身もアパレルの勉強を始め、ファッションの展示会にも出展させてもらうようになりました。2020年からワンピースやシャツも展開するようになり、そこから、世界的な日本のブランドからも染色のオファーがくるようになったんです。さらに映画やCMの衣装の話ももらうようになりました」。
工業製品とは違う黒紋付染の黒の魅力
安価に輸入される染料や染色工程の機械化で、今では工業製品となっているTシャツですが、中村さんが作るTシャツは工芸品と考えているそうです。
「黒の色が違うんです。工業製品は、コストとの兼ね合いから黒に見えればいいので、短時間で黒っぽい色に染めていきます。でもうちが手がけている製品は、ひとつひとつ染めの時間や手間をかけている。うちに来られる方に黒紋付染の手法で染めた黒と、他で作られた黒を比べてもらうと全然違うことに驚かれます。受け継がれてきた技法で、納得する黒に染めるのが僕らの仕事だと思っています」と中村さん。

特徴ある艶やかな深い黒色は、代々伝えられてきた染料や古来の染色方法によるもので、色下染めをしてから、黒い染料で染めることでより深みのある漆黒となるのだとか。
「ただ染料を多く入れれば黒になるというわけではなく、染時間や丁寧な工程にこだわります。ゆっくり時間をかけて染めること、そして何度も水洗いすることで、つやのある黒になります。だからこそ、黒紋付染は色褪せせず、漆黒の黒を保ち続けられるのです」。
家紋を入れる和装は、家を表す大事な印
平安時代の貴族が使い始めたと伝わる家紋ですが、江戸時代に入っても、武士と一部の町人しか家紋は持てませんでした。それが明治時代にはすべての人に名字と共に家紋を与えられるようになります。今ではみな持っているはずですが、自分の家の家紋を知らないという現代人が多いのだとか。
「家紋というと由緒ある家にしかないと思われがちですが、お墓を見るとちゃんと紋が入っているんですよ。無地の着物を作る時も、ひとつ紋を入れるだけで格が上がり、正式な場に出られる和装になります。それほど家紋の意味は大きいんです」と中村さん。
家紋の種類は平安時代から続くものも含め1万種類ぐらいあるのだとか。海外でエンブレムといえば、地位のある人や由緒ある家柄というイメージになりますが、日本ではどの家にも家紋があり、それを着物などの生活にも取り入れながら、大切に受け継いできたように思います。さらに中村さんは、家紋の柄にも日本ならではの特徴があると語ってくれます。

「海外の紋章というと『イーグル』だったり『タイガー』だったり、強さを表すための権力を象徴するものが多い。でも日本は、花や葉っぱといった自然の絵柄がほとんどなんです。日本は古来、豊かな自然の中で感性を育んできた。優しい気質を象徴しているように思います」。
こういった日本人の感性を受け継いでほしいと、中村さんのところでは、家紋ワークショップを開催しています。
「お子さんでもできるようにシルクスクリーンを使い、紋の形を当てて、そこに紋を刷っていきます。インバウンドのお客様も多くて、真田広之主演の海外ドラマ『SHOGUN 将軍』が流行ってから、徳川家の葵紋など、よく知っているんです」。
なぜ名古屋と名のつく黒紋付が受け継がれたのか
「名古屋黒紋付染は、江戸時代初期の慶長16(1611)年に尾張藩士が藩内の旗や幟(のぼり)などの製造を始めたのがきっかけだと伝わっています。その後、江戸後期には紋型の紙を板で抑えつけて染める『紋型紙板締め技法(もんがたかみいたじめぎほう)』が生み出されました。それが明治に入ると、板の代わりに丈夫な金網を使うよう改良されていきます。このように紋を白く抜く時に金網をつけるのが名古屋黒紋付染の特徴になっています」と中村さん。

名古屋黒紋付の特徴とその手法
そもそも名古屋黒紋付の紋と染技法とはどのようなものなのか。中村さんにその工程を伺うと、
「まず生地を黒く染める前に、紋の型紙と金網をあて、縫い付けて固定することにより、染料が入るのを防ぐんです。この状態で下染め、その後黒染することによって、その部分だけが白く残ります。その後、紋章上絵師によって筆を使い家紋を描き入れます」。
着物の産地は全国にあれど、「名古屋」がつく黒紋付染と、京都などで作られる黒紋付染では、紋の入れ方が違うのだそう。
「京都は昔から伝統文化や芸能が盛んですから、需要が多い分、早くから大量生産の体制をとっていたんです。それで京都では『結婚式の黒は買って』になるんです。だからどの家紋も、白い丸抜きで染め、そこに紋絵を入れていくのです。名古屋の場合は、誂染め(あつらえぞめ)といって、『結婚式があるからこれを作って』というように受注生産が多かったんです。だから家紋も、僕たちは一から紋形を作る、いわばオーダーメイドなんです。昔は嫁入り道具のひとつだったので、とても多くの受注がありました」と中村さん。
紋入れも機械化されたり、パターン化しているのかと思いきや、今もひとつずつ手作業で行われていました。
染の技法には、色で下染めをしてから黒に染める「浸染(しんせん)」と刷毛(はけ)で色を塗る「トロ引染(ひきぞめ)」があります。どちらも手間と時間のかかる工程を経て、あの深い黒を生み出しているのです。
伝統工芸の危機は見えないところから始まっている
着物を着る人が少なくなったとはいえ、伝統芸能の方や、冠婚葬祭で着る機会はまだあります。しかし、中村さんは、見えないところから崩壊が始まっていると語ります。
「うちは染屋なので、黒紋付染の他にも、色染めや染め替え、染み抜きなど、仕事の幅を広げてきました。でも例えば、和紙を5~7枚貼り合わせて作る紋型を抜く道具は、すでに廃業されて、職人さんがいないんです。だから今あるものを大事に使っていくしかない。白抜きした紋に筆で描く職人さんもわずかになってしまいました。みなさん、高齢で、発注も少ないので職業として成り立っていないのが現状なんです」。
工芸の最終段階を担う職人さんはまだ残っていますが、素材を作ったり、道具を作ったりする職人さんは絶滅へと進んでいるのです。黒紋付染も手仕事ではなく、工業化でという時代が実はそこまで来ているのかもしれません。

冠婚葬祭も地域で。その習慣が名古屋黒紋付を存続させた
「名古屋は昔から日本舞踊やお茶を習う人が多いこともあって、一つ紋付きの色無地を作るんですよ。結婚式も両親は和装で出席するなどの文化があって、黒紋付は必需品とされていたんです」。
名古屋では、40~50年前まで、結婚式や葬式を家でやっていた方も多かったといいます。町内の人が手伝いに来るなど、地域コミュニティが生きていた時代です。
「その頃は貸衣装屋さんもなかったから、黒い和装を持っていないと冠婚葬祭ができない。ですから名古屋では、冠婚葬祭に使う黒紋付は必ず持っておくべきとされていました」と中村さん。
嫁入り道具が派手と言われる名古屋ですが、葬式も親戚だけでなく、地域の方が集まり、みんなで弔うという日本の生活文化が色濃く根付いていたのです。
「そういう意味で、名古屋はまだ文化が残っている方だと思います。各地域で祭りがあるし、芸能文化も残っている。でも着物を作る人がいなくなると、染物屋もなくなり、引いては、祭りがなくなる、芸能がなくなるってことなんですよ。僕たちは冗談ではなく、歌舞伎の襲名披露が黒紋付から黒いスーツになる時代が何十年か先には来るんじゃないかと思っています。現に国産の蚕はほぼ絶滅していますし、反物の需要だってなくなっていくかもしれないんです。そうならないために、若い人にも発信し、着物文化や染めの文化をしっかり伝えていきたいと思っています」。

取材を終えて
筆者も黒紋付という言葉はよく耳にしていましたが、実際に自分で着ることはなく、取材の中で、改めて染めや紋について考えさせられました。海外の方が美しいと憧れる日本の「黒」。漆もそうですが、その美しさは長い時間をかけて受け継がれてきた文化なのです。身近なところから日本文化が絶えていく。それを現場の人たちが必死に支えている現状を知るにつけ、失うものの大きさに驚いてしまいます。日本の伝統技術の奥深さと共にもう一度「黒」の魅力を見つめ直してみたいと思いました。
Photo/松井なおみ

