イギリスで生まれた「ニューロエステティクス」
伊藤仁美(以下、伊藤) 今日はたくさん聞きたいことがあるので、楽しみにして来ました。早速なのですが、「神経美学」というのはどういった学問なのでしょうか。
石津智大(以下、石津) 神経美学にご興味を持っていただき、ありがとうございます。神経美学はもともと、「ニューロエステティクス」というイギリスで始まった学問分野です。「ニューロ(神経・脳)」と「エステティクス(美学)」というふたつの領域が組み合わさってできた、20年あまりの比較的新しい分野です。

「神経科学なのか、美学なのか」とよく聞かれるのですが、あくまで脳科学の一部です。たとえば絵画を見たり音楽を聴いたりという鑑賞、それを生み出す創造的な行為、さらには作品を分析・批評したりするような高次の精神のふるまいも含め、僕らは「芸術的な行い」と呼んでいます。その行いをしているときに立ち現れるのが「美的な感性」です。
美学の中には「美的範疇」という言葉があって、優美さ、美しさ、感動だけでなく、面白いこと、魅惑的なもの、悲しみ、恐れ、醜さといったものも「美」として扱われてきました。そうした幅広い芸術的な行いと美的な感性に関係する心の働きを、MRIや脳波計といった脳の活動を計測したり、体の反応を計測したりして研究しています。
14歳の少年が見た、夢と現実の二層構造
伊藤 先生がこの研究を始められたきっかけは。
石津 実はもともと学者になりたくて、小学校のころの文集に「学者になる」と書いていました。最初は昆虫学者、考古学者、天文学者と変わっていき、中学2年のある日、転機が訪れました。
部活を終えて家でうたた寝をしていると、母が「ごはんだよ」と起こしに来ました。目を開けたら、母のシルエットが映っているのに、まぶたの裏に夢の続きが流れていたのです。
伊藤 夢と現実が、重なって見えたんですか。
石津 そうなんです、視界が上下に二層になっている感じでした。これは脳の仕業に違いないと思って、14歳で「脳科学者になろう」と決めました。
一方で、母は今も岩絵の具で絵を描く人で、子どものころから美術館のカタログなどを見せてもらい、芸術への興味もずっと持っていました。大学院に入るころに「両方やればいい」と思って調べてみたら、すでに神経美学という分野がありました。それで、ロンドン大学のゼキ先生のところに行き、師事したんです。
散りゆく桜に美を感じる、その脳の中では
伊藤 先生のご著書を読んで、一番興味を持ったのが「ネガティブなものに対する美」です。満開の桜をきれいと思う人もいれば、散りゆく桜に美を感じる人もいる。日本画によく見られる、咲いているものと散っていくものが同時に描かれ、そこに時の移ろいを感じるように。
これは、非常に日本的な美意識だと感じますが、そうしたネガティブな美に惹かれるときの脳や心の動きを、ぜひお伺いしたいです。

石津 まさに、私もずっとそこに興味がありました。学生時代にミケランジェロの『ピエタ』という彫刻を見て、理由もわからず美しさのあまり泣いた経験があります。ピエタとは、哀れみや慈悲という意味です。それまでは美しさといえばハッピーでポジティブなものとばかり思っていましたが、楽しさや明るさだけではなく、散りゆくもの、朽ちていくもの、悲しみや痛みの中にも人間は美を感じる力があるんだと体感しました。
MRIが映し出した、脳内の「ふたつの美」
石津 2017年、ある実験をしました。満開の桜のような力強い美を「歓喜の美」、散っていく桜や廃墟のような儚さをまとう美を「悲哀の美」と便宜上分けて、MRIで脳の活動を測ったんです。
すると、歓喜の美でも悲哀の美でも、美しさを感じているときに必ず活動する部位が見つかりました。眉間の奥あたりにある「内側眼窩前頭皮質」という、前頭葉の底の部分です。そこは見た目の美だけでなく、音楽や声の美、さらには「正しい行いの美」や「数学的真実の美」を感じるときも活動する。何を美と感じていても、ここはほぼ必ず反応します。

ところが面白いことに、悲哀の美のときだけ、追加で活動する部位があったんです。「補足運動野」と「中部帯状回」という、他者の痛みを感じたり、その人の意図を慮るときに働く社会的な脳部位です。
誰かと直接やりとりをしているわけでもないのに、悲哀の美しさを感じているとき、私たちはその対象の裏に「人性」を感じ取り、その人の痛みに共感しながら、美しさと心地よさを同時に味わっているのではないか、ということです。
伊藤 つまり、満開の桜のようなポジティブな美を見るときよりも、悲哀の美を感じているときのほうが、脳のたくさんの場所が動いているということですね。
石津 ええ。歓喜の美では出てこない脳内のネットワークが、悲哀の美では立ち上がってくるといえるのです。

【中編に続きます】
(Text by Tomoro Ando/安藤智郎)
(Photos by Yuji Imai/今井裕治)
Profile 伊藤仁美
着物家
京都の禅寺である両足院に生まれ、日本古来の美しさに囲まれて育つ。長年肌で感じてきた稀有な美を、着物を通して未来へ繋ぐため20年に渡り各界の著名人への指導やメディア連載、広告撮影などに携わる。 オリジナルブランド「ensowabi」を展開しながら主宰する「纏う会」では、感性をひらく唯一無二の着付けの世界を展開。その源流はうまれ育った禅寺の教えにある。企業研修や講演、国内外のブランドとのコラボレーションも多数、着物の新たな可能性を追求し続けている。
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和を装い、日々を纏う。Profile 石津智大
神経美学者/関西大学教授
1979年、東京都生まれ。2009年、慶應義塾大学大学院で心理学博士を取得後、渡欧。ウィーン大学心理学部研究員・客員講師、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ生命科学部上席研究員などを経て、2020年より日本に活動拠点を移し、大学で教育・研究に従事している。著書に『神経美学—美と芸術の脳科学』(共立出版)、『なぜアートに魅了されるのか』(共立出版/分担執筆)、新著『泣ける消費』(サンマーク出版)など。
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