千利休(せんのりきゅう)は戦国時代である大永2(1522年)に生まれました。その天才的な目利きの能力で骨董品などの商いに携わり、一生涯でわび茶を完成させる功績を残しています。己の美学だけで時の権力者・豊臣秀吉に対峙し、天下一の茶頭に登り詰めました。千利休は、日常の様々な場面や、時には合戦中でも茶を振舞うなど秀吉の怒りを買うまで良好な関係を保っており、秀吉から茶の腕に一目置かれていたほどでした。
茶の湯とは
茶の会を開くとなると、畳の部屋で茶を点て、苦くて濃厚な抹茶を飲むことを想像される方も多いと思います。しかし、実際はお茶を出すだけのような単純なものではありません。茶会に招いた人の体調や感情を深く読み取り、その人に合った料理を振る舞い、その後にお茶を点てるのです。
このように人を気遣い最高のもてなしをする茶の湯では、相手を満足させ、その心を開くことから、政治の場としても利用されてきました。豊臣秀吉の信頼を得た千利休は、戦に関する助言を求められることもありました。もちろん、茶の湯を嗜(たしな)むために会を開くこともありますが、秘密裡に誰かと会話を交わしたとしても、「茶の湯を嗜んだだけだ」というふうに言い訳をすることも可能なわけです。
戦国時代、切腹するのは武士だけ
ここで、戦国時代の話に戻りましょう。戦国時代は各地方で戦が絶えず、戦に負けた当主や身分の高いものに逆らった武士は切腹を命じられることがありました。しかし、よほど重い罪を犯さない限り武士以外の身分の人間が切腹させられることはありませんでした。では、なぜ千利休はあれほど信頼されていた秀吉に切腹を命じられたのでしょうか。
豊臣秀吉の性格
時の天下人、豊臣秀吉はあらゆる事柄の頂点に立ち、できないことはないと考えていたと思われます。
そんな秀吉が唯一嫌い嫉妬の対象としていたもの、それは千利休の「質素でも完璧な美学」だったのかもしれません。無駄な装飾を極限まで削ぎ落とし、たどり着いた美の境地。秀吉は、美の頂点に君臨する千利休が許せなかったのではないでしょうか。嫉妬のあまり切腹を命じたのではないかと、私は思います。例えば、利休が考案したにじり口は、武士も商人も誰もが身分差なく頭を下げて入り、茶室では皆が平等を意味しています。権力を重視する秀吉には、受け入れがたい感性だったのでしょう。
切腹に値しない千利休の罪
秀吉の嫉妬のために切腹を命じられた千利休ですが、公的に「天下人の嫉妬」という名目で切腹を命じることはできません。そこで、秀吉の部下である石田三成は以下の2つの罪を挙げることで秀吉の千利休切腹の命令を執行しようと試みたとされています。
1.大徳寺山門(三門)の金毛閣に安置された千利休の木像が不敬であったこと。
2.茶道具を法外な高値で売り、売僧(まいす)と成り果てていたこと。
まず1つ目の説に関して、金毛閣に建てられた千利休の木像に、秀吉が山門をくぐる際その頭を土足で踏むことに不敬の罪を指摘したとされています。しかし、実際は応仁の乱で焼けた寺の再建のために、千利休は多額の寄付をしています。そして、寺がその功を顕彰するために建てたのが千利休の木像だったのです。千利休自身が建てたものではないので、千利休は罪の対象ではありません。さらに、像を寺に安置することは秀長(秀吉の弟)に届けられていた記録に残っていることから、許可を得ての建立ということがわかります。
次に2つ目の説に関して、千利休が茶道具に高額な値段をつけて売り、儲けているということを指摘したとされています。ですがこれは、千利休が故意に行っていることではないことを市場が証明しています。千利休には類稀なる美的感覚があることから、その目利きで選んだ骨董品は、たしかに間違いなく美しいと誰が見てもわかるものでした。そのような天才が選んだたった一つの商品は、市場での価値が上がり、茶の湯に憧れを抱く商人が買い求め、転売に転売が重なり値段が一気に上昇するのです。さらに千利休が大切にしていた香合には、秀吉自身が小判千枚の値段をつけて交渉をしたとも言われています。秀吉自身も、千利休が選んだ品を高値で買い取ろうとしていたのですね。
秀吉が千利休に切腹を命じた真意
このように理不尽な理由をつけて千利休に切腹を命じたとされる秀吉でしたが、実際には本当に千利休に切腹してほしいわけではなかったのかもしれません。ただ、一言謝罪の言葉を述べるだけで許すとも、千利休切腹を見届けた使いに伝えていたとされています。ですが、千利休は自身が秀吉に謝る理由はないと断り、妻に見守られながら切腹をしたのでした。
最期に、千利休が命よりも大切にしたもの
千利休が大切にしたもの、それは茶の心です。千利休の切腹執行のために茶の間を訪れた秀吉の使いにも茶を出し、最後は一畳半の狭い部屋でその最期を遂げました。
「利休」という名前は、わび茶を極めた称号として天皇から与えられました。「鋭利を休めよ」との意味が込められていると千利休は解釈しています。その天才的な美意識の鋭さを時には休めることが、千利休にとって命よりも大切なものだったのかもしれません。
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