Gourmet
2017.06.13

洋食の最高峰「芳味亭」のビーフシチューレシピ

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完成まで1か月かかるドミグラスソース

「芳味亭」は昭和8(1933)年創業の洋食店。戦前からの味を守る老舗です。中でも、1か月かけて煮込むというドミグラスソースを使ったビーフシチューは、「ビーフスチュー」とメニューに書かれ、変わらない人気。日本で、ごはんに合う味に変わっていったドミグラスソース。その魅力を支える技を教えていただきました。
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ごはんに合う洋食の最高峰
ビーフシチューをつくってみましょう
「芳味亭」ビーフシチューの秘密

ごはんに合う洋食の最高峰

東京・下町の風情を感じる人形町。演劇や歌謡ショーがかかる明治座をかかえ、安産・子授けの水天宮の縁日、戌の日には多くの女性でにぎわいます。

江戸時代、人形町には歌舞伎小屋や人形芝居の小屋があり、吉原もありました。明暦の大火(振り袖火事)では江戸市中が焼け野原になり、吉原は浅草寺裏に移ります。徳川御三家が江戸を離れたり、火除けのために広小路をつくるなど、市街地の大改革となりました。この火事では、江戸城の天守閣も燃え、以来再建されませんでした。

人形町は、洋食や親子丼など、下町の味を代表する料理店が多いことで知られています。中でも、柳橋や深川の芸者衆、明治座に出演する役者さんに人気なのが「芳味亭」の洋食。小説家の向田邦子がエッセイ『女の人差し指』でこの店に触れ、映画評論家の荻昌弘は、その味を絶賛しています。
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引き戸を開けて店に入ると、洗い出しの土間にテーブルと小上がり。芳味亭の初代・近藤重晴さんは、大正時代に横浜のホテルニューグランドで仕事をした料理人でした。その後、海軍の士官食堂や外国人記者クラブで働き、腕に磨きをかけました。

メニューには、ビーフシチューではなく「ビーフスチュー」と書かれています。「スチュー」という表記に、外国との接点があった港町・横浜や外国人記者クラブで仕事をしていた料理人の矜持を感じます。

現在の料理長・土井三郎さんは15歳で「芳味亭」に就職、以来49年働いてきました。「そのころからドミグラスソースのつくり方は変わっていません。営業中は火口が空きませんから火にかけられなくて、何日もかかるんです。コツといえば、火にかけているときは目を離さないことでしょうか。焦げつかないように気を配ります」
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肉の歯ごたえを残しながらもやわらかく煮込むことにも、気を使っています。この食感は、牛肉を長時間ゆっくりと煮込むことで生まれます。大きく切って煮込んだ牛肉を、盛りつけるときに切っていますが、これも肉の味が逃げない工夫のようです。

小さな手順、ちょっとした手間のように見えますが、老舗が伝えるつくり方には、その店が愛される理由が詰まっています。
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ビーフシチューをつくってみましょう

1.牛バラ肉に焼き色をつける

牛バラ肉を細長く切り出し、フライパンで焼き色をつける。煮ている間にうまみが煮汁に出ないように、表面を固めておく。焼き色がついたところで、大ぶりの角切りにする。「芳味亭」では、平均して1日10㎏くらい牛肉を使うという。バラ肉は長時間煮込んでも固くなりにくいので、ビーフシチューに最適。

2.焼いた肉を煮込む

焼いた肉を鍋に入れ、水を加えて強火にかける。煮立ったら火を細める。あくが出てきたらこまめにすくう。肉の大きさによって時間が変わるが、やわらかくなるまで2〜3時間煮る。煮立てないように、細火でことことと煮るのがコツ。ゆっくりと火を入れることで、やわらかく、しかも肉の質感が失われずに煮上がる。

3.赤ワインを入れる

肉を煮ている間に赤ワインを入れると酸味がつく。少なくとも2時間は煮込むので、水分がなくならないように気をつける。水分が少なくなったら、ブイヨンか水を足す。肉が煮汁にひたっている程度の液面を保ち、煮汁が揺れる程度の細火で煮る。ときどきかき回して、底が焦げつくのを防ぐ。
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4.ケチャップなどで調味する

ケチャップを入れ、さらに煮る。煮ている間に、付け合わせの準備をする。付け合わせは3種類。スパゲッティ・ナポリタンは、ゆでたスパゲッティを炒め、塩とケチャップで調味する。ゆでたさやいんげんはラードでソテーし、塩で調味。セロリはベーコンを入れて風味をつけたスープで、やわらかく煮ておく。

5.肉を取り出して切る

充分にやわらかくなったら肉を取り出し、大ぶりの角切りにする。皿に盛ってから肉にかけるためのドミグラスソースを、別に準備する。小鍋に基本のドミグラスソースを取り分け、赤ワインを入れて酸味を足す。味をなじませるためにしばらく煮込み、休ませておく。使うときには再度温める。

6.肉を戻して煮る

切った肉を鍋に戻し、煮込み用(基本)のドミグラスソースを入れて、さらに煮る。肉とソースがなじんだら、できあがり。皿に盛りつけ、スパゲッティ・ナポリタン、さやいんげん、セロリの付け合わせを添える。5でつくった、かけるためのドミグラスソースを肉の上から回しかける。ごはんを添えて供する。
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「芳味亭」ビーフシチューの秘密

ドミグラスソースをはじめ、さまざまな料理に使うために、土井さんは長年のやり方を守ってブイヨンをとっています。

「ブイヨンは鶏ガラとか肉の切れ端、野菜くずなどを水に入れて、毎日火にかけます。これも営業中は火が使えないので、1か月くらいかけてつくっています。このブイヨンを使って、ドミをつくるんです」

土井さんが「ドミ」と呼ぶのは、もちろんドミグラスソースのこと。洋食には欠かせないソースです。古典的なフランス料理でよく使われていました。一般的なつくり方は、小麦粉を色づくまでバターで炒めてつくったルーに、牛肉や牛骨、野菜のだしを入れてブラウンソースをつくり、さらに煮詰めて味付けするというやり方です。ドミとは半分、グラースとは煮詰めるという意味とか。
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「うちではまず、牛すじ、鶏ガラを炒めます。そこにブイヨン、野菜、肉汁などを入れます。仕込みの時間に少しずつ、1〜2週間かけて煮出し、3、4回濾します。骨もかたちがなくなります。ここに小麦粉を炒めてつくったルーを入れ、さらに2週間煮込んで濾します。このソースにケチャップ、エダムチーズを入れて味を調えます。ビーフスチューに使うときには、赤白ワイン、ウスターソース、ケチャップを入れて、裏濾しをして香辛料を入れます」

と、膨大な時間と手間をかけてつくっているドミグラスソース。「ソースさえちゃんとつくれば大丈夫」と土井さんが言うように、洋食には欠かせないものだからです。このソースをたっぷり使うのがビーフシチューです。まず、大きく切った牛肉に焼き色をつけてから、2時間ほど煮込みます。やわらかくなったところで、ドミグラスソースを入れます。
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「2時間よく見ていることですね。細火でことことと火を入れていく間に、水分が減っちゃうんです。減ったらスープストックか水を入れます。ときどき底からかき回して焦げつかないように。肉を初めから小さく切れば早くできますが、エキスがソースに出てしまいます。それに、圧力鍋ならもっと早くやわらかくなるでしょうが、歯ごたえが残らないから使わないんです」  

牛肉の存在感を残すのが、この料理のコツのようです。

「芳味亭」のビーフシチューの特徴は、ダブルソースになっていることです。かけるソースにはワインなどを足して、さらに酸味をつけてあります。濃厚な味ですが、この酸味で牛肉を食べやすくし、ごはんにも合うように仕立てているのです。付け合わせは、スパゲッティ・ナポリタンとさやいんげんのソテー、セロリのスープ煮。ソテーにはラードを使い、スープ煮にはベーコンを入れています。いずれもしっかりした味で、ビーフシチューと好相性。
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初代が働いていたホテルニューグランドは、スパゲッティ・ナポリタン発祥の地です。「芳味亭」のひと皿には、西洋の料理が日本人に合う味へと変わっていった、工夫の歴史が詰まっています。