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綺麗さび・小堀遠州を汲む遺構建築とたいしたもん蛇祭りを見に新潟県、関川村へ

新潟県岩船郡関川村、この山あいの小さな村に何と遠州流開祖の茶人であり作庭家であった、小堀遠州の門人達による庭園を持つ、豪商の屋敷があるのです。それが国指定重要文化財『渡邉邸』です。

渡邉邸と綺麗さびの茶人、小堀遠州門人のゆかりは江戸時代中期に遡ります

小堀遠州とは、千利休を師として茶の湯を学び、遠州流を確立した徳川家家臣という身上の茶人で、茶道の世界では『綺麗さび』といえば彼を指している、というくらいその様式は有名です。それと対を成して、優秀な作庭家であったという実績の人物です。

何よりすごいのは遠州、以下門下人の仕事が宮廷側での仕事(京都・仙洞御所や南禅寺)と、幕府側の仕事(東京都・江戸城二の丸、名古屋城、大阪城など)をこなすほど、両勢力から信望されていたことがあげられます。京や江戸での仕事のほか、なぜ新潟県の関川村に?と思われる方もいるかもしれません。

遠州門下の作風も見られる池泉式庭園

小堀遠州作庭といえば、池泉式庭園よりも枯山水式が印象が強いのではないでしょうか。京都なら茶人・小堀遠州ということから、南禅寺の金地院方丈のダイナミックな『鶴亀の庭』や相対的な『虎の子渡し』のあの石庭が有名です。意外にも池を配した作庭も残しています。東京ならば『江戸城の二の丸』が有名です。資料で一番、小堀遠州の記録が現存しているのは京都の南禅寺です。

ここ渡邉邸でも、心字池を中心に廻した築山、枯滝、州浜、手水鉢、遠州好みのみならず数種の石灯篭を配し、季節の花々がめぐり咲く通年楽しめる庭園になっています。よく見ると、州浜を配した位置があります。これは遠州以後の門人が多用した手法で海の浜辺をイメージしているものですが、渡邉邸の州浜は『沼池』を表現した州浜になっているのが大きな違いです。作庭は遠州の王道のみならず後世の門人の手法も創作に取り入れられた様が伺えます。

この庭園が最初に造られたのが宝暦2年(1752)頃とされており、現在の庭は昭和23年~28年にかけて、庭匠・田中泰阿弥が全面的に修復。飛石・州浜・蹲踞は泰阿弥の作ではないかと言われています。

なぜ、当時の作庭の雄、小堀遠州門下衆をこの渡邉家は地方に呼ぶことができたのか?といえば、勿論優れた財力があったということ。そして信心深い家柄で社寺への報業においても積極的だったということが挙げられます。

四代・渡邉三右衛門善永は近隣の神社、寺院の再興にも寄与していた史実が残っています。商いは廻船業と酒造業が主で、一時期は屋敷に70数名の従業者が出入りするほどの忙しい稼働ぶりでした。そして、廻船業での関西、京都の交流があった為たいそう風流な人だったようです。


京都とゆかりが深いのは四代渡邉三右衛門善永、そして五代当主の英良もそれを引き継ぐように同じくして文人、俳人、墨人などの文化びととの交流があり、文化びとの出入りは屋敷から絶えませんでした。

遠州側への作庭依頼の際に、京都鞍馬山からも大量に石材を調達したようです。

渡邉邸の屋根の凄い秘密とは?

昨今、この様な屋敷ではめったに見ることができない『石置木羽葺き屋根』で、渡邉邸が日本最大級の規模だということです。この屋根の葺き方は海沿いに多い屋根工法で、短冊状の葺き板を並べ石をおいて固定するという、海風に負けない古人の知恵の賜物でした。

現存でこの規模は壮観です。渡邉邸独自の工夫といえば、油分が豊富で近隣で多数入手可能な杉板を使用しているということが挙げられます。

この木羽葺きを担う人材が、現在関川村でも不足しており、積極的に若い方に向けてのワークショップなどを開催中です。

なんとこの作業は全て手作業にて行われ、ノコギリなどの文明の利器を使わず、ナタのような刃もので一つ一つ割って仕上げます。でないと雨露を上手く落とすざっくりとした溝ができないのだとか。

これは手間がかかります。そんな経緯もあり、屋敷のほうは昭和29年3月20日に重文指定となり、庭園は昭和38年10月11日、国の名勝指定文化財に認定されました。

母屋は、書院造りの広間が庭に面しています

小堀遠州といえば作庭家というだけでなく、書院の茶の湯を愛した茶人でもあります。渡邉邸にも美しい庭園に面した大書院が配置されています。暑いときには涼しく、寒いときには暖かく、常に人の良きように。これが遠州の茶の湯の根底です。

有名な逸話として『利休の朝顔』というものがあります。朝茶事の際、美しい朝顔を客人に見せるには?と思い巡らした結果、草庵の周りの垣根の朝顔をすべて刈り取ってしまったのです。そして床飾りに一輪、一番表情の良い朝顔を一つ飾って客人を迎えたといいます。

必要性を最大限に魅せるため、目移りするその他を徹底的に排除する、という所作は、いかにも利休らしいといえるでしょう。『必然性の演出』と、私はよんでいます。

対して遠州は、利休の「一碗あれば事足りるもの」という簡潔素朴な教えに踏襲するも、「美しく飾り並べるもまたよし」と考えた茶人でした。

茶事に関しても書院茶をよくしたのはその現れでしょうか。庭に季節の花が咲けばそれを好きに目を配せ愛でる。朝顔の垣根が美しければ、草庵への道行きにて客人に自由に愛でてもらっただろうと想像します。

これだけの渡邉家ですから、気になるのが文化サロンで行われていた茶会です。渡邉邸保存会の方にお聞きしたところ、茶事、茶会は行われていたであろうと思われますが残念ながら、茶会記は現存していないとのこと。保存会の方いわく、お庭を眺めながら自由に当時に思いを馳せていただければ、とのことでした。

この庭園の心字池の水鏡に月夜の満月が映り込み、遠州灯籠から漏れる灯火で鏡面のような池に夏の緑が映り込む。手元にはこれまた新茶の一碗が美しい緑の景色を作っている。そんな夜咄(よばなし)を想像しました。遠州ならば本来、夜咄では行わない道具組の拝見も客人ご要望とあらばと、応じていそうです。月夜の美しい晩ならば書院を開け放ってのどかな景色を楽しむ趣向で茶会を行っていたのではと思われます。

新潟県山あいの関川村、極寒の地特有の建築に残る、茶の湯の香りはこんなところにも

大炉の点前がある流儀もあるのですが、格式張った作法は抜きにしても、大きな炉を囲み皆で茶を楽しむ風習は各地に残っています。勿論、関川村にもあったと思われ、渡邉邸にも大炉がしつらえてあります。
邸内の様子。大炉があります。田舎ではよく極寒の季節は、大炉を囲んで茶の湯を楽しむ習慣があります。茶道では飴色に燻された煤竹も珍重されますが炉上の煙で自然に燻された煤竹を用いる茶道の慣わしは、こんなところから起こったようです。

関川村の歳時記・ギネス認定!伝説の大蛇の祭り『たいしたもん蛇祭り』は渡邉邸の2階桟敷から観覧できます

この『たいしたもん蛇まつり』は、2017年は8月25〜27日に開催されます(毎年8月最終週の土日)。ギネス認定の大蛇の制作は、関川村の54ヶ所の集落がそれぞれのパーツを作り、当日数時間かけて一つの大蛇に仕上げます。今までにも地区ごとのお祭りはあったのですが、関川村を挙げての一つになるようなお祭りを、との願いからこの祭りの開催が決まりました。

この祭りの主役である大蛇が米沢街道から村道を練り歩き関川村役場前広場でクライマックスを迎えるのですが、渡邉邸の2階から目の前で壮観な大蛇のとぐろを巻くさまを見物できます。

この大蛇が凄いのです。 重さは2トン、使用されている稲藁は田んぼ三反分、竹材は200本でいずれも関川村のもので賄われ、その全長は82.8mになります。この大蛇を当日500人ほどが総出で担ぎます。

長さの由来は昭和42年8月28日に起きた羽越水害の鎮魂の思いから。復興の力と共に忘れることなきようとの意味から決まった長さです。

ちなみにこのたいしたもん蛇は、鉄が嫌いなんだそうです。謂れでは退治されるときに、法師の呼びかけで村中の鋼鉄と名のつくメタリックなものを片っ端から集めて戦いに備えたそうな。大蛇の伝説の詳細な物語は、関川村のホームページに大蛇成敗の伝説が載っています。

この夏、ちょっと新潟の秘境まで、遠州ゆかりの庭園や遺構建築と壮観な大蛇のお通りを体感しにいってみませんか? 

【大蛇伝説】関川村ホームページ

関川村観光ガイド

文:zilch artifact

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