酒井抱一『十二ヶ月花鳥図』に憧れて!美術好きな私が「私淑」してみた記録

酒井抱一『十二ヶ月花鳥図』に憧れて!美術好きな私が「私淑」してみた記録

目次

展覧会とアイドルのライブって似ていませんか? だって、この目で直接その姿を見られるし、グッズが山ほど出るし。巡回展は全国ツアーですよ。
そう、展示物とはアイドル! 心を支え、人生に彩りを与えてくれる存在!
だからこそ、2020年のコロナ禍による展覧会延期や中止は堪えました。実物に会いに行けない……辛い、辛すぎる。その心の穴は、簡単に埋めることはできません。展示空間で向き合うという体験でしか生まれない感情があるのです。
追い詰められた私は、せめて自分の好きな琳派の特徴である「私淑」を体験しようと決意しました。この記事はそんな血迷った私の行動の一部始終です。

私淑でつながる琳派の系図

日本美術の世界にはいくつもの画派が存在しますが、琳派は「私淑」で繋がっていることが特徴だと言われています。
私淑とは、「直接教えを受けたわけではないけれど、ひそかに相手を師として尊敬し、模範して学ぶ」という意味です。
多くの流派は、師匠から弟子へと直接教えを授けて技術を受け継いでいきます。それに対し、琳派は、世代の離れた主要人物たちが先人への敬意を抱くことで繋いでいったのです。

関連記事:俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一、琳派とは?が3分で解決

琳派の名は、江戸時代中期の画家である尾形光琳(1658年~1716年)が由来となっています。光琳は、1600年代前半に活躍した絵師・俵屋宗達(生没年不詳)やその工房の作品を研究し、同じ題材や構図を使った作品を制作しました。宗達と光琳に、直接の師弟関係はありません。
そして、江戸琳派を開いた酒井抱一(1761~1828)もまた、生きた時代が異なる光琳の作品を研究し、自分の作品に取り入れました。その研究がまたすごいのです。

宗達・光悦から光琳・乾山(深省)兄弟へ、そして彼らから抱一・其一師弟らへ。なお、「琳派は私淑の流派」と書きましたが、抱一と其一は多くの弟子を抱えていました。図では省略しています。

今で言うなら、光琳のトップオタク? 大名家出身の絵師・酒井抱一の私淑は半端ない

画業だけじゃない、抱一の光琳顕彰

酒井抱一は、譜代大名で姫路藩主の酒井家の次男として生まれました。いわば、上流階級のお坊ちゃんです。若い頃から俳諧や画業にたしなみ、数々の文化人と交流を持った抱一は、次第に光琳研究に励むようになります。その理由としては、
・同時代の絵師である中村芳中が1802年に出した『光琳画譜』(光琳風に描いた自作集)へ序文を寄せたのが抱一と親しかった知識人だった
・江戸にも何人ものパトロンを持っていた光琳の作品が江戸内に多く残されていた
・実家である酒井家に光琳が一時期仕えていた
こうした繋がりから、次第に意識するようになったのではないかと思われます。

抱一は光琳研究にどれくらい熱を上げていたのか。それを表すのが、抱一が55歳のときにあたる1815年に行われた光琳の百回忌です。
これが一大プロジェクトで、抱一は法要を営むだけでなく、光琳の作品を集めた展覧会を開き、その記念に『光琳百図』という作品集も制作します。展示する光琳の作品は、実家の酒井家をはじめ、交友関係を生かしてあちこちから借りて集めました。その数は記録されているだけで42点にのぼりました。

こちらが『光琳百図』。約10年後の1826年には、続刊にあたる『光琳百図後編』が出版されました。現代に残っている光琳作品を多数確認できます。これは『八ツ橋図』(メトロポリタン美術館所蔵)の一部です。(画像は国会図書館デジタルコレクションより)

百回忌に先駆けて、抱一は『緒方(尾形)流略印譜』という本も出版しています。宗達から始まる画家たちのつながりを「緒方流」と称し、彼らの画伝や印譜を掲載しています。掲載している光琳の家系図のために、抱一はわざわざ光琳の子が養子として入った小西家に照会を依頼しました。(画像は国会図書館デジタルコレクションより)

もちろん当時は、今のようにあちこちの博物館・美術館で展覧会が開かれ、その都度図録が発行されるような時代ではありません。そんな頃に光琳の作品を方々から集めてお披露目し、作品集まで制作してしまったのですから、並々ならぬ熱意を感じますよね。
しかも、数年後には光琳のお墓の修繕まで手配してしまうし、光琳の弟の乾山(深省)の作品集『乾山遺墨』も出版します。
こうして抱一の活動を追っていくと、私は「もう、ここまでやってるんだから、光琳も一度くらい生き返ってあげてもよかったのでは」としみじみ思ってしまいました。

ちなみに抱一は、俳人・宝井其角(1661年~1707年)の百回忌を1806年に主催し、其角の句を添えた彼の肖像画を100幅も制作して配っています。
このように、抱一は尊敬する相手へ多大な情熱を捧げる人でしたが、人によっては「愛が重い」と感じるかもしれません。
とある資料で「琳派への純粋な敬意のほかに、自分こそが琳派の正統な後継者だという気持ちが強かったのでは」という指摘を見た私の脳裏に、「トップオタク」(アイドルなど特定の界隈のファンにおいて第一人者ともいうべき存在)、「強火担当」(熱狂的すぎるファン)という現代用語がよぎりました。

一番の代表作は光琳の作品へ最大限の敬意を表現したもの

抱一の代表作は、彼が61歳ごろに手掛けた『夏秋草図屏風』(東京国立博物館所蔵)。実はこの作品、元々は光琳の作品『風神雷神図屏風』(同じく東京国立博物館所蔵)の裏に描かれていたものでした。第11代徳川将軍・家斉の父親、一橋徳川家の治済(はるさだ)からの注文でした。

光琳が描いた『風神雷神図屏風』東京国立博物館蔵(画像はColbaseより)

抱一の『夏秋草図図屏風』東京国立博物館蔵。表裏で左右が逆になる関係で、雨に打たれたような夏草の右隻が雷神と、強風に吹かれた秋草の左隻が風神と対応しています。(画像はColbaseより)

光琳の『風神雷神図屏風』は、俵屋宗達の同モチーフの作品(建仁寺所蔵、京都国立博物館寄託)を写して制作されたもので、私淑で繋がる琳派の流れをありありと感じられる作品です。抱一も、光琳の『風神雷神図』を模写した屏風を別途制作しています。

そんな作品の裏に、自分の作品を描くという注文を受けた抱一の気持ちはいかほどか、考えるだけでも胸が熱くなりますよね。

表面の光琳の絵をリスペクトに溢れていると言われる『夏秋草図屏風』ですが、今は保存のために別々の屏風へと改装されています。抱一が江戸琳派の祖としての地位を確立し、自身の代表作となるほど素晴らしい裏絵にしたのが裏目に出たような結果です。抱一は草葉の陰で不本意に思っているのではないか、と私は想像しています。

関連記事:江戸琳派の祖酒井抱一「夏秋草図屏風」。名画に秘められた熱意とは?

抱一が多く手がけた『十二ヶ月花鳥図』シリーズ

抱一の作品は先述の『夏秋草図屏風』が有名ですが、私は『十二ヶ月花鳥図』も好きです。「どの『十二ヶ月花鳥図』?」と聞きたくなった方は、きっと日本美術通ですね。抱一は、1月(正月)から12月までの各月にふさわしい花木や鳥虫を描いた『十二ヶ月花鳥図』を何作も描いているのです。

宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の12幅の掛け軸は、抱一が63歳のときにあたる1823年に制作されていることが確認され、基準作として扱われています。その他にも12ヶ月セットのものは、畠山記念館所蔵本(掛け軸)、プライスコレクション本(掛け軸)、ファインバーグコレクション本(掛け軸)、出光美術館所蔵本(屏風)、香雪美術館所蔵本(屏風)が確認されています。出光美術館は、昨年プライスコレクションの美術品を購入したことで話題になりましたね。また、もとはひとつのセットだったのがバラバラになってしまったと思われる作品もあります。

本記事ではこれらの作品群を便宜上「『十二ヶ月花鳥図』シリーズ」と呼びます。抱一は春夏秋冬にちなんだ花鳥を描いた『四季花鳥図』もいくつか描いていますが、『十二ヶ月花鳥図』シリーズは、12ヶ月分の絵が並ぶと実に壮観で華やか。抱一の描く優美な植物を存分に楽しめる作品です。

その月らしい画題をそれぞれ12ヶ月分描いた作品は、「月次絵(つきなみえ)」と呼ばれます。平安時代以降に発達した「やまと絵(日本独自の絵画)」では、この月次絵や四季絵は人気のジャンルとなりました。


狩野派の絵師が描いた『十二ヶ月花鳥図』(アメリカ・メトロポリタン美術館所蔵/画像はともに同館のアーカイヴより)

また、平安時代の歌人の藤原定家は、月ごとに花と鳥で一首ずつ和歌を詠んだ『詠花鳥和歌(えいかちょうわか)』という作品を残しています。これは、後の世の絵師たちにモチーフとして好まれ、狩野派や土佐派の絵師も扱いました。

そして、抱一が私淑する尾形光琳も、定家の和歌を元にした『十二ヶ月花鳥図』を描いており、先述の『光琳百図』にその作品が掲載されています。光琳独自の画題とは言えませんが、私は光琳を意識したうえでの制作だと夢を見ています。

『光琳百図』に出てくる『十二ヶ月花鳥図屏風』。こちらは定家の詠んだ歌を元にしており、現在は静嘉堂文庫美術館の所蔵となっています。その他、光琳が独自に画題を選んだ屏風も現存しています。(画像は、国会図書館デジタルコレクションより)

絵が下手な人間なりの「私淑」の作法

鑑賞専門の私がある日突然『十二ヶ月花鳥図』を描きたくなった理由

2020年5月、コロナ禍の影響で仕事での外出がなくなり、思いがけず時間ができてしまいました。かといって展覧会にも図書館にも行けない自粛生活の中、ふと私は「今までとは別の形で、美術を楽しめないかな。それを記事にできないかな」と思いました。

どうせなら、これを機に自分の好きな酒井抱一を絡ませたくなり、彼をどんな切り口で紹介しようか考えていたとき、ふと「そうだ、抱一を真似して絵を描いてみよう」と思いました。今までそんなこと思いつきもしなかったので、非常時がもたらした発想かもしれません。企画時の私は、正気ではありませんでした。

そもそも、私の画力は非常に微妙なのです。決して上手くなく、かといって笑いを取れるほどのものでもありません。自分で絵を描くよりも、美しい作品を鑑賞するほうが、心の健康によほど良かったのです。

小さい頃ならいざ知らず、大人になってからは真似して描くなんてしたことがありません。なんとなく、過去の偉大な作品を模写したりするのは本格的に絵を描く人の行為だと思い込んでいました。

企画立案時の私の画力がこちら。植物は元々好きなので頑張れたものの、鳥が壊滅的に描けません。

でも、抱一が光琳を研究して自分の画業に取り入れたように、私も抱一の作品を研究して絵を描けば彼についてもっとわかるかも……。そんな危うい期待だけで、突き進むことにしました。

抱一作品を研究して何を描くのか決める

「下手なりにせめて誠実に描こう」と思いながら、私はまず抱一が『十二ヶ月花鳥図』シリーズでどんなものを描いていたのか、これを機にきちんと統計を取ることにしました。

光琳ら先人の絵師は定家の和歌を元にした作品を制作していますが、抱一の『十二ヶ月花鳥図』シリーズは独自の花や鳥を描いていることが多いです。しかも、作品によって微妙に顔ぶれが異なっています。

関連絵師の月次絵も含めて作った表の出力紙。一部は私の判断で埋めました。色がついているのは、定家の和歌を元にしてものです。追記を入れたり、あちこちへ持ち歩いたりしたので、本当はもっとボロボロだったりします。

抱一の絵をお手本にしたいので、その月で最も多く扱われているものを描くことにしました。

下準備と背伸びしない決意

日本画のキャプションでよく見る「絹本着彩」に憧れていたものの、ただでさえきちんと筆を持って絵を描くのは久々な私。日本画の道具をきちんと揃えるのが抱一への誠意なのか葛藤し、思ったのです。

「初めて触れる日本画の画材に浮ついて、作業に集中できないな」

私にとってそれは誠意ではなかったので、扱い慣れた水彩絵の具を使うことにしました。
紙は、あとで屏風や掛け軸もどきを自作して飾りたいので、絵はがきサイズのものを縦半分に切りました。そして、水多めで描くつもりだったため、断片的な知識をもとに「水張り」という処理のまねごとを行います。同時進行で、どんな図案にするか考え、処理を済ませた紙に大まかな線画を書きます。

「水張り」は紙が水分で凸凹になるのを防ぐ処理。普段からやっている人は、この画像を見るとそわそわするかもしれません。要領をつかんでいなかったので後始末が大変でした。

せめて図案は自分なりに

図案について、最初は、統計で一番多かったモチーフの作品のどれかを模写するつもりでした。しかし、ここで改めて「私淑とは」と自分に問いました。

抱一って、定家が詠んだ歌24首をそのまま『十二ヶ月花鳥図』にしているわけじゃないんですよね。光琳も定家の歌に沿わない『十二ヶ月花鳥図』を制作しているけど、そちらとも丸々かぶっているわけではない。むしろ独自の12ヶ月を、マイナーチェンジを繰り返しながら描いていて、それが私にとって魅力のひとつでした。

ただし、さすがに「花鳥」まで私独自のものにするのはハードルが高い……。というか、抱一が描いた花が好き。大好き。ということで、やっぱり抱一が描いたものをお手本にしつつ、構図だけ少し自分なりに考えてみることにしました。
抱一の作品は、縦長画面における斜めの効果や余白が巧みです。それを頭に入れつつ、拙いなりに12ヶ月分の下絵を完成させました。

こちらが、目を逸らしたい「現実」。

やっぱり「我ながらイマイチだな」と思いつつも、抱一は私が目指すにはあまりにも高すぎる目標です。


届かないところにある「理想」。こちらは『四季花鳥図巻』(東京国立博物館所蔵)のほんの一部ですが、これだけでも素晴らしさが伝わってきますよね! 抱一の描く花は本当に美しくて、いつまでも眺めていられます。本来、私の絵と並べるなんておこがましすぎて、現在内臓の全てが引きちぎれそうです。(画像はColbaseより)

この理想と現実の高低差、震えませんか? エベレストの高さからマリアナ海溝の底までの距離でもきっと足りません。つまり、彼を基準にしていたら、永遠に絵は完成しないのです。

そこで、私は高望みをやめました。次元は歪むものだし、遠近感は狂うものだし、鳥の骨格は変幻自在でよい。下手な人間がこだわっても無駄な抵抗にすぎないので、それくらいの気分で臨むことにしました。

下手なのは気にしない! 悪あがきせずに描く

紙に大まかな線画を入れたら、いよいよ1月(正月)に色をつける作業に入ります。
梅と椿が描かれている例が多い1月(同時に描かれていることもある)。どちらにしようか迷いましたが、私はどちらかと言えば梅の方が好きなので、最初ということで気分を上げるために梅を採用しました。

太い枝では、琳派の特徴と言われる画法の「たらしこみ」に挑戦。水をたっぷり含ませて色を塗り、乾かないうちに別の色を加えて、風情のあるにじみを作ります。
まず薄い茶色を塗り、濃い茶色を後から加えてみました。(順序は逆でもよかったかも)

2色目の茶色がじわっとにじんでいくのを目の当たりにした瞬間、「私、たらしこんでる!(多分)」と想像以上にテンションが上がりました。

思えば、私にとって「たらしこみ」とは、美術鑑賞のときに着目する琳派の特徴でした。自分でやってみるなんて、美術を好きになって十年経つものの、前述のとおり一度も思ったことがありませんでした。

これ、すごく楽しい。

もちろん、抱一作品の美しいたらしこみは再現できるわけがありませんが、少しずつ絵に表情がついていく様子を見ると心が躍ります。鑑賞するだけでなく、絵を描かないと生まれない感情が湧きました。

浮かれた気分で次に描くのは梅の花。本来はちゃんと桜や桃との違いを出したいところですが、小さな画面なのであまり細かい形は描けません。「白梅を点で表現すれば、それっぽいかな~」と思いつつ、白絵の具を乗せて気づきました。

多少は覚悟してましたが、想像以上に梅の花の白が引き立たない。枝に濃いめの白絵の具を乗せれば解決できる思っていた浅はかな自分を叱りたい。別の色にすべきだったか。でも、抱一が『十二ヶ月花鳥図』シリーズで描いている梅の多くは白なのです。白梅がいいのです。

赤いガクを描き足したりちょっと立体的に盛ったりと、無駄な抵抗をはかりつつ、考えが足りなかった自分にしょんぼり。でも落ち込んではいられません。まだ12ヶ月分のうち1月すら完成していないのですから。

統計的に、1月の絵には必ずといっていいほど鶯が登場しています。落ち着いた緑色をベースにしつつ、目のあたりにある線を意識します。(白い眉毛があるみたいでかわいい)

が、鳥は難しい……! かつて私は美大出の人に、「動物描く時って、やっぱり動物の骨格を意識するんですか?」というアホな質問をしたことがあるのですが、歪む以前に骨格を把握できていませんでした。

そして完成した1月の絵。かろうじて梅と鶯に見えなくはない……はずです。先が思いやられるなとげっそりしつつ、残り11ヶ月分も仕上げていきます。

そしてこちらが完成した私なりの『十二ヶ月花鳥図』。

1月「梅と鶯」、2月「菜花と雲雀」、3月「桜と瑠璃鳥」。2月の雲雀は、私の筆遣いの事情で少々モヒカンになってしまいました。3月の桜は、現代でおなじみのソメイヨシノが江戸末期ごろに生まれたものなので、花と葉が同時期に現れる大島桜にしました。

4月「牡丹と蝶」、5月「燕子花と鷭(ばん)」、6月「紫陽花・立葵と蜻蛉」。5月の燕子花は『十二ヶ月花鳥図』シリーズのレギュラーで、光琳の代表作に描かれているモチーフでもあるので頑張りました。6月の立葵は、統計的には候補に挙がる数でなかったものの、とても好きな花なので追加。

7月「向日葵・朝顔と蟷螂」、8月「薄・桔梗・女郎花・撫子」、9月「菊と鶉」。8月の十五夜の月は、紙の地色を活かしつつ輪郭の外側をぼかす「外隈(そとくま)」という「隈取り」という技法の一種を真似しようとしました。雰囲気だけお楽しみください。

10月「柿と目白」、11月「葦と白鷺」、12月「椿と鴛鴦(おしどり)」。10月のメジロは、少し可哀相な見かけになってしまいました……。白鷺に至っては何も言えません。あと、12月の鴛鴦のオスは、紙のサイズを小さくしたのを後悔しながら描きました。初心者はある程度の大きさがある紙に描いたほうがやりやすいです。

12枚並べてみると、決して上手いとは言えない自分の絵でも、なんだか心が明るくなりました。抱一の作品と向き合い、それぞれの月らしさを考えながら、拙いなりに完成させたせいでしょうか。
改めて見ると、抱一作品の何を参考にしたのかさっぱりわからない出来ですが、ものすごい達成感を味わえると知ることはできました。

一人反省会をしながら気づいたこと

12枚揃えるのは大変

抱一の『十二ヶ月花鳥図』シリーズは、ひと月分を単独で見ても美しく、独立した作品として成り立っています。掛け軸になっているものは、月替わりで床の間に飾るなんて贅沢なこともできることでしょう。

これを12枚1セット完成させるのはすごく大変だと、身をもって知りました。抱一はこれを何組も描いています。弟子も協力していたと思いますが、それでも晩年期の60代にシリーズで制作していたのであれば(一部は50代ごろの作品という説もあり)、めちゃくちゃ精力的に思えます。実際、61歳前後で光琳オタク業の集大成である『夏秋草図屏風』を完成させたあと、66歳で『光琳百図後編』をリリースしているし、68歳で没するまで画業も光琳研究も元気に行っていたようです。強い。

対象を理解しないと描けない

下絵のとき、花も鳥も、見よう見まねでただ写すだけだとどうもしっくりきませんでした。私はただでさえ筆遣いが下手なので、それぞれの特徴を頭に入れて臨まないと、全然それらしい形にならないのです。

今回は統計を取るために、名前がわからなかった花は絵にある情報をもとに調べたところ、ある程度特定できました。抱一の絵は、写実的と言えないかもしれないけれど、特徴をきちんととらえています。

写真もない時代(だから絵は重要なメディア)ですから、実物を見るか、他の絵師の作品を資料とするか。いずれにしても、「自分が描くものにはどういう特徴があるのか」を理解することが大事なのは一緒だったのではないかと思いました。

描くためには隅々まで観察すべし

今回、自分なりに、抱一作品の何に着目するかを考えたうえで制作しました。どんな花や鳥(虫)が描かれているのか、どういう配置で描かれているのか。同じ花鳥でも、作品ごとに何か違いはないか……。

構図は替えてしまったものの、完全に元の作品から離れないように、どこをリスペクトするか考えました。今までで一番『十二ヶ月花鳥図』のひとつひとつをじっくり観察した気がします。というか、「今までボーっと生きていてごめんなさい!」と叫びたくなるほど、ぼんやりとした頭で見ていたのだと自覚しました。

今回は、何も考えずに「綺麗だな」と感動していた頃と違って、眉間に深いしわを寄せながら見ていたと思います。抱一が絵師として光琳の作品を研究していたときは、なおさら真剣なまなざしで向き合っていたのではないか、と感じました。

まとめ

美術鑑賞に、本来、絵の技量は必要ありません。絵の前では、上手な人も下手な人も平等です。
でも、少し知っていることが多いと、画面の細部にまで目を向けられたり、知らなかったときよりもいろいろな感動が味わえると思うのです。抱一の『夏秋草図屏風』だって、単独で見ても美しく思えますが、元は光琳の作品の裏に描かれていたことや、抱一の光琳傾倒の深さを知ると、より味わい深くなります。
「美術は鑑賞するだけでいい」という人も、勇気を出して好きな画家の絵を真似して描いてみるのはいかがでしょうか。観ているだけだったときは知らなかったことに出会えるかもしれません。

【主な参考文献】
『別冊太陽 日本のこころ177 酒井抱一 江戸琳派の粋人』 仲町啓子監修 平凡社刊 2011年
『もっと知りたい酒井抱一 生涯と作品』 玉蟲敏子著 東京美術刊 2008年
『酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす叙情』 井田太郎著 岩波書店刊 2019年
『酒井抱一と江戸琳派の全貌』 酒井抱一展開催実行委員会企画・監修 求龍堂刊 2011年
『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』図録 2006年
『琳派誕生四〇〇年記念 特別展覧会 琳派 京を彩る』図録 2015年

酒井抱一『十二ヶ月花鳥図』に憧れて!美術好きな私が「私淑」してみた記録
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