平等院 阿弥陀如来・高松塚古墳壁画〜ニッポンの国宝100 FILE 45,46〜

平等院 阿弥陀如来・高松塚古墳壁画〜ニッポンの国宝100 FILE 45,46〜

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

平等院 阿弥陀如来

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、現存唯一の定朝作、「平等院 阿弥陀如来」と1300年間眠り続けた絵画、「高松塚古墳壁画」です。

仏像の理想型「平等院 阿弥陀如来」

平等院 阿弥陀如来

京都市の南に接する宇治市の中ほど、宇治川の河畔に、父の藤原道長とともに藤原氏の全盛時代を築いた関白・頼通が、道長から受け継いだ別邸を寺に改めた平等院があります。伽藍の中心に建つのが、天喜元年(1053)に建立された阿弥陀堂。屋根に置かれた一対の鳳凰と建物の姿が翼を広げた鳳凰を思わせたことから江戸時代に「鳳凰堂」の名で呼ばれるようになりました。その堂内に本尊として安置されているのが、「阿弥陀如来坐像」です。

阿弥陀如来への信仰は、平安時代中期に貴族をはじめ盛んになりました。背景には、釈迦の入滅後2000年経つと、釈迦が説いた正しい教えが廃れ、社会が大いに乱れるという末法思想があります。永承7年(1052)がまさに末法に入る年と信じられていたのです。人々が切実に救いを求めたのは、死後、安らかな浄土へと導いてくれるという“西方極楽浄土”の教主・阿弥陀如来でした。
 

本尊・阿弥陀如来坐像は、瞑想の状態を示すという瞼をなかば閉じた半眼で、眉はなだらかな曲線を描き、やさしく穏やかな顔だちが特徴。均整のとれたプロポーションと、流れるような衣の襞は軽やかさとともに気品に満ちています。

この阿弥陀如来坐像の作者は、平安時代中期に活躍し、藤原道長・頼通父子に重用された仏師・定朝です。それまでの中国の影響から離れた、和様の穏やかな定朝の仏像は、貴族の好みにマッチしたため、「仏の本様(仏像の理想像)」と讃えられ、「定朝様式」として仏像の規範となりました。
 
また定朝は、技法の革新者でした。仏像をいくつかの部位に分けて彫り、組み合わせたのち内部を刳りぬく寄木造の技法を確立。これにより分業が可能になり、またそれまでの重量感のある仏像とは異なる、優美な作風を生み出していったのです。

そして鳳凰堂は内部も善美を尽くして荘厳されました。本尊の頭上を覆う豪奢な天蓋や、壁面に懸けられた雲中供養菩薩像。平安貴族が願い求めた浄土のありさまが、1000年の時を経てなお、金色の輝きとともに今に残されているのです。

国宝プロフィール

阿弥陀如来坐像

定朝作 天喜元年(1053) 木造 漆箔 像高277.2cm 平等院 京都

気品のある作風で平安貴族から絶大な人気を博していた仏師・定朝の作で、現存する唯一確実な像。寄木造による像容は、のびやかな曲線となだらかな面からなり、顔貌は穏やかさにあふれている。そのスタイルは“定朝様式”として仏像彫刻の規範となり、以後の造像に大きな影響を与えた。

平等院

戦後最大の発見「高松塚古墳壁画」

平等院 阿弥陀如来

1972年、「戦後最大の考古学的発見」に日本中が沸きました。奈良県明日香村にある高松塚古墳の石室から、極彩色の絵が発見されたのです。新聞・テレビが大々的にとりあげ、発見後、わずか2年ほどで国宝に指定されています。指定のスピードも国宝史上例がないほど速く、いかに歴史的な発見であったのかがわかります。

7世紀後半~8世紀初頭に築かれた高松塚古墳の石室は、南北の奥行きが約265㎝、東西の幅が約103㎝、高さが約113㎝しかない、小さく狭い空間です。その中の東西の両壁の北側にはそれぞれ女子群像が、南側には男子群像があります。そして北壁には玄武、東壁中央には青龍、西壁中央には白虎といった四方をつかさどる神獣の姿があり、天井には星宿図が描かれています。高松塚古墳の発掘前までに、中国や朝鮮半島の墳墓では人物を描いた壁画が発見されていました。しかし、日本では呪術的な要素をもつ壁画は見つかっていましたが、人物が描かれた本格的な壁画の発見はこれがはじめてだったのです。
 

約1300年という年月の経過を感じさせないほど、男女の群像には鮮やかな彩色が残っています。死者を送る人々は皆ふくよかな顔だちで、団扇などを手にして、華やかな衣装をまとっています。飛鳥時代の宮廷の人々の服装が描かれ、当時の風俗を知るうえでも第1級の史料といえます。青龍・白虎・玄武の神獣は、精緻ながら動きを感じさせる筆遣いで描かれます。さらに、現存する国内最古級とされる星宿図には金箔が使われています。

この壁画を語るうえで欠かせないのは大陸からの影響です。人物を前後に重ねて遠近感を表現する手法は、8世紀頃に制作された唐の絵画からの影響が確認できます。また、神獣の躍動的な表現は朝鮮半島の高句麗の古墳の壁画にも似ています。飛鳥時代に天皇の宮のあったこの地が、世界と結びついていた証といえるでしょう。

高松塚古墳壁画は保存のため、実物を見ることができません。被葬者も諸説あります。謎に包まれた特別な存在として、今も古代へのロマンをかき立てます。

国宝プロフィール

高松塚古墳壁画

古墳時代終末期(8世紀) 奈良県高松塚古墳 国(文部科学省所管) 

高松塚古墳は、丘陵の南斜面に築かれた小型の円墳。1972年、埋葬施設の石室に、壁画が発見され話題となった。東壁に神獣の青龍と男女群像、西壁に神獣の白虎と男女群像、北壁に神獣の玄武、天井には星宿図が描かれる。現在、石室は解体され、壁画の修理保存作業が続けられている。

高松塚古墳

平等院 阿弥陀如来・高松塚古墳壁画〜ニッポンの国宝100 FILE 45,46〜
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする