早来迎・清水寺 〜ニッポンの国宝100 FILE 55,56〜

早来迎・清水寺 〜ニッポンの国宝100 FILE 55,56〜

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

早来迎

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、ビューンと迎えにくる、「早来迎」と観音霊場の名建築、「清水寺」です。

阿弥陀さまのお迎え「早来迎」

早来迎

来迎図とは、阿弥陀如来が観音や勢至菩薩ら聖衆を率いて往生者(死にゆく人)を迎えにくる光景を描いた絵画。極楽往生を願う浄土思想は、中国7世紀の唐で流行して日本にもたらされました。来迎図は、中国で阿弥陀の浄土の景観を描いた「観経変相図」の一部分に描かれていましたが、やがて来迎の場面が独立して描かれるようになっていきます。こうした単独の来迎図は、中国や朝鮮には遺品が少なく、日本で平安時代以降に独自に発展したジャンルです。

平安時代中期、天台宗の僧・源信が、極楽往生への道を説く「往生要集」を著しました。源信は、人は死ぬと地獄を含む六道に転生する。この輪廻から脱するには、阿弥陀如来の来迎を受けて極楽に往生するしかないと説き、阿弥陀の来迎をふだんから思い浮かべるようにと勧めました。折しも仏法が衰えて災いが蔓延する末法の世が到来するという「末法思想」が世に広まったこともあって、平安貴族の間で来迎への希求が高まり、来迎を表した仏像や絵の制作が流行します。
 

京都・知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、鎌倉時代の制作で、スピード感あふれる表現から「早来迎」と称されます。ほぼ正方形の大画面を斜めに横切るように描かれているのは、山の斜面を急降下する雲に乗り、念仏する僧のもとへ急ぐ阿弥陀如来と二十五菩薩。浄土から往生する者のところへ駆けつけるスピード感を、飛雲たなびく描写と対角線構図によって見事に描き出しています。

本図は、浄土教の経典『観無量寿経』に記された極楽往生の9つのランク「九品往生」のうち、最上位の上品上生による来迎を描いています。そのため阿弥陀と二十五菩薩という最上の来迎メンバーのほか、小さな仏形(化仏)や宮殿も描いた豪華な来迎図となっています。

また、画面の約半分を使って日本の自然景観が豊かに描かれている点でも特筆されます。インドや中国の抽象的な景観ではなく、山間を流れ落ちる滝や桜が咲く身近な日本の自然を描くことで、来迎という奇跡の現実感が高められている点も見どころです。

国宝プロフィール

早来迎

13世紀末~14世紀初め 絹本着色 一幅 145.1×154.5cm 知恩院 京都

正式名称は「阿弥陀二十五菩薩来迎図」。阿弥陀如来と二十五菩薩が往生者(死にゆく人)を極楽浄土から迎えにくる「来迎」(浄土宗では「らいこう」と読む)の場面を描いた、鎌倉時代の絵画。来迎の速度表現から「早来迎」と通称される。

知恩院

観音霊場の名建築「清水寺」

清水寺

京都東山三十六峰のひとつ、音羽山の麓にある清水寺。十一面千手観音を本尊とする観音霊場として知られ、西国三十三所の16番札所でもあります。
 
清水寺の開創は、奈良時代末期の宝亀9年(778)と伝えられます。大和国(奈良県)にある子島寺の僧・延鎮が夢に導かれ、金色に輝くひと筋の水をたどって清らかな水が湧き出る滝(音羽の滝)を見つけたのが発端。延鎮は庵を結び、十一面千手観音を安置しました。2年後に延鎮と出会った武将の坂上田村麻呂が寺院を建立します。
 
観音菩薩は、その名を口に唱え心に念じれば33の姿に変化してあらゆる人を救ってくれるといい、現世利益の信仰を集めた仏です。清水寺本尊の十一面千手観音は、なかでも格別な霊験のある観音として、身分を超えて老若男女の広い信仰を集めました。とくに創建者の坂上田村麻呂が夫人の安産を祈った縁起から、女人の参詣を集め、平安時代の清少納言は、そのにぎわいを「枕草子」に「さわがしきもの」と記し、紫式部の「源氏物語」夕顔の巻などにも清水寺参籠が描かれています。

清水寺の中心をなす本堂は、江戸時代前期に建立された国宝建築です。秘仏の本尊を祀る内陣の正堂前に礼拝のための礼堂を設け、さらにその前に広い舞台がしつらえてあります。
 
その特徴は、崖上にせり出した見晴らしのよい舞台をもつ、懸造の建物であること、平安時代の初期密教建築や住宅の様式を残した復古建築であること、そして、その巨大な屋根が、檜の樹皮を重ねた檜皮葺による美しい曲線をもつことです。

懸造とは、建物の一部を急傾斜地に乗り出させ、その床下に長い柱を組んで吹き抜けにした建物で、崖造、舞台造ともいいます。観音菩薩を祀る観音堂に多い建築様式として知られています。今のような懸造の本堂になったのは平安時代末期とされますが、現在の本堂は江戸時代前期にあった大火後の寛永10年(1633)、3代将軍徳川家光の命で再建されたもの。現存する懸造の建築のなかでも群を抜いた壮大な規模と造形美を誇り、日本建築史上、特別な地位を占める名建築です。

国宝プロフィール

清水寺本堂

寛永10年(1633) 桁行9間 梁間7間 寄棟造 総檜皮葺 清水寺 京都

清水寺の本堂は何度も罹災し、現在の本堂は江戸時代前期の再建。主要部の正堂の前に礼堂と舞台を設け、前面部分が崖地の上に懸造(舞台造)で建てられている。

・清水寺は現在、修復中です(ただし、拝観は通常どおり行なうことができます)。本誌掲載の写真はすべて修復工事前のものです。

清水寺

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