国宝データファイル、深大寺 釈迦如来と大浦天主堂

国宝データファイル、深大寺 釈迦如来と大浦天主堂

目次

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

国宝データファイル、深大寺 釈迦如来と大浦天主堂

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、関東最古の仏像「深大寺 釈迦如来」と、長崎の美しい教会「大浦天主堂」です。

白鳳彫刻の傑作「深大寺 釈迦如来」

国宝データファイル、深大寺 釈迦如来と大浦天主堂

東京都調布市の深大寺に伝わる「釈迦如来倚像」は、白鳳時代(7世紀後半~710年頃)に造られた金銅仏です。調布市は、武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県の一部)の国府(古代律令制の地方行政府)が置かれた府中市に隣接し、武蔵一円の政治・文化の中心地でした。深大寺は、天平5年(733)に武蔵国の僧・満功が、法相宗の寺として開創したと伝わり、「釈迦如来倚像」は、創建時の本尊であったと推定されています。白鳳時代に流行した、両脚を下ろして箱形の台座に腰掛ける倚像の姿で表されています。

この時代には、それまで畿内に集中していた寺院が地方でも建立され、仏像が祀られました。飛鳥時代の神秘的でやや厳しい表情、正面性の強い平たい身体表現の仏像に代わって、中国・隋や初唐様式の影響を受け、童子のような丸い顔に柔和な表情を浮かべ、量感のある身体の仏像が造られます。とくに、小ぶりなサイズの金銅仏が多く造られましたが、本像のように比較的大型な仏像も現存しています。

本像は、ふっくらと丸みを帯びた顔、眉からつながる細い鼻筋のラインや切れ長の目、微笑する口元などが、奈良・法隆寺の夢違観音や、新薬師寺の香薬師像(現在所在不明)の2軀とよく似ていることが指摘されています。全身を一度に鋳造する高い技術で造られていることからも、深大寺創建以前の7世紀後半に、奈良周辺の畿内で造られ、関東にもたらされたと考えられています。

江戸時代末期、この像は深大寺の本堂に脇仏として置かれていましたが、幕末の火災で主要伽藍が焼失したのち、再建された元三大師堂の須弥壇下に横たえられたまま、存在が忘れ去られていたといいます。明治42年(1909)に偶然再発見され、大正2年(1913)に旧国宝に指定。それから約100年後の2017年に、白鳳時代を代表する仏像として新たに国宝に指定されました。

明るい微笑みをたたえた清々しい表情、体のラインを浮かび上がらせながら、しなやかに表現された衣の襞が美しく、初々しくものびやかな気風あふれる白鳳仏の名品です。

国宝プロフィール

釈迦如来倚像

7世紀後半 銅造 像高83.9cm 深大寺 東京

両脚を下げて座る倚像形式の釈迦如来像。7世紀後半に多数造立された小型の金銅仏のなかで、倚像としては比較的大型で、頭頂から足までが一度に鋳造されている。目元や口元にかすかな笑みを含んで、若々しく明るい表情を特徴とする白鳳時代の仏像の代表作。

公式サイト

幕末の洋風建築「大浦天主堂」

国宝データファイル、深大寺 釈迦如来と大浦天主堂

大浦天主堂は、幕末の元治元年(1864)に長崎に創建された、カトリック(キリスト教旧教)の礼拝堂です。キリスト教の日本伝来は16世紀半ば。カトリックの修道会であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。翌年、長崎の平戸を拠点に布教を開始し、南蛮貿易の港である長崎は、キリシタン(カトリック教徒)の町としても栄えます。

しかし、豊臣秀吉は、キリスト教徒追放令を出して布教を禁止し、慶長2年(1597)12月には、フランシスコ会修道士やイエズス会修道士、日本人信者ら26人を、長崎の西坂で十字架にかけて処刑しました。大浦天主堂は、この殉教者たちに捧げられた教会堂で、正式名称を「日本二十六聖殉教者天主堂」といいます。

大浦天主堂は、フランス人神父ルイ・フューレが設計し、天草(熊本県)出身の棟梁・小山秀之進が建てました。創建時には八角錐の塔が3基あり、外観正面はバロック(16世紀末のイタリアで興った壮麗な建築様式)風。外壁の一部には日本の伝統工法によるナマコ壁が用いられた、和洋折衷の建築でした。内部はゴシック様式(12世紀以降のフランスから広まった垂直性の強い建築様式)で、尖頭アーチ形の開口部やリブ・ヴォールト天井(アーチ形天井を支える構造の一種)というゴシック特有の構造をもち、中央の身廊と左右の側廊からなる三廊式の小規模な木造建築でした。

明治12年(1879)まで行なわれた増改築で煉瓦造となり、塔は中央1基とされ、内部は身廊と4つの側廊からなる五廊式に拡張され、外観も内部と同じくゴシック様式に改められました。日本に現存する最古の教会堂ながら、初期教会堂として例外的な完成度と規模をもつぬきんでた建築です。

1945年、長崎に原子爆弾が投下されましたが、大浦天主堂は爆心地から比較的離れていたため、全壊をまぬかれます。1952年に補修され、翌年、国宝に指定されました。今年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財として、世界遺産に登録されました。

国宝プロフィール

大浦天主堂

元治元年(1864)竣工 明治12年(1879)改築 フューレ神父設計 小山秀之進施工

フランス人宣教師フューレの設計により、幕末の長崎で建造されたカトリックの教会堂。慶長2年(1597)に長崎で処刑されたキリスト教徒「日本二十六聖人」に捧げられた。現存する日本最古の教会堂で、明治時代初期に増改築されている。

公式サイト

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