厳しい時代だからこそ挑む。「高付加価値化」という未来への舵

8月初旬の発表会。まず心を掴まれたのは、山梨銘醸の北原対馬社長が語った、日本酒業界が直面する厳しい現状でした。
「日本酒の国内需要は1973年をピークに下がり続けています。かつて生活に密着した日本酒が、次第に“特別な日のお酒”というイメージに変わってきているのではないでしょうか」

この危機感に対し、七賢が打ち出した未来への一手、それが「日本酒の国際化」と「高付加価値化」だったのです。
「一升瓶2,000円のお酒も大切にしながら、どうすればブルゴーニュワインのように数万円の価値を喜んでいただけるのか。その挑戦が、この『EXPRESSION』シリーズです」

このシリーズは、伝統と革新を融合させ、常に新たな価値創造を目指してきました。世界的なアートとの融合もその一つです。例えば2020年には、同じ山梨の中村キース・ヘリング美術館と協力し、40年熟成の古酒を桜樽で熟成させたユニークな一本も生み出しています。2018年に始まったこの探求は、本作で5作品目を迎えます。
日本酒に「物語」を。ミレーと七賢の幸福な出会い
今回のミレーと七賢によるコラボレーションは、山梨県立美術館の長期的な取り組みから生まれました。同館では2020年から5年がかりで所蔵する油彩画12点の超高精細撮影事業を進めており、その過程で画像を活かしたプロダクトとして、2022年から七賢との企画が始まったのです。「共に山梨を盛り上げたい」という想いが結実したこの三部作は、《種をまく人》から続く物語の第二章にあたります。

ではなぜ、ラベルにミレーの《落ち穂拾い、夏》が選ばれたのでしょうか。この名作は、最も貧しい農民の労働を描いていますが、単なる記録ではありません。貧者のために穂を残すという聖書の記述に感銘を受けたミレーが、繰り返し描いたテーマでもありました。「収穫」という終わりと、そこから生まれる「新たな営み」。この視点が、七賢の哲学と響き合うのです。

こうした製品に込められた「物語」の重要性について、文化庁長官も歴任した青柳正規館長は、ある逸話を例に挙げます。ワイン史を揺るがした「パリスの審判」です。
1976年、パリで行われたブラインド対決。当時無名だったカリフォルニア、とりわけナパ・ヴァレーのワインが、なんと本場フランスのワインを打ち負かしてしまいました。しかし、それでもフランス人たちは少しも動じませんでした。
「『ナパに物語はないが、我々にはある』…この言葉は、ワインの価値が単なる味だけでなく、土地に根差した『物語』こそが重要だと、世界に知らしめたのです」

そして青柳館長は、日本酒の可能性をこう語ります。
「日本酒には、すでに素晴らしい物語がある。ただ、まだ雄弁に語られていないだけなのです。その価値を言語化し、世界に伝えていくことが求められています」
「山梨から世界へ」という志が生んだ、必然の縁
この壮大なコンセプトを結実させたのが、アートディレクターの葛西薫さんです。サントリーウーロン茶の印象的な広告や、ユナイテッドアローズの洗練されたブランディングなどで知られる、まさに日本を代表するクリエイター。北原社長がその表現に感銘を受け、協力を熱望した人物でした。

そして、話はここでさらに面白くなります。葛西さんが長年広告を手がけてきたサントリーもまた、七賢と同じ白州の地で世界的なウイスキーを生み出しているのです。この土地が結んだ深い縁は、「山梨から世界へ」という大きな志が生んだ、必然の出来事だったのかもしれません。

通常、ラベルは完成した酒の味を表現するもの。しかしこのプロジェクトが特別なのは、絵画からインスピレーションを得て、醸造家が味わいを創造する──。こんなユニークな酒造り、私は今まで聞いたことがありません。
葛西さんは、この特別な背景こそが最大の「表現」だと感じ、デザインについてこう語ってくれました。
「繊細でありながら、『野生』でありたいと思いました。EXPRESSION(表現)という名称、ミレーが描く大地の人々、そして絵からインスピレーションを得たという醸造家の味の表現。それだけで十分な“表現”だと感じ、デザインは絵と名称をシンプルに、慎重に配置することに徹しました」
13年の時を経て花開く、泡の芸術。その味わいの真髄とは
「EXPRESSION 2012」は、わずか2,000本しか造られない特別な一本。その贅沢さの秘密は、まずベースとなるお酒にあります。使われているのは、2012年から10年以上も熟成させた貴重な純米大吟醸の古酒。

そして驚くべきは、その造り方です。仕込み水の代わりにお酒そのものを使う「貴醸酒」という、この上なく贅沢な製法があるのですが、この一本はなんと、その貴重な古酒を再び惜しげもなく使っているのです。こうして生まれた蜂蜜のようにリッチなコクと深みを、シャンパンと同じ瓶内二次発酵で、きめ細やかな泡へと昇華させています。

グラスに注いだ瞬間、シュワ…と立ち上るのは、まるで天女の羽衣のように繊細で美しい泡! 顔を近づけると、甘酸っぱいアプリコットやもぎたての青リンゴ、そして朝露に濡れたハーブのような、どこまでも爽やかな香りにふわりと包まれます。
そして、ひと口ふくんで、まず驚かされるのは、そのどこまでもクリアな味わい。古酒と聞いてイメージする重厚さとはまるで違う、軽やかな透明感に魅了されます。

それだけではありません。その透き通るような味わいの奥には、古酒だけが持つ「静かな奥深さ」が息づいています。それが、複雑で心に染み入るような余韻となり、すーっときれいに消えていくのです。

驚かされるのは、この先も瓶内で味わいが“成長”していくのでは、という未来への予感。13年の時を経てもなお、その生命力は失われていないのです。この懐の深さが、和食はもちろん、フレンチやスパイス香る一皿まで、幅広い料理に寄り添い、その可能性をどこまでも広げてくれるのです!
七賢が見据える未来。物語を体現する場へ
「自然に逆らわず、その力を信じる」。北原社長が語るこの姿勢は、七賢の酒造りの根幹です。甲斐駒ヶ岳の花崗岩層を27年かけて濾過された伏流水を一貫して使い、蔵の電力を100%再生可能エネルギーで賄うなど、白州のテロワールとサステナビリティへの深い敬意の表れです。

その視線は、日本の農業の未来へも注がれています。「日本の米の消費量を上向かせ、生産者が減り続ける田畑を守る。その意味でも、日本酒の輸出拡大は我々の使命です」(北原社長)
この言葉は、ミレーが描いた大地に生きる人々の姿と響き合います。ミレーが絵画で農村の精神性を描き留めたように、七賢は日本酒で未来へ続くべき田畑の風景を守ろうとしているのです。


そしてアートとの旅は、日本中がミレーに注目するであろう特別な年にクライマックスを迎えます。2026年秋から東京で、ミレーの《落ち穂拾い、夏》を含む名作が集う大規模な「オルセー美術館展」が開催されることが決まっています。
北原社長は「このまたとない文化的な祭典に合わせ、EXPRESSIONシリーズの三部作を締めくくる最終作を発売するつもりです」と、その先の展望を力強く語ってくれました。

伝統と革新の精神、アートが奏でる物語、そして山梨の縁。そのすべてが溶け込んだ「EXPRESSION 2012」。グラスを傾け、その物語に思いを馳せてみませんか。きっと、日常が少しだけ特別になる、そんな贅沢な時間が待っています。
取材・構成・撮影(葛西氏、青柳氏)/関 友美
<商品概要>
商品名: EXPRESSION 2012 (エクスプレッション ニマルイチニ)
発売日: 2025年8月20日(水)
数量限定: 2,000本
価格: 22,000円(税込)
容量: 720ml
ヴィンテージ: 2012年
アルコール度数: 12%
ラベル: 《落ち穂拾い、夏》 ジャン=フランソワ・ミレー(1853年) 山梨県立美術館所蔵
販売店: 七賢 直営売店(酒処 大中屋)、公式オンラインショップ、全国の百貨店・専門店等
ウェブサイト: 七賢 公式サイト

