現代日本画壇の第一線で活躍する日本画家の平松礼二さんは、53歳で初めて出会ったフランス印象派の巨匠クロード・モネの『睡蓮』の連作に衝撃を受けました。なぜ、これほどまでに日本画との共通点が多いのか。画家の眼と足と筆を通して、30年かけてつかんだ答え―モネへの返歌・返画―を、14面の屏風絵からなる超大作『睡蓮交響曲』に結実させました。「西洋と日本の美が響き合う新しい世界を創造したいという思いを込めた」と語る平松さん。『睡蓮交響曲』の特別展が2021年6月28日まで開催されている神奈川県の町立湯河原美術館で、作品の見どころや、葛飾北斎らの浮世絵が印象派の画家に影響を与えたジャポニスムの魅力について、伺いました。
モネの『睡蓮』の連作と出会った衝撃
―平松さんがモネの『睡蓮』の連作と出会った時のエピソードを教えてください。
平松:1994年3月にパリで開かれる僕の個展のため、初めてフランスを訪れました。それまでは20年近く、日本画家として日本文化の源流をたどろうと、朝鮮半島や中国、インドなどアジアへの旅を繰り返していました。でも、西洋画にはあまり目を向けていなかった。『睡蓮』の連作を展示しているオランジュリー美術館へも、散歩がてらに立ち寄っただけだったのです。
―それが画家人生を一変させるほどの衝撃を受けたのはなぜですか?
平松:西洋画に織り込まれた日本美術の嗜好を強く感じたからです。2室からなる「睡蓮」の間には、第2室に『緑の反映』『朝』『雲』『日没』、続く第3室には『二本の柳』『明るい朝、柳』『朝の柳』『木々の反映』の計8作品が壁に飾られていました。高さ2メートル、総延長90メートル。壁が楕円形に湾曲していて、まるで部屋全体が屏風で巻かれたような形状なんですね。
それから西洋画なのに遠近法による透視図法を無視して、ただあるのは水と雲と時間と光と、自然の移ろいだけ。花や池などのモチーフはあるのに人物はいない。浮世絵から受けた画面構成ももちろんありますが、中でも魅了されたのが、淡色を生かした色彩美です。これには本当にびっくりして、頭から離れなくなってしまいました。
モネをはじめとした印象派の画家たちが取り入れたジャポニスムとは何か。フランス人から見た日本美術も理解したい。日本画家の眼を通して探求することに画家生命をかけたいと思いました。それまで苦労して積み重ねてきたことは全部吹っ飛んでしまいました。
―30年に及ぶ「印象派とジャポニスムへの旅」では、どのような所へ足を運ばれたのですか?
平松:モネが晩年を過ごした住まいとアトリエが残るフランス・パリ郊外のジヴェルニーへは、何度も訪れました。モネのまなざしを意識しながら、四季折々の庭を歩き、睡蓮の池のスケッチを重ねました。光の移ろいで変化する姿を描いた『ルーアン大聖堂』の連作の舞台となったルーアン、『印象、日の出』が生まれたル・アーブルのほか、印象派の画家たちの足跡もたどりました。
日本画家から見たモネの最大の魅力
―モネの最大の魅力は、淡色の使い方にあると感じたのはなぜですか?
平松:モネは当たり前の色を使いながら、自然で微妙な色合いを表現しています。光の中に自分しか描けない精神世界を描こうとした。そのための手段が色彩だったと、同じ画家としてそう感じるからです。
通常、西洋の画家は三原色の絵の具を混ぜ合わせて発色していく。ところがモネの場合は、色を混ぜて作る一つの中間色(純色に灰色を加えた色)をササッと丁寧に塗り重ねて、望む色をつくり出している。色が濁らず、透明感があり、柔らかくて優しい独特の色合いを出す。これは日本画の手法と同じなんです。モネは日本画の色彩からヒントを得たのだと思いますね。
―モネの絵が多くの日本人に愛される理由も、このあたりにあるのかもしれませんね。
平松:日本画の顔料は、鉱物が原料で粉末状の「岩絵具(いわえのぐ)」、胡粉などが原料で微粒子の「水干(すいひ)絵具」または「泥絵具(どろえのぐ)」、貝殻が原料で白色の「胡粉(ごふん)」などがあり、淡色の数も非常に豊富です。それに比べて油絵の具は数が少ない。それなのに、モネは淡色を生かした。これはすごいことですよ。
『睡蓮交響曲』着想から完成まで
―『睡蓮交響曲』を着想したのは、いつですか?
平松:モネの『睡蓮』の連作をモチーフに、同じサイズで日本画を描こうと思ったのは、3年前ぐらい前ですね。浮世絵から刺激を受けてモネが描いた連作を、今度は日本人の感性と視線、日本画の画材や技法を駆使して再解釈するとどうなるのか。ぼくが最終的にたどり着いた結論は、遊び心、装飾性、様式美の三つ。そのことを表現しようと思いました。
ところが第1作の『モネの池 夏から秋への頃』を完成させた後、軽井沢のアトリエで左足を骨折してしまいました。4ヶ月間入院している間に、構想図の下絵を全部作って、それを基に制作を一気に進めました。
―イメージプランや構想図が、今回の特別展でも展示されていますね。次は『睡蓮交響曲』の作品を挙げながら、見どころをお伺いします。まず、『海を越える睡蓮』(4月29日までの前期展示)。この作品が、東洋と西洋の美が共鳴する『睡蓮交響曲』のテーマを象徴していると感じました。
平松:モネと僕の心の翼が触れ合い、睡蓮が楽譜のようになって互いに響き合う―そんなイメージを込めました。例えば、北斎の『神奈川沖浪裏』に触発されて、ドビュッシーが交響詩『海』を作ったとされるように。
睡蓮の葉の中には、モネが好きだったカタツムリ、北斎ゆかりの赤富士にヒマワリ、トンボ、葡萄など、日本とフランスの風物詩を散りばめてみました。睡蓮の葉は、波模様に配置しました。
―何が描かれているのか、のぞいているうちに楽しくなりました。背景も波模様ですね。
平松:これは、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ、江戸初期の芸術家)の木版の波の型を使っています。日本とフランスの美術の交流の波を表現してみました。
「青海波」は日本を表現するデザイン
―「波」というと、北斎の代表作『凱風快晴(がいふうかいせい)』のいわし雲と睡蓮の池をモチーフにした上記の作品『モネの池を走るホクサイの雲』でも、半円形を重ねて繰り返し並べる「青海波(せいがいは)文様」が印象的です。『睡蓮交響曲』でも、繰り返し登場していますね。
平松:波を線で示す「青海波」は、海に囲まれた島国、日本の自然のすべてを一つにまとめた、日本を表現するデザインです。着物に家紋を入れるように、意匠性が高いのが、日本文化の特色です。
白と黒の中の彩り
―次の『白と黒の幻想曲』は、色彩豊かな『睡蓮交響曲』の中で異彩を放つ作品です。雪か睡蓮の葉が破調のように舞い落ち、モノクロームだからこそ、かえって様々な感情を呼び覚まされる気がします。
平松:日本では、子どもの頃から習字で白い紙に黒い字を書きますよね。白と黒が色の原点であり、東洋人の精神世界を体現していると思います。ですから、墨と胡粉を使った墨絵を『睡蓮交響曲』の中に入れたかったのです。
―紙は何を使っているのですか?
平松:僕がよく好んで使う「雲肌麻紙(くもはだまし)」です。麻と楮(こうぞ)を原料にした手すき和紙で、繊維が絡まって、表面がうっすらと雲肌のような波模様を打っている特殊な紙です。さっきお話しした『海を越える睡蓮』では、雁皮(がんぴ)などを煮詰めて乾かした手すき和紙で、ふすまにもよく使われる「鳥の子紙(とりのこし)」を使っています。
―特別展を見ると、絹や岩絵の具、金泥に金箔など、さまざまな画材で、鮮やかな色づかいや伝統的な文様、大胆な構図と、多彩な技を駆使して描かれていることがよく分かります。時に転調しつつ、同じリズムが刻まれる『睡蓮交響曲』には、いつまでも見飽きない永続の美があると感じました。平松さんご自身が考える日本画の粋とは何でしょう?
平松:まじめに丹念な仕事をする匠(たくみ)たちが、自然から生まれた画材を巧みに磨き上げ、四季のある自然を描いて、築き上げてきたのが日本画。世界に類のないものだと思っています。その素晴らしさを世界に発信していくために、どんどんアピールしていかないと。僕がフランスで個展を開いたときは、使った画材や道具を置いてくる。そうしないと、西洋の人たちが日本画を理解するのは難しいですから。
日本画に導いた瀬戸の「藍」
―平松さんは、戦後日本画の革新をリードした川端龍子(りゅうし、1885~ 1966)が主宰した青龍社に16歳で入門し、日本画を始めたそうですが、きっかけは何だったのですか?
平松:日本画の道へ僕を導いたのは、瀬戸の陶器の「藍」です。少年時代、名古屋市に住んでいたので、近くの窯業の産地として有名な愛知県瀬戸市によく遊びに行きました。道端には、陶片がそこらじゅうに散らばっていました。ある日、何気なく拾ったひとかけらに、この上なく美しい藍が描かれていたのです。ポケットに入れて持って帰って、じーっと眺めていましたねえ。調べたら、瀬戸の染め付けに使われる「呉須(ごす)」という顔料だと分かった。
僕はこの藍の感覚の世界へ進んでいきたい。そういえば、藍の絵の具が日本画にあったなと思って、名古屋市の愛知県立旭丘高校美術課程3年のとき、日本画コースに進級したんです。
―藍に寄せる思い入れは、『睡蓮交響曲』にも通奏低音のように響いているのではないでしょうか。実は私も特別展のチラシに載っていた『ジヴェルニー 池の水鏡』の青色を見て、ぜひ取材させて頂きたいと思いました。
平松:藍は、日本人の一番心の奥底にある色だと思いますね。半纏(はんてん)だって藍染めですからね。
―藍をはじめ、色が重要な要素なんですね。
平松 そうです。だから、モネの『睡蓮』の連作に心を奪われたのも、色彩の魔術に魅入られたからです。
―「藍」がモネの睡蓮の池の青にもつながっていたのでしょうか。色を塗る作業は、どのようなものですか。
平松:日本画では、動物の皮や骨などを煮出した煮汁から作った膠(にかわ)を水で溶いて、岩絵具などの顔料を定着させます。この接着剤である膠は、乾くのが非常に遅い。じれったくなるほどです。でも、苦しいと感じたことはありませんね。天性というか、理屈抜きに自分で感じる色を作って楽しんでいますよ。
骨折で入院していた時の方が、絵が描けなくて地獄だった。総延長90メートルの大作なんて無理だろうと思われることを、やってみせるのが痛快。へそ曲がりなところがあるんですよ(笑)。
―『睡蓮交響曲』を完成させた今のお気持ちは?
平松:次の作品の構想はもう決まっていますよ。日本文化と西洋文化の融合がテーマです。今79歳だけど、結構忙しいです(笑)。
日本画ビギナーのための鑑賞法
―最後に、日本文化の入り口マガジンをうたう和樂webの読者の皆さんに向けて、お勧めの日本画鑑賞法を教えてください。
平松:そうですね。日本画を楽しむためには、古典でも現代作品でも、全体像を見る前に、まず近くに寄って、技術や技法をじっくり鑑賞してほしい。緻密な計算の上に描かれた複雑な色構成や、穂先が非常に細くて繊細な線を描くときに用いる面相筆で引かれた輪郭線の美しさなどのディテールをね。そうすると、西洋画とはひと味違った日本画の面白さが見えてくるはずです。油絵の具のように盛り上がっていなくて、非常に薄い画肌にも。それから遠ざかって、全体を見てください。
鑑賞する人も描く人も、学術的評価や美術団体の看板に惑わされず、自分の感性や感覚に合う絵、自分の好きな絵を見つけてほしい。自分で見て感じるのが基本です。僕自身は師である横山操(1920~1973)先生を早くに亡くして無所属となり、一時期をのぞき、一人でやってきました。とにかく好きなように生きてきた。
「この絵が見たい!」と思ったら、迷わず見てほしい。今ならオンラインでいろいろな作品が鑑賞できますし。好きでたまらなくなったら、会いに行けばいいんですよ。
取材を終えて
美術鑑賞をするとき、どうしても情報過多になりがちですが、自分の眼で見る大切さを、平松さんから教わりました。50歳を過ぎてから新しいテーマに挑んだお話も、ミドルの私にとって、とても勇気づけられました。「年齢なんて関係ない」と笑顔で話す平松さんは、とても気さくで、若々しい方でした。今回の『睡蓮交響曲』は、日本画に親しむ絶好の「序曲」になると思います。私のお勧めは、イメージプランや構想図を見た後に、実際の作品を鑑賞すること。また違った視点で楽しめると思います。日本で見られる貴重な機会、ぜひ湯河原に足を運んでみてください。
平松礼二プロフィール
1941年9月3日、東京都生まれ。父の転勤で名古屋市で育つ。60年青龍社展出品。65年愛知大学法経学部卒業。84年「横の会」結成に参加、93年解散まで出品。89年、第10回山種美術館賞展大賞、紺綬褒章受章。94年、多摩美術大学教授に就任(2005年退任)。2000~10年、『文藝春秋』の表紙絵を担当。06年、神奈川・町立湯河原美術館内に平松礼二館開館。13年、フランス・ジヴェルニー印象派美術館で「平松礼二・睡蓮の池・モネへのオマージュ」展。14年、ドイツベルリン国立アジア美術館巡回。18年、フランス・ジヴェルニー印象派美術館で「平松礼二 イン ジヴェルニー」展。21年3月、フランス共和国芸術文化勲章を受章。
展覧会情報
特別展「平松礼二館15周年記念展 睡蓮交響曲-日本画家による100年後の返歌・返画-」
会期: 2021年3月5日(金)~6月28日(月)14点の屏風作品を前期、後期に分けて展示
※前期:3月5日(金)~4月27日(火)
※後期:4月29日(木)~6月28日(月)
場所:町立湯河原美術館(神奈川県湯河原町宮上623-1)
開館時間:9:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日 水曜日
入館料 一般600円、小・中学生300円
公式サイト
※新型コロナウイルス感染拡大のため、最新情報は公式サイトでご確認ください。
参考文献
『モネとジャポニスム 現代の日本画はなぜ世界に通用しないのか』平松礼二・著 PHP新書 2016年
『日本画から世界画へ 平松礼二・千住博 対談集』平松礼二・千住博・著 美術年鑑社 2002年
『ジャポニスム』大島清次・著 講談社学術文庫 1992年
『ヴィヴァン 新装版・25人の画家 第7巻 モネ』馬渕明子・編著 講談社 1995年