なんでも描けて、天才すぎて、どこから語ればよいのやら。葛飾北斎が美人画を描けばこう。
漫画(タッチの風俗画)ならこう。
作風は多岐にわたり、生涯の作品数は3万点に上るほどの超多作。結局、漫画の人? 波の人? わたしには“スピリチュアルな人”にも見えるのです。
祭屋台の「男浪」「女浪」は陰陽論だ!
北斎の代表作といえば、「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。さまざまな富士山を描く「冨嶽三十六景」シリーズの1図です。この波の描写も圧巻ですが、最晩年住んだ長野県北東部の小布施町(おぶせまち)で描いた波の図がまたすごい。「男浪」「女浪」の2作で一対となるもので、北斎がこの町の祭りで担ぐ祭屋台の天井に描きました。
「男浪」「女浪」の絵を見たとき、これは宇宙のはじまりの混沌だと思いました。男の波と女の波、すなわち陰と陽。お互いに反対の性質をもちながらも、依存し合い、万物を生み出すふたつの要素そのものです。陰と陽、月と太陽、北と南、マイナスとプラスなど、この世のすべては陰と陽でできています。
その概念を図式化したのが、おなじみの陰陽マークこと、「太極図(たいきょくず)」です。
平均寿命が40歳ほどといわれた江戸時代、北斎は90歳まで生き、このふたつの波の絵を描いたのは86歳のとき。本物は「北斎館」(小布施町)にあり、わたしは画集を見ただけなんですが、生命エネルギーと宇宙パワーがものすごい。以下に、編集スタッフによる「男浪」「女浪」の写真つきレポートがあります。
龍と虎の絵に隠された宇宙の摂理
宇宙といえば、「うちゅうのとら」。うちゅうといっても「雨中」で、「雨中(うちゅう)の虎図」。雨の中、虎が大地を踏みしめ、上空に向かって吠える迫力のある絵です。わたしは、小学館ウイークリーブック「週刊 ニッポンの浮世絵100」の制作に参加しましたが、この絵を見て心臓がドッキンとしました。
虎の絵は東京・原宿の太田美術館に、これでひとつの作品と考えられていましたが、2005年、フランスのギメ東洋美術館の「龍図」と対になっていることがわかりました。2図合わさると、鋭い眼光の先に龍がいてにらみ合う構図となり、緊張感は高まります。
虎と龍。これは、易経(えききょう)の乾為天(けんいてん)ではないだろうか。
易経とは、中国の四書五経(ししょごきょう)という聖典のひとつ。俗に、「当たるも八卦当たらぬも八卦」(当たっても外れても、占いなんてそんなものといった意味合い)なんて言いますが、その卦(け、か)とは、占いの道具である算木(さんぎ)に現れた「吉凶を判断するもと」です。卦は全部で64あり、冒頭を飾るのが乾為天です。
易経には、論語でもおなじみの中国の思想家・孔子や弟子が登場します。乾為天について問われた孔子はこんなことを言ったそうです。
「同じ音に調律した弦が共鳴するように、同じ意見や気質をもつ者同士は引き合う。水は地面の湿ったところへ流れ、火は乾燥したものに燃え移る。龍と雲は水のもので同じ、風は空気の震動で猛々しい虎と同じ。だから、龍が鳴けば雲が湧き、虎が吠えれば風が吹く」。
さすが孔子ですが、まだ難解です。おおよその意味は、「似た者同士は引き合う。徳のあるリーダーのもとには、優れた補佐役が現れる」といったところ。この易経の言葉から、日本でも「雲は龍に従い風は虎に従う」という故事成語、ことわざができ、龍と虎は絵画の画題として多くの絵師に描かれました。
また、横浜などの中華街で東南西北に守護神が置かれ、龍が青龍(東)、虎が白虎(西)となるように、「龍と虎」は「東と西」で対称関係です。「週刊 ニッポンの浮世絵100」13号で、「雨中の虎図」と「龍図」のペアをぜひご覧ください。
赤色で描き上げた「鍾馗様」で疫病退散!
先日、「すみだ北斎美術館」(東京都墨田区)で絵葉書を買いました。悪鬼を払うと信仰された中国の神様「鍾馗(しょうき)様」を描いたもので、日本では「疫病神を倒す」と考えられ、北斎もこのような鍾馗様を描いています。
当時は、ウイルスや細菌などの病原菌の存在が知られていなかったため、「感染症は鬼のしわざ」などと考えられていたのでしょう。
赤一色で描かれるのは、「赤い色が疱瘡(ほうそう、はしか)に効く」という信仰があったからです。2015年には「百日紅(さるすべり)~Miss HOKUSAI~」というアニメ映画が公開されました。その中で、北斎が視覚障がいのある我が子のために赤い鍾馗の絵を描いてあげるシーンがあります。
鍾馗様は中国の神様ですが、日本の神仏はもちろん、妖怪や幽霊などの目に見えないものも多く描いています。
こちらは、大事な皿を割ったという濡れ衣により手討ちになり、幽霊となる怪談でおなじみのお菊さん。
幽霊は女ばかりって思いません? 男の幽霊もいます。こちらは、幽霊役で知られた役者で小幡小平次(こはた くへいじ)の幽霊画。殺されて本物の幽霊になった敵討ちをするという設定です。
マジで怖いのですが、愛嬌や人間味があるような気もします。アニメ映画「百日紅~Miss HOKUSAI~」には、北斎が首が伸びる妖怪「ろくろ首」を見るシーンがありました。科学が未発達で電気もなく暗い江戸の町には、この世のものとも思えないものがいたのでしょう。このほどの映画「HOKUSAI」にも、「小手先のテクニックや目に見えるものに惑わされず、心の目で見よ」とうメッセージが込められているように思います。北斎には見(視)えたんだろうな……。
北斎は占いをしたか? 「君子占わず」か?
さて、空想も入ってしまいましたが、きっとそう。北斎の絵を見ていると妄想が止まりません。
絵手本といわれる絵画の教科書「北斎漫画」は、北斎の代表作のひとつ。おかしなポーズをした人の姿や変顔、植物や動物などなど、さまざまなものが描かれます。占いファンは、その11編にご注目を。
今に続く易占の始祖である「周の文王」が登場しています。易占のことを「周易(しゅうえき)」と呼ぶのは、周の時代にはじまったことに由来します。この11編には、占星術師の芦屋道満(あしや どうまん)と陰陽師の安倍晴明(あべの せいめい)が易術を競う絵までが登場します。
さらに、晩年の落款(らっかん。書画に名前や文章、印を添えること)には易占マークの「☱(沢、だ)」のような印があります。前述の鍾馗様の図の右下にも! 「兌」にりっしんべんをつけると「悦」。悦び、娯楽、沢や池、飲食などを表します。
北斎は占いをしたのでしょうか――。易経に、「君子占わず」という名文があります。「立派な人物は占いに惑わされてはいけない」ということではありません。「しっかり易を学んだら、占いをしなくても変化の兆しを察し、未来が読めるようになる」といった意味です。
「北斎は森羅万象を描くことで、占いどころか人智を超えた宇宙の真理に到達しちゃったのではないか」と、わたしは考えています。占い、スピリチュアル、オカルト好きの皆さん、一緒に北斎作品にハマりませんか?
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