突然ですが、クイズです!
次の3体のうち、仏像はどれでしょ~か?
正解は……
3体ともすべて、仏像なんです。
いずれも、仏の世界ではナンバー2の存在、「菩薩(ぼさつ)」と呼ばれる、悟りを開くために修行する者を表したもの。
「ちょっと待って! 左の像は、見慣れた仏像とゼンゼン違うよ。同じ菩薩なのに、どうしてこんなに違うの?」。そんなギモンを抱くのはごもっとも。私も同感です。
3体の仏像は東京国立博物館(トーハク)所蔵の名品で、通常は異なる展示室に陳列され、同時に鑑賞する機会はありません。が、しかし! 2021年12月5日(日)まで開催中の体験型展示「8Kで文化財 みほとけ調査」では、それが可能に。文化財活用センターとトーハク、シャープ株式会社の共同研究プロジェクトによるコンテンツで、学芸員が仏像を調べるように鑑賞できるようになりました。
これは好機と「8Kで文化財 みほとけ調査」を企画担当した東京国立博物館研究員、西木政統(にしき・まさのり)さんに疑問をぶつけるべく、トーハクへ。「みほとけ調査」で紹介される画像を交えながら、仏像の面白さを解説してもらいます。教えて、西木さん!
我こそが元祖。筋骨隆々、男気あふれるガンダーラ仏
――早速ですが、日本のものとは似ても似つかぬこの仏像は、いったいどんなモノですか?
西木さん(以下、西木):仏像は紀元1世紀ごろ、北インド(現・パキスタン)のガンダーラと中インドのマトゥラーで、ほぼ同時期に誕生しました。この菩薩立像は仏像製作が盛んになった2世紀ころの、ガンダーラのもの。本来、菩薩はターバン型の冠をつけますが、こちらにはありません。欠けてしまった左手に水瓶を持っていたと想定して、弥勒(みろく)菩薩という未来に現れる菩薩だったんじゃないかと言われています。
――素材は?
西木:石です。木でも仏像製作は行われていましたが、インドではのちにヒンドゥー教やイスラム教が主流となって仏教は長く伝わらなかったこともあり、現在まで残るのは出土したもの。石や金属製のものしか残っていないんです。この像には痕跡すらありませんが、製作当時、表面は金箔を貼ったり彩色されていたはずです。
――彩色されていたんですか! それにしても、彫りの深い顔ですね。
西木:当時、クシャーン民族が支配していたガンダーラには、バクトリア王国時代(紀元前3~2世紀頃)以来、ギリシャ系の人々が住んでいました。ギリシャや、その後交易が盛んになるローマでは、神々など信仰の対象を人の姿をした彫像として表す伝統があり、イラン系遊牧民だったクシャーン民族はそれをそっくり借りるかたちで仏像をつくりはじめたと考えられています。ですから、顔立ち、身体つきはもちろん、装束などもギリシャ、ローマ的なんです。
――確かに足元も裸足ではなく、サンダルを履いてる。
西木:顔にはフサフサとした、立体的に彫られたヒゲがあるでしょう。仏教の教義上は、菩薩に男女の別はないんですが、これは明らかに男性の顔。のちの中国や日本では、菩薩は一般的に女性らしく表されるものの、やっぱりヒゲは描かれている。それはモデルのお釈迦様(ブッダ)が男性だから、です。
――顔もブッダがモデル?
西木:ブッダそのものというより、2世紀ごろのギリシャ、ローマ人の顔ですね。たくましい体つきがわかる衣の表現にも特徴があります。
――ギリシャ風イケメンにアレンジされている、と。
西木:装束もまた、紀元前5世紀頃のブッダの時代のものではありません。襞(ひだ)の表現や衣の付け方はギリシャ、ローマ的です。菩薩は出家する前のお釈迦様ですから貴族の格好をしていて、華やかな装身具を身につけています。これは伝統的なインドのもの。冠はありませんが、首飾りは付けていて、バラモンの苦行者がつける聖紐(せいちゅう)も掛ける。髪の毛を結ってるのは修行者、苦行している人の象徴です。
――首にシワはないんですね。
西木:仏像の首の線は、そもそも肉のたるみを表す写実表現です。超人である仏の肉体は、通常の人体とは違うと考えられるようになり、頭に肉髻(にくけい)と呼ばれるコブがあるとか、三道相(さんどうそう)と呼ばれる首の線などがいつの間にか仏の身体的な特徴になりました。ただ、この像はこれらの約束事が確立する以前のものであり、かつガンダーラはそうした約束事から比較的自由な地域なので、シワはありません。
――なるほど。
西木:一方で、白毫(びゃくごう)と呼ばれる額の印はあります。経典では1本の毛が右巻きにクルクル巻いてそこから光を発すると記されています。でも、白毫ははじめはありませんでした。ヒンドゥー教のシヴァ神などにみられるような額の第三の眼や、ティラクやクンクムと呼ばれる、インドで伝統的に額に印を付ける信仰の証が転じたと考えられています。
ガンダーラ仏に見られたギリシャやローマ人的な顔は、中国や日本の仏像には受け継がれることはありませんでした。なにが、どう変化するのか、続く2体は……。
インドと唐の様式がくっついた。中国のハイブリッド菩薩
――見慣れた仏像の形に近づいてきました。西木さん、こちらは?
西木:中国、唐の時代(7世紀)の仏像です。見ての通り、頭に本体の顔と合わせて11の顔があるので十一面観音菩薩と呼ばれています。菩薩から派生した、いろんな姿に変化できる変化(へんげ)観音のなかでも一番わかりやすい姿です。
――顔は中国の方のようには見えませんが。
西木:頭が大きく、ずんぐりした体形は中国風ですが、顔はインド風です。子どものような体形は、当時の唐の都、長安の周辺で好まれたスタイル。インドでは成人男性の健康的な肉体が理想と考えられていますので、中国のものに間違いありません。
――中国とインドのハイブリッドですか! 超人感がスゴイ。
西木:鼻筋が通ったようすや目元の深さなど、インド風の濃い顔立ちになっているのは三蔵法師として知られる唐代の僧、玄奘(げんじょう)らがインドに行って経典や仏像を持ち帰ってきたから。本場の最先端仏像が長安にやってきたんです。けれど、すでに長安にも仏像づくりの土台があったので、頭だけを流行のものに変えたのでしょう。
――3体の中では、一番小さいんですね。
西木:高さは40㎝ほどしかありません。正確に分析はしていませんが、材質はおそらく白檀(びゃくだん)です。白檀はインドや東南アジアにしか生えない貴重な香木で、幹が太く育たず、せいぜい直径30㎝ぐらい。高くもならない。したがって仏像は必然的に小さなサイズになります。
西木:経典には理想的な仏像のつくり方が記述され、大きさは1尺3寸と書かれているものがあります。それがまさに40㎝。経典が先か、材が先かはわかりませんが、白檀を使って、1尺3寸の大きさにつくったのがこの十一面観音です。現存はしませんが、インドでも白檀で同じサイズの仏像がつくられていたことでしょう。
――1本の木から彫られている?
西木:頭から足の先まで1つの材から彫られています。体をめぐる衣や飾りも透かして彫っています。衣の襞を見るとわかりますが、中国では左右対称、幾何学的な整いを重視する傾向がある。対して日本の仏像では、衣は風になびくような自然な表現が次第に好まれるようになりました。遠くインドの写実的な表現のほうが日本とは相性がよかったのかもしれません。
濡れたような唇にドキッ。究極のリアルを求めた日本の仏像
――ようやく日本人に馴染みの深い仏像の登場です。
西木:仏像の誕生から1000年以上が経った、鎌倉時代の仏像です。材はヒノキです。
――木でも白檀ではないんですね。
西木:経典に話を戻すと、仏像は金あるいは白檀でつくるべきと書かれています。ただ、代用品でもいいと注釈にある。いずれにせよ高価な材料なため、現存する遺品を見る限り、インドでもさまざまな材質が使われるようになっていたことがわかり、金に代わるものとして銅を金メッキした金銅仏がつくられ、木も白檀に似た材を使うようになりました。
――臨機応変に対応することが許されている。ゆるやかなんだ。
西木:日本では仏教が入ってきた飛鳥時代にも木の仏像がつくられていますが、材質はクスノキです。奈良時代に金属や漆などに材料が移り、唐から鑑真が来日して再び木で仏像をつくるようになって、平安時代以降いっそう広まります。鑑真が持ってきたのはおそらく先ほどの中国の仏像と同じ白檀製ですが、日本では白檀は生えないので、榧(カヤ)やヒノキなどの針葉樹を使うようになるんです。
――日本ではヒノキの仏像が多いですよね?
西木:日本に現存する前近代の仏像のほとんどが木製で、特にヒノキは多い。たくさん生えていたので入手しやすいうえ、建築や木工に使われる加工しやすい材だったからです。さらに、ヒノキは香りがいいので聖なる仏像をつくるのに適していると判断されました。飛鳥時代にクスノキが使われたのも、樟脳(しょうのう)で知られるように独特の香りがあり、それが虫よけや魔除けと結び付けられたためと考えられますが、中国でクスノキが白檀に代用できると認識されていた可能性もあります。
――仏像のサイズも中国に比べて大きくなった。
西木:仏像の大きさにもさまざまな決まりがありますが、1尺3寸のような大きさに次いで重視されたのは、インドでブッダの身長と考えられた1丈6尺(約4.8メートル)です。さすがに大きいので、その半分の8尺(半丈六)や、5尺(約150センチ。等身大と認識されていました)、さらに小さい3尺(約90センチ)などの大きさが一般的です。白檀製を意識した小さい像ではお堂に祀る信仰の対象としては不十分と感じられたのか、本尊などは3尺以上の大きさの仏像が多いですね。
――えーッ、お釈迦様の本来の身長は4.8mですか。大きいー。
西木:加えて、日本ではインドや中国に比べて生々しい表現を求めていく。この菩薩立像の一番の特徴は目と唇に水晶を使っていることです。光が当たると仏さまがそこに立っているように見えます。
――眼に水晶を使う玉眼(ぎょくがん)は知っていましたが、唇にまで使っていたとは。
西木:玉眼は中国ではじまると考えられていますが、現地ではそれほど広まりませんでした。日本では眼だけでなく、唇や歯、爪などに水晶を使うことが鎌倉時代以降に行われます。さすがに玉眼以外は少ないですが、日本の中世以降の人たちは、目の前に仏が立っているような実在感のある表現を好んで目指したのでしょう。
――まるで生きているような、リアルの追求がハンパない!
西木:もうひとつ、肌は金泥(きんでい・粉末状にした金をニカワなどで溶いた顔料)で仕上げています。それまで仏の光るさまは肌に金箔を貼ったり、白や黄色で塗っていました。それをもっと自然にできないかと工夫した結果、金泥にたどりつく。仏の肌が金色なんじゃなくて、経典の記述通り、仏自体が光を発しているように表現しようとしたんです。肉体の表面を金泥で仕上げるのも中国に起源がありますが、玉眼と同じく、とりわけ日本で好まれる技法となったようです。
――時代から考えて、教科書でもおなじみの運慶、快慶の影響を受けてますか?
西木:まさにそうです。どちらかといえば快慶に近い。快慶が日本で最初に仏像の肌に金泥を採用したと考えられています。像の製作は運慶や快慶の孫世代にあたる、慶派(運慶、快慶らが属した仏師の一派)の影響を強く受けた別の集団によるものと言われています。
――日本では仏教をずっと信仰してきたから、仏像の姿もより発展したんですか?
西木:はい、そう思います。7世紀に仏像が入ってきて、いろいろな工夫をして仏像の在り方が変化し、鎌倉時代に仕上げの好みが完成する。以降、江戸時代までおおむね同じ傾向が続きます。はじめは中国、朝鮮半島から入ってきたものをそのまま受け入れるしかありませんでしたが、それは奈良時代までで終わります。技術が蓄積して以降は、日本人の好み、伝統を踏まえて取捨選択をするようになります。
――日本人のオリジナルを目指すんですね。
西木:仏像には時代や地域の人々の好みが反映されています。今回、「8Kで文化財 みほとけ調査」で同じ種類の仏像を比べて鑑賞するのは、違いが具体的に体感できるから。「仏像の見分けがつかない」という人も、形の違いを解説するコンテンツで仏像に親しんでいただけたらと思います。
3体の仏像の実物も展示中です
総合文化展では、コンテンツで取り上げられた3体の仏像の実物が下記日程で展示されます。合わせて鑑賞してみて。
ガンダーラの菩薩立像/通年展示。東洋館3室
中国の十一面観音菩薩/2022年4月24日(日)まで。東洋館1室
日本の菩薩立像/2022年1月30日(日)まで。本館11室
企画展基本情報
企画展名:8Kで文化財「みほとけ調査」
会期:2021年11月16日(火)~2021年12月5日(日)
会場:東京国立博物館 法隆寺宝物館資料室
開館時間:9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(ただし月曜日が祝日または休日の場合は開館し、翌平日に休館)
観覧料金:(総合文化展)一般1,000円、大学生500円、高校生以下無料
※総合文化展観覧料または開催中の特別展観覧料(観覧当日に限る)で鑑賞できます。
※入館にはオンラインによる事前予約(日時指定券)が必要です。
東京国立博物館公式ウェブサイト
文化財活用センター「8Kで文化財 みほとけ調査」