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2018.02.06

興福寺 無著菩薩、世親菩薩・一遍聖絵〜ニッポンの国宝100 FILE 37,38〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

興福寺

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、運慶究極のリアリズム、「興福寺 無著菩薩・世親菩薩」と踊って念じて極楽往生、「一遍聖絵」です。

鎌倉彫刻の最高傑作「無著・世親像」

興福寺

鎌倉時代に造立された無著菩薩立像・世親菩薩立像は、法相宗の大本山である興福寺の北円堂に安置される2軀の木造彫刻です。像のモデルは、5世紀のインドに実在した無著と世親の兄弟で、インド名をアサンガ、ヴァスバンドゥといい、インド仏教を代表する学僧です。兄の無著が弥勒から教えを授かり、それを世親とともにまとめあげたとされています。

その業績の中心が、「法=すべての現象」と「相=その特質」についての大系化で、これは玄奘三蔵によって唐に伝えられ、「法相宗」となります。その教えが日本にもたらされ、興福寺に受け継がれているのです。

作者は、鎌倉時代の仏像彫刻を代表する仏師の運慶です。父の康慶は奈良仏師の系統で、運慶はやがて一門を率い、慶派と呼ばれる仏師の一派の棟梁として活躍します。運慶は、それまでになかったような写実的な力強さによって精神性を感じさせる仏像を、次々と製作していきました。

運慶が生きた時代は、ちょうど貴族が隆盛を誇った平安時代から武家が権力を握る鎌倉時代へと、時代が移り変わったころです。仏像も貴族好みの穏やかな作風から、武家が好む勇ましく迫力のある造形が求められました。運慶は、奈良・京都を拠点としながらも早い時期から東国武士と関係をもち、彼らのためにも仏像を製作しました。

治承4年(1180)、平重衡らが行なった南都(奈良)焼打ちの被害は甚大でした。その再興のために、運慶は一門総出で仏像の製作に取り組みましたが、その結果、新しい時代の仏像彫刻が確立され広まっていくことになりました。そんななか、興福寺で北円堂の再建が始まると、運慶は本尊の弥勒仏坐像、無著菩薩立像・世親菩薩立像を含む9軀を手がけ、建暦2年(1212)頃に完成します。

無著菩薩立像・世親菩薩立像はカツラ材の寄木造で、眼は水晶をはめ込んだ玉眼という技法です。魂が宿っているかのようなまなざしと、2メートル近い巨体だからこそ生まれる迫力。そこに卓越した技量と、新しい表現への情熱がほとばしり、鎌倉彫刻の頂点となっているのです。

国宝プロフィール

運慶 無著菩薩立像・世親菩薩立像

建暦2年(1212)頃 木造 彩色 玉眼 像高/無着:193.0cm 世親:190.9cm 興福寺 奈良

古代インドの学僧兄弟の像で、克明に造られた像容からは高い精神性がうかがえる。容貌魁偉な姿やゆったりとした衣の表現に豊かな存在感があり、鎌倉時代仏像彫刻の最高傑作とされる。

興福寺

念仏聖の諸国遊行「一遍聖絵」

興福寺

鎌倉時代、阿弥陀への帰依とともに専修念仏を突きつめ、念仏によって民衆を導く形式を確立した時宗の宗祖・一遍上人の生涯をまとめた絵巻物が、「一遍聖絵」です。一遍は諸国を遊行しながら、ひたすらお札を配り、踊念仏を行なって念仏を広めました。正応2年(1289)に没しますが、死の直前にほとんどの蔵書を焼き捨て、残ったものも譲り、何も残さなかったといいます。

正安元年(1299)に完成した「一遍聖絵」は、全12巻48段からなります。一遍の弟ともいわれる聖戒が詞書を起草し、世尊寺(藤原)経尹が外題を、法眼・円伊が絵を描きました。

聖戒は一遍の遊行に同行していましたが、文永11年(1274)に再会を約して別離し、その15年後、一遍が亡くなる間際に再会します。自分が同行していなかった期間のことは、一遍のそばを片時も離れなかった真教(時宗の二祖)などから綿密に取材し、整理したのでしょう。一遍の親族と目される人物が監修しているわけですから、詞書や絵の内容も信頼がおけます。現在も、一遍を知るうえで欠かせない根本資料です。

現存最古の絹本着色絵巻としても貴重です。絹は高価な材料ですから、絵巻に使われるのは珍しいことでした。費用も手間もかかった贅沢な絵巻物です。

「一遍聖絵」は、その生涯を描いた高僧伝絵巻ですが、実際に詣でた社寺が鮮やかな色彩で描かれているため、名所絵のように楽しめます。お札を配る「賦算」をはじめて行なった四天王寺や、熊野権現から神託を受けた熊野本宮などは、一遍にとって転機となった場面ですが、その風景に目を奪われるほど、山水画としても傑出しています。

さらに、人物が生き生きと描かれていることも大きな魅力といえるでしょう。武士、僧侶から貧しい庶民まで、中世を生きた人々が緻密なタッチで表情豊かに描かれています。筆を執った円伊の観察眼の鋭さはもちろんですが、人々に向けたやさしいまなざしを感じることができます。丁寧な描写ゆえに、中世の文化や風俗を知るうえでも、このうえない史料となっているのです。

国宝プロフィール

円伊 一遍聖絵

正安元年(1299) 絹本着色 第1巻~12巻/38.5~39.3×927.4~1179.0cm 清浄光寺(遊行寺) 神奈川 「一遍聖絵」(7巻を除く)の写真提供はすべて遊行寺 第7巻/37.9×633.2cm

鎌倉時代の絵巻で、時宗の開祖・一遍の事績を豊かな風景描写と生き生きとした人々の姿で活写している。

東京国立博物館