Art
2018.02.08

東大寺 大仏・平家納経〜ニッポンの国宝100 FILE39,40〜

この記事を書いた人

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

東大寺 大仏

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は宇宙のすべてを照らす、「東大寺 大仏」と清盛と一門の祈り、「平家納経」です。

天平の国家プロジェクト 「東大寺 大仏」

東大寺 大仏

「奈良の大仏」と通称される東大寺金堂の本尊の正式名称は、「盧舎那仏坐像」。サンスクリット語の「ヴァイローチャナ」の漢字表記で、「太陽のごとき光の仏」の意味です。「華厳経」や「梵網経」に、宇宙の中心に坐して、全世界を知恵と慈悲で照らす太陽のような存在と説かれており、仏教の真理そのものを仏の姿で表した最高位の仏尊とされました。

聖武天皇は、奈良時代、神亀元年(724)に即位しましたが、貴族間の権力抗争による内乱や疫病、身内の凶事が相次ぎ、政治的な混乱が続きました。そこで仏教による国家統治を願い、仏法が支配する世界の中心として、盧舎那仏の造立を決意します。天平15年(743)、「盧舎那仏造顕の詔」を発布。背景には、河内国(大阪府)の知識寺で人々が協力して造った盧舎那仏を見て、聖武天皇が深く感銘を受けたこともありました。

当初、大仏造立は紫香楽宮(滋賀県甲賀市)に計画されましたが、天平19年、場所を平城京の現在地に移して鋳造を開始。天平勝宝4年(752)4月9日、大仏の開眼供養が、インド僧らを招いて盛大に行なわれます。「造顕の詔」から約10年を経て、国中の銅を尽くして鋳造された像高約16メートル(現在は約15メートル)の巨大な金銅仏が姿を現しました。

ただし、蓮華座や光背は、開眼供養後の完成です。台座の蓮弁には、盧舎那仏の蓮華蔵世界が線刻で描かれており、緻密で大規模な図像は、「華厳経」による世界観を知るうえで貴重なもの。製作の中心となったのは、東大寺造営のために設けられた造東大寺司です。

その後、平安末期と戦国時代の2度にわたって兵火にあい、大仏殿とともに被害を受けましたが、そのつど再鋳されました。鎌倉期の再興では、大勧進となった重源が尽力し、慶派の仏師も参画しています。

現在の像は、右腋から腹前にかけてと脚部、台座の一部が当初の奈良時代の作で、体部は鎌倉時代、頭部は江戸中期の再鋳。たび重なる兵火での焼損を乗り越えて復活を果たしてきた大仏は、1300年の時を超えて、聖武天皇の仏教的な世界観の壮大さを、現代に伝えています。

国宝プロフィール

盧舎那仏坐像

天平勝宝4年(752) 銅造鍍金 像高14.98m 体部・頭部再鋳/鎌倉〜江戸時代 東大寺 大仏殿(金堂) 奈良

奈良時代、聖武天皇の勅願によって造立された、金銅製の巨大な盧舎那仏坐像。天平勝宝4年(752)、仏像に瞳を点じて御魂を迎え入れる開眼供養の法要が行なわれた。

東大寺

清盛と一門の祈り 平家納経

東大寺 大仏

平安時代末期に中央政権を掌握した武将・平清盛が、長寛2年(1164)に平氏一門の繁栄を祈願して、嚴島神社に奉納した経巻が「平家納経」です。

その約20年前に安芸国(広島県)の守護に任じられたころ、清盛は弘法大師空海の夢のお告げを機に嚴島神社を篤く信仰するようになったと伝えられます。父の代から日宋貿易で莫大な富を得ていた清盛にとって、嚴島神社は瀬戸内の海上交通を確保するうえでも重要な拠点。財を惜しみなく注ぎ込んで、社殿を大規模に修築し、豪華な武具甲冑や美術工芸品を奉納しました。

「平家納経」は、清盛一族の男女が書写した「法華経」などの経巻32巻と、清盛自身の願文1巻の計33巻からなります。各巻は、いずれも染紙の表裏を金銀で飾った、美麗な料紙(書の用紙)を用いています。経文は清盛をはじめ、平重盛・頼盛・経盛など、一族32人が原則1人1巻を分担して書写しました。
 

料紙の美しさとともに、表紙や内側にある見返しの絵も、趣向を凝らした見事なもの。巻物の軸などの金具や紐にも当時の工芸技術の粋が駆使され、豪華絢爛な装飾が施されています。

このような「装飾経」は、日本では奈良時代から見られましたが、平安中期以降のものが多く残ります。それは、貴族の間で法華経信仰が流行し、写経熱が高まったためでした。「法華経」は、写経の功徳で極楽往生する「写経成仏」や、女性も男性と同じように悟りを開いて成仏できるとする「女人成仏」を説くことから、貴族女性の人気を集めました。分担で写経してもよいとされたことも、支持された理由のひとつです。

「法華経」は全部で28の品(章)で成り立っています。平安時代中期から鎌倉時代にかけて、この二十八品を分担して1巻ずつ写経する「一品経供養」が、競い合うように行なわれました。貴族たちは、極楽往生や一門の繁栄を願って、美意識と財力の限りを尽くして、華麗な装飾経を制作しました。意匠や荘厳にさまざまな工夫が重ねられ、絵画・工芸の技巧が頂点を極めます。「平家納経」は、まさにそのような装飾経の究極の最高傑作といえる作品です。

国宝プロフィール

平家納経

長寛2年(1164) 紙本着色彩字または墨書 33巻 各縦24.9~28.0×横92.7~904.8cm 嚴島神社 広島

平安末期の平氏の棟梁・平清盛が嚴島神社に奉納した装飾経。清盛自筆の「願文」1巻と、「法華経」を中心とする経典32巻の計33巻。これらを納める金銀荘雲龍文銅製経箱と蔦蒔絵唐櫃はともに国宝。

嚴島神社