民家の屋根裏から名画が見つかった、とか、田舎のオークションで目利きが名画を発掘した……等、ここ最近名画にまつわるニュースをよく耳にするようになりました。X線や赤外線・紫外線などを使った分析機器が発達した今日、こうした名画発見伝はさほど珍しいものではなくなってきた感があります。
しかし、「すでにある、有名な絵画作品に隠された絵が、数年がかりで修復・復元された」という話はちょっと珍しいかもしれません。その作品とは、17世紀オランダの巨匠フェルメールの描いた「窓辺で手紙を読む女」。ドイツのドレスデン国立古典絵画館が所蔵する、フェルメールの画業初期を代表する傑作として知られます。
本作が修復後に来日する、というプレスリリースを知ったのは、2021年の春でした。そこから約1年、ついにそのお披露目展「ドレスデン国立古典絵画館フェルメールと17世紀オランダ絵画展」が2月10日から東京都美術館でスタートしました。そこで、修復のBefore/Afterや本作の注目ポイントを紹介しながら、一緒に来日した珠玉のオランダ絵画群の見どころなどもレポートします!
1日わずか2ミリずつの作業。わずか80cm四方の修復に4年を費やす
早速、「窓辺で手紙を読む女」の修復前・修復後を見比べてみましょう。一番の違いは、少女の背後の部分ですね。修復前、少女の背後に描かれていた(上塗りされていた)白壁が剥がされると、キューピッドを描いた画中画が出現しました。この画中画は、フェルメールが本作を描いた当初、オリジナルとして描かれていたもの。慎重な修復作業の結果、無事に復元されたというわけです。
また、全体的に絵の汚れ、ニスの劣化などもメンテナンスされた結果、作品全体もぐぐっと明るくなった印象がありますね。特にフェルメールが得意とした「青」の色彩が鮮やかになりました。
実は、1979年にX線調査を行った時点で、少女の背後に何かキューピッド像のようなものが描かれているのではないかと疑われていました。しかし何らかの事情があって、フェルメールは途中で描くのをやめてしまったのかもしれない。当時はそう思われていたのです。
しかし、それから科学調査を段階的に進んでいく中で、フェルメールは実は少女の背後の壁を塗りつぶしていなかったことが判明。作家の没後、フェルメール以外の誰かが何らかの意図を持ってキューピッドの画中画を塗りつぶした、ということが判明したのです。
そこからがまさに悩みどころでした。作品は、慣れ親しまれた白壁のままでも十分にフェルメールらしい威厳と静謐さに溢れています。そのままにしておいても全く差し支えありません。それに、厚さ何マイクロメートルしかない上塗り層を上手く剥がせず修復に失敗してしまったら、後戻りできません。修復には非常に高いリスクもありそうです。
ですが、熟慮した結果、彼らは「フェルメールの意思を尊重し、オリジナル版へと戻す」という大胆な修復案を選んだのです。
修復作業は非常に慎重に進められました。塗りつぶされた背景部分の、上塗り部分からオリジナルの絵の具層までの厚さは、わずか1mm以下。マイクロメートル単位で絵画表面を削り取っていく難易度の高い修復作業を、ノーミスで進めていく必要があります。
作業状況の詳細は、下記動画でも見ることができますが、最高レベルの技量を持つ職人をもってしても難航を極めました。修復作業は、1日わずか2ミリメートル四方程度しか進まなかったそうです。まさに気が遠くなるような作業スピードです。
★修復工程の解説動画要約版(約2分、日本語)
こうして、数年がかりで完了した奇蹟の修復作業。展覧会では、上記のプロセスを詳しく解説するパネル展示や映像資料などもたっぷりあります。特に修復士が少しずつカンヴァスの絵の具を剥がしていく場面は普段なかなか見られない貴重なシーンで、思わず何度もリピートして見入ってしまいました。会場で見る機会があれば、ぜひチェックしてみてください。
名作「窓辺で手紙を読む女」を最大限楽しむための鑑賞ポイントをご紹介!
さて、ここからはいよいよ修復が完了した「窓辺で手紙を読む女」の見どころをBefore/Afterに着目しながらご紹介していきましょう。
幸いなことに、会場には修復前の状態を模写した複製作品も合わせて展示されています。ということで、アート作品の最もオーソドックスで楽しい見方として「比べて楽しむ」鑑賞をおすすめします。
比べる方法は、Before/Afterを直接比較するだけではありません。たとえば、「窓辺で手紙を読む女」と、今回来日した17世紀オランダ絵画を見比べてみるのも非常に面白いかもしれません。
ドレスデンといえば、地理的にも非常にオランダに近い場所にあります。実際、ドレスデン国立古典絵画館では、3000点以上の絵画コレクションのうち、実に400点以上がオランダ人作家による作品だといいます。その中から選びぬかれた約70点の中には、フェルメールと同時代の有力な巨匠の作品が満載。中にはフェルメールと非常によく似た作風の作品群も多数。あわせて鑑賞することで、フェルメールがどうやって独特の絵画世界を作り上げていったのか、そのルーツを探ることができるでしょう。
まずは、今回出現した画中画をしっかりと見てみる
もう一度、修復前と修復後の作品を再掲して、最大の違い「キューピッドの画中画」に着目してみましょう。
2021年秋頃に、修復完了のニュースが報道された直後は、「画中画が見慣れない」「違和感がすごい」「絵がうるさくなった?」などと、SNS上ではわりと否定的な感想も散見されました。ですが、修復された絵と展示室で実際に向き合ってみると、そんなに変ではないのかも。敢えて修復時に補彩をしなかったこともあり、色調が控えめなことも手伝って、そこまでうるさい感じはしませんでした。むしろ、画面右寄り上部にキューピッドが、画面左寄り下部に少女がいることで、ある種のバランス感が保たれている感じもします。
ところで、熱心なファンの方なら、なんとなくこの画中画に既視感を抱かれたりしないでしょうか?
たとえば、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展(※2020年春に東京・大阪で開催)で来日していた『ヴァージナルの前に立つ女』(←画像検索結果)と画中画の絵柄が全く同じですよね。他にも、『中断された音楽の稽古』『眠る女』などでも、やや不鮮明ながら本作と同じキューピッドが描かれています。フェルメールは自分の絵の中に画中画を描きこむのが好きなんですよね。キューピッド像以外にも、いろんな画中画を描いています。ぜひ色々画像検索して見比べてみてください。
ところで、本作でフェルメールはなぜ「キューピッド像」を描きこんだのでしょうか?単なるインテリアを超えて、何か鑑賞者に対してメッセージを送ってきているのだとしたら、どんな意味が隠されているのでしょうか?
じっくり見てみましょう。画中画の中に描かれたキューピッドは、足元に落ちている「仮面」のようなものを踏んづけていますね。筆者の手元にある西洋美術解読事典によると、変装の道具である「仮面」が象徴するものは、「欺瞞」や「悪徳」。愛情や恋愛を司るキューピッドがそれらを踏んづけている……ということは、少女に手紙を送ってきたお相手と育む誠実な愛情が実を結んだ……ということなのでしょうか?!色々と想像が広がりますよね。
フェルメール・ブルーに注目!
さて、フェルメール作品で最も特徴的な一つの色を挙げるとしたら、澄み切った深い青(ウルトラマリンブルー)でしょう。とにかく至るところに「青」を配置していきます。彼の「青」はあまりにも有名なので、フェルメール・ブルーなんて呼ばれていますね。17世紀当時、宝石並みに高価な顔料だったアフガニスタン原産のラピスラズリを金に糸目をつけずガンガン使っていた、というエピソードもよく知られています。
そのフェルメール・ブルーが修復後は本当によく見えるようになりました!
修復によって画面が明るくなったことで、汚れてよく見えなかった場所も鮮明に見えるようになりました。すると、様々な箇所に「青」が配置されていることがわかります。
まずわかりやすいところでは、部屋の窓枠、テーブルクロスに使われているトルコ絨毯の絵柄、りんごの入った染付の磁器皿でしょうか。これらは修復前でも見えていましたが、修復後はよりクリアに濃く映えています。
それ以外にも、手紙や少女の服の襟の部分、髪飾り、くだものなど、「こんなところにまで青が使われているのか!!」と意外過ぎる箇所に差し色として「青」がさりげなく置かれていることに気づきます。
それ以外にも、ここにもひょっとしたら「青」を混ぜているのかも?という場所がありそうです。ぜひ、絵の中の隅々まで見てください。
オランダ絵画と見比べると面白い!
さて、本作で修復されて美しく仕上がった『窓辺で手紙を読む女』ですが、それぞれのモチーフをより深く掘り下げて見ていくと、もっともっとマニアックな楽しみ方ができます。そこで、ここからはせっかくなので、本作と一緒にドレスデンからやってきたオランダ絵画と見比べながら【意外な見どころ】を掘り下げて楽しんでみましょう。
意外な見どころ1:手紙には何が書かれているのか考えてみる
さて、本作で一番少女の心情を引き立てる小道具として描かれているのが、少女が両手に持つ「手紙」ですよね。一体誰からのものなのでしょうか?中身には何が書いてあるのでしょうか?そういえば、修復後、少女の頬の赤らみも随分鮮明に見えるようになりました。キューピッドが暗示するように、少女をドキドキさせるような朗報が届いたのでしょうか?興味は尽きません。
17世紀のオランダは、ある意味「男が街にいなかった」時代なのかもしれません。商人や船乗りとして世界中へ出稼ぎに行ったり、ヨーロッパ列強との度重なる戦争で駆り出されたり……。そうなると、遠方にいる大切な人とのやり取りに「手紙」は欠かせないコミュニケーションツールであったことでしょう。
実際、本展でも「手紙」をテーマにした作品が数作品登場します。室内画の重要モチーフとして、男女問わずいろいろなシチュエーションで、人々の心情を表現する小道具として描かれてきたことがわかります。フェルメールと見比べて楽しんでみてくださいね。
意外な見どころ2:オランダ絵画は絵の中の調度品が凄い。貿易立国オランダの実力がわかる?!
現代のオランダは、北欧の裕福な福祉/環境先進国、というイメージが定着していますよね。しかし、フェルメールが活躍した約300年前、オランダはヨーロッパ随一の強大な海洋国・経済覇権国でした。そのためか、この時期のオランダ絵画(特に室内画・風俗画を中心に)は珍しい舶来品のモチーフで溢れかえっているのです。
本作「窓辺で手紙を読む女」でも、いくつか珍しいものが描かれています。それがまず、少女の手前にあるテーブルにかけられた高級絨毯のようなテーブルクロスです。パッと見た感じ、ヨーロッパというよりインドやペルシャといったオリエンタルな雰囲気がしますよね。
図録(P20)を紐解いてみると、この絨毯が作られたのはトルコのウシャク地方。オスマン帝国の首都イスタンブールからほど近い、絨毯の名産地です。ここで生産された羊毛製の高級絨毯はウシャク絨毯と呼ばれ、ヨーロッパでは当時壁掛けやテーブルクロスとして使われていたそうです。図録には画家自身の家にあった指折りの高級調度品であったのではないかと書かれています。
実は他の本展出品作でも、この「ウシャク絨毯」が大活躍。色々な作品で出てきますので、ぜひ目を凝らしてチェックしてみてください。あっ、ここにも!ここにも!とどんどん見つかると思います。17世紀オランダ絵画を鑑賞する際のキーアイテムとして、覚えておくといいかもしれませんね。
もう一つのキーアイテムは、そのウシャク絨毯の上に載せられた果実皿です。この果実皿、じーっと見てみると、我々日本人にも馴染み深い絵柄だと想いませんか?
それもそのはずで、これはおそらく中国・明から輸入された染付の高級皿(※一部では中国産を模倣して制作されたデルフト製の染付との説もあり)。17世紀当時、ヨーロッパではまだ本格的に磁器が生産されていなかったので、輸入高級品だったのです。
そんな高級舶来品の磁器皿に、たっぷりの果物。静謐でありながらリッチな空間を演出するため、フェルメールは精一杯の家財道具を集めて「映える」構図を作り上げようとしたのかもしれません。
「窓辺で手紙を読む女」以外の展示作品もチェックしてみましょう。ヴァージナルやリュートなどの優雅な古楽器が描きこまれていたり、女性が貴族のようなサテンのドレスを着ていたり、床やテーブルの上に銀食器や白磁などの高級食器類などがさり気なく置かれていたりします。
いくつか見てみましょう。
こちらは部屋で針仕事をする女性を描いた室内画。質素な服を着てお針子作業をしているのかと思いきや、非常に高そうなピカピカのサテンのドレスで着飾って、こちらに向かって微笑んでいます。今風にいうと「SNS映え」を100%意識したような絵ですが、でもこうした高そうな服装をさらっと用意できるあたり、17世紀オランダの豊かさを示しているようにも思えました。
こちらの女性もサテン柄の高そうな服装です。壁にはリュートが掛けられ、女性の真横にはヴァージナルが置かれています。まさに誰か好きな殿方のことを想いながら歌う恋するブルジョア女性……という構図ですが、注目したいのは女性がかぶる羽根飾り。不貞や罪を暗示するモチーフなのです。絵画全体から漂うリッチな雰囲気の中にもピリッと毒が効いているのは面白いですね。
意外な見どころ3:だまし絵的な演出
『窓辺で手紙を読む女』で、もう一つ非常に存在感を放っているのが、画面右1/3弱を覆っている、黄緑のカーテンですよね。修復後の実物を見ると、絵の具の盛り上がりの厚さに驚かされます。丹念に絵の具を塗り重ね、画家がカーテンの立体感を表現しようと苦心した跡が見て取れました。
こうしたカーテンは、17世紀オランダ絵画ではたびたび画中の空間演出を強調するための「だまし絵」的な効果として使われますが、手前側にカーテンを配置した構図は、フェルメールのお気に入り。「絵画芸術」「恋文」など、フェルメールの他作品ではさらに洗練された形で登場します。
では、こうしただまし絵的な技法はフェルメールの専売特許だったのか……というと全くそんなことはありません。本展をぐるっと見回してみると、視覚的なトリックを取り入れ、鑑賞者を驚かせるための遊び心が演出を施された絵がたくさんみつかります。単に写実性に優れているだけでなく、鑑賞者に知的な楽しみを与えてくれるのが17世紀オランダ絵画を鑑賞する醍醐味なのですね。少し見てみましょう。
たった今、子供の歯を処置し終わってドヤ顔キメた歯医者が、石窓から飛び出してくるように描かれたユニークな作品。こうした窓枠などを用いた視覚効果を使った絵は「壁龕画」(へきがんが)と呼ばれ、ヘラルト・ダウをはじめレイデン出身の画家が得意としていました。
なぜこんな変わった場面を絵にしているのだろう……と思って図録の解説(P50)を紐解いてみると、「オランダ絵画において歯科医は、髭剃り用の皿、酒瓶、「医療用」の道具を入れる木箱が示すように、多くの専門技能をもつ偽医者として描かれる。([・・・])あるいは偽医者の意図的な欺瞞行為に言及しているのかもしれない」とのこと。
なるほど、こうした絵は、ユーモアを添えながらも一種の教訓画・寓意画として楽しまれていたのかもしれませんね。
なんだこりゃ、カンヴァスの裏側を展示してどうするんだ……と思ったら、カンヴァスの裏側を描いた作品でした。紙や紐の質感、陰影などが非常にリアルで、少し離れた場所からみたら、本物と見間違えてしまいそうです。一体何のために……と思いましたが、パーティなどでサプライズとして壁に掛けておいたら、さぞ盛り上がるだろうでしょうね。
黒字の背景に画面いっぱいに花を描いた作品の元祖は同郷のヤン・ブリューゲルが有名ですが、へ―ムの作品はブリューゲルの静物画をより精密に突き詰めたような正常進化版といってもいいでしょう。
一見、普通にきれいだな……と通り過ぎてしまいそうになりますが、本作をよーく見てみると、かたつむりや昆虫なども描かれており、良い意味でそのグロテスクさにぎょっとさせられることも。さらには、画面中央に描かれた花瓶の湾曲した表面には、室内風景まで描かれているんです!
凄まじい超絶技巧の中に、いくつものサプライズを仕込んでいるへ―ムの遊び心、会場でぜひ堪能してみてくださいね。
「修復」にフォーカスした個性的なフェルメール展。オランダ絵画の楽しさを味わえました!
見方によっては、今回来日する「窓辺で手紙を読む女」には、ある意味「初来日」と同じインパクトがあったかもしれません。何度も何度も本作を見た、という熱心なファンほど、作品の変化に衝撃を受けるかもしれません。
また、いわば”美術展の舞台裏”ともいえるような修復作業に対して徹底的に光を当て、丁寧に説明した展示構成も新鮮でした。1枚の名画をめぐる約300年の歴史を楽しみながら名画の修復前/修復後を見比べて楽しむことで、深い鑑賞体験を得られたフェルメール展でした。
最後に、ドレスデン国立古典絵画館のオランダ絵画コレクションの実力の高さも強調しておきたいです。フェルメール以外にも、17世紀オランダで活躍した凄腕がたくさんいたんだ、ということが改めて実感できました。よほどの西洋絵画マニアであっても、「あれっ、こんな画家もいるんだな」と驚くような掘り出し物的作品があるはずです。
生まれ変わったフェルメールの傑作を徹底的に掘り下げたり、好きなオランダ人画家を発掘したりと、様々な楽しみ方ができる展覧会だと思います!機会があればぜひ会場に足を運んでみてくださいね。
展覧会基本情報
ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展
開催場所:東京都美術館
開催期間:2022年2月10日(木)~4月3日(日)※日時指定予約要
公式HP:https://www.dresden-vermeer.jp/
問い合わせ:050-5541-8600
なお、東京展終了後は、以下の場所を巡回予定。
【北海道展】
北海道立近代美術館
2022年4月22日(金)〜6月26日(日)
【大阪展】
大阪市立美術館
2022年7月16日(土)〜9月25日(日)
【宮城展】
宮城県美術館
2022年10月8日(土)〜11月27日(日)