ド肝を抜くショッキングピンクのビジュアルが、いま、シブヤの街を中心に世の中をザワつかせている! 2022年9月3日から開催中の「装いの力―異性装の日本史」展の告知のことだ。ダイバーシティ(多様性)が叫ばれるなか、堂々たる御旗を掲げて同展を開催するのは、東京・渋谷区立松濤美術館。えっ、松濤で異性装??って、むちゃくちゃ気になるじゃん! というわけで、同展担当学芸員の西美弥子さんに企画のはじまりから展示の具体的中身までコッテリと聞いてきました。
異性装――それは、社会的規範、抑圧からの解放だ!
――さっそくですが、「異性装」展がどんなきっかけで始まったのか教えてください!
西美弥子さん(以下、西):「装うこと」は、日常的な行為です。興味のあるなしに関わらず古今東西、老若男女が行う根本的な行為だともいえます。以前から装いをテーマに取り上げたいと考えていました。装うことは、装う人物が属する社会階級や個人的美意識など、さまざまなものを表す社会的/文化的な記号としても働いています。分かりやすいのが性別を判断する材料としての機能です。「男の子だから青い服」、「女の子はピンクの服」、「その逆はおかしい」など、社会によって作られた規範がありますよね。結果、「装うこと」はある種の抑圧を強化するものにもなりかねません。けれども一方では、その規範から解放する力をもっている。異性装は、生物学的に与えられた性とは異なる性を表現する営みで、それが「装いの力」であると考えました。
――展覧会をきっかけに少し調べたんですけど、SNSを見ても、現代は男の娘(おとこのこ)とか女装娘(じょそこ)と呼ばれる、女装する男性たちの勢いがスゴイ。
西:そうですね。女装をしている認識さえない方もいると思います。男性だからメイクをしてはいけないという意識も薄れつつありますし。特に今の若い人たちを中心に異性装が活発なのを見ると、先ほど言ったように、装いが人を抑圧したり、縛りつける力をもつ一方で、それを解放する力があることを強く実感します。
『古事記』にさかのぼる日本の異性装
――展示は日本の異性装をアートで振り返る試みですが、歴史はとてつもなく長い。
西:はい、日本にはヤマトタケルや神功(じんぐう)皇后など、異性装をしたと伝わる神話や歴史上の人物がいるほか、物語や芸能に異性装の人物が数多く登場します。特にエンターテインメント、能や歌舞伎の世界ではごく当たり前の設定です。近代では少女歌劇もあります。こと異性装の芸能に対して、日本人はある種の高揚感を覚え、強い嗜好があることが調べるほどに分かってきました。
――世界とは状況が違う?
西:一概には言えませんが、キリスト教文化圏と比べると非常に異なる点でしょう。キリスト教では旧約聖書で異性装を禁じています。もちろん、西洋でもシェークスピアが異性装の人物が登場する演劇を書きました。また、男性装をして軍隊に紛れ込む女性や、さまざまな理由で自分の身を守るために男装をする女性もいた。だから、異性装の例がなかったわけではないんですが、タブーという認識が根強いため社会に受け入れられているとは言い難い。対して、日本は本当に豊かなんです、異性装の文化が。
――最古例のひとつが、ヤマトタケルです。
西:『古事記』や『日本書紀』(記紀)では、小碓皇子(おうすのみこ/ヤマトタケル)は、父の景行(けいこう)天皇に、九州を治める熊襲建(クマソタケル)の兄弟を討つことを命じられたと記されています。女の姿となって兄弟の宴会に潜り込み、彼らが気を許したところを刀で一突き、目的を果たしました。当時、男性の髪は結い上げる決まりがありましたから、髪の毛を下すことは女性になること(女装)の象徴でした。
――もうひとり、同じく記紀で伝えられる神功皇后がいます。
西:戦場は男の仕事場、戦いは男の役割との考え方があったなかで、甲冑を着て武具を持つ女性は異性装の人物と捉えることができます。神功皇后はヤマトタケルの第2子で、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の后とされる人物。新羅(しらぎ)に出陣し活躍したと伝わります。歌川派の錦絵や、端午の節句の武者人形としてつくられた皇后像を展示しています。
――強く美しい、男装女性はその後も多い。
西:木曾義仲の愛妾(あいしょう)巴御前、源義経の愛妾静御前は有名ですね。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、板額女(はんがくじょ)という平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した人物も登場します。彼女たち女武者は甲冑を付け勇敢に戦った。今回は、井伊家に伝わる女性所用の具足『朱漆塗色々威腹巻(しゅうるしぬりいろいろおどしはらまき)』も展示しました。女性用は現存例が少ないので、非常に珍しいものです。
男になって宮仕えしたい!でも、結局は……『新蔵人物語』
――巴御前らは、いわば戦う手段としての異性装ですが、ほかはどうですか。
西:異性装は、その数だけ行う理由があります。例えば物語の登場人物では、男女が入れ替わる平安時代の『とりかへばや物語』の異母兄妹が有名ですが、室町時代には『新蔵人物語(しんくろうどものがたり)』という話があって本展では絵巻を展示しています。話をざっくりいうと放任主義の両親のもとで育った息子1人と娘3人のきょうだいのうち、主人公の三女(三君・さんのきみ)が「私も男みたいに走り歩きたい」と宣言します。その後、彼女は実際に男装をして、兄と一緒に男として宮中に仕えたいと言い出すわけです。で、親もそれを許す。自分の子供といえども、親の思う通りにできるわけじゃないから、と。
――室町時代で、そんなに考えが進んでたんだ!
西:進歩的な考えの親の元で育ったという設定です。三君は男装をして宮仕えをし「新蔵人」と呼ばれました。しかし、帝の寵愛を受けた一つ上の姉が身ごもる姿を見ると、今度はそれも羨ましくなって。そのうちに帝に女性だとバレて、ふたりはいい仲になる。
――なんだか話がとんでもない方向に。
西:物語が進むにつれて暴走します(笑)。最終的に帝の三君に対する愛は覚めてしまうけれど、子供を生んで、最後には出家して。一人の男性(帝)をめぐった姉妹の確執、秘めたる恋が盛りだくさんの昼ドラのような話です。彼女の場合は、役職のために自ら望んだ異性装でした。さらに物語では、古来、女性はそのままでは成仏、往生ができないと信じられていたため、両親の極楽往生を願い長女が修行をして出家し「変成男子(へんじょうなんし)」となるんです。
オンナに「見立て」られた男たち
――とっても、フクザツ‥‥。男性の場合はどうですか?
西:時代を再びさかのぼり、平安や鎌倉時代の絵巻を見ると、そこに描かれた僧侶といる人物が実は女装をした稚児ではないか、と近年の研究では指摘されています。今回出品する『石山寺縁起』(谷文晁/たにぶんちょうによる摸本)には、明るい色の小袿(こうちぎ=高位の宮廷女性の上着)を着て、女髪に結い、藺(い)げげという女性用の草履を履いて僧侶と一緒にいる人物が描かれています。長らく女性とされてきたけれど「なんで女人禁制の僧侶と女性が一緒にいるんだ?」と疑念が浮上。稚児は僧侶の性愛の対象にもなりますから、この姿は「疑似ヘテロセクシャル」としての女装ではないかと考えられるようになりました。つまり男色のための異性装ではなく「見立て」ているんです、女性に。
――男社会だからそうした存在が必要で、わざわざ「女装させる」ことが重要なんですね。
西:もうひとつ、若衆(わかしゅう)の存在も挙げられます。一般に若衆は元服前の少年など若い男性を指しますが、江戸時代には陰間(かげま)といって男性の相手(※)をする少年や役者のことを呼ぶこともありました。陰間でも外を歩く時は若衆の少年装をしていたようですが、陰間茶屋で春を売る時には、女装をするよう決められていることも多かった。当時、女性と遊びたいなら吉原に行く選択肢があるなかで、男性が陰間茶屋を訪問する時点で男色を好んだ客でしょう。ただ、少年らしい少年と遊ぶ目的ではなく、倒錯的に女性らしい男の人が好まれたりもした。だから、この場合の若衆は、自分で希望した女装ではなく「職業としてコスチュームを着ている」。自らの性自認や性的指向とは関係のない異性装といえます。
――なるほど、コスチュームですか! この振袖は若衆が着たそうですが。
西:『白縮緬地衝立梅樹鷹模様振袖(しろちりめんじついたてばいじゅたかもよう ふりそで)』は、若衆のものと断定はできませんが、柄に男性が好む鷹が描かれ、見ごろも女物にしては大きいことから、その可能性が高いと考えられています。
――梅も男色を暗示しますからね。
西:確かに、そうした匂わせはありますね。
職業としての異性装――歌舞伎
――職業としての異性装では、私たちには歌舞伎がより馴染み深い。
西:歌舞伎の祖として安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した出雲の阿国(おくに)は、男装した阿国が女装した三十郎と演じた「茶屋遊び」で人気を得ました。二重に性が交錯する演出がウケた理由の一つでもある。見る側の複雑に高揚する心理、嗜好が読み取れます。
――祭礼祭事にも異性装の人物がいます。例えば「祇園祭」とか。
西:そうですね。展示では山王祭や神田祭など江戸の祭りを取り上げていますが、山車の前の露払いとして男装の女芸者が木遣(きやり)を歌って練り歩く手古舞や獅子舞、助六など非常に多い。元は鳶の男性が行っていたものをのちに氏子の娘が担当、やがて女芸者が務めるようになりました。祭りとは異なりますが、江戸末期に起こった仮装騒動「ええじゃないか」でも異性装をして多くの人が町に繰り出しました。
江戸の実社会での異性装に対する人々の視線は?
――こうして見てくると、日本人ってホントに異性装に寛容なんですね。
西:芸能や祭りでは多分に寛容なものの、実社会では揺らぎがありました。一般庶民の異性装を記した資料として、前期に出品する滝沢馬琴の『兎園小説(とえんしょうせつ)余録』があります。江戸で起こった面白いこと、奇妙なことなどが載っていて異性装のことばかりではないのですが、ここに「気になる人物だ」という感じで異性装をする人が書かれている。現在の知識で言えば、トランスジェンダーやインターセックスのような人たちを馬琴は書いていたのでしょう。例えば、恰幅が良く、曲げも男髷で、服も男性ものを着ている人物がある日、出産をしたというので町中の噂になった。その人は女性だったんですね。生物学的には。
――男装をして男として暮らしていたんだ。
西:周りが自分を「男」と認識するよう本人も望んでいましたが、あるきっかけで女だとバレて強姦され、子を産んだらしいと。だから本人も望まぬ出産なのに、その人は捕まってしまうんです。一方で、妻子のある男性でありながら丸髷を結って女装して暮らしていた人物は、兄が要職にあり、特に問題行動を起こしそうもないから、当時の人たちの間では「変なやつだな」ぐらいで終わる。
――男装者と女装者で扱いが異なるんですか?
西:今回出展はありませんが同じく江戸の噂話を集めた『藤岡屋日記』に出てくる話では、男性として過ごしていた人物が、出産したことで女性であることが明かされた。こちらも望まぬ妊娠です。この人は窃盗を犯して捕まる。ただ、男装をやめろと言われ、何度逮捕されても改まらないので、結局島流しにあってそこで死亡します。江戸の社会は男尊女卑の世界ですし、女性の男装には厳しかった。同じ異性装でも男女差があっただろうといわれています。
明治の西洋化で、異性装が犯罪扱いに
――明治になると人々の意識が変わります。
西:西洋文化の影響を受けて、異性装は罰せられるようになりました。明治6(1873)年に制定された違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)は、今でいう軽犯罪を取り締まるもので、男女の混浴や刺青の禁止、騒音、落書き、立ち小便をするな、と細かく規定されました。時期は遅れたものの異性装も歌舞伎役者、女性の袴などの一部例外を除いて禁じられます。しかし、生活はすぐには変わりませんから違反者は逮捕され、メディアで報道される。すると、人々の中に「異性装のあいつは違反者だ。罰を与えるべき人間なんだ」と刷り込まれていく。
――人々のなかに異性装は悪いこと、という認識が増殖される。
西:はい。明治初期に日々のスキャンダラスな事件を取り上げた錦絵新聞『東京日々新聞813号』が伝えるのは、日本で初めての戸籍制度ができたときに、同姓で結婚していたことが明かされた夫婦の件です。結婚して3年、妻と思われていた人物が男性だった。〈妻〉は自らが男であることを明かし、ふたりは納得して幸せに暮らしていたのですが……同性同士の結婚は許されないから別れて、男の服を着ろと言われ、〈妻〉の長い髪は強制的にザンギリ頭に刈られてしまいます。
――そんな無慈悲な! いま同性婚の話が出ましたけど、やはり渋谷区の美術館であることも「異性装」を取り上げた理由でもあるんですか?
西:渋谷区は多様性を認め、尊重しあうことを目標に掲げている区ですので、そうした一環であることは確かにあります。また、公立の美術館で今回のようなテーマの展示はあまりないと思いますので、どんどん行っていきたいと考えています。
異性装の現在。そして未来へ
――明治における公的な抑圧が一時期あったものの、日本人が異性装を止めることはありませんでした。
西:不思議なことですが、法的に固く禁じる一方で、国威高揚を目的に日本画が興隆した際には、自国の歴史を表すのにヤマトタケルや神功皇后が描かれてもいました。「これは別」みたいな感じで。芸能などの分野ではむろん異性装を止めることはなく、昭和に入ると少女歌劇が隆盛し「男装の麗人」と呼ばれたターキー人気が沸騰。巴御前や静御前から続く女性の騎士の系譜ともいえるマンガ『リボンの騎士』や『ベルサイユのばら』などでは、過去とは異なり現代的な課題に直面しての心の葛藤も見られ、それが女性たちの共感を呼びました。さらに時代を経て登場した『ストップ!! ひばりくん!』は「男の娘」の元祖ともいえるキャラクターです。
――ひばりくん! リアルタイムで見てましたけど、こんなに時代を先取りしたキャラクターだったとは、当時の小学生のアタマではまったく気づきませんでした。ともかく、展示のフィナーレにかけての異性装のバラエティに目が開かされました。美しいドラァグクイーンたちと共に宇宙へ飛び立て!
西:もともと日本には性差をはっきりしない、曖昧な人であっても受け入れる土壌がありましたが、今の私たちは近代化以降の教育や社会の枠組みで生活するなかで、「異性装」を特殊なものとして受け取る意識が植え付けられています。いま、改めて歴史を見つめ直すこと、これは「あなたはどう思うか?」という問いかけです。観覧する方々と共に考えるきっかけになることを願っています。
展覧会基本情報
展覧会名:「装いの力-異性装の日本史」
会場:渋谷区立松濤美術館
会期:2022年9月3日(火)~10月30日(日)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
入館料:一般1,000円、大学生800円、高校生・60歳以上500円、小中学生100円
※土・日曜日、祝休日・最終週は「日時指定予約制」
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