あの「北欧のフェルメール」が日本に再上陸するらしい・・・。事情通のアートファンから、ハマスホイの大規模展が2020年初頭に再び東京で開催されると聞いたのは、2019年の初春でした。以来、心待ちにすること約1年。1月21日から満を持して東京都美術館でデンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイを特集した展覧会「ハマスホイとデンマーク絵画展」が好評開催中です。
本展では、ハマスホイをはじめ、19~20世紀初頭にかけてのデンマーク近代絵画約90点が集結。世界一幸せな国と言われる同国で大切にされている価値観「ヒュゲ」が反映された温かみのある親密な作品から、ストイックなまでに画面上で静寂さを突き詰めたハマスホイの室内画まで、様々な傑作を楽しむことができました。
今回は、内覧会を取材させて頂くとともに、本展を構成した山口県立美術館の萬屋健司学芸員にお話を伺うことができました。そこで、要所要所で萬屋学芸員のコメントを交えながら、展示のみどころや注目点をたっぷりとレポートしていきたいと思います!例によって、画像は約30枚、文字数は1万字超えの大ボリュームになりましたので、最後までぜひごゆっくりお楽しみ下さい!
それでは早速行ってみましょう!
「ハマスホイとデンマーク絵画展」ってどんな展覧会なの?!
留学生時代からハマスホイを追い求め、構想に約7年かけた凄い展覧会!!
萬屋健司学芸員 近影
ゴッホやルノワール、モネといった、海外からたくさんの絵画作品を借りて開催される都会の大規模展って、企画から開催まで通常3~4年かかるっていいますよね。それだけでも「大規模な展覧会って本当に大変だな」と思ってしまいますが、本展「ハマスホイとデンマーク絵画」展はなんと実現まで約7年かかっているんです!最初に構想されたのは、なんと2013年なのだそうです!途方もない時間がかかっていますよね・・・。
そんな本展の構成にあたったのは、山口県立美術館の萬屋健司(よろずや けんじ)学芸員。萬屋さんは、現在日本でわずか数名しか存在しない、デンマーク語が話せてデンマーク美術に精通している研究者の一人なのです。大学受験の時に「マイナーな言語を勉強したかった」という一風変わった動機で大阪外国語大学でデンマーク語を選び、デンマークでの留学時代にハマスホイの絵と運命的な出会いをしてから、西洋美術史の勉強を開始。当時日本ではほぼ誰も注目していなかったハマスホイやデンマーク美術を研究し続け、いつかは日本でハマスホイをテーマとした美術展を企画してみたいという目標を胸に秘めて学芸員のお仕事を進めてきたそうです。
萬屋:展覧会はもう少し早く実現したかったですね。具体的にはデンマークと日本の国交樹立150周年となる2017年を開催目標にしていました。3年くらいあれば準備できるだろうと思っていたんですが、いざ準備を始めてみたら全然そんなことはなくて、結局2020年まで7年くらいかかってしまいました(苦笑)でも、時間をかけた分良い展覧会になったんじゃないかなと思っております。
それにしても構想から実現まで7年もかかったというのは凄いですよね。私達アートファンがこうやって楽しく展覧会を見られるのも、ひとえに萬屋さんをはじめとする関係者の努力の賜物なのですね!
2008年に開催された「ハンマースホイ展」との違いは?!
さて、そんな「ハマスホイとデンマーク絵画」展ですが、ハマスホイが最初に日本で本格的に紹介されたのは2008年に国立西洋美術館で開催された「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」でした。当時ハマスホイは日本では全く無名の画家だったわけですが、展覧会で彼の作品を見てハマスホイの独特の魅力にハマるファンが続出。最終的には口コミなどで支持が広がり、約18万人ものファンが展覧会に足を運ぶ結果となったのでした。
ちなみに、2008年展と今回の展覧会で、チラシに採用されたメインビジュアルが全く同じ作品なんですよね!
先日のトークイベントで、2008年の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」(国立西洋美術館)と2020年の「ハマスホイとデンマーク絵画」(東京都美術館)のメインビジュアルが、わずかなトリミングの違いを除き全く同じなんです、と仰っていたので、試しに横に並べてみたら本当に同じだった! pic.twitter.com/iId3mT48Ca
— かるび(主夫アートライター) (@karub_imalive) February 4, 2020
では、本展と2008年展の違いはどこにあるのでしょうか?萬屋学芸員に聞いてみました。
萬屋:今回の展覧会はそれから12年ぶりのものになりますが、内容としては前回展がほぼハマスホイの作品のみを取り上げたいわゆる「回顧展」であったのに対して、今回はハマスホイと彼の芸術が生まれたデンマークの文化的背景を紹介したいなということで、ハマスホイだけでなく、19世紀のデンマーク絵画をあわせて紹介するという構成にしました。19世紀のデンマーク絵画を振り返った時に、後のスケーイン派や、19世紀末のハマスホイ世代に影響を与えた存在として、デンマーク絵画史で「黄金期」と呼ばれる19世紀前半の画家たちも重要な存在となるんですよね。だから、展示は黄金期から始まり、スケーイン派、世紀末の画家たちと続いて、最後にハマスホイで締めくくる構成にしています。
展覧会の6つのみどころを徹底紹介!
展示風景
展覧会場では、デンマーク絵画の黄金期である19世紀前半の作品群から、デンマークの北の端に位置する小さな漁師町で花開いた叙情あふれるスケーイン派、そしてハマスホイも活躍した19世紀末の諸作品まで、4章に分かれて作品がゆるやかな時系列で分類展示されています。ここからは、萬屋学芸員のコメントも頂きながら、僕の感じた6つの注目点を順番にご紹介します!
注目点1:レア!デンマーク絵画の黄金期
さて、展覧会の入り口を入って待っているのは、19世紀前半に描かれた肖像画や風景画といった「デンマーク絵画の黄金時代」に描かれた一連の作品群です。
イタリアは16世紀、オランダ、スペインは17世紀、イギリスは18世紀、フランスは19世紀と、それぞれの国で絵画芸術の全盛期は微妙に異なりますが、デンマークにおける最盛期は19世紀前半でした。歴史的に見ると、君主制がゆらぎ近代社会へと移行する混乱期の中で、デンマークは欧米列強との争いに敗れてどんどん領地を減らしていく苦境にあるのですが、だからこそ絵画を始めとする新しい芸術文化が花開く土壌が出来てきたのかもしれませんね。
マーティーヌス・ラアビュー「外科医クレスチャン・フェンガとその家族」リーベ美術館蔵
たとえば、こちらの作品で描かれているのは、いわゆる王侯貴族ではなく裕福な外科医。妻と娘、ペットに囲まれてご満悦な表情です。近代になると、こうした新興市民階級がパトロンとなって画家の活動を支えていくのはある程度各国共通の現象なのですね。
ヨハン・トマス・ロンビュー「シェラン島、ロズスコウの小作地」デンマーク国立美術館蔵
また、この第1章ではある意味デンマークの理想的風景を写し取ったような、叙情的で美しい風景画がたっぷり楽しめます。こうした生き生きとした風景美がたくさん描かれた背景には、19世紀前半を通してデンマーク政府を悩ませたプロイセンとの領土帰属問題があったとされます。鑑賞者の愛国心を称揚するため、デンマーク人の心情に訴えかけるような愛国的な主題を描くことが奨励されたのだとか。
ダンクヴァト・ドライア「ブランスー島のドルメン」ブランツ美術館蔵
確かに、言われてみたらこちらのデンマークの古代遺跡(ドルメン)を描いた作品などは、デンマーク人の心に深く突き刺さる「心の風景画」なのかもしれませんね。同じ頃、ターナーが作品内で好んで取り上げて描いたことによって、それまであまり知られていなかったストーン・ヘンジがイギリス国民全体の歴史的なモニュメントになっていったことを思い出しながら見ていました。
ちなみに、本展で展示されているデンマーク黄金時代の絵画は風景画・肖像画といったジャンルに限定されていますが、同時期にはいわゆる歴史画や宗教画といったアカデミズム的な絵画芸術もちゃんとありました。(今回は、その後ハマスホイらに至る風景画や室内画の流れにフォーカスするため、展示を割愛したとのことです)
注目点2:北の大地でヒュゲな魅力が爆発!スケーイン派の素朴で親密な絵画!
続いて注目したいのは第2章で特集されたスケーイン派の作品群です。デンマーク最北端にある素朴な漁師町スケーインに魅せられた芸術家たちは、1870年代からこの地で芸術家コロニーを形成。この地で活動した画家たちは、「スケーイン派」と呼ばれているんですが、素朴で親しみやすくて、かつ非常に光が満ちた美しい作品が多いんです。
オスカル・ビュルク「スケーインの海に漕ぎ出すボート」スケーイン美術館蔵
これから漁へ出ていく漁師たちの生活風景の一場面を描いた作品です。失われつつある、古き良き伝統的なライフスタイルに対する画家の憧憬がたっぷり詰まった一枚といえるかもしれません。中央に描かれたガタイの大きい顎髭豊かな初老の男性などを見ていると、やっぱり彼らはヴァイキングの末裔なんだなということを強く感じさせられます。演歌が似合いそうな男たちですよね。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア「朝食-画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン」ピアシュプロング・コレクション蔵
また、一方で画家たちは同地における自分たちの日常生活も多く絵にしています。たとえばこちらの1枚は、画家夫妻のもとに訪れた気のおけない友人との朝食風景を描いた1枚ですが、非常におだやかで親密な空気感が流れていて、見ていて心地よい1枚です。まさにこういった作品を、デンマーク人は「ヒュゲ」と表現するのだそうです。
ちなみに、本展でも何度かキャプションで登場する「ヒュゲ」とは、一体なんなのでしょうか。萬屋学芸員にお聞きしてみました。
萬屋:一般的に、「ヒュゲ」とは「くつろいだ」「心地よい」といった言葉のことを指すデンマーク語で、デンマークの社会的・文化的な価値観を表すキーワードとしてデンマーク人にも認識されている大切な言葉なんです。ただこのヒュゲという定義は、人によって、また、時代によって結構違ってくるんですよね。だから、一言でこれがヒュゲだ!と言い表すのは難しいかもしれません。個人的な経験から、どんなシチュエーションが「ヒュゲ」な状態になりやすいのか挙げてみると、たとえば、①自分が馴染んだ空間、②明るすぎない室内環境、③暑すぎず、寒すぎない快適な室内温度、④静けさ、⑤親しい人と一緒にいる空間、⑥美味しい食事、飲み物がある、といった感じでしょうか。
齋藤:では、本展に出展されている作品からヒュゲを感じて見たいと思った人は、どういった作品を見ればよいですか?
萬屋:それなら、第2章のスケーイン派の画家や第3章のヴィゴ・ヨハンスンの作品などを見ていただくといいでしょう。身近な友人との朝食風景、夕暮れの浜辺を散歩する親密な情景、クリスマスを家族で祝う団らんのシーンといったイメージは、現代のデンマーク人にとっても非常にヒュゲなものとして認識されると思われます。こういった作品を通して、デンマーク人が大切にしている価値観を少しでも感じられると面白いかもしれませんね。
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーン・クロイア」ピアシュプロング・コレクション蔵
ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」ピアシュプロング・コレクション蔵
注目点3:室内画が独自発展!世紀末のデンマーク絵画の魅力とは?
そして展示はいよいよハマスホイと同時代の作家達が活躍した19世紀末の作品群に移り変わっていきます。19世紀後半になると、他国同様、デンマークでも旧態依然としたアカデミーに反旗を翻した画家たちによって1882年にアカデミーとは別個の教育機関として「芸術家たちの自由研究学校」が設立されたり、官展に対抗する「独立展」が1891年に組織されるなど、画壇はにわかに活気づいていきます。これによって、印象派・ポスト印象派といった最先端の潮流を取り入れた新世代の画家たちが台頭していきました。
クレスチャン・モアイェ=ピーダスン「花咲く桃の木、アルル」ピアシュプロング・コレクション蔵
たとえばこちらのモアイェ=ピーダスンの作品。ん・・・?!これは桃の木でしょうか?数ヶ月前、上野の森美術館「ゴッホ展」でなんか見たことがあるような、妙な既視感が・・・と思われた方は、筋金入りのアートファンなのかも!そう、この絵は南仏アルル滞在中、フィンセント・ファン・ゴッホと意気投合したピーダスンが、彼と一緒にイーゼルを並べてアルル郊外の桃の果樹園を描いたと思われる作品なんです。ゴッホファンは是非見ておきたい1枚かも?!
ユーリウス・ポウルスン「夕暮れ」ラナス美術館蔵
続いては、夕暮れ前をピンぼけで撮影したスナップショットのような独特の味わいが美しい風景画作品。図録解説に「震えるようなタッチはポウルスン独自の表現である」とあるように、印象派でもなくポスト印象派でもなく、独自の表現スタイルで神秘的な風景美を描いた作品には非常に目を惹かれました。
ギーオウ・エーケン「飴色のライティング・ビューロー」ブランツ美術館蔵
また、もう一つ面白かったのは、19世紀末のコペンハーゲンでは、特に室内画が隆盛したこと。
「今日のコペンハーゲンほど室内画が描かれる場所はないように思われる。少なくとも、コペンハーゲンの画家たちが描くような室内画が描かれる場所はほかにない。」(「ハマスホイとデンマーク絵画」図録P18 より引用)
と、同時代の評論家にも論評されているように、この時期のデンマーク人は、歴史画や宗教画といったアカデミックな絵よりも、生活風景を描いた家庭的な風俗画を好んでいたようです。これは他の国にはないデンマーク独自の傾向として、非常に面白いなと思いました。第4章で出てくるハマスホイを含め、よーく見ていくと作家それぞれで微妙に味わいも違っています。17世紀オランダ絵画にも少し通じるところがあるかもしれませんね。
注目点4:ハマスホイが表現した静寂な世界に浸る!
そして、いよいよ第4章でお待ちかねのハマスホイ作品が登場!本展では人物画・風景画・室内画とバラエティに富んだ約40点が登場。初期から晩年までたっぷりと楽しむことができます。
そんなハマスホイの作品ですが、まずしっかりと目に焼き付けておきたいのが、重要作品でたびたびモデルとして登場する妻・イーダのお顔です。どの作品でも、決して美化されすぎることなく、地味な服装に年齢相応の(中には疲れた)顔つきをしていたり、何となく目線の焦点があっていないように感じられたりと、独特な空気感をまとって繰り返し作品内に登場してきます。
ヴィルヘルム・ハマスホイ「画家と妻の肖像、パリ」デーヴィズ・コレクション蔵
ところで、ハマスホイの絵の最大の魅力ってどのあたりにあるのでしょうか?初心者がまず作品を観る時のポイントを萬屋学芸員から教えていただきました。
萬屋:ハマスホイの作品を最初にご覧になる場合、この絵はここが凄いとか、そういうのを考えないで全体としてまずハマスホイの世界を感じていただくのがいいかもしれませんね。第4章で初期から晩年まで彼の作品を時系列に展示していますが、キャリアを通して良くも悪くも画風が劇的に変わるという画家ではないので、彼の見せたかった静寂な世界に浸って頂くのが一番いいんじゃないかと思います。
ヴィルヘルム・ハマスホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」国立西洋美術館蔵 ※東京展のみ出品
ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内-空いた扉、ストランゲーゼ30番地」デーヴィズ・コレクション蔵
ちなみに、ハマスホイといえば「北欧のフェルメール」とも言われることがありますよね。確かに直感的には似ているなと思える点もあるような気がします。そのあたり、萬屋さんはどういった見方をされているのかお聞きしてみました。
齋藤:ハマスホイといえば、「北欧のフェルメール」などとよく言われますが、そういうイメージを持っていらっしゃる方は多いんでしょうか?
萬屋:「北欧のフェルメール」っていうのは広報用のキャッチコピーですね(笑)でも、確かに同時代からフェルメールの作品と比較されたりはしています。この作品を参考にして描いた・・・といった直接の証拠はないんですが、恐らく確実にフェルメールや、同時代のオランダ絵画を研究して作品を描いていると思われます。そういう意味では決して間違いではないんです。ただ、フェルメールの絵とハマスホイの絵は違っている点も多いので、全面的にフェルメール的なものを期待してハマスホイを見ると、「あれっ?」と戸惑うかもしれませんね。
ヴィルヘルム・ハマスホイ「カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地」マルムー美術館蔵
齋藤:具体的にどのあたりが違うのですか?
萬屋:フェルメールの絵は、静かな画面の中にも様々な寓意・象徴が散りばめられているので、作品内に意味が充満しているんです。でも、ハマスホイの絵は意味がからっぽなんですね。女性や家具など描かれている対象の中に、物語がないんです。また、色味や色の数という点でも、対照的ですよね。赤・青・黄色の三原色をはじめとして鮮やかな色彩が目立つフェルメールに比べると、ハマスホイは圧倒的に色数が少ないんです。だから、北欧のフェルメールっていう表現は、間違ってはいないんだけど、ズバッと言い得ているかというと微妙ですね(笑)
ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内、蝋燭の明かり」デンマーク国立美術館蔵
注目点5:同時代の画家たちとは真逆?!古いものへの憧れが詰まったハマスホイ作品
ヴィルヘルム・ハマスホイ「背を向けた若い女性のいる室内」ラナス美術館蔵
さて、展示のハイライトとなるのが、2008年の「ハンマースホイ展」に続き、本展のメインビジュアルにも選ばれてい「背を向けた若い女性のいる室内」です。作品内に描かれた後ろ向きの女性のモデルは、妻のイーダですね。面白かったのが、絵の中に描かれているお盆とパンチボウルのモデルもちゃんと特定されていること。しかも、本展でその実物が展示されていたことです。
展示風景
ヴィルヘルム・ハマスホイ「背を向けた若い女性のいる室内」ラナス美術館蔵(部分)
特に注目してみたいのが、このロイヤルコペンハーゲン製のパンチボウル。絵の中ではなんだかフタがちゃんと閉まっていないように見えたのですが、実物を見ると、フタには割れた形跡があり、鎹(かすがい)で留めて直した跡があるんですよね。そんなところまで正確に再現していたのかとちょっと感動。
パンチボウル ロイヤルコペンハーゲン 個人蔵
ちなみに、このパンチボウルは本作が描かれた19世紀末のものではなく、それより約100年くらい古い、非常にクラシックなロイヤル・コペンハーゲンの初期作品。ハマスホイは、わざわざ古い骨董品を画面内に配置し、しかも割れた状態を直した形跡がわかるように、わざわざ不完全な状態をそのまま描きこむなど、古いものへの憧れを絵に込めていたのですね。その点について、萬屋さんにもう少し詳しくお聞きしてみました。
萬屋:ハマスホイは、古いものを非常に好んで描きました。自分自身も17世紀や18世紀に建てられた古い家に住んで、古い家具を使って、それを室内画として描いていたんです。恐らくハマスホイと同時代の人は、ハマスホイの室内画を見た時に、現代の家ではないということがすぐにわかったはずなんです。
齋藤:印象派、ポスト印象派の画家たちが鉄道や都会風景など新しいものや現代社会を好んで描いたのとは真逆だったんですね。
萬屋:そうですね。ハマスホイは、彼らとは対極にあるような、古いものばかりを描いていた画家でした。そういう意味で、彼の特異性は当時の人たちにとっても非常に際立っていたんじゃないかなと思います。しかも、古いものに対する好みは、画業の初期から一環していたんです。古いものに囲まれた自宅の室内こそが、ハマスホイにとっての「ヒュゲ」な空間だったのでしょうね。近代化を賛美する人がいる一方で、当時のデンマークでは古い空間や伝統が亡くなっていくことを惜しむ人も多くいて、ハマスホイと同じような感性を持っていた人たちは彼の描いた作品に対して、ちょっと郷愁を帯びた懐かしさというか、心地よさを感じていたんじゃないかなと思います。
注目点6:ハマスホイから影響を受けた仲間たちの作品も!
第4章ではハマスホイが切り開いた独自の絵画世界を楽しむことができましたが、実はこうした静寂な空間を大切に描いたのは、ハマスホイだけではありませんでした。ノスタルジーを感じさせる調度品、静寂で落ち着いた色調の室内風景、ストーリー感に乏しい画面など、ハマスホイほど禁欲的でないにしても、彼から影響を受けた同時代の画家たちもハマスホイと同傾向の室内画を多数描いています。
ここで特に注目したいのが、前述した「芸術家たちの自由研究学校」でハマスホイと共に学んだカール・ホルスーウとピーダ・イルステズの二人。特にハマスホイと作風が似ており、ハマスホイも含めてこの3人の芸術的な価値観はかなり近いところにあったのだなと実感するはず。1980年代以降、世界的にハマスホイ作品の再評価が進む中、彼らの作品群もまた注目度が増しているといいます。
カール・ホルスーウ「読書する女性のいる室内」アロス・オーフース美術館蔵
カール・ホルスーウ「読書する少女のいる室内」デンマーク国立美術館蔵
図録(P22)によると、実際にハマスホイ、ホルスーウ、イルステズの3人は、1914年3月9日付の地元紙「ユランズ・ポステン」に”灰色の画家たち”というタイトルで、まとめてこう評価されています。
「3人〔ハマスホイ、イルステズ、ホルスーウ〕は皆、デンマーク人のある一面を捉えている。それは上品に調和した限られた数の色彩、白や薄い金メッキが施された額縁に収められた、控えめな印象を与える絵画、マホガニーあるいは樺材の古い家具などによって、ヒュゲな雰囲気を創出したいという渇望である」(「ハマスホイとデンマーク絵画」図録P22より引用)
このように、当時の評論家からもこの3人は非常に作風が近い存在であると認識されているのですね。
ピーダ・イルステズ「アンズダケの下拵えをする若い女性」デンマーク国立美術館蔵/窓際で家事をする女性が着ている服が、フェルメール作品で頻出するイエロー!フェルメールファンなら思わずニヤリとしてしまうはず?!
なお、イルステズやホルスーウもまた、ハマスホイ以上に「北欧のフェルメール」と形容したくなるようなフェルメールに雰囲気が近い作品を制作しています。ぜひ探してみてくださいね。
独特の味わいがあるデンマーク絵画。お気に入りの1枚を探してみよう!
いかがでしたでしょうか?ハマスホイやその同世代の画家たちの作品を中心に、19世紀デンマーク絵画を通覧できる、非常に面白い展覧会となりました。最後に、萬屋学芸員にハマスホイ作品についてまとめていただきました。
萬屋:ハマスホイの創作活動の根底には、伝統に対する敬意と、それとは違う時代に生きている自分自身の美的感性に対する自信のようなものがあるように感じます。昔の家屋や家具を描いてはいるんですが、決して昔のものとして描いてはいないんですね。あくまでも、現代に生きる自分の表現として昔のものを取り入れて描いているんですね。伝統に対するリスペクトを忘れず、自分自身の新しい表現を追求する姿勢なども、彼の絵から感じ取っていただければ嬉しいです。
萬屋学芸員が、7年かけてじっくり作り上げた展覧会「ハマスホイとデンマーク絵画」。本展では、詩的魅力あふれる「ヒュゲ」な室内画から、禅的な静けさを体現したハマスホイの作品まで、本当に見ごたえのある作品が出揃いました。デンマーク近代絵画の面白さをたっぷり感じてみてくださいね!
展覧会基本情報
展覧会名:「ハマスホイとデンマーク絵画」
(東京展)
会期:2020年1月21日(土)~3月26日(木)
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になる場合があります。
会場:東京都美術館(〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36)
(山口展)
会期:5月26日(火)~ 6月7日(日)
会場:山口県立美術館(〒753-0089 山口県山口市亀山町3-1)
展覧会公式HP:https://artexhibition.jp/denmark2020/