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2019.09.17

えっ、これを墨だけで描いてるの!絵師の巧みな技とともに水墨画を解説!

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掛け軸や襖絵などのイメージがある水墨画。最近は、気軽に通販などでも購入できるような、身近な存在になってきました。歴史や技巧を知ると水墨画はもっと楽しめる! 尾形光琳や仙厓義梵、伊藤若冲などが描いた10点以上の作品とともに水墨画のことをちょっと知ってみませんか。

水墨画とは?定義は?

水墨画(すいぼくが)とは、中国で唐代に成立したといわれている墨で描く絵画の様式です。墨を使って、線だけではなく面的に使った表現やぼかしを用いることで、画面に濃淡・明暗を表す点が大きな特徴。また水墨画では、絵師が捉えた物体の本質を主観的に描くことが重視されており、再現描写を重視する西洋画のように、光源を固定した背景を描かない点も特徴のひとつです。これらのことから古くから中国では「墨に五彩あり」といわれています。名絵師の手がけた水墨画をじっくり眺めていると、無彩の中に豊かな色彩が潜んでいるように見えてくることでしょう。

水墨画の歴史

唐の時代、中国で始まった水墨画

中国大陸では殷の時代に既に墨が使われており、墨を使った絵画も漢の時代には存在したとされています。唐の時代に入ると、墨の濃淡で表現する絵画がつくられるようになり、水墨画は唐の後半に「山水画(さんすいが)」の技法として成立しました。

鎌倉時代後期、日本に到来

水墨画が日本にもたらされたのは、中国の禅宗文化を積極的に学ぼうとした鎌倉時代後期のこと。墨の濃淡だけで精神世界を表現した禅宗美術は、武士の心に通じることから人気を集めます。その担い手となったのは禅僧。中国の牧谿の絵を手本にすることから日本の水墨画は始まりました。

室町時代、禅文化と共に発展

室町時代になると足利将軍家の庇護を受けて禅宗文化が花開き、雪舟等楊の登場によって日本オリジナルの水墨画が完成されます。
DMA-雪舟 山水図【後期】雪舟等楊「山水図」一幅 紙本墨画 88.3×45.6㎝ 室町時代 香雪美術館 重要文化財

その系譜は雪舟に私淑した雪村周継らに受け継がれ、絢爛豪華の画風がもてはやされた桃山時代以後も水墨画は重要な画法のひとつとして学ばれます。
DMA-呂洞賓図雪村周「呂洞賓図」一幅 紙本墨画 119.2×59.6㎝ 室町時代 大和文華館 重要文化財

桃山・江戸時代の水墨画

桃山・江戸時代は、大画面金碧(きんぺき)障壁画の成立に大きく寄与した水墨画。長谷川等伯の傑作「松林図」や宮本武蔵、文人画に影響を及ぼす一方、仙厓が得意とした即興の禅画へと発展。滋潤な墨色のなかに日本的情感を盛り込むことに成功した俵屋宗達、尾形光琳などもこの時代に活躍しました。

水墨画を描いた日本の画家(絵師)たち

雪舟等楊

応永27(1420)年に備中国(現岡山県総社市)に生まれた雪舟。48歳のころ中国に渡ったことを機に、日本の水墨画を革新していきました。ちなみに国宝に指定されている6点は、どれも60代半ばから晩年に描いた作品です。

NB09-123-05四季山水図(「山水長巻」 部分) 雪舟 国宝 文明18年(1486) 紙本墨画淡彩

こちらは雪舟67歳のときの作品。約16メートルの長大な巻物に、四季の移ろいとともに山水が展開。近景を強調する形式は、中国・南宋時代の宮廷画家、夏珪の影響を受けていますが、手の動きが見えてくるような奔放な筆致、手前の真っ黒な墨のベタ塗り、要所に注した朱、緑、青などの鮮やかな色遣いは、中国絵画の模倣にとどまらない雪舟ならではの魅力です。

俵屋宗達

生没年不詳。その前半生は謎に包まれたままですが、絵屋を営み自宅で茶会を催していた記録から、裕福な町衆だったといわれています。俵屋という名は、扇絵や屏風絵などの下絵を制作販売する「俵屋」を営んでいたことからつけられたもので、絵師として知られるようになったのは、芸術家・本阿弥光悦が自身の書の下絵を宗達に描かせたことがきっかけでした。

墨一色なのに子犬がほわほわ!? 俵屋宗達の水墨画 5つの秘密俵屋宗達「犬図」一幅 紙本墨画 江戸時代・17世紀 90.3×45.0cm 個人蔵

琳派の祖である俵屋宗達は「たらし込み」の技法を発案し、金や銀に彩られた、華やかなイメージが強い琳派のイメージを一新しました。

長谷川等伯

天文8年(1539年)に能登国七尾(のとのくにななお)に生まれた長谷川等伯。絵仏師となり、30代前半に一念発起して京を目ざします。等伯は画力に並々ならぬ自信をもっていたのですが、絵の仕事を得たくても狩野派の厚い壁にことごとく跳ね返され、何度も砂を嚙むような思いを味わっています。

長谷川等伯長谷川等伯「松林図屏風」(左隻)国宝 六曲一双 紙本墨画 桃山時代(16世紀末)各156.8×356.0㎝ 東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

等伯の代表作である「松林図屏風」は謎の多い水墨画のひとつ。静寂の情景といわれているものの、そのタッチは非常に荒々しく、紙の継ぎ目がところどころ合っておらず、構図が不安定に見えます。左隻を例にとると、3扇と4扇の間のちょうど中央にあたるところがずれていて、紙継ぎを正しく合わせると下の画像のようになりますが、
これでは地面の高さにずれが生じるため、本来はこの間に絵があったのではないかという説もあります。真相は松林図に描かれているような霧に包まれたままです。

長谷川等伯

尾形光琳

万治元(1658)年、京の呉服商「雁金屋(かりがねや)」の次男として生まれた尾形光琳。若いころは、親の遺産で放蕩三昧。30代後半には金を使い果たし、借金をしながら絵を描き始めました。華やかな琳派を代表する作品で有名な絵師ですが、晩年には水墨画も描いています。

尾形光琳画・尾形乾山作「銹絵山水文四方火入(さびえさんすいもんよほういれ)」1口 江戸時代中期(18世紀)縦11.5×横11.6×高10.9㎝ 大和文華館蔵

ちなみに尾形光琳は、雪舟の絵の模作に熱心だったようで、弟の乾山がつくった器に絵付けをした「銹絵山水文四方火入」は、雪舟の筆致にならったものといわれています。

仙厓義梵

美濃の農民の子として寛延3(1750)年に生まれた仙厓。仙厓は禅僧の最高位である紫衣(しえ)を受理することを3度も断っています。その理由は式にかかる費用があれば伽藍修復に充てるため。決しておごらず、気負わず、偉ぶらず、修行に励む仙厓は、町衆から「博多の仙厓さん」の呼び名で親しまれ、隠居後は禅画を描いて欲しいと頼まれれば決して断らず、武士にも町民にも分け隔てなく接していたと伝わります。

かわいい禅画の二大巨匠! 白隠と仙厓の人生を追う仙厓「犬図」

DMA-○△□仙厓「○△□」一幅 紙本墨画 28.4×48.1㎝ 江戸時代後期(19世紀) 出光美術館

伊藤若冲

平成になって人気が爆発したレアな絵師、伊藤若冲。江戸時代も中期に入った正徳6(1716)年、伊藤若冲は京都・錦市場(にしきいちば)の青物問屋「桝源(ますげん)」の長男として生まれました。絵師となる者は専門教育を受けるのがほとんどであった中で、若冲は独学で道を開き、85歳で亡くなるまで筆は衰えませんでした。そんな若冲ですが、豪華絢爛な作品だけでなく水墨画もいくつも描いています。

若冲代表作伊藤若冲「象と鯨図」六曲一双 紙本墨画 寛政7(1795)年 各159.4×354.0cm MIHO MUSEUM

琳派・若冲・狩野派、水墨画の技を比較

日本美術を代表する絵画といえば水墨画。墨一色の世界は、皆似たように見えるかもしれません。しかし3枚並べてみるとどうでしょう。モノクロームだからこそ、筆さばきや個性の差がくっきり見えてきます。

俵屋宗達「蓮池水禽図」のにじみ・ムラに注目

水墨画国宝 一幅 紙本墨画 桃山時代・17世紀前半 116.0×50.0cm 京都国立博物館

琳派の創始者・俵屋宗達作「蓮池水禽図(れんちすいきんず)」。白蓮の咲く水面に2羽のかいつぶりが遊ぶ…夏の朝独特の優しい空気感を伝える、詩情豊かな作品です。過去の水墨画を見て「美しいけれど、高尚でとっつきにくいなあ」と感じてしまった宗達。得意技のたらし込みで蓮の葉をやわらかく描き、「親しみやすい水墨画」を打ち立てました。白くみずみずしい蓮の花は、墨の塗り残しで表現。水に濡れた鳥の羽毛も、墨の微妙な濃淡を駆使して優美に描いています。

水墨画宗達の「たらし込み」。墨のにじみやムラによって蓮の葉のやわらかさを表現

伊藤若冲「野晒図」の塗り残しに注目

水墨画一幅 紙本墨画 寛政6(1794)年 100.8×58.3cm 西福寺 画像提供:京都国立博物館

野ざらしにされたドクロというパンクな1枚は、伊藤若冲の作。「ドクロと肋骨が土の上に浮かびあがるように見えたらカッコいいはず! 」と考えた若冲は、輪郭を描かずドクロと肋骨のかたちに墨を塗り残すことで、土の上に骨だけが白くぽっかりと浮かびあがるように描きました。このカッコよさはモノクロームならでは! 若冲の魅力でもある奇抜な形を際立たせるのは、色彩画よりむしろ水墨画なのです。本作品で若冲は、画面上部に大きな余白を残しましたが、現在は歌人・香川景樹(かがわけいじゅ)の和歌が別紙で付されています。

水墨画若冲は輪郭を描かず「墨の塗り残し」で主題を描写

狩野永徳「花鳥図襖」の筆致に注目

水墨画国宝 十六面のうち四面 紙本墨画 桃山時代・16世紀後半 各175.5×142.5m 聚光院 画像提供:京都国立博物館

一般的には静謐(せいひつ)な印象の水墨画ですが、狩野永徳の水墨画は力強くてスケールも大きい! 梅が描かれている上の作品は、「花鳥図襖」16面のうち、東側(春)の4面です。実物より大きな巨木が、襖の枠を突き破るように幹や枝を伸ばし、荒々しく勢いのある筆致も狩野派流。絵の豪快さを強調しているようです。曲がりくねる巨木のかたちは、永徳晩年の名作 国宝「檜図屏風」と相似形ですが、画面に余白がある本作のほうがぐっと落ち着いてみえます。画面一部に金泥でやわらかな光を描き、心地いい空気感を表現しているのです。

水墨画永徳は荒々しい筆致で巨木の勢いを強調

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※記事中の画像は、過去の「和樂」掲載記事を再編集したものです。