みなさん、近代西洋画の巨匠、パブロ・ピカソが不思議なデザインの陶芸作品をたくさん作ってるって知ってますか……? ピカソの陶芸作品は、ピカソの絵画に負けず劣らず、ユニークなフォルムや色遣いで、見ているだけで楽しくなるような作品ばかり。
そんなピカソの陶芸作品を専門にした美術館「ヨックモックミュージアム」が2020年10月に東京・南青山にオープンします。今回は、摩訶不思議なピカソの陶芸がどのように生み出されたのか、「ヨックモックミュージアム」開館記念展『ピカソ:コート・ダジュールの生活』のゲスト・キュレーター松井裕美さん(神戸大学国際文化学研究科准教授)にお話を伺いました。
松井裕美(まつい・ひろみ)
東京大学大学院修士号取得後、渡仏。パリ第10大学博士号取得。パブロ・ピカソを中心とする、フランスの前衛美術を研究。主著に、『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会)など。他著訳書多数。2020年に和辻哲郎賞を歴代最年少で受賞。現在、神戸大学国際文化学研究科准教授。
ピカソの陶芸とは?
──まず、油彩画の巨匠であるピカソが陶芸も作っていたというのは、あまり知られていないですよね。ピカソはどのくらいの時期に陶芸を制作していたのですか?
松井:ピカソが陶芸を本格的に始めたのは、第二次世界大戦の後でした。ピカソにとって暗く辛い時代だった戦争がようやく終わり、1946年の夏、ピカソは恋人とヴァカンスで南仏へ海水浴に出掛けたんです。そのついでに、ピカソがヴァローリスという陶器の町を訪れたのが始まりで、ピカソはそこでラミエ夫妻に出会います。彼らは「マドゥラ工房」という陶芸の工房を経営していて「私たちの窯で、一度陶芸を作ってみない?」とピカソを誘い、その時にピカソがちょっと土をこねて陶器を2~3点作ったんです。ピカソはその作品を気に入って、本格的に陶芸を始めようということになり、翌年の1947年には早速ヴァローリスに移り住んで、1947~48年にかけては、数百点もの陶器作品を作りました。
──さすがピカソ……凄い行動力ですね。しかも、いきなり数百点も作品を制作したんですか! アグレッシブすぎる……!
松井:そうですね。ただ、基本的にピカソの陶芸作品は、まず陶工がお皿や水差しの形を作り、それにピカソが手を加えて作品を完成させていました。形をひねって水差しを女の人の形にしたり、鳥の形にしたり。あとは、それに絵付けをしたり……。ピカソの陶芸は、陶工たちと一緒に作品を作るというコンセプトで制作されていたんです。
──え……女の人の形……? 鳥の形……? すみません……、ちょっと想像が……。
松井:こんな感じです。
(画像拝見)
──きゃ~! えっかわいい……!! ピカソの陶芸めちゃくちゃかわいいですね……!!
松井:そうなんですよ! 今見てもすごくかわいらしいですよね。でも、大変申し訳ないのですが、ピカソの作品は版権の関係で写真を掲載するのが難しくて……。
──えぇー!(涙)
松井:写真ではないんですけど、こちらの動画でピカソの陶芸作品が見られるので、こちらを見ていただけますか……?
こちらは、スペイン大使館が発信している動画で、以前大使館でヨックモックコレクションの展覧会が開催された時のものです。ですので、この動画の作品は現在ヨックモックミュージアムに収蔵されています。
──動画のご紹介ありがとうございます……! うわ~ピカソの陶芸どれも面白いですね。ピカソの陶芸は、ピカソの創作活動の中でどういった位置付けだったんですか?
松井:難解な作品が多いピカソの絵画と比べて、陶器はテーマや様式の「わかりやすさ」がすごく意識されているのが特徴です。テーマも明るくて親しみやすいものが多く、神話の登場人物や食べ物、動物など彼が好きだったものが登場します。
また、陶器は絵画と違って、自分一人の力で作るのではなくて、陶工たちと一緒に働きながら作るというスタイルなんです。これは、ピカソを「一人きりで閉じこもって難しい絵を描いている芸術家」というそれまでの姿から脱却させました。ピカソが一緒に制作していたマドゥラ工房では、高級な陶器ではなく安い日用的な陶器が作られていたのですが、あえてそういう工房と一緒に働くことをピカソは選んだんですね。それは、ピカソが陶芸を通して社会や民衆の文化に関わろうとしていたからだと思います。
──当時、芸術家が地方の窯とコラボすることはよくあったんですか?
松井:例えば、その前の時代に、マティスとかルオーも陶芸に手を出していたのですが、それは芸術に近い高級品ラインのものだったんです。前衛的で著名な芸術家が名もなき地方の職人とコラボレーションして、民衆的な陶器を作ったのはピカソが初めてです。ピカソ以降、芸術家たちが地方の職人と手を組むという動きが流行り出しました。そういった意味では、日本の民藝運動にもちょっと似ているところがあって……。
──えっ日本の民藝運動*ですか!? 意外です……! 詳しく聞かせてください。
ピカソの陶芸と民藝運動の共通点……?
松井:日本の民藝運動は1920年代半ばに柳宗悦らが始めた運動ですが、ヨーロッパでも1930~40年代に、「地方の職人の手仕事を見直そう」という動きがあったんです。地方の窯巡りなんかも流行っていて、雑誌で「職人の手仕事」みたいな特集が組まれることもありました。実は、その流れを汲むのがピカソを陶芸に誘ったラミエ夫妻。彼らのような人たちが、地方の窯で小規模な職人たちの集団と日用的な陶器を作る民衆陶芸みたいなものを始めていたんです。この辺りの動きは、民藝運動にも似ていて、ピカソもその影響を受けていると思います。ピカソと民藝運動は様式こそ違いますが、突き詰めていくとやろうとしていたことは同じようなことだったのではないかと思いますね。
──なるほど。ピカソはヨーロッパ版の民藝運動のようなムーブメントの中で陶芸を作っていたんですね。やはり、工業製品が増えていく時代に、手仕事や地域の固有のものを見直そうという動きは出てくるんでしょうね……。
松井:また、日本の民藝派の作家たちは様々な地方の伝統を取り入れるけれども、あえてそれを模倣するのではなく、自分の創作の一部にするというようなところがありますが、ピカソの陶芸にもそういうところが見られます。ピカソの作品にインスピレーションを与えた陶器を実際にいくつか見ていきましょう。一つ目は、こちらです。
──えぇ……か……かわいい……(笑)。インパクトありますね……! これは何ですか?
松井:こちらは、1525〜50年頃に作られた「イスパノモレスク」という中世スペインの様式のお皿です。イスラム美術の影響で唐草模様が全体に描かれていて、真ん中にダイナミックなフクロウが描かれているんですが……。
──えっ!? フクロウ……これ真ん中のがフクロウなんですか!?
松井:はい、フクロウが王冠を被っているらしいです(笑)。これ自体何ともかわいらしい作品ですよね。この「イスパノモレスク」に影響を受けてピカソが作った作品がいくつかあるんですが、その一つがこちらです。
──(画像拝見)えぇぇ!?(笑) さっきのお皿と同じで真ん中に鳥が描かれてますが、だいぶん様子が違いますね。これまた、かわいいですねぇ!
松井:大きさは一般的なイスパノモレスクのお皿と同じ大体40~45cmぐらいで、真ん中のところがちょっと窪んでいる形もイスパノモレスクと同じです。モチーフにフクロウや鷲などの動物を扱っているところも本家同様なんですが、ピカソが作ると模様の描き方や顔のおどけた感じにピカソらしさが宿っていますよね。元々のイスパノモレスクも十分面白いんですけど、ピカソはその面白さを活かしつつ、自分の作品として作り変えているんです。
二つ目の陶器は、こちらです。
──鳥の形ですよね……? かわいらしい。かなり古そうですが、いつ頃のものでしょうか?
松井:現在のイタリア半島で、紀元前350~325年頃に作られた「アスコス」というスタイルの陶器です。取っ手の付いたアヒルの形で、土器の上に細かい絵付けがなされています。
──これが紀元前のものなんですか! すごい高い技術ですね……。
松井:そう思います。このタイプの陶器を元にしたピカソの作品が……こちらです。
──(画像拝見)えぇっ!? 人の頭に変わってる……! でも、確かに、よく見ると形は同じですね……。
松井:そうなんです。ピカソの作品では、アスコスの鳥の形は残しつつも、なんと絵付けで女の人の頭部にしてしまっているんですよ。形としては古代のものを参照にしているんですけど、ピカソ風にアレンジしているんですね。
──なかなか大胆なリメイクですねぇ……。
松井:最後はこちらです。
──うわーこれも面白い形ですね! 持ちやすそう。しかも、何ですか、この図柄……、坂道を走ってる人が描かれているんですか……?
松井:はい、これはモチェ文化という紀元前後~7世紀のペルーの文明のもので、儀礼に用いていた酒器なんですが、英語では「Runners bottle」と名付けられているものです。この種の器のユニークな形を元に、ピカソが作った作品があるんですが、こちらは先ほどの動画にもちらっと映っていますね。(冒頭動画1:12頃。手前から二つ目の作品)ピカソの作品では、この形を人の頭に見立てていて、四面に人の顔が描かれているんです。
──うわぁ。本当ですね……。この形を見て顔を描こうと思ったあたり、ピカソならではですねぇ……。こういった元ネタになっている作品は、今私たちが見ても「面白いなぁ」と感じますが、ピカソもこれらの作品を見て「面白いなぁ」と思ってインスピレーションを受けたんでしょうか……。
松井:そうだと思います。こういったものは、確かに作られた当時はとても価値の高いものだったんですが、ピカソの時代まで下ると、いわゆる「芸術作品」とは区別されていました。当時は、例えば古代ギリシャ・ローマの大理石の彫刻の方が価値があるとされていたんです。でも、ピカソはあえて高級で価値があるとされてないものからインスピレーションを受けて陶器を作っていたんですよ。古いものの中でも一般的なランクとしては下の方にあるジャンルの物もどんどん作品に取り入れていった。そういうスタンスは、民藝派の作家と通じるものがありますよね。
──なるほど。民藝派の作家たちも地方の窯の食器やイギリスで日用品として使われていたスリップウェア*を作品に取り入れたりしていますもんね。
松井:また、ピカソは工房に作品の複製を許可していたんです。数は限定していましたが、陶工がオリジナル作品を複製して量産化できるようにしていました。これらは、オリジナル作品に対して、「エディション作品」と呼ばれています。ピカソはインタビューで、「自分の作品が市場で売られたり、女の人が水を汲むために使ったりしているところを見てみたい」と言っています。実際、1950年代の初頭には、まだピカソの陶器を土産物感覚で買うことができたそうです。ピカソの絵画はその頃既に何千万、何億円としていましたが、あくまでも陶器は、一般の人でも手に取ることができるものとして作られていたんですね。
──民藝派の作家でも、自分でデザインして職人に作ってもらう、という形で量産化を試みていた人たちがいたらしいですね。なるほど。ピカソの陶芸のスタンスが段々分かってきました……。ピカソは陶芸で、芸術的な才能は活かしつつも、鑑賞用のアート作品ではなく、人々の手に渡って使われていくようなものを職人さんたちと一緒に作っていたんですね。
松井:そうですね。ピカソは戦後、「芸術家はもうちょっと社会に向けて発信する姿勢が大切なんだ」ということを言っていて、そういう思いが陶器制作に関わったことにも反映されていると言われています。ピカソの作品をきっかけにアートが変わり、陶芸もまた変わっていきました。ピカソの陶芸は、アートと工芸の新たな出会いを作ったと言えるでしょう。
世界有数のピカソの陶芸コレクションが日本に!
──ヨックモックミュージアムには、何点くらいのピカソの陶器作品が収蔵されているんですか?
松井:約500点収蔵されています。これは世界的に見ても多い方だと思います。制作された頃には、民衆的な作品として作られたピカソの陶器作品ですが、現在ではピカソ独特の遊び心が溢れるアートとして高く評価されています。ヨックモック・コレクションはそうした貴重な作品から成るコレクションです。
──時期的には万遍なく所蔵されているんでしょうか?
松井:ピカソはヴァローリスから引っ越した後も南仏周辺に住んでいて、車でヴァローリスの工房に作品を運んでは焼く、という形で晩年まで陶器を制作していました。ヨックモックミュージアムには、ごく初期の作品からピカソの晩年の作品まで、年代もモチーフも万遍なくそろっています。
──洋菓子メーカーのヨックモックさんがピカソ作品をコレクションされているのは以前から伺ってましたが、これほどたくさんの陶器作品を収集されていたとは知りませんでした。お菓子も器もどちらも「食」を楽しむものという共通項がありますもんね。初回の展覧会(『ピカソ:コート・ダジュールの生活』展)を松井さんがゲスト・キュレーターとして監修されていますが、どのような内容になっているのでしょうか?
松井:第1回目の展覧会ということで、ピカソの陶器作品の魅力とその歴史的背景をわかりやすく伝えるような展示構成にしています。ピカソの陶器作品は明るい雰囲気のものばかりなのですが、それは、ピカソが陶器の制作を始める直前に経験した戦争中の体験を癒すような意味もあったと思います。また、ピカソはそうした体験を踏まえて、人々と共に働きながら、「平和な日常生活が続いていくように」という願いを込めた作品を作ろうとしました。今回の展覧会では、作品の魅力とともに、そうした時代背景も併せてお伝えできればと思っています。
──なるほど、ピカソにとって、陶芸は戦争で傷付いた人々と自分自身をアートの力で癒すという意味合いがあったんですね……。今回のお話をお伺いして、ピカソの陶芸は、ピカソの全貌を知りたいピカソファンはもちろん必見ですが、今まで「ピカソの絵は難しい」と思っていた方にも肩の力を抜いて、彼の魅力を知る手がかりとなる作品だと感じました。ヨックモックミュージアムで、実際にピカソの陶芸と出合えるのがとても楽しみです!
ヨックモックミュージアム概要
2020年10月25日(日)にオープンする日本初のピカソ陶器作品を中心に展示した美術館。様々な企画展を通して、ピカソの陶器作品500点を始めとしたピカソコレクションを展示する。美術館1階には、ヨックモックグループのハイエンドブランド「アン グラン」のスイーツも楽しめるカフェ「カフェ ヴァローリス」を併設。また、小さな子どもから大人まで楽しめるアートプログラムやアーティスト・研究者によるトークセッションなどさまざまなイベントも開催予定。
住所:東京都港区南青山6丁目15-1
開館時間:10:00-17:00(最終入館は16:30)
休館日:月曜日、年末年始、展示替期間(ただし月曜日が祝日の場合翌平日休)
アクセス:東京メトロ表参道駅B1出口から徒歩9分
公式webサイト:https://yokumokumuseum.com/
開館記念『ピカソ:コート・ダジュールの生活』展
開催期間:2020年10月25日(日)~2021年9月26日(日)
料金:一般 1,200円、大・高・中学生 800円、中・小学生以下無料