豆皿への招待状
「豆皿」は、いにしえから各地でつくられていた最も小さいサイズのお皿です。なりは小さなものですが、これほど、愛らしく親しまれている器はありません。
豆皿の楽しさは、何よりその小ささにあります。しかしながら、小さな器、ミニチュアの皿とはいえ簡単につくられたものではなく、大きな器と同じ工程でつくられていて、何ひとつ省かれた作業はありません。古教照心(こきょうしょうしん)で受け継がれてきた技がうかがえ、当時の職人の腕の確かさや手間を惜しまぬ丁寧な仕事ぶりが見てとれます。また、生き生きと、時にはみ出して描かれた線は、技術だけでないつくり手の個性やおおらかさも感じさせます。
手のひらにのる小さな皿をじっと見てみると、日本のやきものは世界に誇れるものだとあらためて思います。無地、全体柄、左右対称の柄が多い西洋の器に比べて、日本の器は白地のなかに図柄がわずかに存在し、アシンメトリーの柄であるものも多く見られます。これはかな文字文化に似ており、描き手にとっては文様というより画(え)を描いている気持ちなのかもしれません。白地のなかに少しだけ図柄が存在する余情の美、余白の美を好んだ控え目な日本人の心根をうかがわせます。
文様のなかには、空、風、緑、水、生き物、人生とかかわりのあるおめでたき柄などがあり、春夏秋冬の情緒から生まれた文様は無尽蔵にあります。時にはまだ見ぬ憧れの動物としての象や獅子、想像の世界で思いめぐらすパロディ化した図柄、西洋に憧れた文様など、個性豊かな意匠も数限りなくあります。そして変形皿が多いというのも豆皿ならではの楽しさです。
豆皿には、小さいながらつくり手の遊び心が存分に発揮されています。食器としての用途にこだわらなくとも充分に存在感をはなってくれます。一枚でしみじみ眺めるのも良し、何枚も並べて使うのも良し。遊び心を満足させながら楽しんで使うといったところでしょうか。以前はどうやって今に生かそうと知恵と工夫を絞ったものでしたが、今はこの愛しきものたちがただそばにあるだけでも嬉しく、本当に癒されています。
遊び心と可愛らしさに魅かれる豆皿がありましたら、まずは手に取り、ゆっくりとご覧になってみてください。かくも小さきその姿のなかに、美しさや静けさ、卓越した技術や遊び心など、日本のさまざまな文化が宝箱のように詰まっていることが、少しずつ感じていただけることと思います。
骨董の豆皿に本来〝良し悪し〟はありません。ご自分が好きと感じるもの、なんだか魅かれるもの、その感覚でお持ち帰りになり、ぜひお使いになってみてください。物を見て愛でる気持ちが起こる、それこそが骨董の魅力です。
お月さまの描かれた豆皿を手に入れると、ふと、見上げた夜空も変わることでしょう。なんと楽しく豊かなことでしょうか。物には、物以上の力があるのです。
二百年、三百年と残ってきたものは、それだけで貴いと思います。そのなかから、ご自分にとっての愛しいものを、ぜひ見つけてお帰りください。(文・貴道裕子)
豆皿の楽しみ方
小さいけれど立派です
小皿の半分程度、直径数センチという小さな世界に、日本の美と技が凝縮されている豆皿。手描きの古伊万里焼が多く残っていますが、型紙などで柄をプリントする印判や、織部焼や京焼、珉平焼、白磁や青磁なども。各地でさまざまな手法によって生産されました。
横顔にも愛らしさが
食器棚や飾棚にふと目をとめたとき、積み重ねられた器の側面、横顔が美しかったら…。所有する喜び、集める楽しさは、収納時にも感じることができます。骨董店でもぜひ真横から見てみて。つくり手の美意識は、横顔にもさりげなく生かされています。
表裏で異なる絵柄も
表の絵柄が裏面まで続いたり、すっきりと無地、あるいは窯名(ようめい)が描かれているだけなど、裏の表情もさまざまで楽しいもの。また、写真の豆皿のように表は山水画、裏には宝尽くしと、表裏で異なるモチーフが描かれたものも。裏もじっくりと見る価値あり。
手描きの妙が魅力!
手のひらより小さいキャンバスに、呉須(ごす)や色絵具で手描きされた染付や色絵。揃いのものでも一枚一枚に違いがあるところが魅力。なかには「描き忘れ?」なんてものがあったりも。良し悪しは感性で判断してよし。じっくり比べて好みの一枚を手に入れて。
貴道裕子さん収集の豆皿は「てっさい堂」で購入できます!
京都の美術商の家に生まれ育った貴道裕子さんが営む「てっさい堂」は、古伊万里を中心に器を広く扱う骨董店。なかでも豆皿の数はほかに類を見ない。箱売りが常だった器の一枚売りは、「日常で使って骨董の魅力を知ってほしい」という貴道さんのアイディア。
住所 京都市東山区古門前通大和大路東入ル元町371-3