今、絶滅の危機に瀕する、美しき日本伝統の工芸品
最先端技術やアニメばかりでなく、伝統工芸の高度なわざや美しさもまた、世界中から熱い視線を集める国、日本。根気強さと繊細な感性が生み出す職人わざは、世界的に高い評価を得ています。しかし、つくり手の現場に目を向ければ、決して楽観できる状況ではありません。高齢化、後継者不足、需要の伸び悩み…。私たちの誇りともいうべき日本の伝統工芸が、かつてない危機を迎えています。ここでは特に、ぜひとも未来につなげていきたい、華ある稀少工芸をご紹介します。ご存知ですか?こんなに美しい日本の手仕事があることを…。
秋田銀線細工(あきたぎんせんざいく)
白白と発光する純銀のレース模様。透かし彫りではなく、編みでもなく、じっと見れば縄縒りした銀線で文様を構成しています。金工の世界では平戸と呼ばれる技法で、16世紀の前半、南蛮船により平戸(長崎県)に伝播。異国情緒あふれる技法は人気を呼び、各地に広がりましたが、現在は秋田県のみに。
「指先とピンセットの地道な仕事ですよ」とは、秋田銀線細工の名匠・進藤春雄さん。
小さなパーツをくるくる巻いてつくっては枠に寄せて溶接する、その繰り返しで生まれるモチーフは、熱で膨張と収縮を繰り返す銀の狂いを念頭に置いて進めなければいけません。使われる銀線は0.2㎜から1.2㎜という細さ。東北人の粘り強さがあってこそ、他に類例ない繊細さの極みに達したのでしょう。
簪や武具の装飾として発展し、近代はアクセサリーを中心に。戦後の一時は活況を呈したものの、時代の変化により次第につくり手は減少。そんな中で進藤さんは、美術品として通用する作品を目ざしました。高度なわざが生きる造形とは。進藤さんの作品は、ひとつの答えだと気づきます。
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木版摺更紗(もくはんずりさらさ)
インド発祥の更紗に世界中の人々は熱狂。やがて、各国に独自の更紗染めが誕生します。
日本では、小紋や浴衣に使う伊勢型紙による和更紗。堺、京都、長崎、江戸で盛んにつくられましたが、佐賀の鍋島藩のみ、一子相伝の特殊な技法による鍋島更紗を考案し、献上品として保護します。
「木版と型紙を併用する更紗です」とは、鈴田滋人さん。片手で持てるサイズの木版ブロック数種で、きもの地に2000回、3000回と墨色の輪郭線を繰り返し押して地模様を構成、さらに色数分だけの型紙を使い彩色する気の遠くなるような作業。この技法は明治の廃藩後も続けられたものの、採算度外視の工程から生まれる布は、いつしか姿を消すことに。しかし。
「鍋島更紗の秘伝書が昭和34(1959)年に発見され、私の父・照次が十数年の歳月をかけて復活させました」その遺志を継いだ鈴田さんは、さらに現代の工芸として工夫を重ね、平成20(2008)年、木版摺更紗の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。「最小限の型で、最大限の表情を生み出す面白さを追求しています」鍋島更紗独特の墨色の線が淡々とリズムを刻みます。
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古法トンボ玉(こほうとんぼだま)
トンボの目に似ているからと、その名は日本独特ですが、歴史ははるかメソポタミアやエジプトの古代文明に遡ります。日本では正倉院宝物が最古で、すでに飛鳥時代にはガラス製造技術があったと推察されるものの、いつしか途絶えてしまいました。
下って江戸時代初期、オランダ人により再び伝えられたトンボ玉とその技術は〝玉作り〟と呼ばれ、長崎から、京都、大坂、そして江戸へと広まります。特に盛んだったのは大坂。藤村トンボ玉工房は当時の技法を唯一受け継ぐ大阪の工房で、二代目の藤村眞澄さんは、「大阪の住吉神社には、江戸後期に玉作りの職人たちが寄進した大灯籠があります」と、当時の隆盛を偲びます。
「炭火は、色ガラスづくりに必要なんです」ドーナツ形した炉の直径10㎝ほどの穴から立ち上る火力で、クリスタルガラスに顔料を混ぜて色ガラスをつくること。独自の色出しにこだわると、「バーナーの細い火でなく、この炭火なんです」と藤村さん。
「コントロールできない炎の強弱も味わいを生み出していると思いますよ」最古で最良の技術により、古くはメソポタミアから近くは江戸までの古作を参考に、存在感ある品々をつくり続けています。