Craft
2017.12.28

ミキモトの真珠の秘密とは?日本の美意識を讃えたハイジュエリー誕生の物語。

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「ミキモト」のジュエリー製作工場として明治時代に誕生した「ミキモト装身具」。その技術の粋を極めた壮麗なティアラは、1世紀以上にわたり引き継がれてきたクラフツマンシップの集大成といえます。約30名の職人が1年以上かけて完成させた、匠の技の結晶である”La Flore de MIKIMOTO (ラ フロール ドゥ ミキモト)”ティアラ。このハイジュエリー誕生の物語を、和樂INTOJAPANオリジナルの解説動画とともにお届けします。

「十年もかかりたる仕事故(ゆえ)、花の咲き方大なり」

1893年に半円真珠の養殖に成功した御木本幸吉翁でしたが、それを真円にするにはさらに10年以上の歳月を要しました。1905年、ついに真円真珠の養殖にも成功した幸吉翁は、「十年もかかりたる仕事故、花の咲き方大なり」という言葉を残しています。その不屈の精神は、ジュエリー製作においても変わることはありませんでした。

ロイヤルジュエラーへの道のり

1902年、英国国王エドワード7世の戴冠式のために訪欧した小松宮彰仁親王殿下は、「ミキモト」の養殖真珠を携えてパリの宝飾店を訪れ、見事な装身具に加工して持ち帰ります。それらを拝謁した御木本幸吉翁は、その細工の素晴しさに感銘を受け、養殖真珠を自らの手で一流のジュエリーにして世に出すことを決意したのでした。

DMA-1951(昭和26)年頃、多徳の真寿閣にて真珠の計量を行う幸吉(93歳頃)(輝き6105)三重県志摩の多徳(たとく)養殖場にある御木本幸吉翁の住まいだった「真寿閣(しんじゅかく)」。1951年、そこで真珠の計量をする93歳の幸吉翁。

1907年、かねてより仕事を依頼していた錺職の工房を職人ごと買い取ると、「ミキモト」の製作部門を担う「御木本金細工工場(現・ミキモト装身具)」を創設。わずか9名で発足した工場は、日本が誇る金属工芸の技に西洋の先端技術を巧みに融合し、独創的な宝飾技巧を確立していきました。今も「ミキモト」のジュエリーを華麗に彩る、角形のカット石を隙間なくはめ込んだ“カリブル留め”や粒状の装飾が美しい“ミル打ち”も欧米から取り入れ、発展させた技法です。すでに世界進出を見据えていた幸吉翁は、職人を海外派遣するなどして、さらなる技術の向上に努めました。

工場「御木本金細工工場」は1907年の創設翌年、拡張のため築地から内幸町に移転。2013年に「御木本貴金属工場」と改名された。

そうして1915年、「ミキモト」は大正天皇即位の大典にあたり、貞明皇后の胸飾りの製作を承ります。その2年後には、初のティアラを製作。ティアラはどの角度から見ても美しく、それでいて軽く、機能的である必要があります。それには熟練の技と経験を要し、宝飾の本場パリにはティアラ専門の工房が存在するほど。皇族の礼装用装身具がほぼ外国製だった時代、「ミキモト」がその製作を依頼されたことは、高度な技術が認められたことの証しでもありました。

1924年1月、「ミキモト」は前年に起こった関東大震災を乗り越え、皇太子だった昭和天皇のご成婚において、妃となる良子女王殿下のティアラをはじめとする婚礼用装身具一式を製作し、期日までに完納。同年、「ミキモト」は宮内省御用達の金看板を賜り、ついに正式な“ロイヤルジュエラー”となったのでした。そんな「ミキモト」にとって、ティアラは今も特別なジュエリーであり続けています。

フランス語で「花の女神」を意味する“La Flore”と名づけられたティアラ

m1000650完成には、約1年以上もの歳月が費やされた。“La Flore de MIKIMOTO(ラ フロール ドゥ ミキモト)”ティアラ[アコヤ真珠(約5.5~9.75㎜)✕ピンク&ホワイトダイヤモンド計106.76ct✕WG]参考商品(ミキモト)

「この“花の女神”をイメージしたティアラは、ルネサンス期のイタリアを代表する画家、ボッティチェリが描いた『ヴィーナス誕生』や『春』にインスピレーションを得てデザインされました。揺れ動く花やリボンの立体的な造形で、それらの名画のなかに描かれた“やわらかな風”を表現しています」と、“現代の名工”であり、「ミキモト装身具」の名誉マイスターである秋場邦彦さんは語ります。

DMA-247_0013.MXF.08_06_20_24.Still001_Color_1.1.1糸鋸(いとのこ)で金属からパーツをひとつひとつ切り出す作業。

また、このティアラは「ミキモト」が誇る細工技術の集大成といえるもの。“カリブル留め”、“ミル打ち”、“ケシ定め”といった伝統技のほか、極小のバネによって花びらが繊細に揺れる“トレンブラン”といった専門の職人による高度な技巧も使われています。花はリアルな質感を表現するため、花びらと花芯をパーツごとに製作し、組み立ててひとつに。花の裏側にも葉がセッティングされ、360度どこから見ても美しい、立体感のあるティアラに仕上げました。

DMA-2016-0929 0025.MXF.13_00_20_23.Still001_Color_1.3.1ケシパールをやすりで擦って面をつくり、地金に隙間なくセットしていく“ケシ定(き)め”。

DMA-845_0083.MXF.15_22_47_24.Still001_Color_1.2.1数種類のタガネを使って地金の縁に微細な粒を彫刻する“ミル打ち”。

デザイン画からモデリングと呼ばれる銀製の模型をつくり、完成までの陣頭指揮をとった秋場さんは、その制作にあたり、高度な職人技を後世に伝えたい一心だったと言います。

「ティアラは婚礼用のものを製作していますが、ここまでの大作を手がけられる機会は極めて稀少。若い人に技術を継承する良い機会でもあるので、まさに工場一丸となって取り組みました。製作に携わった職人は20代から60代まで約30名で、パートごとに担当。伝統の細工技術とコンピュータによる最新のCAD技術を駆使し、約1年以上かけて完成しました。伝統と先端技術を融合させていく。それこそが、ミキモトならではのスタイルだと思っています」

「ミキモト」の創業者である御木本幸吉翁が目ざした、欧米に引けをとらない日本独自のクラフツマンシップ。それは1世紀以上の歳月を経て、今まさに大輪の花を咲かせたといえるでしょう。

問い合わせ先/ミキモト カスタマーズ・サービスセンター 0120-868-254

文/福田詞子 撮影/唐澤光也(パイルドライバー) web構成/久保志帆子
※文中のWGはホワイトゴールド、ctはカラットを表します。