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2023.07.13

失われたモノが確かにそこにあった証。日本刀の「今この時」を記録した押形の世界

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日本刀は武器。それはその通りなのだが、それだけにとどまらない複雑な役割を、かの美しき鉄器は日本史上長きに渡り担ってきた。
文化財としての日本刀について、東京両国の刀剣博物館・井本悠紀(いもと ゆうき)学芸員に伺った。

刀剣博物館の展示傾向が変わった?

―― 現在開催中の企画展『日本刀 記録の系譜 ―記録の歴史と記録されたモノたち―』(※2023/7/30まで)は、これまでにない構成、初展示資料が盛りだくさん、と刀剣好きの間で大きな話題になっています。少し前から刀剣博物館の展示の傾向が変わってきたように思うのですが、こうした変化の意図や狙いはどのようなところにあるのでしょう?

井本学芸員(以下、敬称略):石井彰(いしい あきら)学芸部長と私がタッグを組んで企画を出し始めたのが、2019年10~12月に開催した『日本刀の見方パートⅡ(地鉄)』からですので、変化を感じられたということであればその頃からかもしれません。日本刀の表だけではなく裏側や刀剣にまつわるウラの世界にも注目して展示した『日本刀のオモテ・ウラ』展や、刀剣や刀装具の奇抜な造形にも着目した『日本刀の造形』展なども2人で担当しました。今回は私が単独で担当したのですが、これは過去に発表した論文がベースになっています。「押形(おしがた)」という記録(拓本)があるのですが、刀剣を知る上で大変重要な役割を果たしているものです。この押形を通して、文化財としての日本刀をより多くのかたに考えてもらえたら、というのが今企画に繋がりました。

刀剣博物館(公益財団法人日本美術刀剣保存協会)・井本悠紀学芸員。展示室内は紙資料保護のため、照明が通常より暗く落とされている(画像は明度調整加工済)

井本学芸員作の刀剣押形(パネル部分)。上にかけられている刀身を描き写したもの

―― 考える、ですか。

井本:はい。もちろん私個人の考えはあるのですが、それが絶対的な解答ではありません。みなさまが展示を見て、家に帰ってからまた考えるようなきっかけが作れたら、と。

―― たしかに、博物館を出た後にじっくり考えるということをしてこなかったかもしれません。

井本:展示をみて完結することも必要なのですが、今回は、なぜなのか、どうしていくべきなのか、といった「問い」を投げかけてみたいと思いました。

―― なるほど。キャプションに解答が書かれていないものがいくつかありましたが、そうした意図だったのですね。あれを読んで、ん? と思って、その1つ前の作品に戻ったりしました。

井本:まさにそれが狙いです。展示室の中で行ったり来たりしてほしいと思ったんです。見事に引っかかってくれました(笑)

―― 気持ち良いくらいに引っかかりました(笑)

展示を見て考えるって、あまり経験がないかもしれない。

キャプションが質問で終わっている。これも今展示の特徴の1つ

展示室内で解説が溢れ出す井本学芸員。「止めないといつまでも喋りますよ」と笑った

文化財としての日本刀を知ってほしい

―― 今回の企画テーマとして、文化財としての日本刀、という視点があると思うのですが、武器という側面も持っている刀を、どう捉えていけばよいのでしょうか?

井本:とても難しい問題です。そこも含めて考えていただける企画にしたいという意図もありました。刃物という側面があることは間違いないのですが、日本刀は古くから鑑賞対象や宝物として扱われてきました。どうしても武器という要素のみがクローズアップされがちですが、別の要素があるんだ、ということを我々学芸員が伝える努力をしていく必要があるのだと思います。「博物館」にはそういう役割があるのだろう、と。

刀って怖いイメージでしたが、初めて展示された日本刀を見た時、あまりの美しさに印象が変わりました!

―― 鎌倉時代の絵巻物に貴族が太刀を鑑賞している姿が描かれていますし、三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)や石上神宮(いそのかみじんぐう)に祀られる霊剣フツノミタマ、武将や大名の刀剣コレクションなど、単なる武器にとどまらない日本刀の姿を垣間見ることができますね。

押形もまた歴史を背負った文化財

井本:押形は日本刀という文化財を記録したものなのですが、これ自体が「記録の方法の歴史」です。ちなみに、現存最古のものは鎌倉時代末期に始まり書き継ぎを重ねられた『観智院本銘尽(かんちいんぼんめいづくし)』とされます。押形を見ていくと、どこに着目して、どこを重視していたのか、また、技法から世の中の動きを知ることもできます。たとえば、初期の押形はフリーハンドで形もとてもざっくりしていますが、この時代には細かな部分は重視されていなかったのであろうことが窺い知れます。そこから現在まで、記録の方法はどう変わってきたでしょう?

押形の存在を知りませんでした!そんなに古くからあるのですね。

―― それもまた今回のテーマ「考えてもらう」ですね!

井本:押形が残されていたからこそ、現存しない刀の存在が証明できるといったケースもありますし、押形から刀身や拵(こしらえ。刀身を保護する鞘や装具)を復元するといったことも行われています。また、記録というのは記録されたその当時の姿、「その時の今」をうつすものですから、記録と現在とで異なっているようなケースもあります。

―― こちらの安綱(やすつな)のようなケースでしょうか。

太刀 安綱。押形では茎(なかご)の穴が2つだが、その後、もう1つ穴が開けられた

井本:はい。現在では写真やスキャナーなどを駆使した撮影法も出来てきましたし、様々な記録の可能性があると思います。写真のほうが向いている、あるいは押形のほうが向いている、などもありますから、目的や部分に合わせた使い分けもできます。

井本:押形は、とてもアナログで技術も時間もものすごく必要なものなのですが、画像技術の発達した現在でも非常に有効なんです。日本刀に深く興味を持つ上で、「よく分からない」ことが大きな壁になっているように思うのですが、これは見る角度や個人の目の習熟度(見慣れているかどうか)などによって見えるものが異なるというのが原因の1つだと感じています。押形は白黒の平面図で、角度によって見えなくなるものもすべて描いているため、複数の人が同時に同じものを見ることができる。ですから、友だちと一緒に押形と刀身を見比べながら楽しむ、ということもできるんです。

―― 押形でなければできない役割ですね。

井本:分かる人でなければ分からない、では、やはり広がっていかないと思うんです。そこの工夫もまた我々学芸員の役割なのだと思っています。

「いつ何が起きるか分からない」文化財保存の難しさ

―― 日本刀を保存・継承していく上で、刀ならではの難しさというのもあるのでしょうか?

井本:錆びやすい、傷付きやすい、といった面が素材の特性としてありますが、日本刀ならではということでは、たとえば家から刀や槍などが出てきたけれど扱いが分からない、怖い、置いておきたくない、といった話をよく聞くことでしょうか。ただ、その気持ちは分かるんです。武器という要素は否定できませんし、大きくて鋭い刃のついた刃物ですから、怖いと思っても不思議はありません。ですから、売買や譲渡もできる、ちゃんと手続きをすれば法律違反にもならないんだ、といったことを、我々関係者がしっかり広めていかないといけないのだろうと。日本の文化財である刀剣を「残す」ということがとても重要なのだと思っています。

―― 自然災害もこのところよく耳にします。

井本:豪雨や地震・火災など、刀剣に限らず文化財は「いつ失われるか分からない」状況に常に置かれています。無論、そうならない対策を最大限に行っているのですが、不可抗力に見舞われることも少なくありません。記録はそうして失われたものがこの世に存在した証ともなっています。

―― ちょっと切なくなってしまいます……。災害とは少し違うのですが、かつて日本刀に悲劇の時代があったと聞きます。

井本:戦後の赤羽刀騒動ですね。いま赤羽刀は戦争の記憶を残す歴史遺産としての価値をもっています。今後、赤羽刀の展示活用といったことも考えていきたいですね。

文化財を保存・継承していくために、できることをやりたい

井本:日本刀はとても魅力的です。そして、いろいろな楽しみ方があります。今、若い女性を中心に刀剣人気が高まっていますが、すべての世代・層に興味を持ってもらえる取り組みにも挑戦しています。たとえば、刀の手入れを実際にやってもらうワークショップも過去に行いました。これは日本刀を自分で所有する際に必須の作業ですが、やってみて、コツさえ掴んでしまえればそんなに難しくなくて時間もかからないんだ、と知ってもらえたのではないかと思います。また、小さなお子さん向けに、紙に暗闇で光る刃文(はもん。刃先に焼き入れをした時にできる模様)を描いてみよう、というワークショップも行いました。

『刀剣乱舞』などがきっかけで、若い世代の日本刀の人気も、持続している気がします。

―― 漫画やアニメ・ゲームなどの中にも日本刀はよく出てきますし、観光地のお土産物でも模造刀や木刀は定番商品です。潜在層はけっこう多いのかもしれません。

井本:本物の刀剣に興味を持ってもらって、そこから文化財保存の次世代の担い手がたくさん育っていくといいなと願っています。明治・大正・昭和を生きた河瀬虎三郎(かわせ とらさぶろう)という人がいるのですが、河瀬ははじめ刀剣を深く研究して、途中で持っていた刀剣をすべて手放して茶人になるんです。西日本を代表する刀剣愛好家「偉風堂(いふうどう)」と大茶人「無窮亭(むきゅうてい)」が同一人物の河瀬虎三郎だということはあまり知られていませんが、この河瀬のように、現在では独立した分野となりつつある刀剣と古美術の世界を繋げて捉えていくことも大事なことと、思っています。

河瀬虎三郎の描いた押形

―― このかたはどうして刀剣から離れたのでしょう?

井本:それは分かっていません。ただ、残された資料を見る限り、興味を失ったとかそういった理由ではなかったように思います。「刀で鍛えあげた目があれば他の美術工芸品がわかるようになるのに苦労がいらない」と言ったそうですし。

―― 刀の世界はそれだけ深いということですね。

井本:その分、見た人それぞれの中で世界観が広がっていくような可能性を秘めているのだと思います。見せ方や視点を工夫していきたいですね。

―― 本日は長時間に渡ってお話しいただき、ありがとうございました。

「日本刀 記録の系譜―記録の歴史と記録されたモノたち―」 展覧会情報

展覧会名称:日本刀 記録の系譜―記録の歴史と記録されたモノたち―
会場:刀剣博物館(東京都墨田区横網1-12-9)
会期:2023年6月3日(土)~7月30日(日)
開館時間:9:30 ~ 17:00 (入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合開館、翌火曜日休館)
入館料:大人 1,000円 会員 700円 高校・大学・専門学校生 500円 中学生以下無料
※大人20名以上の団体は会員価格
展覧会サイトhttps://www.touken.or.jp/museum/exhibition/exhibition.html  

取材協力:公益財団法人 日本美術刀剣保存協会
文・撮影/ あきみず

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。