カウンター越しに差し出された丼を受け取り、前歯でくわえた割り箸を空いた方の手でさいて勢いよく麺をすする。そばやうどんの立ち食い店でおなじみのそんな光景はやがて見られなくなるかもしれません。カウンターに置かれた箸入れから割り箸が少しずつ姿を消し始めているからです。
日本古来の作法や美意識を伝える
器の上でウロウロさせる迷い箸、入れたままで器を引き寄せる寄せ箸、突き刺して食べる刺し箸-。箸にまつわるマナーやタブーは少なくありません。
日本の食文化とともに歩んできた箸には、食事をするための単なる道具ではなく、その使い方を通して日本古来の作法や美意識などを伝える役目があります。
割り箸は作法の点で塗り箸よりも格上とする考え方もあります。客人をもてなす際に割り箸を使うのは、それ以前に使った人がいないことを示す何よりの証(あかし)というわけです。
1964年の東京五輪の前には、割り箸を使うことが国策として励行されたそうです。食べる人が使う直前に自分で割るという仕掛けは、不特定多数の人々が国境を越えて集まる一大イベントにおける衛生対策として好ましいと判断されたのでした。
後醍醐天皇が普及を後押しした?
吉野杉で知られる奈良県吉野地方で箸の卸売業を営む吉井商事社長の吉井照雄さんによると、割り箸を広めたのは南北朝時代の後醍醐天皇でした。
南朝の皇居が置かれていた西吉野(現在の奈良県吉野郡下市町付近)から献上された杉箸の美しい木目と芳香を喜ばれた後醍醐天皇はことのほか吉野の杉箸を愛用されたといわれています。この史実から、吉野は割り箸発祥の地と考えられています。
江戸時代の寛政年間のころには割り箸の製法も改善され、寛政8年には吉野杉で作った酒樽の端材を用いた割り箸づくりが考案されました。今日のリサイクルの考えがすでに芽生えていたといえるでしょう。
安政年間になると、千利休が考案した「利久箸」の生産に携わったことで、下市町はその名を一層高めました。こうして、特産の吉野杉を用いた箸作りは地場産業となりました。
割り箸が使われなくなった2つの理由
しかし、近年は「安全よりもコストが選ばれたことのしわ寄せで国産割り箸の需要が落ち込み、外食産業で箸のランクを下げたり、樹脂箸や塗り箸に切り替えたりする動きが本格化しました」(吉井さん)。
特に、高級割り箸の大口需要家であったホテルや料理屋の方針転換は大きな影を落としました。吉井さんによれば、割り箸が減ってきた理由は2つあります。
1つ目は、材料となる木を切ることは森林破壊につながるという考え方があること。2つ目は、割り箸は使い捨てだからもったいないという見方が広まってきたことです。いずれも安全やコストに対する捉え方の変化が関わっています。
間伐材を使うことで山の自然を守る
割り箸に対するこうした捉え方について、吉井さんは「国産の割り箸を使うことは環境を守ることにもつながる」と力説します。
箸の材料には混みすぎた林の立ち木を抜き切りする際に出る「間伐材」が主に利用されています。ですから、使える木を無駄使いしているのではありません。建築材の柱を作る時にできる端材も使われています。このことから分かるように、吉野地方の割り箸作りは森林破壊とはまったく関係のない営みなのです。
「間伐は残された周りの木の成長を手助けします。結果的に、間伐材を使う箸作りは緑の資源を守り育てる意味があるのです」と吉井さんは訴えます。
東海道五十三次に描かれた山の秘密
「安藤広重の東海道五十三次に描かれている山には禿(はげ)山が多いんです」。吉井社長は浮世絵を例に引いて吉野杉を誇ります。吉野杉の誇りとは何か。吉井社長によると、世界で初めて植林が試みられたのが吉野でした。1501~04年(文亀年間)のことです。
もともと杉や桧の天然林に恵まれた吉野で植林が行われたのは、使える木々がほとんど伐採されてしまったためでした。奈良に都が築かれたのに伴って膨大な材木が必要とされたからです。
他の地方でもこの時期の事情は同じです。しかし、他の地方が山をそのまま放っておいたのに対し、吉野ではせっせと植林に励みました。つまり、安藤広重の浮世絵に描かれる山の様子は吉野以外の地方の天然林乱伐の物言わぬ記録となっていたわけです。
一膳の値段よりも全体のコストを考える
割り箸が使われなくなった理由の2つ目、つまり、使い捨てだからもったいないという意見に対する吉井さんの考えは明快です。
「樹脂箸や塗り箸は繰り返し使えるので確かに便利です。しかし、洗うための水や洗剤などにはお金がかかります。割り箸一膳の値段よりも全体のコストを考えることが大切です。洗ったときの排水が環境に及ぼす影響にも目を向けるべきではないでしょうか」
工芸品の風格が漂う最高級品も
吉野杉箸の種類は細かく分けると50近くに及びます。その中の代表的な品種が「小判」「元禄」「利久」「卵中(らんちゅう)」などです。小判は長さの半分まで切り込みがあり、断面が小判形なのでそう呼ばれています。
元禄は割りやすくするための溝が全長にわたってほどこされています。最も多く出回っている種類です。
利久は細く削った両端に割りを入れ、真ん中でつながっているもの。発音すれば分かるように利休箸に由来します。しかし、「休」という字を嫌って「久」に改めたとされています。
吉野箸で最高級とされる杉赤柾卵中。目の詰まり具合はこの箸の命
卵中は利久を最初から割り、帯封で留めた最高級品です。初めから割れているものの、帯封で留められているので割り箸とみなされます。わずかな量しか取れない赤柾(あかまさ)を使った「杉赤柾卵中」は希少価値の高い逸品。一膳3000円近いものもあります。食事の道具を超えた工芸品の風格が漂っています。
吉野の杉箸はこうして作られる
割り箸の産地は吉野だけではありません。材料さえあればどこででも作ることができます。では、吉野杉の割り箸は他産地の製品とどこが違うのでしょうか。
すでに触れたように、下市町の割り箸作りは酒樽を作るときに出る端材の有効利用から始まりました。今日、吉野杉の原木の用途は酒樽から建築材に変わったものの、製材した後に残る外側の部分(背板)だけを活用する手作業は時代を超えて受け継がれています。
割り箸の素材となるのは、背板の中から木目や艶、形、割れ方のくせなどを吟味して選ばれたものばかり。他産地の多くが量産に狙いを定めて機械化を進めているのに対し、下市町の製箸業者のほとんどは手作業を貫いています。
その製造現場を見てみましょう。
杉箸の材料置き場。間伐材の端材が一定の長さに揃えられている
▼柾引き1
端材をスライスする工程。回転鋸の反対側から箸の厚みになった板が姿を現す
▼柾引き2
次々にスライスされた後、下にたまった材料。落下は自然の力に任せる
▼目合わせ
小切り面を滑らかにする工程。木の質に応じて力の入れ具合を加減する
▼削り
目合わせした材料を数本分束ねて削る。この時点ではまだ板の状態である
▼小割り
箸の原型である木地を縦方向に割る工程。ようやく箸らしくなる
▼仕上げ
何十本か並べて一気にカンナをかける。全体をひっくり返して裏面も同様に削る
向かって右から、小割りしたままの状態、一方だけ削ったもの、両方削ったもの
▼面取り
カンナをかけられた箸に一本ずつ四面を削って屋内作業は終了。この後、天日で乾かす
▼完成
背板だけを巧みに加工して一本一本手作りされた吉野の杉箸。伝統に裏打ちされた丹念な手仕事で独特の風合いを引き出す
杉ならではの香りと手ざわり、口当たり
吉井さんは「同じ食事の道具でありながら、箸は器よりも口に触れる機会が多い。独特の香りと手ざわり、口当たりのある杉箸で炊き立てのご飯を口に運んだ時の味は別物です」とその素晴らしさを強調します。
地域の業者と共に進める割り箸の普及活動には、日本の食文化を担うという心意気と覚悟が秘められているようです。地道な活動の苗はやがて、大きな樹林のように育つでしょう。心を込めて植林された吉野杉のように。
◆吉井商事
住所:奈良県吉野郡下市町阿知賀2718
公式サイト : www.yoshiishoji.com