2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主役、そして次の1万円札に肖像が採用された、実業家の渋沢栄一。彼の異名は「日本近代資本主義の父」なのですが、皆さんはこのフレーズを耳にしてどう感じますか? 正直、私は「日本近代資本主義の父っていうくらいだから、儲けは出せるけど金にがめついオッサンなんだろう」くらいに思っていました。ところが、実際に渋沢栄一の活動を追ってみると、「どうしてそこまでするの?」と言いたくなってしまうほど社会奉仕活動に熱心な人物だったのです。
アフターコロナの時代、日本も不況に突入していくのかもしれません。そんな時、増加するであろう「困っている人」をどこまで、どうやって社会が助けるのかは重要な問題になってきます。では、果たして渋沢栄一はなぜ社会奉仕活動に心血を注いだのでしょうか。その答えには、今を生きる私たちが学ぶべきエッセンスが含まれています。
身内を助け、敵を助け、社会を助けた
栄一が助けた相手や組織は、あまりに数が多すぎて列挙するのが難しいほど。その中でも、個人的に印象に残った「身内」「敵」「社会」に対する姿勢を見てみましょう。
まず、栄一の従兄に渋沢成一郎という人物がいました。栄一と成一郎は幼いころから行動を共にし、明治維新後は二人とも実業家の道を歩みます。ところが、栄一曰く「投機的」な男であった成一郎は、実業家として堅調に成果を上げていく栄一とは対照的に事業で2度も大損失を出してしまいます。
1度目は栄一が借金の尻ぬぐいをしたのですが、2度目はさすがの彼も呆れ「別に自分が痛い思いをするわけではないから、そのまま無視してもよかった」と後に回顧しています。しかし、一方で「昔から生死を共にした間柄の成一郎を捨て置くのは惜しい」と考え、「成一郎が商売から手を引くこと」などを条件に借金の清算をしてやったのです。結果、成一郎の会社は息子の渋沢作太郎が継いだのですが、作太郎には経営の才能があり、会社を見事に立て直しました。
お次は、栄一が敵を助けた話に移りましょう。栄一が王子製紙の取締役会長を務めていた時のこと、同社に出資していた三井から藤山雷太という人物が経営の監視役として派遣されてきました。従来の三井は栄一にある程度経営の裁量を任せていたのですが、この頃には三井が栄一に代わって主体的に経営を行おうと考えていたといいます。結果、藤山は三井側の意向を受けて、栄一に対し「王子の社長を辞めてくれないか」と告げます。藤山曰く「栄一は王子を生涯の居場所と考えていたこともあり、すこぶる機嫌が悪かった」ものの、藤山の言葉通り組織を去りました。しかしながら、そんな藤山も三井との不和から王子を去り、不遇な身の上になってしまったのです。一方、当時の栄一は疑獄事件の渦中にあり、社長の酒匂常明が拳銃自殺をする惨状にあった大日本精糖を再建するにあたって重役を探していました。そこで白羽の矢を立てたのが藤山。彼は栄一の依頼を受諾し、「すべての持てる力を発揮」して会社の立て直しに成功したのです。
最後は、国や自治体と対立しても見捨てなかった東京養育院という組織について。成り行きで生活困窮者を支援する東京養育院の院長就任を依頼された栄一は、「養育院にかかわることは実業家として不利でしかない」と考えながらも「社会のため」として依頼を引き受けました。
本業の傍らではあるものの熱心に運営を行った栄一でしたが、資金を提供した東京市(現在の東京都)議会で「公金を使って困窮者を助けるのは、いたずらに怠け者を増やすだけ」として経営廃止論が採択されました。それでも、栄一は「必要なことは、たとえ公的支援がなくてもやり遂げる」と決意し、巧みな手腕で寄付金を集めていきました。こうして社会の支持を得た養育院は後に東京市へと返還され、公共事業の成功例となりました。ちなみに、栄一は生涯院長の職を務め続け、どれほど忙しくても月に1回は養育院を訪れたといいます。
渋沢の掲げた「道徳経済合一説」
上記で栄一の社会貢献についてはよく理解できたと思いますが、いったいなぜ彼はここまで世のため人のために尽くしたのでしょうか。その根源には、栄一の掲げた思想「道徳経済合一説」があります。最近だとオリエンタルラジオの中田敦彦さんが「Youtube大学」で栄一の自伝『論語と算盤』を取り上げていたので、すでにご存じの方もいるかもしれません。
栄一の思想を一言で言えば「経済と道徳はどちらが欠けてもダメなんだ」ということになります。
例えば、お金を稼ぐ際に道徳的な心得がないと、全く社会のためにならない稼ぎ方になってしまいます。まさに「ウィズコロナ」の時代に痛いほど実感できる考え方で、「マスクの高額転売」「新型コロナウイルス対策をうたった医学的エビデンスのない医療品」「社会不安につけこんだ情報商材の押し売り」などなど、例を挙げれば枚挙にいとまがありません。加えて、栄一はなにも「汚い方法で金を稼ぐな!」と道徳の教科書のように説教してくるわけでもないのです。彼に言わせれば「あくどい稼ぎ方は社会全体で対策されがちなので、長期的な稼ぎにならない」と、実業家的な視点からこれを戒めています。言われてみれば、最近でもマスクの高額転売は法律で規制され、生産機能の回復によって供給過多になってしまいました。彼の言葉が100年たっても価値のあるものであることを端的に表しています。
また、栄一は「道徳だけがあって、経済を顧みないのもNG」と説きます。が、私たちは基本的に「無償の奉仕」と言われると好印象を抱きがちで、経済を無視してひとえに道徳心だけで動くのは良いことのようにも思えます。こうした考えに対し、彼は「だって、結局お金がなかったら救えるものも救えないでしょ」と反論します。これもまた現実として確かで、仮に私が「アフリカの子どもたちを救いたい」と考えたとしても、いまの財産では大したことができないでしょう。一方、もし栄一が同じことを考えれば、私より数億倍の貢献ができるはずです。そして、栄一に言わせれば「社会全体が豊かになれば、結果的に自分も得をする」という結論に至るのです。
「世のため人のために動く」という考えは誰もが一度は触れ合うものですが、私はここまで合理的な「社会奉仕の精神」を見たことはありませんでした。私自身が自他ともに認める極端な合理主義者ということもあり、彼の思想はたいへん共感できるものです。
合理的な社会奉仕と、思考の柔軟性は見習いたい
栄一の掲げた「合理的な社会奉仕」という考え方は、まさにアフターコロナの時代を生きる私たちが自分ごととして捉えなければならないものでしょう。現に感染症の影響で困窮する人たちの姿が各種メディアでも報道されており、日本政府に、地方自治体に、何より私たち自身に「支援活動」の是非が突き付けられる状況。「どこまで困窮者を支援するか」という考えは人それぞれだと思いますが、栄一の言葉を借りれば「社会奉仕は合理的なもの」なのです。そのことを踏まえたうえで、支援活動の規模感や内容を評価すべきでしょう。
また、記事ではあまり触れませんでしたが、栄一は「柔軟な思考力」も持ち合わせていました。彼は良くも悪くも儒教的な思想を強く抱いていたので、女性に対しては「家で家内の安全を守ることが使命」と考えていた節があります。しかし、当時日本で未発達だった女子教育をめぐって推進派が栄一にその必要性を説いた際、はじめは懐疑的であったものの、やがて「確かに君の言うことはもっともだ」と、アッサリ自分の意見を翻したことがあります。一見すると「手のひら返し」にしか思えませんが、実業界で名声を得た人間がその思想をひっくり返すのは並大抵のことではありません。かつての成功にすがって革新に踏み切れず、時代とともに潰れていった会社がいくつあるでしょうか。
以上のように考えると、偶然にもこの時代に彼が1万円札の肖像を飾り、大河ドラマの主人公となることには何かの因果を感じざるを得ません。これから渋沢栄一をめぐる環境は盛り上がりを見せていくことと思いますし、彼の思想が広く知られることを願います。
【参考文献】
渋沢栄一記念財団編『渋沢栄一を知る事典』東京堂出版、2012年。
渋沢栄一著、守屋淳編訳『現代語訳渋沢栄一自伝:「論語と算盤」を道標として』平凡社、2012年。
鹿島茂『渋沢栄一』文藝春秋、2011年。
他