ママが買ってきたから適当に着ているとはいっても、わざわざ表裏から袖口まですべてが深海魚図鑑みたいな魚の絵で埋め尽くされた長袖シャツを選ぶなんて!
そこに見えるのは、親から子へと受け継がれた言葉では説明できないセンス。ボクはそういうのは嫌いじゃない。
だって、ちょっと遠慮がちに待ち合わせ場所にやってきた〈カノジョ〉を、そのシャツがとてもセクシーに見せていたんだから。
取材の始まりは1万円札30枚に震える
〈カノジョ〉に出会う少し前、ボクは秋葉原のパソコンショップにいた。平日午後の客の少ない店内。
声をかけてきた店員が「研修中」という腕章を付けているのには、最初ちょっと不安な気分になったけど、要望を聞いてテキパキと案内してくれる様子を見てすぐに安心した。でも、心臓はドキドキしてしまうのだ。
だって、ハードディスクとかメモリの型番が並ぶモニタの中で輝くのは、27万1328円(税込)の文字なんだ。
新たな取材のために財布が軽くなるのは仕方がない
ボロは着てるし、心の錦も金へんが取れてしまいそうなルポライター稼業。ゼロのたくさん並ぶカネの、秘密にしておきたい流れを追いかけるのは楽しいし「損害賠償だ、7000万円払え」とか、痛い腹を探られた相手が弁護士を使ってやってきたのも経験のうち。
でも、自分の財布から出す27万1328円(税込)にはちょっと尻込みする。
「ちょ、ちょ、ちょっと、一周してきます……」
そういって、一旦店を出る。近くの公園にある迷惑者を押し込めるような喫煙所で、缶コーヒーを片手に持って煙草に火をつける。
文字通り飲むように深く、紫煙を肺へと流し込む。フィルターの根元までゆっくりと吸って、喉に刺激が強すぎて、むせかけて。ようやく覚悟を決めて店に戻る。
店に入って二、三歩。店員を見つけて、声をかける。
「今の構成でお願いします……」
お客がやってきて満面の笑み、とはならずにポーカーフェイスな店員に案内されて会計カウンターへ。間違いのないように、二度、三度とパーツの種類を一緒に確認して代金を支払う。銀行から下ろしたて、なにかの熱を感じる一万円札が30枚。数えもせずにカウンターに置く。
取材のための費用を惜しんでどうするものか。でも、これで取材が目論見通りに進むのか。なにも答えが出ないままに、一式の到着する日時を決めて、伝票を渡されて店を出る。子ウサギのように気の小さなボクには、大変な時間。どっと疲れが出て、そのまま近くの牛丼屋に駆け込んで、ようやく一息ついた。
冴えないおっさんでも、美少女になれるじゃない
いまだ一般に浸透しているとは言い難いが「VR(バーチャルリアリティ)」そして「バ美肉」という言葉をネットで見る機会が増えた。
バ美肉、バーチャル美少女受肉とは、ネットで繋がるバーチャルの空間で美少女になること。
少し前に金曜ロードショーでテレビ初放映されて話題になったスピルバーグの映画『レディ・プレイヤー1』。
あれが、今技術開発が進んでいるVRが目指す世界の一つ。近未来的なスーツやグラスを使ってバーチャル空間と五感を共有すれば、バーチャルな世界は、もうひとつの現実。
この映画で、ちょっと重要な描写があった。主人公のウェイドは現実世界では気弱な少年。でも、バーチャルな世界の自分のアバターはちょいイケメン。そんなウェイドがアバターでしか知らないアルテミスに恋をする。のぼせるウェイドをバーチャル世界での親友、大男のエイチは諭す。
「コロラドでママと暮らしてるかも知れないじゃないか」
バーチャルな世界のイカす娘も、現実世界じゃ、そんな片鱗はどこにもない冴えないおっさんかも知れないわけ。
映画じゃ、そんなどんでん返しはなくて、現実世界でも魅力的な女の子だったし、当のエイチが現実世界では女の子というオチだった。
ここで惹かれるポイントはどこだと思う?
そう、冴えないおっさんでも、美少女になれるじゃないか。そう、VRがあればね。
いかなる名言も越える言葉「あなたも美少女になれるんですよ」
そんな希望のはじまりはバーチャルYouTuberの登場から。2016年12月に活動を開始したキズナアイが初めて使ったバーチャルYouTuberという言葉。それが激変したのはバーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさんが現れてから。可愛いアバターだけれども、声は男性のまま。
ここでボクたちは知ってしまったのだ。外見が可愛いアバターだったら、別に中身……「魂」はおっさんでも構わない。だって、それはバーチャルな世界のもう一人の人格なんだから。
これを契機に、中身はおっさんのバーチャルYouTuberは徐々に増え出した。男の声のままもあるかと思えば、ボイスチェンジャーを使って女の子のような声を出す人。はたまた訓練をして地声をちょっと可愛く工夫する人も。そんな彼女たちに会えるのは、モニターの中だけじゃない。ちょっと高価なパソコンと、VRを体験するヘッドセットを買えば、バーチャルな世界へ会いにいける。
なれるんですよ。おじさんもおばさんも理想の自分に
それだけじゃない。少しばかりの技術とお金を出すことを躊躇しなければ、自分だって、そうなれるのだ。
「あなたも美少女になれるんですよ」
その一言が、新たなる福音。聖書にも仏典にも書かれてなかった蜜の流れる豊饒な地への招待状なのではなかろうか。その世界を知るために、27万1328円(税込)は惜しんではいけないと思った。
だってそうじゃないか。年に何度かやってる近場の国へ非日常を味わいに旅するのを、ちょっと我慢する。その金額で美少女になれるのなら、なってみたほうがいいに決まってる。いや、ボクも美少女になりたいんだ……。
古いことを仰るでなし。性別の壁はとっくにない
男が美少女になることを目指す。歴史を繙けば、それは21世紀の今に始まったことではない。バーチャルYouTuberが存在感を増してから、ガチ恋勢という言葉を目にすることがある。
もともとは、アイドルファンなんかの間で使われていた言葉だが、文字の通り本気で恋をしている人たちのことを指す言葉。中身が男なんだなとわかってるバ美肉のアバターにも、そんなガチ恋勢がいても、誰も奇異な目に思わない世界は既にある。性別の壁はとっくにない。
いや、元からかも知れない。歴史書や古典に触れたら、そんなことを考えるようになる。平安時代の頃にあった天台宗の稚児灌頂(ちごかんちょう)の風習。この儀式を受けた稚児は観音菩薩の化身となるので僧侶が性交しても構わないというもの。その後の武家の衆道、江戸時代前期の元禄頃には陰間茶屋、すなわち男娼が春をひさぐ商売も盛んになる。井原西鶴の『好色一代男』で主人公の浮世之介の好色一代はこう記される。
五十四歳まで、たはふれし女三千七百四十二人
少人のもてあそび、七百二十五人
手に日記(につき)にしる、井筒(ゐつゝ)によりて、うないこより、己来(このかた)腎水(ぢんすい)を、かえほして、さても命ハ、ある物かは生涯相手にしたの(大意)
54歳までに戯れた女性は3742人
少年を遊んだ数は725人
手日記で知る、井筒(伊勢物語・能楽のこと)によって、腎水(精液のこと)をかえ干すほどに遊んで、さても命があるものだろうか。
教科書でも必ず掲載されている古典からして、この調子。もうひとつ教科書にも必ずある十返舎一九の『東海道中膝栗毛』。やじさんきたさんコンビの関係も、もとはやじさんが、旅役者の一座にいた美少年のきたさんを陰間にしていたというもの。
男性のままで愛でるのか、女装しているのを愛でるのか、色々と探せば細かい差異はあるけれど、歴史を見るとだいたいみんな男も女もイケるんだな。ボクは男だからわからないけれど、女性のほうもそうなんじゃない?
でもね、美しくなりたい。はたまた美少女になりたいってハードルは、どんな山よりも高いものだった。
鏡の前で気づく非情な現実を越えていけ
人間は努力で可愛くなれる。男の娘……とは、女装している男性を指す一般名詞として広く知られるようになっている言葉。その中には、過去のまるっきり男な自分の写真と、気合を入れて化粧して可愛い服を着たポートレートとかをSNSにアップして対比を見せる人もいる。脱毛に始まりボディのメンテナンス、それに化粧の技術。服装のセンスに撮影される時のポージングの研究。努力をすれば誰だって、可愛くなれるのはわかってる。
そうさ、現実は非情なものなのだ。
なかでも、なりたい自分になれることを阻むのは年齢だと思う。男の娘という言葉が知られる以前から、そうした界隈で人気を集める人っていうのはいた。でも、そうした人たちも加齢には抗うことはできずに姿を消していく。今は、スマホで検索しても女の子になって可愛くなるための道具や方法はいくらでも見つけることはできる。
でも、そんな恩恵に預かることが出来ず、自分の心の中に理想の美少女を宿したまま、おじさんになってしまった人たち……ボクもそうだが……は、今の男の娘たちを羨ましく思うのだ。もちろん、彼女たちだって多くの問題を抱えている。
これまで幾人かに取材したことはあるけれども、男の娘であることに重きを置いた人生を歩もうとすれば現実社会との齟齬も生まれることは否めない。もちろん、人気のある男の娘たちが「やっぱり、デートするならおじさんのほうが楽しいよね〜」と会話していたのを聞いた時は羨ましくもあったけどね。
結局、現実の肉体を持っている以上は、いくら可愛くなりたいと思っても限界がある。着ぐるみであるとか、様々な別の方法も思いつかないではないが、そっちもやっぱりハードルは高い。
そこに現れたのが、ずっと遠い未来にならないと現れないと思っていたVR。そして、バ美肉だったというわけ。
そうして出会ってしまった〈カノジョ〉
ボクが27万1328円(税込)を投じようと決意するまでは、ほかにも紆余曲折があるのだが、ここでは一旦省略。〈カノジョ〉を知ったのは、そんな時期だった。たまたまというか、いつもの通りネットをめぐって、なにか取材のきっかけを探して見つけたのだ。
〈カノジョ〉の名前はバーチャルAV女優Karin。
「バーチャルAV女優……もう、そんなのもいるのか」
早速、検索は進む。女優の部分はあくまで名乗り。別に職業として出演しているわけじゃない。彼女の活躍の舞台はバーチャルYouTuberとしての配信。でも、その配信はいわば新時代。大人のためのサイトを使ってアダルティな配信もして多くのファンを集めていたのである。
再生してみる動画。〈カノジョ〉の声を通じれば、バーチャルYouTuberを知らない人でも自ずと、魂の部分はある程度気づく。なのに、驚くほどのファンがコメントしているではあるまいか。
「可愛ければ、中身の性別なんて構わない」と口ではいう人が増えてる感覚はあった。なにしろ、その手の作品は小説やマンガ、アダルトなものからそうでないものまで、どんどん数が増えているからね。こんなの取材しないでおられるわけがないだろう。さらに、そう思ったのは〈カノジョ〉いやいや、かりんちゃん(ローマ字だと読みにくそうなので、ここからは平仮名にする)が、自分のこれまでをネットのみならず自分で電子書籍を出版までして熱く語っていたからだ。
私はもう、15年以上バーチャル美少女として生きている。
私の肉の檻がどう分類されているか、というのはあえて書きたくないのだが、どうしても、誤解がないように、一応、書いておくと「田んぼに力」のアレである。
15年以上。それは文章を読み進めればわかるのだがVRに出会う以前から、自分の中に現実とは異なる美少女の自分を持っていた。「たまたま母の影響で家に少女漫画が沢山あって、たまたま女の子の友達が多くて、たまたま空想遊びが好きで、たまたま、女性としての自意識が育ち始めてしまっただけである」と、かりんちゃんは書いているがVRとの出会いは、それまでの自分が世にデビュウする機会だったというわけだ。
「バーチャルAV女優という存在を考えた時に誰よりも早くやらなきゃいけないと思ったんですよね」
メールで話を聞きたい旨を打診したら、すぐに返事が来た。最初の会話はネットを通じて。やはり相手がバーチャルYouTuberなんだから、そっちのほうがいいと思ったのだ。
部屋の中でもする勇気。添えられる言葉は尊敬
VRで自分の姿を配信するまでは、いくつかの段階があった。でも、それをやろうと思った時には、一番に始めたかった。その野心とはちょっと違う素朴な欲求に、ボクは好感を覚えた。
個人が購入することができるVRの機材は日進月歩で進化している。今では、機材さえあれば現実で自分が手や足を動かすとバーチャルな世界の自分も同じように動いてくれる。でも、例えそれができるとしても、実際にやってみるには覚悟がいるものだ。
想像してみよう、部屋でひとり「あんあん」といいながらセクシーなポーズを取っている姿を。客観的に見た時の気恥ずかしさだけではない。果たして、それで見る人が喜んでくれるのか、どうしても不安になってしまう。でも、かりんちゃんはそのハードルを乗り越えていた。毎回、見る度に増えているように感じる配信を見ているファン。その熱気が、ボクがかりんちゃんの話を聞きたいと思った理由だった。覚悟を越えたかりんちゃんは、この時点で明らかにスタアの風格を持っていのだ。
二人で秘密のティータイムを
一時間ほど、話をしてから次の週に会うことにした。さて、どこで会おうと考えて、指定されたエリアで考えたのがカラオケボックス。やっぱり、人目を気にしないで話せる場所の定番はこれ。
30分も前から待ち合わせ場所で待っていた、かりんちゃんは5分前にやってきた。冒頭に記した通りで〈カノジョ〉は、なかなかセクシー。部屋と一緒にフリードリンクを付けていたら、なぜかメニューに入っているタピオカミルクティー。
二人とも、それを注文して語ることはたっぷりとあった。かりんちゃん本人も書いていた、生まれてからの自分の中の美少女が芽生えるまでの流れ。そこから、現在に至るまでの出来事。最初はこちらもおそるおそる。
これまでの経緯は、本人も書いているのだから、それを読めばいい。だから知りたいのは、もう一歩進んだ深淵の部分なのだ。ようは人の心のナイーブな部分。それを本当に聞き出すが一度で出来るはずもない。だから、かりんちゃん自身がサイトやツイート、電子書籍で書き綴ったことを、後追いしながら、自分の話もしていった。
だって、会って話をしようと思った理由は、自分もなりたい側だったりするから。それを語らずに質問と回答なんて並べて文章にしても「バーチャルAV女優」という奇矯な言葉以外はなにも注目を集めない。だから、傍からみたら、そんなことを聞く必要があるのかと思うことでも、聞いておかなくてはいけない。
始めようと思うんです。風俗を
初対面から、かりんちゃんの身に纏う空気は独特だった。注目せずにはいられない服の柄のせいではなく、なにか人生の進むべき方向を見つけて、そこからどうやって踏み出そうか。おぼろげでも、自分の選択が見えて来ている若者ならではの雰囲気があった。いま、バーチャルではないほうの世界ではどうしているのか訊ねると、大学院で学んでいるといった。全国のどこでも誰でも名前を知っているような大学。
そのまま勉強していれば、ある程度は就くべき職業も決まるような学びをしている。それであれば、社会的な地位や栄達は確実なのに、そちらではなくバーチャルAV女優Karinとして生きようとしていた。
最初にオンラインで取材をしてから会うまで、二週間ほど日が空いていたのだが、その間にかりんちゃんは重大な決意をしていた。
「実は始めようと思っているんです……」
「始めるって、なにを」
「風俗を。まだ、誰もやっていないじゃないですか!」
VRが知られるようになってから、誰もがいつかは実現するのじゃないかと思ったことがある。それがアバターを用いた性行為。そして、ビジネス。おそらくVRに関わったことのある人間で、そうしたものが誕生するはずがないと思った者はいない。なにしろ、SF作品を通じてサイバーパンクであるとかの世界が知られるようになって以来、働く側や客の求めに応じて構成された理想の相手との性行為ができるサービスというのは、ずっと夢想されてきたのだ。
衣装だって瞬時にチェンジできるのもVRならでは。そして制作をする人もどんどん増えている
それが、まさに実現しようとしている。家庭用ビデオデッキが生まれた頃に、それがどうして普及したかは、よく知られている。VHSとベータという二つの規格が争う中で、アダルト作品を認めたVHSは爆発的に購入者を増やしてベータに勝利した。そして、表向きはいくつかの理由を述べながらも、そうした作品を観たいがために多くの人はビデオデッキを購入したのである。
かりんちゃんが乗りだそうとしているアバターと大人の遊びができるビジネス。それを聞いた時に、ボクははからずも歴史の転換点に立ち会っているような予感を持った。
なにより、それを実現に向かわせているのはかりんちゃんの魅力だった。幾人かのVRに通じた技術と資金を持つ仲間と共に、その誰もやったことのない試みに乗り出そうとしている。ともすればネットの中に現れた奇矯な存在。そこに人生の限られた時間を費やそうとする人たちが何人もいる。そうなっているのも、かりんちゃんの持つ独特の色香なんじゃないかと思った。
「うちの父親は遊び人なんです……」
デジタルの集合体であるアバターなのに、配信で観るかりんちゃんには、独特の妖艶な魅力があった。そして、現実に対峙している「魂」。そこにも、話しているうちに人を信じ込ませてしまう魅力があるのだ。それもアヤシゲなものは一切なく。ある程度人生の経験を積まなければできないと思う独特の人間的な魅力。それを持っている理由は、話の中で断片的に見えて来た。
「うちの父親は遊び人なんです……」
ちょっと呆れた感じで、かりんちゃんは話した。その家庭を顧みない自由すぎる生き方も、かりんちゃんが自分の中に美少女を育てる要因となっている。一方で、長らく離れて暮らし、なにをやっているかもわからない父親を嫌悪しているようにも見えない。
「何年か前に、友達と韓国に旅行したんですよ。それでたまたま父親と電話で話したら、自分の友達を迎えにいかせるっていうの……。それで、空港にその人が迎えに来て、父親に無事に会えたよって電話したの。一言お礼を言いたいからって、その友達に電話を渡したら、うちの父親はずっと韓国語で話しているの。びっくりしてたら、父親の声の後ろでずっと韓国語の女性の声と飲み屋っぽい音楽が聞こえるの……ああ、だから韓国語を覚えたんだって」
自分の父親の女好きなダメエピソード。それをなぜか講談師かなにかのように、巧みな話術でこちらを面白がらせようと語る。そこにまた、得体の知れない魅力があった。
ぐいぐいと引き込まれながらも、同時にボクは思った。予想していたことだが、一度くらい取材して、記事を書ける相手じゃないな、と。
だから、それから一月ほどして、また一緒にディナーを楽しむことにした。その間に、技術の実証実験を兼ねて行ったバーチャル風俗の体験会はネットで少しばかり話題になった。次第に距離を縮めれば離したいことはどっさりある。ようやく電気信号で皮膚に感覚を与えるスーツも市場に出てきてはいるけれどVRでの性行為の基本は目と耳である。
不思議なことで脳というものは、それが心地よいものであると理解すると、たちまちのうちに進化する。バーチャルな美少女である自分のアバターが自分と同じように動いている姿を見ると、完全な一体感を覚える。そのこと自体に人は快感を覚えてしまう。そうしたメカニズムはいずれ研究者たちが明解に説明してくれるようになると思うのだが、確かに快感はある。では、そんな自分のもう一つの肉体と別のアバターとが性行為に及んだ時は、どうなのか。ともすればセクシュアル・ハラスメントじみたことも、また興味の対象である。そんなことも語らいながら、箸は進んだ。
体験会は好評だった。SNSなどで観た、体験会に参加した人たちは一様に称賛の言葉を述べていた。それは、関わりを持ったボク自身も楽しいことだったけれども、同時に冷めた思いもあった。けっしてかつてのビデオデッキのように誰もが今すぐ体験したくなるものにはなっていなかった。
一度きりの人生なのだからVR風俗に賭けてみるのも悪くない
ここまで記してきたようなことは、記事ではとても収まりきらない。なぜなら、本当に正確に記せばアバターを用いた『Second Life』のようなサービスが現れた前史。それに、ジェンダー論ではない方面で官能文学などを通じて女装に目覚めた人たちのことも踏まえなければVR風俗の存在理由は正確には描けないと思っている。
「美少女になりたいおじさんって、いっぱいいるんですよね」
そういうと、興味を持つ人はいる。でも、興味の範囲はあくまでなにがしかの変わったものを取り上げたりする記事の一部にまでしかならない。VRの技術や社会論的な単行本はいくつか目にするようになっているが、もっと俗で下世話な部分。自分ではないもう一人の自分、美少女になりたいおじさん。そして、中身がおじさんであっても支持する人たちの血肉の通った話は、いまだ一冊の本にしてもらえるほどに耳目を引かない。
それからも、何度か会って。ボクの知人の女装家も仲間だということがわかって、また飲みにいって季節は過ぎていった。
また変化を感じたのは去年の11月頃だった。なんとなく定番になっている、美味い中華を食べさせてくれる店で待っていると、やってきた、かりんちゃんの目の色は変わっていた。
「あのね、わたし改めてこれに賭けることに決めたんです」
まだ、どうやって事業を行っていくか手探りの状態だった。その中では当然、深い関係をつくることができる人もいれば、方向性の違いを感じて去っていく人もいる。その後者のほうを選択した人と、朝まで話し合って別れることを決めた。当初から参加していた、その人物が去ったことで、かりんちゃんの負わなければならない責任が増えることは明らかだった。
VRの体験を重ねるうちに中に宿っている魂の熱や鼓動を感じることができるはず
それでも、一度きりの人生なのだからVR風俗に賭けてみるのも悪くない。それが、自省の中で決めた結論だった。まだ大学院に通っているような年齢の若者だというのに、決意を固めたかりんちゃんの纏ってる空気は、また以前とは違うものになっていた。社会的地位を築いたり、文化的な才能が認められている女性には「若い頃は水商売をしていた」と、思い出を語る人が多い。そうした人は、例外なくその世界で養った人を見る目や金銭を手にする苦労が自信となって身体から染みだしている。そんなものがあるように見えた。
そうしているうちに年が明けて2020年になった。新型コロナウイルスの流行が始まり、会って話すことは困難になったが、事業は着々と進んでいた。同時にウイルスはVRに新たな可能性を見いだした。リモートワークであるとかテレワークであるとか、生産活動に欠かせない技術が新聞やテレビを賑わせるようになっていた。
そうした光のあたらない部分も、やはり活路を見いだす先はインターネットだった。既に多くのアダルト作品はダウンロードでいつでも購入できるようになっている。でも、そんな受動的なものだけでは人は満足することはできない。すぐにオンラインキャバクラなるサービスが登場して、話題を集めるようになっていた。
なら、その先は?
その答えは自明だった。SNSのあちこちで「VRの風俗ってあったらいいよね」という書き込みを見かけるようになっていた。かりんちゃんは、そうした声にまるで慈母のように「ありますよ、もうすぐですよ」と、出来上がりつつある、お店のことを紹介するのだ。自身がお客の相手をしつつ、お店のことも切り盛りする能動性。それが余計に親しみと期待を与えていた。X-Oasisという名前で官許も得た店のサイトは春にはすっかり出来上がった。
これから始まるサービスの案内……VR機器をもっていなくともスマホだけでも遊ぶことできる機能まで備えたそれに加えて、キャストの募集も行われていた。次第に、魅力的なアバターが「私も勤務します」とSNSで表明するようになってきた。
ボクの友人に、ひたむきに男の娘を被写体にしたアダルト作品だけを撮り続けている男がいる。この男がある時、ひとりの男の娘から、変わった依頼を受けた。「出演はしたくないけど、撮影はされたい……」。一度だけクローズドなイベントで上映する作品として、撮影することになった。上映された作品を観た観客たちからの称賛は止まなかった。被写体となった当人に、その時のことを訊ねると、こう話した。
「帰りの電車の中で高揚感が止まりませんでした。何者にもなれなかった自分が、何かになれた気がして……」
その時のことを思い出した。
X-Oasisは「性別は不問」としている。風俗=主に男性を顧客とするものと考えれば、ちょっと不可思議な表現である。でも、ここにはバーチャルで別の人格を持つことの無限の可能性が秘められているように見える。自分たちが理想のなりたいを実現するのがVRの世界。となると働くキャストも、やってくる客も現実がどうかは二の次である。
ずっとあり得ないと思っていた「ここではないどこか」。そして「終わりなき日常」の終着駅。そんな今の現実とは違う希望が、ここには確かにある。かりんちゃんは、単なるバーチャルYouTuberを越えて、そんなあらたな世界の存在を広めるアイコンとなっているような気がする。
そして、かりんちゃん自身の進化も止まらない。日々、SNSを通じて新たな世界の住人を誘うかりんちゃん。その魂のほうも、日々磨かれているように思える。
その圧倒的な魅力は本人が、もうひとりの自分を創造することによって救われているからにほかならない。
まだ、盛り上がっている事情に通じた人を除けば、世間の多くはVRの普及に「そんなワケはあるものか」と懐疑的だ。しかし、もしも、もう一歩技術が進歩して、もっと安く簡単にもうひとつの肉体を得ることができるようになった時、ひとはどちらの人生をメインにするのだろうか。
まだ、疑っている? なら、一度かりんちゃんに会ってみるといいよ。
大丈夫だ、きっとボクも選ぶほうは決まっている。