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2020.09.23

偉人はショートスリーパーだけじゃない?3年ぐだぐだして成功した「三年寝太郎」伝説

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布団を愛している。布団もまた私を愛している。1週間ぶっ続けでハグされたときには、さすがに愛が重いと思ってしまったが、やはりそれはそれで安心する。

布団は我が人生のメイン会場である。編集の仕事をするときには、さすがにちゃんと座椅子とテーブルで作業しているが、自分の原稿を書くときなんぞはもうインザお布団である(今も!)。そして、宵っ張りの寝坊助である。

逆に、ビル・ゲイツや、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エジソン、野口英世などは、ショートスリーパーだったらしい。ダ・ヴィンチに至っては、1日の平均睡眠時間90分、などという話まである。なんだそれ、9時間くらい余裕で寝られるぞ? う、うらやましくなんて、ないんだからね!


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しかし、ワタクシとてアクティブ期もある。西に気になるものあれば高速バスで10時間の道を行き、東に惹かれるものあればローカル線に5時間ごとごと揺られる。時間や手段の差は拠点とフトコロの問題でしかないので、あまりツッコむところではないぞよ。
また、お気に入りの博物館展示室では、3~4時間見続けるのがデフォルトだし、作業に熱中していたら5時間経って、日付けが変わっていた、なんてこともしばしばである。別に根本的にやる気がないわけではないのだよ? ん?

さて、くだらん話で500字以上も浪費して満足したところで、本題に入ろう。

昔むかし、1週間どころではなくて3年も寝ていた男がいたそうな。

三年寝太郎の民話

ある時ふと、自分によく似た人物が出てくる昔話を知っていると気づいた。朝寝やら朝湯やらが大好きで身上潰した、民謡『会津磐梯山』の小原庄助さん、ではなさそうだし(それも好きだけど)、まんじゅう怖いのお話は、あれは美味しいおまんじゅうたくさん食べられて羨ましいだけだし。
昔、座敷わらしみたいだな、と、褒められてるんだかけなされてるんだか分からないことを言われたこともあったが……。

はあ、もう思いつかん。もういい、寝たろ。


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――ん? 寝たろ?(わざとらしいわい)

そう、民話『三年寝太郎(さんねんねたろう)』、それが、私の前前前世(かもしれない人)のお話である。

日本各地に伝わる昔話を題材としたアニメ『まんが日本昔ばなし』の、各話あらすじや関連情報がまとめられた『まんが日本昔ばなし』データベースによると、あらすじはこうである。

昔々、あるところに寝てばかりいる男がいた。村人たちは寝太郎と呼んで嫌うが、男は3年間も寝続けた。
村はたびたび干ばつに襲われており、ある年、ついに田んぼに水がなくなってしまった。村人たちは、罰当たりな寝太郎のせいだと思い、殺そうとする。
その夜、寝太郎は突然起きだしたかと思うと、山の上から大きな岩を崖の下に落とした。それによって川の流れが変わり、田んぼに豊かな水がもたらされた。
怠け者でただ寝ていたように見えた寝太郎は、村が助かる方法をずっと考えていたのだった。
(要約)

あれ? なんか最後かっこよくないですか? ひたすら3年寝てたのが、ようやく働きはじめた、くらいの記憶しかなかった。それじゃ、私の前前前世じゃあないな。

各地の寝太郎民話

寝太郎の話は、分身の術を使って、日本各地に飛んでいっている。古くは江戸時代初期ごろから伝わっているようだが、上記とはかなり雰囲気の違うものもある。

ごく一部ではあるが、それぞれ簡単に見ていこう。

山口県厚狭(あさ)郡の寝太郎

大金持ちの庄屋の息子・太郎は寝るのが大好きで、3年3カ月も寝て過ごしていた。そのため、村人たちは太郎を「寝太郎」と呼んで馬鹿にしていた。

ある日、寝太郎はふと目を覚ますと、父親に千石船を造って船一杯の草鞋を積み、水夫を7、8人つけてくれるよう、頼む。父親は訳も分からないままその望みをかなえてやり、寝太郎は行き先や目的を誰にも告げないまま船出した。

船はやがて佐渡島に到着する。寝太郎は島の人びとに、履き古した草履と持ってきた草履を交換してほしいと言って回り、船はあっという間に古い草履でいっぱいになった。


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帰ってきた寝太郎を見て、村人たちはまた馬鹿にする。寝太郎は大きな桶を造ってくれるよう、父親に頼み、できあがると水をたっぷり張って、そこに草履を浸けこみ若い衆に丁寧に洗わせた。

洗い終わった桶の底には土がたくさん溜まっていたが、その中に、いく粒ものきらりと光るものが。
それは砂金だった。佐渡島からの持ち出しが全面的に禁じられていた金をなんとかして持ち出す方法を、寝太郎はずっと考えていたのだった。そして寝太郎はその砂金で広い水田地を造り、豊かな実りを得たのだった。

山口県の厚狭駅近くには、「寝太郎荒神社」という寝太郎伝説ゆかりの神社があり、駅前には寝太郎像が建てられている。

山梨県西八代郡の寝太郎

昔、2軒の家が東西に並んで建っていた。東の家はたいそう繫栄していたが、西の家はあばら家だった。
貧乏な西の家の息子は、毎日食べては寝てばかりで何もしなかったので、世間からは「くっちゃぁね」と呼ばれていた。父親が亡くなり、1人で家を切り盛りしている母親がたしなめても、「考えがある」とばかり言って、相変わらず働こうともしなかった。

21歳になった「くっちゃぁね」は、あるとき母親が町へ炭売りに行くというので、「烏帽子と神主の装束を買ってきてくれ」と頼む。何をするのかと聞いても「考えがある」とだけ答える「くっちゃぁね」を不審に思いながらも、母親は言われた通り買ってくる。


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「くっちゃぁね」は、母親の買ってきた烏帽子と装束を身に着け、化粧をすると、そっと東の家の神棚に忍び込んだ。
そして、東の家の人たちが夕食をとり始めると目の前に飛び降り、「わたしはここの氏神だ。お前の家の娘と西の家の息子はわたしが縁結びしているから、すぐに従わないと2人を黒土に変えてしまうぞ」と告げ、急いで自分の家へ逃げ帰ると何食わぬ顔をしていた。

裕福な東の家との結婚が決まった西の家は立派に作り直され、「くっちゃぁね」はのちに母親に「いい考えだったろう」と告げたという。

長崎県西彼杵郡の寝太郎

寝てばかりいた権助は、寝続けて3年目に突然起き上がる。そして荒れた畑を耕しはじめ、立派なネギを育てた。
ネギは売りに行った町でたちまち売れてしまい、お金を懐に入れて帰ってきたところ、子供たちが一羽の鶴をいじめているのを見つける。権助はかわいそうに思って子どもたちから鶴を買い取り、逃がしてやった。

手ぶらで帰ってきた事情を聞いた父親は怒り、権助を家から追い出してしまう。権助があてもなくぶらぶら歩いていくと、長者の家の前に人だかりができていた。満開の桜の木に短冊が付けてあり、「この枝を刀を使わずに折り取った者を、一人娘の婿にする」と書かれていたのだ。


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高い枝に結び付けてあったため、誰も成功できずにいたのだが、そこへ鶴が飛んできてぽっきり折っていった。権助は前に逃がしてやった鶴のやったことだと気づき、枝を持って長者のもとへ行く。

長者の娘と結婚した権助は、結婚式の晩に弓矢を見つけ、娘に使い方を教わる。しかしその場で矢を放ってしまい、飛んで行った矢は雨戸を突き破って外へ飛び出し、人に当たってしまう。当たった人をよくよく見てみると、それは大金を盗み出そうとしていた泥棒で、たちまち権助は弓の名人だという評判が立った。

やがて、長者の家の庭に新しく大きな石橋がかけられ、渡り初め式を権助が馬に乗って務めることになった。お城の殿様もお出ましになって盛大に行われたのだが、権助は馬に乗ったことなどない。橋の中ほどに来たところで落馬して池に落ちてしまう。とっさに近くを泳いでいた大きな鯉を腰の短刀で刺し、それを掲げて岸に上がると、権助は大喝采を受け、殿様からは褒美までもらった。

権助は父親も屋敷に呼び、楽な暮らしをさせてやったのだった。

寝太郎民話の元ネタ

ところで、この民話にはモデルがいたのでは、といわれる。
実話か定かではない伝承ではあるものの、戦国時代の大内氏家臣・平賀清恒(ひらが きよつね)が山口県厚狭郡に伝わるような手段を用いたのだとも、名の知れぬものぐさな「翁」が、突然大きな堰を造って厚狭川の水を引き、立派な田んぼにした、とも言われる。

全国各地にかなり様子の異なる「寝太郎伝説」があるため、様々に尾ひれが付けられていったのかもしれないし、似たような人物が複数の土地にいたのかもしれない。

いずれにしろ、何もできないやつ、と馬鹿にされていた人物が、なにか通常では手にできない大きなものを得る、という部分に、人は爽快感を覚えるのかもしれない。そして、海の外にも『みにくいアヒルの子』といった童話があるのを見ると、そういった感覚はきっと日本国内に限ったことではないのだろう。

寝太郎には、現代のお疲れを癒す力がある!たぶん。

それにしてもなぜ、寝太郎は3年も寝ていたのか。

若干悪だくみじみた「くっちゃぁね」タイプについては、搾取への抵抗だったのでは、という解釈が、著名な劇作家・木下順二の著書において紹介されている。

「何だか分からないけどうまくいっちゃった」タイプは、なんでそんなに寝ていたのか、よく分からない。でもなんだか「なるようになるさ」といった大らかな雰囲気が感じられて、個人的にはけっこう好きである。

「いきなり偉業を成し遂げる」、このタイプについては、恐らく、機が熟していなかったのであろう。動くべき時ではなく、力を蓄える時期だったのだ。と、思う。


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学習心理学に、「学習曲線」という考え方がある。仮に、それぞれの生徒に最適な学習法が与えられたとしても、習熟の速度・深度に著しい違いが出て当然なのだ、というものだ。そしてそれは能力差や努力・熱意に紐付くものではなく、主に個々の学習特性によると見なす。

また、成長の過程においては階段状の停滞期がしばしば見られ――って、自分で書いててこんがらがってきそうなので、大まかざっくりテキトーに言うと、はじめのスタートダッシュが得意な人、徹頭徹尾じんわり上っていく人、ずーーーっと伸び悩んでいるが、最後に急成長する人、みたいに、いろいろなタイプがいる、ということだ。寝太郎さんは、一番最後のタイプだろう。そして、しっかり「伸び悩む」時期を過ごせたからこそ、一気に才能が開花したのだ。

と、考えていくと、江戸時代のこの地域の人たちは、こういった視点を少なくとも「三年寝太郎の話」として獲得していた、ということになる。それが普通であるなら、取り立てて話題にはならない、という観点から言えば、特殊な例と考えられてはいたのだろう。が、みんな同じ、みんな仲良し、みたいなのが世の中の理屈じゃない、ということは、時代背景も相まって、恐らく現代より深く理解されていたんじゃなかろうか。


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鈴木研二『見られる自分』(創元社)に、興味深い記述があった。三年寝太郎のごとき人物を、無理に「世間一般」に合わせようとすると、『混沌』の逸話のような事態に陥るだろう、というのだ。この中国の逸話は、捉えどころのない(と人間が勝手に思い込んだ)怪物「混沌」に、親切で目・鼻・口などの穴を開けていったところ、死んでしまった、というものである。鈴木氏は心理療法の専門家だから、多数のカウンセリングを行うなかで、実感としてこう思ったらしい。実に面白い。

どさくさに紛れて言い訳をするのではないが、宵っ張りの朝寝坊は、自分の場合、どうやらDNAレベルの問題のようだ。ふと何気なく受けてみた遺伝子検査で、アンタもともとそういう体質なのヨ、と、太鼓判(でもなかろうが)を押されたのである。ついでにタンパク質を一般基準量よりも多く摂取しなきゃダメよぉ~、とあり、結果一覧を見ながら、あ、こりゃ先祖返りだな、としみじみ悟ったのだった(この感想の科学的根拠については深く突っ込まないこと。いいね?)。

休もうぜ、みんな……

休む、ということを悪いもののように見る向きが根強くある。でも、仕事って、人生って、何のためにあるんだろう? 休んだら困るって、何が?

いろいろな考え方があって当然だけれど、私は「この一生を楽しむ」ことを第1目的にしていたいし、そこを捨ててまで、自分を痛めつける生き方は選ばない。楽しむことに直結していると思えば、けっこう無理もしちゃいますが。で、ドクターに怒られる、と(笑)。でも、楽しむより嫌なことが遥かに上回ったと思ったら、そこでじっくり考えるかなあ。

まあしかし思うに、人生に無駄は1つたりともないのである。その時点で何も得るものがなかったと思っても、しばらくすると、あれがあったからこそ、今このときの課題が乗り越えられたのか、と気づいて驚く。

負の体験であっても、避けるべき悪手を身をもって理解できた、ということなのだから、同じ轍はもう踏まない。
周囲に何と言われようが、自分の大切にすべきことを大切にしていれば、何ら恥じることなどないのだ。

ただ、無駄だった、と思えば、それは本当に無駄になる。無用のものと思い込めば、そこから掬い上げられるものも、いっしょくたにごみ箱行きだからである。

――なんだか説教じみたくだりが続いたが、これ、自分に言い聞かせているものなので、どうかお怒りにならないでほしい。

お察しかもしれない、ただいま寝太郎期真っ最中なのである。眠いのである。ゲイツやダ・ヴィンチみたいな人生、来世にあるといいな。

ま、来世は家庭猫に生まれたいけどね。にゃーん。

さ、寝たろ。

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アイキャッチ画像:鈴木春信『Parody of the Tale of Young Man Lu: Courtesan Dreaming』メトロポリタン美術館より

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。