昭和の初めごろ、人々に強いインパクトを与えた殺人犯がいました。名を阿部定(あべさだ)と言います。定は愛人を絞殺して逃亡しますが、すぐに警察に足取りをつかまれます。殺害現場には、さまざまなメッセージを残していて、まるで自分が殺したことを世間に公表するかのようでした。
最も不可解なのは、愛人のシンボルを切り取って持ち歩いていたことです。このセンセーショナルで猟奇的な行動は、大衆の好奇心を刺激して大騒ぎになりました。
阿部定事件とは
阿部定事件は、昭和11(1936)年5月18日に起きました。この事件のちょうど3カ月前に二・二六事件※があり、緊張感の漂う重苦しい雰囲気に満ちていた時期でした。
東京都荒川区の待合で、定は愛人の石田吉蔵(いしだきちぞう)と関係を結んだ後に、殺害します。吉蔵はうなぎ屋「吉田屋」の主人で、定は女中として働いていました。吉蔵には妻子がいたので、2人は不倫関係にありました。
定は包丁で吉蔵のシンボルを切断し、紙で包んで逮捕されるまでの3日間持ち歩いていました。傷口から流れ出た血でシーツに「定吉二人キリ」と書き、吉蔵の左腕に包丁で「定」と刻んで、その場から逃走します。
裕福な暮らしから娼妓へ
定と吉蔵は不倫関係にあったとはいえ、別れ話が出ていた訳ではありません。それなのに、なぜ定は凶行に及んだのでしょうか?
定の刹那的な行動は、育った家庭環境を知ると少し理解が深まります。定は畳店を営む両親の末娘として誕生し、裕福な暮らしをしていました。母親は美少女だった定に三味線を習わせ、きれいな着物を着せて猫かわいがりしました。年の離れた兄が道楽者だったり、職人が出入りしたりと、大人の中で育った定は早熟で、10歳になるころには、男女の性行為の意味を知っていたようです。
15歳になった時に、友人の家で大学生とふざけていたところ、レイプされてしまいます。初潮を迎える前だったにも関わらず、悪夢のような初体験をしたことに定はショックを受けます。やけくそな気分におちいり、家の金を持ち出しては不良仲間とつるむようになっていきます。肉体関係を伴う男性との交際を繰り返すようになり、その様子を見た父親は激怒して、「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」と、定を売ってしまいます。
父親に売られたことで自暴自棄になった定は、芸妓から身を売る娼妓になり、転落していきます。さまざまな男性と愛人関係を結んでは、各地を転々とする生活を送ります。
まるでドラマのような予審調書
当時は今と違い裁判に先立って、予審判事が密室で被告を取り調べる予審尋問がありました。この時に定が語った供述が文書になって残されています。明晰につぶさに語っていて、まるでドラマを見ているような錯覚を覚えるほどです。
どうして吉蔵を殺す気になったのかという問いには、「あの人が好きでたまらないから殺した。殺してしまえば他の女が指一本触れなくなりますから」と答えています。また、シンボルを切り取って持ち歩く行為については、「それは、一番可愛い大事なものだから。そのままにしておけば奥さんが触るに違いない。持っていれば、吉蔵と一緒にいるような気がしてさみしくないと思ったから」。
定が起こした事件は、渡辺淳一著『失楽園』で重要なモチーフとして登場しています。中年の不倫カップルが愛の頂点で青酸カリを飲んで心中する物語ですが、定の予審調書を読んで共感する場面が描かれています。男性作家の目線からすると、エロスと純愛の合わさった究極の形と見えていたのかもしれません。
定は本当に、吉蔵を独占したかったのでしょうか? 潜在意識ではひどい目にあわせた最初の男や父親、男性全般への恨みがあったのではないか? 突飛な凶行にはそんな気持ちもあったのではと思ってしまいます。
※参考文献:「阿部定を読む」清水正著 現代書館