Culture
2021.02.09

ボーナスは人糞と引き換え!?高収入だった江戸時代の大家さんの仕事内容とは?

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芸能人の指原莉乃さんが副業でマンション経営を始め話題となりました。江戸時代も大家さんは人気の職業。その理由は収入が安定していたからです。江戸時代の大家さんは家の賃貸料だけでなく、店子(たなこ)の人糞まで自分の収入にできたとか……。

江戸時代と現代、大家さんの仕事はずいぶんと違います。いったい江戸時代の大家さんはどんな仕事をしていたのでしょうか? 具体的に紐解いていきます。

ボーナスは人糞と引き換え!?

江戸時代の大家さんは様々なことでお金を儲けていましたが、その中でも一番驚きなのが下肥料。当時は人糞を農業の肥やしとして利用するため農家に売っていました。それが農家には貴重なものであり、大家さんにとってもけっこうな収入になったとか。

出典:国立国会図書館

大阪とその周辺農村を例にとると、「町人1人に対して年間銀2匁(現在の価値では約2500円)から3匁」(荒武賢一朗『屎尿をめぐる近世社会―大坂地域の農村と都市』清文堂出版、2015)になったといわれています。糞尿の量に関係なく、人ひとりの糞尿がそれだけの金額で売れたので、ただ人が住んでいるだけで、年に一度大家さんにはまとまったお金が入ってきたというわけです。このような理由があったため、店子の家賃が多少滞っても強く言われることも少なかったとか。それはやっぱり人糞のおかげ。体から自然と「出るもの」があるというだけで、価値があると考えられていたのは、まさにサスティナブルですね。

ちなみに、この時代から用を足すときにトイレットペーパーに当たるおとし紙(浅草紙)が使用されるようになりました。その時、トイレの中に使用済みの紙を入れるザルが置かれていて、貴重な肥料に使用済みの紙が混ざらないように分別されていたとか。リサイクルの考えは江戸時代から根付いていたようです。

真面目な従業員が大家に任命される!

さて、一概に大家さんといっても、現代と江戸時代は役割が違いました。

現代は大家さんといえば、賃貸物件オーナーのことですが、江戸時代では物件オーナーとは違い管理人のような役割でした。しかし現代のように「管理人業」「オーナー業」とかっちりと決まってお金をもらっているわけではありません。物件オーナーが信頼を寄せた古くからの従業員に、管理人としての役割を任せ、他の従業員の世話や物件の管理など細々としたことをお願いしていました。なんだか、物件オーナーにとっての執事のようですね。

そんな大家さんが誕生した背景には、今にはない当時の制度が影響していたようです。

江戸は身分によって区画が分けられていましたが、町人が住む「町人地」は土地の私有が認められていました。そこで土地を持った人は地主となり、長屋を作って賃貸物件のオーナーとして経営していたといいます。そして、地主になった町人はその町の構成員として認められていたため、町の自治にも参加しなくてはなりませんでした。

一方で、長屋を借りている店子はいわば出稼ぎ労働者のようなもの。長期にわたってその場所に住むとは限らなかったため、永住的な町人としては認められていなかったといいます。そして、お店を営むオーナーの多くは、自分が所有する賃貸物件に従業員を住まわせていたことも多かったとか。今でいう社宅のようなものでしょうか? オーナーは従業員の管理もでき、賃貸料も取れて、一石二鳥ですね。

そんなわけで、この頃の物件といえば、ほとんどがオーナーの家の裏手にあったとか。近い距離に住んでいるのに、なぜオーナーが直接管理をしなかったのでしょうか。

それは、江戸時代の五人組制度にあるといわれています。五人組制度は、江戸幕府が強制的に施行した庶民の間で連帯責任をとらせる制度で、これによって相互に監察、扶助し、貢納も確保したといわれています。この制度によって店子の不注意がオーナーにまで及んだため、わざわざ大家さんを付けて、厳重に監視をしていたともいわれています。そうでなくても、密な長屋。窃盗や火の不始末などトラブルも多くあったのではないかと想像できます。

そして、その大家さんに任命されたのが、長年一緒に仕事をしてきた信頼できる従業員です。ちゃんと店子を管理できて、オーナーにも忠実な両者の間に入って調整ができる人ということで、大家さんの仕事は誕生しました。

喧嘩の仲裁も大家さんの仕事

さて、晴れて物件オーナーから任命された大家さんはどんな仕事をしていたのでしょう?

彼らは賃貸の集金以外にも地域の自治会の世話役的な役割も担っていました。町民のトラブルの調停をしたり、各種手続きの代行をしたり、裁判所や派出所、役所のような地域の治安を維持する役割も担っていました。実際には月ごとに有力なオーナーの中でそのような補佐役の役割が回ってきたようなのですが、オーナーに変わってこれを代行したのが大家さんでした。

というわけで、大家さんは次第に知識豊富な世話人のような側面が出てきて、江戸時代の刑法や手続きにも詳しく、町人からも一目置かれる存在となっていきました。

とはいえ、もともと一つのところに長く働いていたことや、物件オーナーからの信頼も厚かったところから、それなりに世話焼きの人も多かったのではないかなと思います。

江戸時代の大家さんの全収入を公開!

そんな大家さんですが、具体的にどんな収入があったのでしょう?具体的に見ていきましょう。

物件オーナーからの俸給がありました。これは、大家さんとして雇われているので当然です。

次に店子やお店などの各種集金手当がありました。これは、約5%といわれていて、店子が多ければ、その分実入りは多くなります。

そして、樽代といわれた店子からの礼金、節句銭といわれた五節句ごとに各戸からもらう祝儀金などのほか、トラブルがあった時の訴訟やその付き添いなどの細々とした手間賃などももらっていました。

最後に下肥料です。江戸時代は人の糞尿を肥料として農家に売ってお金を得ることができ、一人当たりいくらという取り決めでお金をもらっていました。そのため、入居者に変動がなければ下肥料も安定して入ってきました。

結局、大家さんは俸給、集金手当、下肥料などいくつもの安定収入に加え、イレギュラーの手間賃や礼金、祝儀金なども加わって、高給取りになったということです。

つまり

俸給 月収
集金手当 月収
祝儀金・手間賃 年に数回
下肥料 年収

となったわけです。そして、これは店子の数に比例してすべての金額が高くなったのですから、大家さんとしても治安維持を図って、なるべく安定して長くとどまってもらいたいと思ったのは当然ですよね。

高給取りだった江戸時代の大家さんですが、誰もがなりたくてなれた仕事ではありません。結局は、オーナーの信頼が厚い人だったということを考えれば、実直で人望のある人が選ばれたのだと思います。そう考えると、いつの世でも実直で人望のある人が富を手にするものなのかもしれませんね。

参考文献:興津 要『大江戸長屋ばなし』中公文庫、2014

書いた人

関西生まれ。関西にはたくさんの歴史の断片が転がっているので、そんな昔の偉人たちに想いを馳せながら旅をするのが大好きです。外国人の知り合いが多く、外国人から見た日本を紹介できればいいなと思っています。最近はまっているのは占いで、自宅の猫を相手に毎日占っています。