Culture
2021.01.14

どんな苦境も「百姓魂」で乗り越える!江戸時代から続く農家が造る、石川のクラフトビール

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加賀百万石の地に、一粒の麦を蒔く。

石川県には、江戸時代から続く農家が造るクラフトビールがあります。
「金沢百万石ビール」
海外からの輸入麦を使用することが主の日本のビール業界において、原材料となる大麦を自分たちで育て、麦芽にし、ビールを醸造している珍しいブルワリーです。

華やかな香りと、ふくよかな麦のうまさ。そして幾重にも重なる奥深い苦み。地のものをふんだんに使用して生み出されたビールは、まさに加賀を感じる味わいです。

現在は日本各地で親しまれ、海外進出まで果たしている金沢百万石ビールですが、創業時には長く大変苦しい時代が続きました。
先祖から受け継いだ土地を守るために始めたクラフトビール造りだったにも関わらず、事業継続のために土地を担保にいれなければならなかった時期も……

しかしどんな苦境にあっても、乗り越え続けてきた金沢百万石ビール。

そんな農家の「百姓魂宿るビール」についてご紹介したいと思います。

石川県の農業スピリット

金沢百万石ビールについて語る前に、まずは石川県の農業事情について少しだけ言及したいと思います。

なぜならば、金沢百万石ビールのような“農家によるブランド化”は石川県農家全体の特徴でもあるから。石川県では様々なアイディアを出しながら個性的な農業を行っている農家が多く、「加賀野菜」といった農産物自体のブランド化、そして米農家による餅の販売や、さつまいも生産者によるお菓子を販売などといった、農業の6次産業化が進んでいます。

「代々受け継いできた、加賀の農地を守ろうと試行錯誤してきた結果、農作物をブランド化した農家が多いのかもしれません」

そう語ってくれたのは金沢百万石ビールの代表である入口 博志さん(以下、入口さん)。事実、入口さんは「ただ農業をしているだけでは、この先苦しくなる。土地を守るには、そして町全体をPRするのはどうしたらいいだろう」と考え、自家栽培の大麦を使ったクラフトビールを造ることに決めたのです。

豊かな土地を耕し、大名石高日本一の藩を支え続けてきたという誇り。そして先祖が大切に守ってきた土地を後世に引き継ぐという強い思いが、現在の石川県の農業スピリットの一端を形作っているのかもしれません。

川北町の農家に宿る「川筋根性」

金沢百万石ビールを造っているブルワリー、農業法人わくわく手づくりファーム川北は、石川県川北町にあります。
川北町は手取川に沿うような形をしており、のどかな田園風景の広がる町。

しかし生活用水や農業用水として土地に恵みを与える豊かな手取川は、実は別名「暴れ川」とも呼ばれる川。洪水などといった水害が多く、この土地の人々は水害の度に苦労して生活を立て直し続けてきました。
「もうだめかもしれない……」そう思うたびに奮起し立ち上がり続けてきた人々の心の中には、「なにがあっても負けない、頑張り続ける」という強い「川筋根性」が宿っているといいます。

そして金沢百万石ビールも、「川筋根性」によって作り上げられたビール。言葉では言い尽くせないほどの苦労や困難を乗り越え生み出された金沢百万石ビールについて、代表の入口さんにお話をお伺いしました。

苦難続きだったクラフトビール造り

――まず金沢百万石ビールの特徴を教えてください

入口さん:金沢百万石ビールは自家栽培の六条大麦を使用した、珍しいクラフトビールです。通常ビールは二条大麦を使用するのですが、北陸では寒さやみぞれ、雪の影響で二条大麦を育てるのは難しいんですね。なので北陸が一大生産地である六条大麦を育て、ビールを造っています。また収穫した麦を自分たちで麦芽にしています。

多くの場合、麦芽になったものを海外からの輸入する、もしくは自家栽培していたとしても麦芽にするのは専門の会社に頼むケースがほとんどなので、自分たちの取り組みはかなり希少な例かと思います。

――二条大麦と六条大麦ではビールを造った際に、どのような違いがでるのでしょうか。

入口さん:六条大麦は二条大麦と成分が異なるため、ビールにすると麦汁製造に混濁や濾過の遅延、渋みなどが出てしまいます。それ故「ビールを造るなら二条大麦。六条大麦はビールには向かない」が通説でした。

わたしたちもそれに倣って最初は二条大麦を栽培しビールを造っていたんですよ。しかし北陸の気候では二条大麦がまったく育たない年もある。農家のクラフトビール造りということで、自家栽培にこだわったビール造りを目指しているわたしたちにとっては原材料の安定した収穫は重要な課題でした。

そんなとき、二条大麦から六条大麦へとスイッチする転機となった出来事が起こったのです。それは当時のわたしたちにとって大変深刻な問題でしたが、結果としてオリジナリティ溢れる六条大麦を使用したビール造りの道へと進むこととなりました。

――一体なにがあったのでしょうか

入口さん:当時、自分たちで収穫した二条大麦を外部の会社に依頼し、麦芽化していたのですが、あるとき「数年後には小ロットでの麦芽造りを引き受けられなくなる」と宣告されたのです。いくら大麦が手元にあったとしても麦芽にすることができなければビールは造ることができません。慌てて他に委託できる会社を探したのですが見つからず、自ら麦芽を作るための自家麦芽装置を導入せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。

しかしその当時、経営は本当にぎりぎりで周囲からはいつ潰れてもおかしくないと思われている状況。そんな時に自家麦芽を作る装置(当時見積もり1億円相当)を導入しなければならなくなったのですから、途方にくれました。

――金沢百万石ビールは最初は売り上げが厳しかったのですね……

入口さん:そうですね。そもそも自分たちが営業を開始した2000年は、第一次地ビールブームがすっかり下火になり、日本各地でブルワリーが次々と倒産していた年。そんな中でも地元の人々の応援に後押しをされどうにか設立までこぎつけたのですが、やはり売り上げはいっこうに伸びませんでした。
「自分たちの土地を守り、後世に残せるようにPRしていきたい」と始めた事業だったにも関わらず、大切な田畑を担保にし、お金を借りることでどうにかやりくりをしているという有様。本当に毎日悩み苦しみながら醸造を行っている状況でした。そこにきての麦芽化打ち切りだったので、さすがに堪えましたね。

――それはきついですね。どうやってその危機を乗り越えたのでしょうか

入口さん:どうにかしなければいけない、その一心で頑張り続けました。いろいろ模索した結果、結局自分たちで自家麦芽装置を開発することを決意したんです。

まずは地元にあった使われていない椎茸乾燥機を入手し、自分たちで修理をし、麦芽を作るための研究をしました。自分たちで図面を引いたり、ホームセンターで購入した部品を組み合わせてみたり。海外から参考になりそうな機械を取り寄せ研究したこともありました。

そうやって少しずつ研究を進め、独自のノウハウを蓄積し、3年目にしてどうにか自分たちで麦芽を作れる目処が立つところまでこぎつけることができました。しかしノウハウはあっても開発をするためのお金が足りない。そんな時、折よく国の6次産業化に向けた政策的支援が始まり、そこに認定されたことで補助金を受けることができ、なんとか自家麦芽装置を作り上げることができました。

――逆境に負けない不屈の精神。まさに「川筋根性」ですね!

入口さん:そうですね。とにかく先祖代々の土地を自分の代でなくすわけにはいかない、という想いで突き進みました。この時六条大麦を麦芽にする研究を進めたことが、六条大麦を使用したビールを造ることができるようになったきっかけです。麦芽にする際の水に漬ける時間や、焙燥する温度を細かくデータ化していくことで六条大麦でも美味しいビールが造れることがわかりました。

通常ビールの苦みはホップにより生み出されているのですが、六条大麦を使用することで生まれる渋みや苦みをうまく引き出してあげることで、ホップだけでは表現しきれない奥深い苦みを表現することができるようになったのです。大変な苦境ではありましたが、寒さに強い六条大麦を使用することによる原材料の安定化と、さらには六条大麦を使用しているという個性を獲得することができ、そこから売り上げを伸ばしていくことができました。

金沢を訪れる人に、地元の味を感じてもらえるビールを

――金沢駅への北陸新幹線開通も、金沢百万石ビールにとって大きな転機となったと聞きました

入口さん:新幹線が開通するという話が出た際、金沢駅構内で販売してもらえるよう、JR西日本の関係会社に営業に出かけました。最初は会ってもらうことすらできず、何度も何度も粘り強く足を運びました。とにかく会って話を聞いてもらうだけでも大変でしたが、川筋根性で最終的にはOKをもらいました。
駅で購入したビールを新幹線内でも飲めるよう、容器を瓶から缶に変え、加賀百万石と一向宗(浄土真宗)を感じてもらえる名前とデザインに変更。
舌では地元の香りや味わい、そして目で加賀の文化や歴史を感じてもらえるようなビールにしました。

その後は北陸新幹線車内でも販売してもらえるよう、今度はJR東日本の関係会社へと営業。同じくかなり苦労をしましたが、結果として現在は大手ビールに交じってわたしたち農業法人のビールも販売してもらえることになりました。

――どんな逆境も乗り越える川筋根性、本当にすごいですね!

入口さん:ありがとうございます。川筋根性に加え、わたしたちは百姓魂も強く持っています。農作物を丁寧に、大切に育てる。農家として農産物の品質にこだわり、よいものを作ることを第一にまじめに農業を行ってきました。結果「安心安全なビール」として認識していただけ、日本各地を初め、海外からも広く声をかけていただけるようになっているのでうれしい限りです。

金沢百万石ビールで先祖代々の土地を守り、周囲の土地をも盛り上げる

現在ぐんぐんとその販路が各地に伸びている金沢百万石ビール。自分たちの育てている六条大麦だけでは足りず、周囲の農家から購入したりすることもあるといいます。
「自身の土地を守りたい」という想いで始まったビール造りは、地域全体を盛り上げる形へと変化していっているのです。

一杯のビールを通じ、加賀百万石の金沢、そして川北町へと注目が集まる。

一粒の麦蒔きから始まった入口さんの夢は、確実に実を結んでいっていると言えるのではないでしょうか。

金沢百万石ビールHP

書いた人

お酒をこよなく愛する、さすらいのクラフトビールライター(ただの転勤族)。アルコールはきっちり毎日摂取します。 お酒全般大好物ですが、特に好きなのはクラフトビール。ビール愛が強すぎて、飲み終わったビールラベルを剥がしてアクセサリーを作ったり、その日飲む銘柄を筆文字でメニュー表にしています。 居酒屋の店長、知的財産関係の経歴あり。お酒関係の記事のほか、小説も書いています。