昨今、歴史上の人物がゲームや漫画などのエンタメ作品に登場することは珍しくなくなりました。では、このような形でエンタメ作品に登場する歴史上の人物の中で、一番人気なのはいったい誰でしょうか?
その答えは、日本を代表する戦国武将「織田信長」でしょう! 日本史の教科書にも必ず登場する信長は、魔王になったかと思えば異世界に転生したり、逆に現代に召喚されて普通のサラリーマンになったり、果ては「女の子信長」にされてヒロインになったりと、史実以上に「多忙な日々(?)」を送っています。
そんな「創作物に登場する信長」に関する調査、研究を行い、全585作品に登場する703名の「織田信長」をまとめた『信長名鑑(しんちょうめいかん)』を執筆したのが、作家の姫川榴弾(ひめかわりゅうだん)さん。
そもそも、なぜ創作物の織田信長を調査しようと思ったのか。いったいどうやって調査したのか。この研究を通じて得た反響と、研究意義は何なのか。本書の価値を語ってもらいました。
信長に研究対象としての魅力を感じた
——そもそも、なぜ創作物の織田信長をすべて調べようと思ったのですか?
姫川さん(以下、姫川):「全部織田信長しか掲載されていない本があったら面白いだろう!」という単純な動機からスタートしました。信長が漫画やライトノベル、ゲームなどの創作物で様々な姿や役割を与えられていることは知られていましたが、その数が具体的にどれくらいなのか、数字を出してみたいという思いもありました。
——「創作物に出てくる信長を調査する」と言うのは簡単ですが、実際にどのくらいの時間をかけ、どのように調査したのか教えてください。
姫川:もともと、2017年にコミックマーケットに出展するための同人誌として制作を始めました。調査方法はシンプルで、「地味に作品をひとつずつ調べていく」だけ。まずはタイトルに「信長」と入っている作品を調査し、「戦国」と入っている作品を調査し……と繰り返していく。
ただ、スマホゲームにも多く登場したり、信長や戦国と一見関係なさそうな作品にも登場したりと、苦労も多かったです。結局、商業出版するまでに約3年かかりましたが、まだ未完成なので今は制作4年目ですね。
今はネタでも、数百年後には歴史史料かもしれない
——出版後には各種メディアで多数取り上げられるなど、大きな反響がありました。それを目の当たりにしてどう感じましたか?
姫川:反響に期待していたので手ごたえ半分、予想以上の反響に驚き半分という感じでした。アイドル育成ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター・矢口美羽(やぐちみう)が劇中劇で織田信長を演じたことを受け、該当するカードを『信長名鑑』に収録したところ、Twitterでキャラクターのファン(ゲーム内での「プロデューサー」)の方々が「祭り」にしてくださり、みなさんがこぞって様々な信長の姿をアイコンにしていたのは面白かったですね。
——ただ、反響の多くは「たくさんの信長が掲載されたヤバい本(笑)」というようにネタ的なものが多かった印象を受けました。筆者は歴史研究のテーマとしても価値を感じているのですが、反響が偏りずぎたことをどう思いますか?
姫川:それでいいと思いました。結局、私は情報を集めて本を出しただけで、どう活用するかは読者次第ですから。
——エンタメ作品から歴史に興味を持つ人も多いですよね。
姫川:そうです。ただ、今でこそ歴史的な価値があると思われている作品も、当時は単なるエンタメ作品に過ぎなかったりします。浮世絵なんかはその代表ですよね。だから、もう100年、200年もすれば「織田信長展」の展示が女体化された信長のイラストで、『信長名鑑』も歴史研究の史料として使われる日が来るかもしれません。未来人が本書を読んでどう感じるか、その反応を見てみたいです。
信長女体化の理由は「PC、スマホゲーム」の普及
——ここからは、『信長名鑑』に描かれた内容に関する質問です。まず、信長を女体化した「女の子信長」について、近年流行した理由は何だと思いますか?
姫川:2000年代のPC向け美少女ゲーム、00年代後半~10年代前半にかけてのスマホゲームの流行を通じて「女の子信長」は爆発的に増加しました。この原因は、戦国時代の人物、特に織田信長は誰もが知っていることで知名度が高く、豊富なエピソードを持っていてキャラが立っていることが大きいと思います。エピソードをそのまま使うもよし、アレンジして作者独自の解釈をするもよしと、美少女モノの作品とは相性がいいんです。
——たしかに、一時期戦国モノの美少女作品をよく見かけました。しかし、本を読むと近年は二次創作に出てくる信長や、「女の子信長」の数も減少しているのですね。
姫川:そうなんです。これは、スマホゲームのトレンドが変化したことに関連しています。10年代前半のスマホゲームでは、カードを収集して楽しむ「ソーシャルカードゲーム」が主流で、カードのイラストが重要視されました。それゆえ、同一作品内で「女の子信長」が何人も登場し、それぞれが異なるイラストで描かれていました。
しかし、10年代後半からは、イラストよりもゲームの世界観やストーリーを重視した「スマホRPGゲーム」が流行し、そういった作品では「キャラクターの個性」がゲームの魅力になっているため、何人もの女の子信長が登場することはほぼなくなりました。
——もし、信長が「オレが女の子になったり、異世界に飛ばされている!」と知ったら、どんなリアクションをすると思いますか?
姫川:喜ぶんじゃないでしょうか(笑)。私の思う信長は事実を受け入れるタイプなので、面白がってくれるんじゃないかと。
——結局、信長は創作物でなぜこれほど愛されるのでしょうか。
姫川:分かりやすくて共感しやすい生い立ち、ドラマチックな生涯、ミステリアスな死、魅力的でキャラの立った周辺の人物……などなど、創作映えする要素がてんこ盛りなんです。こんなの、作り手が生かさない理由はありませんよ。
創作物は歴史研究を盛り上げ、歴史研究は創作物を盛り上げる
——「信長研究」としての本書の意義や価値はどのあたりだと感じていますか?
姫川:「偉人イメージの変遷」を感じられる点ではないでしょうか。私たちが当たり前だと思っている「信長のイメージ」は、様々な創作物の影響を受けて成り立っているもの。一方、創作物で描かれる信長には、歴史研究の最前線で明かされてきた「新しい信長像」も大きく関係しています。
——たとえば、どのような点で歴史研究の知見が反映されていると思いますか?
姫川:桶狭間(おけはざま)の戦いなんかは分かりやすいですね。一昔前に創作物で描かれる桶狭間の戦いは、いわゆる「山の窪地で油断している今川義元(いまがわよしもと)を奇襲する」というものでしたが、やがて歴史研究の進展にともなって「丘の上に陣取る義元を奇襲した」と変わっていきました。昨今は桶狭間の奇襲説が否定され、義元の再評価が進んでいる影響もあって、正面きっての激戦として扱われるようになってきています。
——歴史研究の進展が、創作物を盛り上げているとも言えそうですね。
姫川:はい。ただ、歴史研究が一方的に創作物を盛り上げるだけでなく、創作物も歴史研究を盛り上げることができると思うんです。実際、歴史学者が本書を通じて「アニメ、ゲームで信長がどう扱われているか」を調べているという話も聞きました。
本書は漫画、アニメ、ゲームなどの作品が中心で、ドラマや時代小説に登場する信長はほとんど扱えませんでした。今後は、掲載できなかったものと、三次元の作品を加えた『続・信長名鑑』を制作したいという構想もあります。さらに質の高い名鑑を制作し「歴史学者が創作物の信長にアクセスする手段」にできればいいですね。
——では、最後に記事を読んでいる皆さんに向けてメッセージをお願いします。
姫川:自分の抱いている歴史イメージが、本当に史実なのかをよく確認するようにしてください。そして、「史実」と「歴史イメージ」を切り分け、それぞれを楽しんでほしいと思います。そのきっかけとして、ぜひ本書を活用していただければ。本書は学校図書館にも入っているので、学生さんも手に取りやすいかと。
ただし、名鑑に登場する作品には“ちょっとエッチ”なものも含まれています。どうか、先生にはご内密に(笑)
▼試し読みもできる! 信長名鑑