定期的に芸能人の「車中不倫」が報道されていることにお気づきでしょうか。少なくとも2016~2019年は毎年コンスタントに報道されています。車の中は窮屈な気がするけれど、それはそれでまた違った魅力があるとかないとか。
それはさておき、禁断の車中恋愛は何も現代に限ったことではありません。古くは平安時代にもあったことが『和泉式部日記(いずみしきぶにっき)』に書かれているのです。つまり、少なくとも千年の歴史を誇る車内での情事。日記にはどのように書かれているのでしょうか?
『平治物語絵巻 六波羅行幸巻』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション
『和泉式部日記』とは?
『和泉式部日記』は、和泉式部と呼ばれた女性が書いた日記です。そこには当時の恋人・帥宮(そちのみや、敦道<あつみち>親王とも)との出会いから、帥宮の正妻が怒って家を出ていく様子までが描かれています。
平安時代は一夫多妻制だったので、正妻のいる帥宮が和泉式部と関係をもつのは「不倫」とまでは言えないかもしれません。ただ、和泉式部は恋多き女として有名で、正妻より身分も低かったことなどから世間のスキャンダルに! そのあたりについては、以下の記事に詳しく書かれています。
まるでかぐや姫のような生き方をした平安の美女・和泉式部とは。モテモテだった人物像に迫る!
そんな帥宮との恋愛を描いた『和泉式部日記』には、車内で交渉をもったと思われる記述があるのです。
これが平安流、車中不倫だ!
平安時代の車は「牛車(ぎっしゃ)」といって、車体を牛に運ばせるものが一般的でした。
※牛車に関しては、以下の記事で詳しく紹介しています。
クイズ!「牛車」ってなんと読む?貴族同士のバトルも勃発した平安のステイタスシンボル!
牛車での車中不倫は、このように書かれています。
人しづまりてぞおはしまして、御車にたてまつりて、よろづのことをのたまはせ契る。
訳:人々が寝静まってから男が来て、車に乗った。そして愛をささやきながら体を重ねた。
もう少し事の顛末を詳しく紹介しましょう。まず、帥宮が車で和泉式部を迎えに行き、帥宮のいとこの家に車をとめました。帥宮は車に和泉式部を残して邸に入ってしまいます。そして夜更けになると車に乗り込み、事に及んだのです。
さらに詳しくその時の様子が書かれています。
心得ぬ宿直のをのこどもぞめぐり歩く。例の右近の尉、この童とぞ近くさぶらふ。
訳:事情を知らない警備の男たちが周りを歩いている。いつものように、右近の尉(うこんのじょう)と、童(わらわ)が車の近くに仕えている。
いとこの家の駐車場で……というだけでだいぶスリリングですが、周りには何も知らない警備の男たちがウロウロ。「見つかっちゃうかも……」というスリルを楽しんでいたのかもしれませんね。
参考文献:日本古典文学全集『和泉式部日記』小学館
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