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2021.07.15

平安時代の女性・和泉式部が書いたスリリングな逢瀬

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禁断の車中恋愛は現代に限ったことではありません。古くは平安時代にもあったことが『和泉式部日記(いずみしきぶにっき)』に書かれているのです。

なんと!車中の情事には、千年の歴史が!?

※アイキャッチ画像はイメージです
『平治物語絵巻 六波羅行幸巻』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

『和泉式部日記』とは?

『和泉式部日記』は、和泉式部と呼ばれた平安中期の女流歌人が書いた日記です。そこには当時の恋人・帥宮(そちのみや、敦道<あつみち>親王とも)との出会いから、帥宮の正妻が怒って家を出ていく様子までが描かれています。

『観音霊験記 西国巡礼第一番紀州那智山 和泉式部』著者:広重,豊国 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

和泉式部は恋多き女として有名で、正妻より身分も低かったことなどから世間のスキャンダルに! そのあたりについては、以下の記事に詳しく書かれています。

美人で和歌が上手な和泉式部の存在は、妻からすると嫌だったでしょうね~

まるでかぐや姫のような生き方をした平安の美女・和泉式部とは。モテモテだった人物像に迫る!

そんな帥宮との恋愛を描いた『和泉式部日記』には、車内で交渉をもったと思われる記述があるのです。

車内の逢瀬の記述

平安時代の車は「牛車(ぎっしゃ)」といって、車体を牛に運ばせるものが一般的でした。

牛車の絵 出典:ニューヨーク公共図書館
※牛車に関しては、以下の記事で詳しく紹介しています。
クイズ!「牛車」ってなんと読む?貴族同士のバトルも勃発した平安のステイタスシンボル!

牛車での逢瀬は、このように書かれています。

人しづまりてぞおはしまして、御車にたてまつりて、よろづのことをのたまはせ契る。

訳:人々が寝静まってから男が来て、車に乗った。そして愛をささやきながら体を重ねた。

もう少し事の顛末を詳しく紹介しましょう。まず、帥宮が車で和泉式部を迎えに行き、帥宮のいとこの家に車をとめました。帥宮は車に和泉式部を残して邸に入ってしまいます。そして夜更けになると車に乗り込み、事に及んだのです。

いとこの家の前で!かなりセンセーショナルな出来事ですね!

さらに詳しくその時の様子が書かれています。

心得ぬ宿直のをのこどもぞめぐり歩く。例の右近の尉、この童とぞ近くさぶらふ。

訳:事情を知らない警備の男たちが周りを歩いている。いつものように、右近の尉(うこんのじょう)と、童(わらわ)が車の近くに仕えている。

いとこの家の駐車場で……というだけでだいぶスリリングですが、周りには何も知らない警備の男たちがウロウロ。「見つかっちゃうかも……」というスリルを楽しんでいたのかもしれませんね。

瞬間の愛が大切だったんですね。魔性の女・和泉式部!友達にはしたくないタイプだけど、魅力的だったんだろうな~


参考文献:日本古典文学全集『和泉式部日記』小学館

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書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。