Culture
2019.07.17

團十郎襲名目前の「海老蔵」を紐解く

この記事を書いた人

2019年7月の歌舞伎座・夜の部では、市川海老蔵が「星合世十三團」で一人十三役の早替りを披露して大奮闘しています。この意味を演劇評論家・犬丸治さんに解説していただきましょう。

十三役と十三代目團十郎襲名をかけた、外題の「十三團」

文/犬丸治(演劇評論家)

「のべつ幕なし」という言葉、何気なく「良く喋る人」の悪口として使っていませんか。

この「のべつ」は「延べつ」、つまり引っ切り無しのことで、幕を引かずに頻繁に舞台装置を変えていく「幕なし」という芝居用語と合わさったものなのです。

今月の歌舞伎座夜の部「星合世十三團」(ほしあわせ・じゅうさんだん)がまさにそれです。浄瑠璃三大名作とされる「義経千本桜」は本来なら昼夜通しで全段上演される長編なのですが、それを夜の部に圧縮し、海老蔵自身が主役の狐忠信・新中納言知盛・いがみの権太に加えて、主要な役十三役をスピーディに早替りで演じてしまおう、という趣向です。

外題の「十三團」は、この十三役と、自分が来年五月に十三代目團十郎を襲名することをかけているのですね。

初代以来の縁を踏まえた海老蔵版「千本桜」

團十郎といえば、初代市川團十郎が元禄十五年(1702)に、自身が「三升屋兵庫」の筆名で自作自演した芝居に「星合十二段」(ほしあいじゅうにだん)がありました。能「安宅」の弁慶の勧進帳の挿話を採り入れたもので、のちに七代目團十郎が歌舞伎十八番「勧進帳」を初演した時も、初代以来の縁を語っているのです。今月の海老蔵版「千本桜」の外題も、明らかにこの初代の芝居を踏まえている。つまり、海老蔵は襲名を目前にして、代々の團十郎の業績を意識しはじめた、ということでしょうね。

歌舞伎役者は必ず屋号と俳名を持っていた

その鍵は、海老蔵が襲名発表会見の時に「十三代目團十郎白猿(はくえん)と名乗る」と述べたことにあると思います。この時、記者から「ハクエン?」と訝る質問が出ていましたが、これは團十郎代々の俳句の名「俳名」です。歌舞伎役者は必ず屋号と俳名を持っていました。俳句を嗜むということは、セリフなどの即興性を鍛える意味で必要だったのですね。そのうちに梅幸・芝翫のように俳名が芸名になることもありました。

市川家は、初代の俳名が「才牛」。二代目は「栢莚」と書いて「はくえん」。その実子ともいわれる四代目は、謙遜して一画抜いて「柏莚」としました。その息子の五代目團十郎という人は、大変腰の低い人で、息子に六代目を譲って「エビゾウ」を名乗った時も、私はザコ海老だからと「海老蔵」ではなく「鰕蔵」という字を当てました。俳名も、同じ「はくえん」でも先祖の「名人上手に気が三筋足らぬ」といって、「白猿」と名乗ったのです。

歴代、白猿を名乗って名を遺したのは、この五代目と孫の七代目ですが、海老蔵が「自分は白猿と名乗る」と言ったとき、この七代目團十郎が念頭にあったと思うのです。

代々の團十郎は、劇壇の頂点に君臨して王道を往くのを身上としていましたが、七代目はそれに飽き足らず、「歌舞伎十八番」を創始したり、若き日は狂言作者鶴屋南北と組んで「東海道四谷怪談」をはじめ「ケレン」と呼ばれるジャンルを手掛けたのです。のちに三代目猿之助が復活する「慙紅葉汗顔見勢」(通称「伊達の十役」)は、南北と七代目の提携の賜物で、團十郎が「伊達騒動」の主な登場人物十人を一人で演じ分けてしまおうというものでした。

三代目猿之助の十八番を海老蔵が演じる意味

歌舞伎役者には、本来その家専門の「役柄」があって、専売特許とされて来ましたが、十九世紀はじめの文化文政の頃にはその誓約が崩れ、女形の五代目半四郎が南北の「お染の七役」で老若男女を早替りしました。女形の中村大吉は、文政元年(1818)七月の江戸・都座で「義経千本桜」を出した時、静・おさと・おせん・典侍局に加えて、忠信・源九郎狐・川越太郎・銀平・権太・覚範と、男女十役で奮闘しているのです。いわば、今月の海老蔵の元祖のような存在ですね。七代目團十郎(白猿)の「伊達の十役」も、こうした時代の風潮がなせる業だったのです。

しかし、明治に入り、七代目の息子の九代目團十郎の時代になると、歌舞伎は高尚化し、ケレンなどは「荒唐無稽」「邪道」と永らく切り捨てられてきました。それに真っ向から立ち向かったのが、三代目猿之助(いまの猿翁)の「猿之助歌舞伎」だったのです。

いわば、猿之助という「反主流」の対極に「保守本流」である市川宗家が存在していたわけで、その嗣子である海老蔵が、猿之助の十八番「四の切」の狐忠信を演じた時には、本当に驚きました。猿之助の「四の切」は、目も覚めるケレンの数々を「目的」ではなく、狐と親子の情愛のドラマを浮かび上がらせる「手段」としたことに、優れた価値があります。海老蔵が手掛けたことで、澤潟屋の「四の切」は歌舞伎の普遍的な財産となりました。「良いものは良い」という海老蔵の柔軟性は高く評価されるべきです。

未完の先に何があるのか?

問題はこれからです。「猿之助歌舞伎」を踏まえたうえで、彼が新たな「團十郎歌舞伎」を創始できるかどうか。今月の「星合世十三團」は、正味四時間強出ずっぱりの熱演。私は彼の意気は佳しとするも、錯綜する思いが空回りしているもどかしさも覚えました。

常に発展途上、その「未完」の先に何があるのか。それこそが彼の舞台を観続ける愉しみなのかもしれません。

犬丸治(いぬまるおさむ)

演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか