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2021.12.18

台風迎撃作戦!! 絶海の孤島「南大東島」台風ツーリング その2

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僕のソロキャン物語VOL.9 絶海の孤島「南大東島」台風ツーリング その2

ピンクに染まった島

初めて目撃した「晴れ台風」を見ながら、呆然とシャッターだけ押しながら、長い時間、海を眺めていたと思う。
この日の夕方から、台風15号(ルーサー)は強風圏に突入した。
島に到着がギリギリ間に合ったようだ。
ルーサーというのは、マレーシア語で「鹿」という意味らしい。
この日の夕方、島のサトウキビ畑、周囲全てが、異常なピンク色に染まった。
こんな空、また、状況は初めて体験した。

まるで、世界の終りのように見えた。
そんな状況の中、一人自転車を走らせ、自撮りを撮影した。

興奮していた。
撮影中、地元の人に声をかけられた。

何をしているのか聞かれたので、仕事の話をすると、あきれられた。
島の人間は、台風の最中は決して海に近寄らないらしい。
真顔で警告された。
自転車どころか、車でも海に近寄ろうものなら、数百メートルの高波にアッという間に飲み込まれ、車ごと海に引きずりこまれるらしい。
海岸沿いでも、倒木に挟まれ、身動きができなくなる事もあるそうだ。

よく考えたら当たり前である。
そんな時に馬鹿面さげて「ツーリング」とか言ってるのだ。
正気の沙汰ではあるまい。

しかし、ありがたい事に、車を貸していただけて、さらに撮影も協力していただける事になった。
危険すぎるため、監視? の目的もあったのかもしれない。

南大東島という島

この島は1820年に、ロシア海軍により発見され「サウス・ボロジノ島」として初めて海図に登場した。沖縄の人たちは「はるか東の彼方にある島」として「ウフアガリ島」と呼んでいたそうである。

面積30.53km2、周囲21.2km、標高75mの小島である。
沖縄本島より東へ約400㎞、周囲にはさらに小さい北大東島、少し離れて沖大東島(ラサ島、無人島)がポツンとあるだけの、絶海の孤島。これらを総じて大東諸島と呼ぶ。

初めて人が入った開拓は、1900年。
開拓者は八丈島の玉置半右衛門。

沖縄に属しているものの、第一移住者は八丈島(関東の人間)からの移民であった。
そのため、関東の文化が入り込んでいるのが特徴である。
従って、沖縄には無いお地蔵さまがあり、また、島の住民はお墓参りの際には、はるばる八丈島まで出かける人が多いそうだ。

島には、ヤシ、ビロウ樹などと共に至る所に松があり、不思議な景観を醸し出している。

この島には砂浜が存在しない。
全てが岩で、てっぺんだけが突出しているような島だ。
そのため、平坦な陸地がなく、いきなり突き出た断崖絶壁しかない。
そのため、上陸時に船が着岸できず、かなり難儀したようである。
最初に上陸したのは、泳いで渡った山羊だそうである。

そんな島のため、上陸したくてもできず、玉置半右衛門以前は、何人もの人間がことごとく失敗、上陸を断念したそうだ。
上陸できても、島の過酷さにやる気をなくし、荷を捨てて帰航するものが続出した。

岩しかない島の過酷さは今でも健在で、船は着岸できず、物資は港から全てクレーンで吊るされて上陸する。
それは人間も同じで、船から檻のようなものに入り、クレーンで吊るされて島に上陸するのだ。
地元の人は「エレベーター」と呼び、一種の「名物」となっている。
昔から港建設を進めているようだが、固い岩を削るのに数十年、まだできていないせいか、今でもこの「名物」のエレベーターで上陸しているようだ。

南大東島名物「エレベーター」人も物資も何もかもクレーンで吊るされ上陸する。

島の資料を読んでいると、17世紀末、大東島付近を航海していた船が難破し、オランダ人36名が島に上陸したが、次々と餓死、35人は形ばかりの墓が建てられたが、最後の一人は空しく海風にさらされ白骨化した、という伝説もあるそうだが、今は痕跡もなく不明なようだ。

静かなこの島の岩場にいると、そんな遥か昔の事が、妙に生々しく感じる事がある。
時間がゆっくりと流れる感覚が強い。
普段の南大東島は空気が止まっていて、シンと静まり返っている。
おそらく、この空気感は遥か昔でも変わらないだろう事を思うと、白骨化していった男はどんな気持ちだったのだろう? と、いろいろ想像してしまうのだ。

独立国家体制だった島

1900年、60日間の難航海の末に玉置開拓団23名が上陸したところから、島の歴史がスタートした。
ビロウ樹を切り開き、砂糖キビ畑を作り、製糖業の第一歩を踏み出した。
今でも南大東島は、砂糖が住民の生活源であることに変わりはない。
農協には「南大東島語らずして、砂糖を語るなかれ」と大きく書かれていた。

そして、島の歴史の最初期には、「玉置製糖王国」なる、まさに「王国」が存在していたようだ。
沖縄から約400キロという地理的な条件が大きかったのだろう。
面白いのは、日本では極めて稀な、独立国家体制に近いものができていたらしい。
すなわち「逃亡者」を阻止するためなのか?本気で「王国」を作ろうとしたのか?その真意は定かではないが、島でしか通用しない「玉置紙幣」なるオリジナルの金銭が存在し、鉄道まで走っていた。
まるで、映画「地獄の黙示録」のような状況が、この絶海の孤島で繰り広げられていたのだ。

もしかしたら、さらなる「闇」の歴史があるのかもしれないが、そこは不明である。

いずれにしても、この島は、日本でありながら、日本離れしているような雰囲気を醸し出している。

大冒険の舞台

この島には鍾乳洞もあり、大東大コウモリという巨大な有視界飛行(コウモリは洞窟など暗闇で生活する種が多く、目が退化して耳から超音波をキャッチして活動するタイプが多いが、このコウモリは目で確認して暗闇で活動するタイプ。従って目が大きく猿のような顔立ち)をするコウモリが夜には飛び交っている。

鍾乳洞、巨大なコウモリ、かつては独立国家体制、台風が頻繁に通過する激しい岩だらけの南海の孤島。
これは、子供の頃、大好きだった冒険活劇などの世界ではないか?

自分がこの島にひどく惹かれるのは、こんな条件が揃ってるからなのかもしれない、と思った。

いよいよ台風が接近してきた。
暴風圏に入ったようだ

夜の宿(プレハブ)は天井がミシミシと音を立てて揺れている。
窓をそっと開けて僅かな隙間から覗くと、暗闇の中、風の轟音が鳴り響いている。

暴風圏ではあるが、さらにひどくならないうちに写真を撮っておこうと、宿の前の路上に出てみる事にした。

この時、宿のドアが強力な風のため、開いたままなかなか閉まらなくなった。
しばらく格闘したが、今度は強力な力で「バン!!!」とそのまま猛烈な勢いで閉まった。
これは、ヘタするとケガをする。
開閉式のドアは注意した方がよいと思った。
引き戸ならば、問題は少ないだろうか?

恐る恐る外に出ると、天空の暗闇で風の音が不気味に轟音を立てている。
空をジッと眺めたが、当然ながら何がどうなってるのかわからない。

簡易でカメラに手ぬぐいを縛り付けて覆い、セルフで写真を何枚か撮った。
手際よくやらないと、雨でカメラは壊れてしまうだろう。

1カット撮るごとに、すぐにカメラを拭いて、一枚一枚、確実に撮影した。
めいっぱい平たく広げた三脚も、いつ倒れるかわからない、ハラハラしたがなんとか無事数カット撮影をして、ビビりながら宿に速攻で戻った。

夜、眠れないような少し寝たような、風の蠢きの音を聞きながら過ごした
早朝、港に行ってみる予定だった

翌、早朝、いよいよ港に行こうと外を覗いた。

宿の庭を見ると、昨日まであった小さいヤシの木が、根っこごと、どこかに吹き飛ばされ
跡形もなく消えていた。

その3に続く

その1はこちら

台風迎撃作戦!! 絶海の孤島「南大東島」台風ツーリング その1

書いた人

映画監督  1964年生 16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。『ゲバルト人魚』でヤングマガジンちばてつや賞佳作に入選。18歳より映画作家に転身、1985年PFFにて『狂った触角』を皮切りに3年連続入選。90年からAV監督としても活動。『水戸拷悶』など抜けないAV代表選手。2000年からは自転車旅作家としても活動。主な劇場公開映画は『監督失格』『青春100キロ』など。最新作は8㎜無声映画『銀河自転車の夜2019最終章』(2020)Twitterはこちら