新派の演劇を知っていますか?
明治モダン、大正浪漫、昭和レトロがお好きな方にはたまらない、独特の情緒で泉鏡花や樋口一葉などの名作をみせてくれる演劇です。歴史の教科書では、明治時代の自由民権運動あたりで政治劇として紹介されます。
川上音二郎やオッペケペー節のあれのこと? と思われた方、それです! でも現在の新派はまるで別物です。歌舞伎のように白塗りの女方さんが出るお芝居だっけ? と想像される方もいるかもしれません。女方さん、います! でも歌舞伎とも違います。その歴史をご紹介します。
明治時代に生まれた「じゃない演劇」
新派の歴史は、明治時代にはじまります。
当時の庶民にとって、芝居といえば江戸時代からある歌舞伎のことでした。文明開化とともに西洋の文化が入ってくると、西洋演劇に負けないよう、歌舞伎(旧派)じゃない演劇をつくるぞ! というムーブメントがおこります。この頃の “じゃない演劇”の総称が「新派」です。全国にさまざまな新派の劇団が生まれ、戦後に1つの劇団となり、歌舞伎をしのぐ人気を博した時期もありました。
ここまでが、よくある新派の説明です。しかし“じゃない演劇”と言われても少しモヤっとしませんか?
そこで新派俳優の喜多村緑郎さん、女方の河合雪之丞さん、新派文芸部の劇作家・演出家の齋藤雅文さんに、新派を知るべくお話を聞きました。現在、緑郎さんと雪之丞さんは、歌舞伎座で坂東玉三郎さん主演の舞台『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に出演中。齋藤さんは、玉三郎さんとともに演出を担当しています。歌舞伎と新派の関係についてもうかがいます。
新派の歴史にかかせない名優
— 新派についてもっと知りたいと思い、皆様のお力を借りにまいりました。新派に対する個人的な思い込みやモヤっとしたイメージを申し上げます。異議がなければマル(ピンポン!)で、異議ありにはバツ(ブー!)でご教授ください。
河合雪之丞さん(以下、雪之丞): ピンポンピンポン(はやくも使いこなす雪之丞さん)!
喜多村緑郎さん(以下、緑郎): 異議がなければマル(ピンポン)。分かりました!
齋藤雅文さん(以下、齋藤): よろしくお願いします。
— たとえばこんな感じのイメージです。
「新派の名優といえば、オッペケペー節の川上音二郎だ!」
緑郎・雪之丞・齋藤: ブブブーーー。
— 新派の歴史を紹介する本の表紙や扉絵に、よく川上音二郎さんが載っているんです。
緑郎: 川上音二郎さんは、僕らが思う新派の創始者たちよりさらに前の方じゃないかな。
雪之丞: 新派の名優を挙げるなら、政治的な色を持たず庶民の娯楽としての演劇になってからの方々ですね。女方さんなら初代の喜多村緑郎さん。それから花柳章太郎さんや河合武雄さん。明治に生まれ、昭和にかけての娯楽演劇の新派を担った女方さんです。映像でしか拝見できませんでしたが、やはり目をみはものがあります。
緑郎: 同じく映像で拝見した方になりますが、大矢市次郎さんはすごいです。春本泰男さんも、新派らしい空気を職人のように作り出せる俳優さんですよね。
雪之丞: 現在92歳で、現役の新派俳優でいらっしゃる柳田豊さんは、そのお二方と同じ空気をまとってらっしゃいますね。
緑郎: 舞台をご一緒させていただくと「あの俳優さんも、こういう匂いだったのかな」と想像します。
齋藤: おふたりの意見に賛成です。喜多村緑郎と花柳章太郎がいなければ、今日の新派はなかったでしょうね。そして先代の水谷八重子。名優と呼ぶにふさわしい華のある美しい方でした。この方々は新派にとって重要な作品をたくさん生み出してきました。その時代の劇作家に、書きたい! と思わせる魅力があったのでしょうね。
— ほかにも推しの俳優さんがいたらお聞かせください。
齋藤: 初代英太郎(はなぶさ・たろう)じゃない?
緑郎: よくわかります(ピンポン)!
雪之丞: 女方さんなのですが、テレビドラマにふつうのおばあちゃん役として出演して、視聴者が不自然に感じないほど、おばあちゃん。不思議な方でしたね。
齋藤: 裏声を使うこともなくお化粧も薄い。映像を見るとただのおじさんのはずが(笑)、実に役になっているんですよね。
新派は歴史がありつつ現代劇
— 次は新派の位置づけについてです。
「歌舞伎をクラッシックとすると、新派はヴィンテージ」
雪之丞・緑郎: (迷いつつ)ピン、ポン。
齋藤: ううーん。クラシックは古典の意味ですよね。ヴィンテージは?
— いずれ古典になるだろうけれど、まだ一歩手前。博物館よりは骨董屋さんにあるイメージです。
齋藤: 僕は、新派って現代劇であり続けないといけないと思っているんです。骨董品になっては困るので……(マルとバツの中間に)。
— 明治時代に始まった時から、新派はその時その時の今を劇にしてきたのでしょうか。
齋藤: 上演作品をみると、あらゆるジャンルに手を出しているんです。歴史的には、明治時代に「西洋から入ってきた演劇に拮抗できるよう、日本の歌舞伎をより理論的なものにしよう」と立ち上がったのが九代目市川團十郎でした。これは演劇改良運動と呼ばれています。同じころ「もともと日本にある芝居のメソッドで新しい芝居を作ろう」と別の化学変化もおこりました。そこから生まれたのが新派。その初期に川上音二郎がいたり、政治的な色合いの強い劇団が出たり。
— 政治劇の中には、クライマックスに討論がはじまるお芝居もあったと聞きます。
齋藤: でも消えてしまったんだよね。演劇としてあまり面白くなかったってことかな(笑)。そんな中、明治20年代の終わりに喜多村緑郎たちが、成美団という劇団を旗揚げしました。これが、今の新派の源流といえます。
齋藤: そのように生まれ、風俗劇として世間で流行ったものは何でもお芝居にとりいれました。
雪之丞: 家族劇が流行った昭和には、『サザエさん』が舞台化されています。2.5次元の先駆けですね(笑)。他にはスチュワーデスの恋物語を描いたものもあったみたい。
— 川口松太郎さんの『夜の蝶』(令和元年再演)は銀座のクラブのマダムのバトルでした。
雪之丞: テレビが普及する前は、ワイドショー的な一面もあったのでしょうね。「浜町河岸で箱屋殺しがあったらしいよ」と聞けば、犯人の花井お梅をヒロインにお芝居をつくったり。それが川口先生の『明治一代女』になって、今では新派のレパートリーです。
齋藤: 時代設定が明治大正昭和でも、描かれるテーマは常に「今、起きていること」。思えば歌舞伎だって、常に新作を発表して今に至ります。と考えると、クラッシック、ヴィンテージもあるけれど、それだけではないんだよね。
新派の作品には、芸者さんの悲劇が多い
— 次は新派のレパートリーへのイメージです。
「新派のお芝居はだいたい悲劇!」
3人: ピンポン、ピンポン、ピンポン!(関係者から拍手!)
緑郎: 高く評価されて受け継がれている作品の多くは、悲劇ですね。それも芸者さんが出てくる花柳界もの。
— 「新派悲劇」という言葉まであったそうですね。新派の悲劇の人気の高さを感じます。
緑郎: 新派がまた悲劇をやっているよ、と揶揄するニュアンスもあったようですが、それだけヒットしたということですよね。くり返し上演していく中で、作品もさらに磨かれていきますよね。
— 特に花柳界が舞台の悲劇が多いようです。
齋藤: 当時の女性たちは、より悲惨な状況のヒロインたちに喜怒哀楽を重ね、深く同情して見ていたんじゃないのかな。日本の女性は、長らく社会的な理不尽を強いられてきました。そんな彼女たちにとって、新派の悲劇は泣ける場所であり、現実を忘れられるユートピアだった。100年たっても新派の悲劇が古びないのは、嫁姑関係や経済格差、ジェンダーギャップといった社会の問題がいまだに解決できずにいるからだとも考えられるんですよね。
雪之丞: 当然社会課題は解決されるべきだし、どんな性でも尊厳は守られるべき。でも新派の悲劇が支持されるのは、共感して泣けるからだけではなく、やっぱり日本の女性ならではの美しさとか儚さが描き出されているからともいえますよね。花柳界を舞台にした物語で、女優や女方が新派の芸として磨いてきた日本の女性の美しさ。
齋藤: 日本の女性の美しさ、たしかにありますね。先日『鏑木清方展』に行った時、これが日本の美しさだと感じました。
新派に型は、あるようでないようでフワっとある
— ここで、新派の俳優さんの演技に関するイメージです。
「新派はリアルなお芝居が特徴。歌舞伎のような型はない」
雪之丞・緑郎: ブー!
齋藤: 型……。
雪之丞: ブーーーーーーー!
緑郎: 長押しもできたのか(笑)
— 型はある。となると、古典の役を演じるときは、歌舞伎のようにまず先輩に習うのでしょうか?
緑郎: その役を演じたことのある先輩がいらっしゃる場合は、もちろんお話を伺いますし、映像も拝見します。あと、新派には文芸部があり演出家がいますから一緒につくっていく部分もあります。その時に、型がないわけではないんです。
雪之丞: (新派の波乃)久里子さんから「私は女優だからやらないけれど、(女方の)花柳先生はこうやっていらした」と新派の女方としての演じ方を教えていただいたりもします。
齋藤: 明治時代に「これまでの芝居(=歌舞伎)ではダメだ」と歌舞伎から離れた人たちが始めたのが新派でしたよね。とはいえ歌舞伎しか知らなかった人たちだから、皆の中に大前提として歌舞伎のメソッドがあるんです。女方さんがいるのもそうですし、下座音楽といって、舞台上の黒い御簾(みす)の中でBGMを生演奏するのも歌舞伎のメソッド。たもとの使い方や裾のさばき方、唄うような台詞まわしが美しければ「これを型として残したい!」と発想するのも歌舞伎と同じです。
雪之丞: 泉鏡花の『婦系図』には、初代喜多村緑郎さんの非常に細かい演出プランが残されています。有名な「湯島境内の場」では、この音でここに手をおいて、この音になったらこう向いて……と寸法も音も決まっている。それをいかにリアルにおみせできるかが、新派の芝居なのでしょうね。
緑郎: メインの役どころだけでなく、町中の場面の行商人や大道芸人の売り声は、先輩から後輩へきっちりと伝授されています。物売りって、かつては日常的にいた人ですから、相当正確に再現したはず。それが今も芝居の中に生きているんです。これから新派をご覧になる方には、新派が受け継ぐ時代の風情も楽しんでほしいですね。
齋藤: フワッとした束縛の中でリアリズムを重視するのが、新派というジャンルなのかな。役者さんたちは、伝わってきたやり方を各自で取捨選択し、より質の高いところでひとつの役にまとめる。より良い選択の積み重ねのために型と心をいったりきたり。
— 緑郎さんと雪之丞さんは、歌舞伎の経験もおありですね。
緑郎: 歌舞伎から新派に移籍したてのころは、ひとつのト書きに、これほどたくさんの演じ方があるのかと戸惑いました。今月も、笑いながらお座敷を去る場面があるのですが、玉三郎さんにアドバイスいただきながら、色々な笑い方で試行錯誤しています。
雪之丞: 結局は、心がリアルじゃないと駄目なんでしょうね。しゃべり方や振舞いをどれだけ教わったとおりにやれたとしても、心が役になっていなければリアルにはならない。唄うように喋っても、自分なりの芝居になったとしても、心がリアルなら成立する。新派も歌舞伎もそこは同じですね。
目に耳に贅沢な、新派の隠れたお洒落さ
— 次は自信があります!
「新派は、歌舞伎を知っているとより楽しめる!」
全員: ピンポンピンポン!
齋藤: これはもう当然です。
雪之丞: 歌舞伎が好きな方なら、齋藤先生がおっしゃったフワッとした形があることの気持ちよさを、より楽しんでいただけるはず。新派ってリアルと型の両方を本当にうまく融合させたんだなと思っていただけるんじゃないでしょうか。
— それは、どのような場面で感じられそうですか?
雪之丞: あえてハズす、とかね。新派では、歌舞伎と同じように見せ場で柝が入ります。歌舞伎ならチョーンの音と動きを合わせて決まります。新派でやるなら、たとえば拍の頭にわざと当てない。ちょっと手前とか、チョーンのあとにスッと決めるとか微妙にずらす。これは、きまり事ではなく役者衆から注文をするんです。
齋藤: そういう意味で、お洒落な演劇なんです。感覚的なことだけでなく、実際にお洒落。鬘や半襟の刺繍や下駄の鼻緒の色。大劇場でお客様にどこまで伝わるか分からないけれど、見える見えないではなくこだわります。舞台に立つ側の神経がそこまで行き渡っているかどうかは、やはりお芝居にも出てくるはずで。
雪之丞: 私は今月、花魁の役で本べっ甲のさしものを使わせていただいています。明治のファッションリーダーって芸者衆でしょう? お洒落さを全面に出していた新派に、花柳界ものが多かったのも分かる気がします。
緑郎: どんな公演でも、座組なりのこだわりを持って衣裳や小道具を用意されると思うのですが、歌舞伎や新派では、いまや作り手がいないようなアンティークを使わせていただく機会が多いんですよね。専門の小道具さんが保管してくれていて、煙草入れが必要となれば、古いものをずらっと用意してくださいます。
雪之丞: お客様に一目で「まあ、お洒落!」と感じていただけるかは分かりません。でも、お洒落に非常にうるさいジャンルなのは間違いありません。見せないよ? 見せないけれど、私の下着はめちゃめちゃお洒落だよ? みたいなお洒落さですね。
緑郎: そういわれるとストーリーも、奇をてらわず王道の運びで心を揺さぶる。音楽も繊細です。たとえば今月は、玉三郎さんが余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)と呼ばれる演出を大切にされています。お芝居のBGMとして演奏される三味線音楽が、あくまで劇中の隣のお座敷から漏れ聞こえてきた音として響くようにやるんです。それもやはり、これ見よがしにやるものではないんですよね。
もちろん歌舞伎を知らなくても楽しめる!
— いよいよ後半。6個目のイメージです!
「新派の演劇は現代語。予備知識なしで楽しめる!」
緑郎・齋藤: ピンポン、 ピンポン!
雪之丞: ブー!
緑郎・齋藤: え!?
雪之丞: 現代語というと語弊がありませんか? むかしの日本の人は、こんなに綺麗な言葉を使っていたんだなと感じます。
齋藤: たしかに! 辞書を引かなくても分かる言葉かな。それでいて日常的な会話ではありえないほど、レトリックがふんだんに使われています。美文で知られる三島由紀夫は泉鏡花を大絶賛していました。その鏡花の美しくも難解な台詞を、新派俳優は日常会話のようにしゃべるんです。高度な技術が求められるはずなのに、これもやっぱり、これ見よがしにはやらないんですよね。
— 新作で上演された『黒蜥蜴』も、台詞には日常会話のように血が通っていながら、江戸川乱歩の独特の質感はそのままだったことに驚いた記憶があります。歌舞伎と比べたとき、新派は台詞だけでなくストーリーも分かりやすいですね。
緑郎: 予習なしで楽しんでいただけますよね。
齋藤: 江戸時代は、現代にはない封建社会ならではの悩みがあり、お芝居にも歴史のを知っていることが前提の設定が出てきたりします。けれども新派は、基本的に明治以降を題材にしています。近代化してからの庶民の悩みは、個の悩みが多い。驚くほど今と変わっていないような気がします。
まとめ「みんな新派を観たほうがいい」
— 最後は、ここまでのお話をまとめたイメージでまいります!
「新派は台詞は分かりやすいし見た目にも贅沢。名作揃いでハズレがないのでコスパがいい。みんな観た方がいい!」
雪之丞・齋藤: ピンポンピンポンピンポン!
緑郎: ブー!
齋藤: そ、そんな。
緑郎: コスパという言葉がひっかかりまして……。
齋藤: やる側としては、とてもお金のかかるお芝居ですからね。
緑郎: あっ、お客様にとってのコスパですね! それはいいですよ! 観たほうがいいです! ぜひご覧ください(ピンポンピンポンピンポン)!
雪之丞・齋藤: よかった!
— 最後は齋藤さんに伺います。今後新派で、どのような作品を作っていきたいですか?
齋藤: 生意気な言い方をすると、美しい日本の物語を作りたいと思っています。話だけでなく台詞も衣裳も、鬘も美術も音楽も。春夏秋冬と喜怒哀楽がまんべんなく絵巻物のように美しい作品を。美しくって口にするのは恥ずかしいですよね。でも最近は図々しく言うようにしています(笑)。
— これからは自信をもって友だちに新派の魅力を説明できそうです。本日はありがとうございました!