五月晴れの空に洗濯物が干してある風景は、ああ夏が来たんだなあと思わせます。青い空に洗濯ものの白がまばゆいです。
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香久山(持統天皇・万葉集)
万葉集の時代の天皇にも同じ感懐があったのですね。
この歌は古今和歌集には次の形で収録されています。
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香久山
子どものころ小倉百人一首の中で真っ先に覚えた和歌です。繧繝縁(うんげんべり)の畳に座った十二単のお姫様(持統天皇)の札が一番華やかで大好きでした。
俳句にも「洗う」季語がいくつかあります。ご紹介しましょう。
髪洗ふ (夏)
毎日髪を洗う現代では考えられないことですが、汗や埃にまみれた髪を洗う気持ちよさから夏の季語になっています。やはり女性の長い髪を洗う句が多いですね。
浮世絵の女は長き髪洗ふ 坂巻純子
洗ひ髪かはく間を子に絵本よむ 野見山ひふみ
船室の一隅に髪洗ひをる 夏井いつき
夜濯ぎ (夏)
これも夏の季語になっています。今はスイッチ一つで全自動洗濯機が使える時代で、仕事を持っている人は夏に限らず夜に洗濯をすることが多いかもしれません。
夜濯ぎは盥(たらい)で手洗いしていた頃に生れた季語でしょう。夏には水を使うのも気持ちよいですし、夜のうちに干すと翌朝には乾いています。
夜濯や同じ暮しのきのふけふ 岡部名保子
夜濯や一人暮しの頃をふと 稲畑廣太郎
夜濯のもの一竿に足らぬほど 伊藤白潮
牛馬洗ふ、牛馬冷やす
かつては牛や馬が農耕作業の大きな担い手でした。一日働いた牛や馬を川に連れていき、汗を流し体を冷やしてやります。
冷されて牛の貫禄しづかなり 秋元不死男
遠賀なる川筋痩せて牛洗ふ 下村ひろし
方言の亡ぶさびしさ牛冷す 谷口雲崖
硯洗ふ (秋)
これは七夕に関連する季語です。旧暦の七夕なので初秋の季語になります。
七夕の朝、芋の葉に置いた露で墨をすり、短冊に願い事を書きます。その準備として前日に硯(すずり)を洗い机を浄めます。一年に一度しかあえない織姫・彦星に何を祈りましょうか。
文弱のいのちの硯洗ひけり 上田五千石
薄く小さき祖母の硯を洗ひけり 小川玉泉
洗硯やちちより勁きははの文字 長谷川翠
墓洗ふ (秋)
命日や春秋のお彼岸、年末年始など年間を通じてお墓参りの機会はありますが、俳句では盂蘭盆会の関連季語となっています。お盆にご先祖様の精霊を迎えるために「墓詣」をし、「掃苔」、「墓掃除」「墓洗ふ」をし、墓から家までの道の草刈りをして「盆路・盆の道」を整えます。「 」内はすべて季語となっています。
里人の顔相似たり墓洗ふ 山田弘子
戒名の彫なぞりつつ墓洗ふ 渡辺政子
バンダナの若きと並び墓洗ふ 大沢美智子
末つ子のまま年重ね墓洗ふ 岡田順子
障子洗ふ (秋)
「障子」だけだと冬の季語となりますが、障子を洗い張り替えるのは秋の季語となります。冬を迎える準備の一つということでしょう。
大寺の障子を洗ふ唯一人 田中裕明
亡き母の貼りし障子を洗ひけり 松尾隆信
洗ひをる障子の下も藻のなびき 大野林火
世の中が便利になるにつれて「洗う」季語も死語となっている、または実感を伴わないものも増えています。「洗う」という字は使われていないものの、「行水」もめったに見かけないものとなりました。以前に俳句グループで吟行に出かけたときに民家の庭で行水している人をみかけました。熱心な人が覗きこもうとするのを皆で押しとどめました。
参考文献
カラー図説日本大歳時記 夏 秋 講談社刊
新歳時記 虚子編 三省堂
基本季語五〇〇選 山本健吉著 講談社学術文庫
アイキャッチ画像:『百人一首うはかゑとき 持統天皇』葛飾北斎 シカゴ美術館蔵