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2022.09.28

オンライントークイベント「彬子女王殿下が語る寬仁親王殿下秘話」レポート

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書籍『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』の出版を記念したオンライントークイベント「彬子女王殿下が語る寬仁親王殿下秘話」を、2022年8月31日(水)開催いたしました。当日は、100名を超える参加者が集まり、彬子女王殿下から寬仁親王殿下との思い出にまつわる、貴重なお話を伺うことができました。

アメリカやヨーロッパでは、よく行われているという読書会。当日は約1時間の中で、参加者からの質問に、彬子女王殿下がお答えになられる一幕もあり、終始和やかな雰囲気でした。この記事では、そんな読書会の当日の模様を、お伝えしたいと思います。聞き手は、書籍の担当編集者であり和樂webの編集長でもある、セバスチャン高木です。

『ひげの殿下日記』とは?
2012年6月6日に薨去された寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)。薨去から10年にあたる2022年6月、殿下が生前に書き続けてこられた貴重なエッセイが、書籍となって発売されました。タイトルは『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』。1980年から2011年にかけて発刊された、寬仁親王殿下が会長を務められた柏朋会(はくほうかい)の会報誌『ザ・トド』に掲載されたエッセイ「とどのおしゃべり」を再構成した書籍です。

彬子女王殿下から見た、寬仁親王殿下のお人柄

セバスチャン高木(以下、高木):『ひげの殿下日記』が出版されてから3カ月経ちますが、現在の心境はいかがでしょう。

彬子女王殿下:採算度外視で作った書籍ではありますが、それだけの価値があると信じて出版したものですので、たくさんの方に読んで頂きたいと思っております。

私の周りのお読みになられた方は、ここまで父が細部に関わって最後まで仕事をやり通されたことに驚かれます。父が会長を務められた柏朋会の会報誌『ザ・トド』の編集に関しても、周りの方に任せるのではなく、ご自身が情熱を注いでこられたということに対して驚いたという方が多いです。こうしたことに気づいていただけただけでも、出版して良かった、と思っています。

会報誌『ザ・トド』

高木:本日ご参加いただいている方々の中には、寬仁親王殿下のこれまでのご活動に関わられてこられた方も多いと思います。寬仁親王殿下は、いくつものプロジェクトを抱えて、その一つひとつに全力を尽くしていらっしゃった。彬子女王殿下も、複数のプロジェクトを抱えていらっしゃるかと思いますが、寬仁親王殿下と同様に、精力的にご活動なされていますよね。

彬子女王殿下:父と似たところは、もちろんあると思います。お引き受けした仕事は全て自分で担当しますし、各式典に出席する際のお言葉も、自分で考えています。お引き受けしている仕事は、全力投球でやっているつもりではあるのですが、父のように、旅行会社と交渉して、さらに現地のコーディネーターと交渉する……というほどのことは、まだできていないような気もします。

現在の私よりも、断然たくさんの仕事を抱えていらっしゃった父が、全てにおいて熱量をかけて、最初から最後までやり遂げるというのが、本当に凄いことだったんだな、と改めて感じます。

高木:寬仁親王殿下と親交をお持ちだった方々からも、さまざまなエピソードを伺っていらっしゃるかと思います。

彬子女王殿下:父は相手によって態度を変えるようなことは全くなさらない方でしたから、みなさんの中にある父のイメージが、驚くほど同じなのですよね。

高木:私は寬仁親王殿下と直接面識がありませんが、今回の原稿を読んでいるうちに、殿下がお近くにいらっしゃるような感覚になりました。

彬子女王殿下:時々、高木さんに父が乗り移ってるんじゃないかな? と思う時も、ありましたね。

高木:原稿を読んでいると、恐れ多いのですが、だんだんと寬仁親王殿下の思考が乗り移ってくるのです。きっと、この書籍を読まれた方みなさん、そういう感想をお持ちではないかと思います。

寬仁親王殿下のお言葉をそのまま書籍に

高木:『ひげの殿下日記』出版のきっかけを、教えていただけますか。

彬子女王殿下:父がお隠れになった後に、66年生き抜かれた軌跡というものを、しっかり書き残しておきたいなと思っておりました。ただ、私もいろいろな仕事を抱えている中で、どうしたらよいのだろうと考えているうちに、時間が経ってしまって。

本来であれば、3年祭や5年祭など、早い節目でやるべきことだったと思います。10年祭が近づいて来る頃に、これを逃すとタイミングがないと思いまして、高木さんにご相談をしました。

高木:彬子女王殿下は多くのお仕事を抱えられていらっしゃったと思いますが、私はこのお話を頂いた時、頭を抱えてしまいました(笑)。先ほど申し上げたように、寬仁親王殿下に直接お会いしたことがありませんでしたので、一体どうやって本を作ればよいのだろう? というのが、率直なファーストインプレッションでした。

彬子女王殿下:その時点では、父の周辺にいらした方たちに取材をして本にできたら、とお話しました。お子様だった頃や留学時代、札幌オリンピックに行かれていた時のことなど、ご友人にしか見せないようなお姿ですとか、お仕事をなさっている父の姿は、私が知り得ないことも多いので。やはりそういったことをご存知の方にインタビューのような形で伺うのではよいのではないかと思っていました。

そんなお話をしながら『ザ・トド』を高木さんにお見せしたところ「このエッセイには、殿下の思いがそのまま詰まっている!」と驚かれたのですよね。

「ご友人が語る殿下の姿よりも、ご自身が語っている殿下の姿が、そのまま伝わった方がよいのではないか」と、提案いただいて。確かに、本当にその通りだなと思って『ザ・トド』をそのまま本にしましょう、というお話になりました。

高木:実は、『ひげの殿下日記』の編集のテーマは「何もしない」でした。誤字などを多少修正させていただきましたけれども、寬仁親王殿下の書き綴られたお言葉をそのまま載せるということが、テーマでした。

インパクトのある表紙のイラストは…

高木:表紙のイラストが寬仁親王殿下の自画像だと、みなさん最初はおわかりにならないかもしれません。

彬子女王殿下:そうですね。カバーのデザインが上がってきたときに、いろんな方に「こんな書籍になりそうです」とイメージを送ってみたのですが、これを父だとわかってくれた方は、本当に一握りでした。

『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』カバーのデザイン

高木:確かに見てくださった方から「これは何ですか?」と、よくご質問をいただきました。彬子女王殿下にとって、寬仁親王殿下の自画像は、どのような存在でしょうか?

彬子女王殿下:私にとっては見慣れた絵で、とても馴染みがあります。抽象化されていますが、とても似ていると感じます。これが父に見えるかどうかは別にして、この眉毛の感じと、あの目の感じはとても特徴を捉えていらっしゃると思っていて。

高木:恐らくこの書籍が出版されなければ、この自画像が世の中に広がる機会もなかったはず。そういう意味でも、表紙に採用したことは重要だったと思います。

幼い頃の彬子女王殿下が描かれたイラスト

彬子女王殿下から見た寬仁親王殿下のお姿

高木:彬子女王殿下にとって、寬仁親王殿下はどんな「お父様」でいらっしゃいましたか?

彬子女王殿下:「とにかく正直でまっすぐな方」それが、第一に思うことです。何かこうだと決めると、そこに向かってまっすぐ進んでいかれる方でした。ですから、意見が食い違うと、大論争になることもありましたけれども、自分の思いには、常に正直でいらっしゃる方だったと思います。

高木:書籍の中にも出てきますけれども、議論が好きで好きで仕方がないけれども、終わったら割とあっけらかんとされているのですよね。

彬子女王殿下:もちろん絶対にこの意見を曲げてくださらないな、と思う時もありましたが、納得されると意外とあっさり「あ、そうなのか」と引かれるのです。

高木:白熱した議論の最中に「あれ、もう終わりかな?」なんて思われる場面もあったのでしょうか。

彬子女王殿下:はい、ありましたね。

高木:お相手の言い分を、きちんと聞いて、認められていらっしゃったということですね。

最後の原稿について

高木:書籍を読まれて、思い出されたエピソードはございますか?

彬子女王殿下:初等科の高学年頃から、ずっとリアルタイムで読んできた文章なので「ああ、そうだそうだ、こんなこと書いていらっしゃったな」と、どのページも懐かしい思いで読み返しました。自分の生まれる前のことは、その当時は読む機会がなかったので、新鮮ではありました。「議論のできない子どもには興味が無い」なんておっしゃっていた割には、意外と世話を焼いてくださっていたのですよね。

この書籍は「自分がこれだけ現場に出てやっていた仕事ができなくなったことが辛い」という内容で、終わります。当時はそれが最後のエピソードになるなんて思ってもいなくて。こうしてまとめて読んでみると、あれが最後だったのか、となんだかすごく胸に迫るものがありました。

高木:最後の原稿が書かれたのは、2011年の12月20日。

彬子女王殿下:はい、私の誕生日です。

高木:寬仁親王殿下のご家族への思いが、そこからも伝わってくるような気がします。

3つの章についての思い出

その1『リカヴァリー』

高木:寬仁親王殿下の数多くのエッセイの中から、彬子女王殿下に特に印象深い3つのエピソードをお選びいただきました。それぞれについて、お話しを伺いたいのですが、最初にお選びになられたエピソードが『リカヴァリー』。1993年10月15日の原稿です。

彬子女王殿下:父のイメージといえば、癌の闘病に苦しまれた方と答える方も多いのではないかと思います。『リカヴァリー』は2回目の癌の手術が終わった後の話です。実は、医者の言うことは聞かないというのが、父のモットーだったのです。

ですので「3日間ほど安静にしてくださいね」と言われると「なぜ3日なのか」「2日目から起きたらダメなのか」とおっしゃる。このエッセイにも書いてありますけれども、癌の症状は千差万別で、全く同じところに癌ができても、同じ症状の人なんていないわけです。それぞれに合った治療法があるはずだ、とおっしゃっていて。

そういうお考えで、自分が実験体となるようなこともされていました。うがいはいいけれど、飲んだらダメだと言われた時は、お茶と紅茶とコーヒーでうがいできるものを作ってもらって、それでうがいして、ちょっと飲むみたいなことを、実践していらっしゃいました。

高木:なるほど。

彬子女王殿下:癌を患っている方に「頑張って」という言葉をかけてしまうことがあるかもしれませんが、それについても書かれていらっしゃいました。「頑張って」と言われると、患者としては「こんなに頑張っても治らないのに」と思ってしまう。だから「お大事に」がふさわしいと。

同じ立場になってみないと気持ちはわからないですし、「視診・問診・触診」が大事だということを、よくおっしゃられていました。まずは、相手を視て、何をして欲しいのかを感じる。そしてお話に耳を傾ける。今度は、直接触ってみて、どこが痛いのか、どうして欲しいのかを実際に聞いてみる。癌患者だけでなく、障害者福祉に関しても、このようなことをしないとダメだとおっしゃっていました。

「癌患者だから、こうしなくてはならない」という決めつけではなく「どのように調子が悪いのか、どうして欲しいのかは、一人ひとり違うのだから、きちんと向き合わなくてはならない」というメッセージが伝わります。

高木:ご自身の経験を最大限生かそう、記録に残そうという意思が伝わってきます。

彬子女王殿下:はい。やはり記録としてちゃんと残すべきですし、伝えていかないと、勘違いとか間違いが訂正されていかないと思うのです。

高木:1991年の1月に最初の手術をされて、この文章を書かれたのが1993年。ですから、3年間ほどリハビリ生活を送られていて、ようやくエッセイを書けるところまできた。寬仁親王殿下の覚悟のようなものまで感じられます。

彬子女王殿下:そうですね、覚悟が見える文章だなと私も思います。患者でありながら、冷静にご自身を分析していらっしゃる。

その2『駒とダンス』

高木:続いては『駒とダンス』。1999年9月30日のエッセイになりますが、なぜこの文章を選ばれたのでしょうか?

彬子女王殿下:書籍をお読みになられた方は気づかれたかもしれません。名誉八段と将棋をされたお話が、3回も出てくるのです。高木さんが「3回も書かれているのだからそのまま伝えるべきです」と提案してくださって、結果そのまま採用になっています。

高木:通常の書籍ですと、重なっているエピソードを省くことが多いのですが、寬仁親王殿下の思い入れがあるエピソードに違いない、ということで、そのまま掲載しています。

彬子女王殿下:八段の方と戦って、勝ったことが、よほどお嬉しかったようです。「八段に勝ったから俺は九段だ」みたいなお話しを、父からはよく聞いていました。

父が名誉総裁を務めておられた全国中学生選抜将棋選手権大会で、日本将棋連盟の佐藤康光会長とお話しをすることがあります。佐藤会長が「この大会で優勝して自分はプロになったので、思い出深いです」とお話をしてくださいました。

大会に出た経験のある方が、将棋連盟の会長になられたこともすごく嬉しいですし。大会の始まりからずっと父が支えて来られたんだなということを、改めて尊敬します。そういう意味で、このお話は、私がすごく好きです。

高木:『駒とダンス』の後半に書かれているダンスのエピソードでは、桂宮殿下が、英語でスピーチをされる場面がありますが、これは、オーストラリアのガラパーティーですよね。

彬子女王殿下:そうです。桂宮殿下はオーストラリアへ留学していらっしゃったので、そのご縁で、日豪ニュージーランド協会の総裁をされていました。父が隣で「代わるから」とおっしゃっていたのに、最後までやり遂げられて、大観衆から拍手を浴びた……というお話ですが、帰って来られた父が「アイツがよくやったんだよ」とおっしゃっていたのを覚えています。ご兄弟の絆を感じるエピソードなので、ぜひ読んでいただきたいです。

高木:スピーチに関するエピソードといえば、寬仁親王殿下は、何回も何回も原稿を推敲されて、完璧なものにされていたんだそうですね。

彬子女王殿下:はい。はい。校正が5、6回におよぶこともありました。

高木:スピーチ原稿の推敲も、ご自身でされていたのですね。今回の書籍には収録できなかったのですが、寬仁親王殿下のご挨拶の原稿は、編集者の目から見てもパーフェクト。こんなにも完璧な原稿があるのか、と驚いてしまいました。私も非常に勉強させていただいております。

彬子女王殿下:父のスピーチといえば、こんなエピソードもあります。スキー大会の時に、父がお言葉を読まれる予定で、原稿を用意されていたことがありました。でも、壇上で咳が止まらなくなられて。私に「代わりに読め」と言われたのです。突如としてお言葉文を私に渡されて、父は降りて行かれたのです。一人残された状態で、初見で読まなくてはならなくて。壇上でゴソゴソ開けるのもよろしくないので、一回も読まない状態で、マイクの前に立ちました。

壇上でスピーチを始めてから驚いたのですが、トリノオリンピックの直後で、当時の日本選手団がいかにダメだったか、こういうことをしないからダメなんだ、みたいなお話が延々続く内容で。読みながら、背筋が凍る思いをしました。

高木:理路整然と厳しい批判をされていているお姿が、想像できます。

彬子女王殿下:もちろん「父の代読をさせていただきます」とお話させていただいた上で、お読みしているのですが。終わってからの晩餐会の時に、ご挨拶に来られる方が、「先ほどは辛辣な言葉を頂戴しまして……」とおっしゃる。何か発言をする時には、覚悟を持たなくてはならない、ということを考えさせられた一件でもあります。

高木:きっとみなさん、ありがたい思いで拝聴したのではないでしょうか。寬仁親王殿下らしいエピソードですね。

彬子女王殿下:はい。直してほしいと思われるから、厳しいこともおっしゃる。みなさんに問題意識を持っていただきたいという思いがおありになるから、公的な場でも厳しい発言をしていらっしゃった。

高木:寬仁親王殿下は、公の場でお話しできないようなことならば、私的な場所でも発言されないと思います。このあたりが、メディアだと誤解されて伝わってしまうようなところかもしれませんが、公と私で使い分けをしないところがおありになられたのでしょうか。

彬子女王殿下:そうかもしれません。子どもの頃から「私的な旅行に行く時でも、皇族として見られるのだから、ジャケットを着るとか、ちゃんとした格好で行きなさい」と言われていて。昔は釈然としなかったけれども、やはり大人になってから、父の言葉の意味がわかりました。

その3『オナゴは強し』

高木:最後3本目は、2007年12月20日、彬子女王殿下の誕生日に書かれたエッセイです。このお話を選ばれた理由について、教えてください。

彬子女王殿下:純粋に、このエピソードが大好きなのです。

高木:彬子女王殿下のおばあさまにあたる、三笠宮妃殿下とのエピソードでしたね。

彬子女王殿下:父がご本邸を訪問されると、妃殿下がいつもの椅子に座っていらっしゃる。近づくと「癌友!」と、ニコヤカに叫ばれたそうです。「癌仲間になったね」ということを、さらりとおっしゃる妃殿下のお心持ちが、とても心温まるお話だなと思いまして。

高木:ストレートにお書きになられていらっしゃるので、本当に情景が目に浮かびます。

彬子女王殿下:父の文章は、情景描写が細かくて。みなさまにお伝えできないことが、残念ですけれども、三笠宮妃殿下の文章も情景描写が非常に細かいのです。妃殿下の文章は、そんなに多く残っていませんが、とにかく言葉の選び方が正確でいらっしゃって。

高木:私たち一般人が、現代皇族の文章を目にする機会や日々の生活のことを知る機会は、ほとんどありません。寬仁親王殿下が書かれてきたエッセイは、そういった資料的価値も非常に高いと、実は思っています。

彬子女王殿下から、みなさまへのメッセージ

高木:最後に、みなさまへメッセージをお願いいたします。

彬子女王殿下:『ひげの殿下日記』を最初から最後まで通してお読みになると、父の生きてこられた足跡が、伝わるかと思います。私の友人は、父の言葉の力が強すぎて、いろいろなエピソードを思い出してしまうので、なかなか読み進められないと話していました。父との思い出がある方にとっては、そういう本でもあります。

ただ、手にとってくださった方が、どこからどのように読まれても、よい本だと思います。折々に1章だけ読まれてもよいですし、テーマごとに福祉の話やスキーの話、トルコの話など選んでいただいても。今日はこれを読もうかな、と気分で選んでみるのもおもしろいかもしれません。読めば読むほど、味が出てくるはずです。書籍を通して、父の思いに触れていただけたら、ありがたいと思います。

『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』

出版社:小学館
著者:寬仁親王殿下
監修者:彬子女王殿下
発売日:2022年6月1日発売
価格:4000円+税
ページ数:608ページ

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。