歌舞伎役者の浮世絵というと、どんなイメージをお持ちだろうか。派手なメイクと衣装で睨みつける! 決めポーズのかっこいい姿が思い浮かぶ人も多いだろう。
しかし江戸時代後期には、役者たちの舞台裏を描く浮世絵もあったらしい。若手の役者が一生懸命、稽古するアイドルオーディション番組さながらの様子も描かれていたとか。さっそく歌舞伎役者の浮世絵を展示する「上方浮世絵館」の学芸員、藤川純子さんに話を聞いてみた。
尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
浮世絵は、江戸時代の週刊誌グラビアだった!?
給湯流茶道(以下、給湯流):私はアイドルが大好きです。普段、推しがどんな音楽を聴くのか、どんな私服を着ているのか、などプライベートも気になる! それで、素顔がのぞけるアイドル雑誌をよく読みます。例えばアイドルがレッスン休憩中、大学の課題を出すため必死にパソコンを使う写真などが雑誌に載っていると、血眼で見ます(笑)。なんと江戸時代も、そんな浮世絵があったとお聞きしました。本当ですか?
藤川純子(以下、藤川):歌舞伎役者の浮世絵はもちろん、舞台で演じる様子を描くのがメインでした。ですが台本を読み合わせしたり、稽古したりする浮世絵もあります。
給湯流:なんと! 江戸時代のファンも、舞台の裏側を知りたがっていたのですか?
藤川:歌舞伎役者の浮世絵は、今でいう週刊誌やグラビアでした。当時のファンも、役者の素顔をのぞきたかったのでしょう(笑)。ファンが見たい記事として、休憩中の役者とか、舞台を離れてリラックスしている様子も浮世絵に描かれていますよ。
給湯流:おおお! 今のアイドルですと、レッスンの休憩中にスマホで自撮りした動画をSNSにあげます。当時の浮世絵も似た感じのものがあったのですね。
ファンの妄想をかき立てる! オールスターが集まる架空の稽古
藤川:こちらは、歌舞伎役者が稽古をしている絵です。
給湯流:稽古中! ということは、すっぴんですかね?
藤川:おそらく、そうでしょう。ちなみにこの稽古、架空のものなのですよ。
給湯流:え! どういうことですか!?
藤川:この絵が描かれた1820年代、大阪(※1)では歌舞伎が大人気。たくさんの劇場がありました。それぞれの劇場で、人気の役者が分かれて出演していたわけです。この浮世絵は、違う劇場に出ていて共演できないはずのスター同士をコラボさせた、妄想の演出なのですよ。
給湯流:なるほど。現代も、色々な事情で共演NGの俳優がいる、などと報道されますよね。本当はあの2人でバディー映画とって欲しいのに! とか。
藤川:江戸時代も仲が悪いから共演できない、というのもあったみたいですが(笑)。
藤川:拡大した絵、よく見てください。ここに描かれた若い役者、熱心に何かを見ていますね。
給湯流:たしかに。目線の先には何が!?
藤川:この若い役者は、二代目・嵐橘三郎。(あらし・たちさぶろう)。この絵が描かれた前年、初代の嵐橘三郎が亡くなって名前を継いだばかりなのです。先輩たちの芸を必死に学ぼうとして、人気役者・中村歌右衛門の稽古を見ている、という構図です。
※1:当時の表記では大坂です。
大阪の浮世絵師は、歌舞伎オタクが多い!? 江戸とは違う、大阪の浮世絵事情
給湯流:エモいー! 二代目ちゃん、がんばってほしい! それぞれの役者の、とても細かい状況が描かれているのですね。
藤川:大阪で役者の浮世絵を描いていたのは歌舞伎の大ファンで、趣味が高じて絵師になった人が多いのです。だから、一人一人の役者の細かい情報も拾って浮世絵を作っていたのでしょう。
給湯流:そうなのですか! 浮世絵師というと、狩野派などで弟子になって絵を習った職人というイメージがあります。でも、大阪は違っていたのですか?
藤川:商人でありながら、役者のファンが高じて絵師も務めるようになったとか、大阪はそういう人が多いです。
給湯流:なんと! 今で言えば、サラリーマンを続けながらコミケで推しキャラの二次創作を発表している人、みたいな感じでしょうか!?
藤川:ただ好きなだけじゃ絵師になれませんよ。絵の技術が高くなければ、浮世絵は売れませんから。ファンが絵師になる文化は、江戸より大阪の方が強かったとは言えますね。
給湯流:同時期の江戸は、違った浮世絵が流行ったのですか?
藤川:1820年代、江戸では歌川派が勢力を持っていました。写楽の流行が終わり、歌川豊国、国貞などが活躍したのです。江戸の歌川派は、舞台での恰好良い姿を表現することが得意。小柄な役者でも、舞台で大きく見えるように描きました。一方、大阪は、たとえ小柄な役者でも親愛の情をもって描きました。背が低ければ、そのようにと本人の容姿に近づけてリアルに表現したのですよ。こちら、見てください。
藤川:青い衣装の役者はスラリと長い脚、茶色の衣装の役者は骨太な脚が描かれています。
給湯流:言われて見ると、たしかに足の太さが違う。絵師がリアルに描いていたのですね。飾らずにぶっちゃけたものを好む、関西の文化って感じがします。
一度、江戸に呼ばれると数年帰れなかった、大阪の歌舞伎役者
藤川:江戸時代の歌舞伎は、江戸と大阪でそれぞれ異なる特徴がありました。江戸の歌舞伎は荒事(あらごと)と呼ばれ、隈取などバッチリ化粧をした豪快な舞台が好まれました。江戸には武士がたくさん住んでいましたから。一方、大阪の歌舞伎は、和事(わごと)と言って、柔らかい演技が特徴でした。
給湯流:なるほど。演技の違いが、東西の浮世絵の違いにもつながったのですね。江戸の歌舞伎は大きく目を開いてバシッとポーズをとることも多いから、浮世絵は様式美を重んじた。大阪の歌舞伎は日常のドラマといった感じで、リアリティーがある浮世絵が喜ばれたと。
藤川:ちなみに、東西で全く違う歌舞伎をやっていた訳でもありません。江戸時代、東西の役者が行き来をして、お互いの舞台を見せたりしていたのですよ。
給湯流:当時から全国ツアーをやっていたのか。盛り上がっていたんですね!
藤川:今みたいにさくっと東京・名古屋・大阪を回る、といった感じではなかったようです。大阪の役者が一度江戸に行くとなると、2〜3年は帰ってこないこともありました。
給湯流:なんと! ファンの人は辛いですね。そんなに長く不在にするとは。
藤川:オールスターが集合した、架空の稽古の浮世絵も、江戸に行っている役者は描かれていないのですよ。
給湯流:今、大阪にいる人気役者が全員集まったらどうなるかな? というオタクの妄想の絵だったのですね(笑)。様式美からはみ出した、オタクの熱がこもる大阪の浮世絵、面白い! 今日は楽しいお話、ありがとうございました。
※浮世絵はすべて、上方浮世絵館所蔵
上方浮世絵館
大阪・難波、たくさんの人で賑わう道頓堀の近くにある上方浮世絵館。アクセス抜群、入場料もお手頃、しかもたくさんの浮世絵が見られるオススメの美術館です!
第85回企画展【大阪の役者絵 中判へのいざない】
2023年5月28日(日)まで
大阪の浮世絵は、道頓堀で上演される芝居を描いた役者絵が多く、当時の歌舞伎舞台を今に見ることができます。
大阪の役者絵は、江戸時代の後半である19世紀がおもな制作時期です。文化文政期(1804−30)から天保期(1830−44)にかけて、大判という判型を主流として隆盛しますが、天保の改革によって途絶えます。その後、弘化期(1844−48)以降再登場する際には中判という判型が主流となりました。
そこで今回の展示では、この大阪の役者絵に特徴的な大きさである中判という判型に注目します。それまでの主流であった大判にくらべ、中判は約半分の大きさとなりますが、異なる魅力が発揮されます。
印刷面積が小さくなる制約の中でも、迫力が出る構図を考えるなど工夫が満載です。
広貞や芳瀧ら大阪の浮世絵師は、その画面を最大限に活かしました。大阪独特の中判の世界をどうぞお楽しみください。