昔を想い出すことで忘れていた今を想い出すように、夢の内容を想い出すことは、遠くへ流れていく時間を引きとめるためのよすがになるかもしれない。夢、それは目覚めている時にみる現実とはべつの、しかしもうひとつの現実の姿だ。
古代人は夢を深く信じたという。
彼らは、いったいどんな夢をみたのだろう。古い夢を紐解くことは、現代とはおよそかけはなれた人間の秘密を暴くおもしろさがある。古代人のみた夢の中身を、すこしのぞき見してみたい。
その夢、買いとります
昔、備中国(びっちゅうのくに)に郡司がいた。その子にひきのまき人(吉備真備)という者がいた。
まだ若い頃の話である。まき人は夢をみたので、夢占いをしてもらおうと夢占いの女のもとへ出かけた。話をしていると大勢の人が話しながらやってきた。そのなかに、国守の御子の長男の君の姿があった。年は十七八ほど、端正な容貌をしている。まき人は部屋に隠れ、穴からのぞくことにした。
この君は、占い女に夢の内容を語りきかせると夢が吉か凶かと問うた。占い女は素晴らしい夢であること、あなたは必ず大臣にまでなりあがるだろうと申しあげた。君は嬉しそうに衣を脱ぎ、女に与えて帰って行った。
さて、まき人は部屋から出てくると占い女に言った。
「夢を取るという事があるそうだ。この君の御夢、私に取らせてくれないだろうか」
占い女は、それならば先ほど君が語られた夢を少しも違わずに話しなさい、と告げた。まき人はそのようにし、最後に衣を脱いで女に与えて去った。その後、まき人の学びはぐんぐん上達し、才ある人となった。ついには大臣にまでなったのである。(『夢買ふ人の事』宇治拾遺物語より抄訳)
その夢、信じなさい
長吉という信心深い正直な炭焼がいた。ある夜、枕もとへ仙人のような老人が現れて言った。「味噌買橋の上に立っていなさい、大そうよいことを聞くだろう」
目を覚ました長吉はなんだ夢だったのか、と思いながらも味噌買橋に立った。しかしなにも良いことは聞けない。そんなふうにして5日が経った頃、ふいに味噌買橋の豆腐屋の主人に声をかけられた。どうして毎日立っているのかと訊ねられ、長吉はことの次第を話した。話を聞いた豆腐屋の主人は大笑い。つまらない夢なんかあてにするなと、自分の夢の話をした。
「このあいだ自分も夢を見たよ。老人が表れて、長吉という男の家の側の松の木の根に宝物が埋まっているというんだ。でもそんな男は知らないし、知っていても馬鹿げた夢を信じるつもりはないね」
それを聞いた長吉はこれこそ夢の話に違いないと、飛ぶように帰っていった。帰るなり松の木の根を掘ると、なんと宝物がざくざく出てくるではないか。おかげで長吉は長者になった。(昔話『味噌買橋』)
その夢、他人に話すべからず
むかしむかし、あるところに金持ちの主人がいた。
正月早々、旦那はやとい人たちを集めると「初夢ひとつ、一分というお金で買いうける」と言った。ところがちびの小僧は「この夢、ちょっと、お売りできませんので」と頑なに口を閉ざすばかり。それなら、と主人は夢を二十両で買い取ろうとするが、小僧はどうしても売りたくない。ついに小僧は島流しにされてしまう。
小僧の乗った船は鬼たちの暮らす島に流れ着いた。
鬼に喰われそうになった小僧は、初夢を教える代わりに宝の針を頂戴した。初夢の内容を秘密にしたまま島を抜け出した小僧は、広々とした田んぼにやってきて、そこで金持ちの娘の病気を宝の針で治し、たいそう感謝される。すると今度は川向こうの金持ちの娘が病気になったので、こちらも針で刺して治してやった。
小僧を気に入った金持ちは小僧を息子に望んだ。さすがに二軒の屋敷の息子にはなれない、というと両家が川に金の橋をかけてくれた。小僧は長者となり、二つの家を行き来しながら楽しく暮らしたという。小僧の見た初夢とは、金の橋を渡っていく夢だったのである。(日本の昔話『初夢と鬼の話』)
夢のお値段
『夢買ふ人の事』『味噌買橋』『初夢と鬼の話』には共通点がある。夢は、買いとれるということだ。
『初夢と鬼の話』の主人は、小僧の夢が吉夢らしいと知ると値段の交渉をするし、船で辿りついた先の鬼たちもまた小僧の夢の内容をしきりに知りたがる。目にみえず、触ることも叶わない霞のように儚い夢には、どうやら現代人の知らない値うちがあるらしい。当人にその気さえあれば商品のように売り買いできる代物なのである。そして吉夢であればあるほど高値がつくのだ。
朝鮮の史書『三国遺事(さんごくいじ)』にも姉妹が夢を売り買いする話が載っている。西岳に登って小便をすると都一杯になってしまう夢を見た姉の宝姫は、翌朝、妹に夢の内容を語った。妹は「わたしがその夢を買います」と言い、錦の着物をもって姉の夢を買いとった。なんだかとんでもない話に聞こえるけれど、こうして姉は夢を売ることを承諾し、妹は夢を買うのである。ちなみに、夢を買う話は『沙石集』や『曽我物語』にもある。
夢は神さまからの贈りもの
フロイトによれば、睡眠中にみる夢は無意識と繋がっているらしい。普段は気づかずにいる意識の底に深く、深く沈んでいる欲望や衝動が夢に表れるそうだ。精神分析については私にはよく分からないので専門家に任せることにして、昔の人は夢をどのように考えていたのだろう。
昔の人にとって夢は、心理に浮かぶたんなる映像などではなかった。
夢を、神や仏からの人間への贈りものとする説もある。『古事記』には、「神牀(かむとこ)」という言葉がある。神牀とは、神を祭り、夢の神告を受けるために清浄された寝床のこと。夢は、古くは神意を受ける通路であり、夢が神と人との連絡をする場面と考えられていたから、何か困ったことがあると寝床を清め、夢へと入っていった。
夢をめぐる話は『風土記』にもあり、人びとは夢を通じて得られる神のお告げを信じ、これに頼っていたことがわかる。『万葉集』で歌われた〈夢〉には、現実では難しくてもせめて夢では逢いたい、と願う歌で溢れている。万葉人にとっては、夢だけが恋しい人に逢うことのできる唯一の場所だったのだ。
とはいえ、夢はいくら見ても、所詮、夢……ほんとうにそうだろうか?
夢にまでみた鹿のゆくえ
夢にまつわる話をもうひとつ。
薪とりの男が、鹿を打ち殺してしまった。せっかく手に入れたものを横取りされないように、男は鹿を堀に隠した。ところが鹿を隠した場所を忘れてしまう。ついには、あれは夢の中の出来事だったのかもしれないと、道々そのことをつぶやきながら帰った。
すると、このつぶやきを耳にした男が件の場所へ行き鹿を手に入れた。家へ持ち帰り、そうして妻に「さっき薪とりが夢で鹿を手に入れたが場所が分からなかった、おれがそれをものにした。あの男は正夢を見ただけなんだ」と話して聞かせた。すると妻は「あなたは夢で薪とりが鹿を手に入れたのをみたのですか。薪とりなどいないじゃない。してみると、あなたの夢が正夢なのでは」
一方、薪とりは鹿の隠し場所と鹿を手に入れた男のことを夢に見た。翌日、その男を訪ね、奉行に訴え出た。ことの複雑さに奉行は王に言上し、大臣がいうことには「夢か、夢でないかは、私などには区別のつかないことであります。夢かうつつかを区別しようとすれば、それは黄帝か孔子か、そういった大聖人だけができることなのです」(『列子』より妙訳)
もう一つのうつつ
世阿弥は夢の形式を導入することで過去と現在が交錯する「夢幻能」を作りあげた。夢と現実は継ぎ目なく結びついているかもしれないという発想は突拍子もないように思えるけれど、まんざらあり得ないことでもない、と、私は半ば本気で信じている。
古代中国のさまざまな思想をまとめた書物、『淮南子(えなんじ、わいなんし)』の「俶真訓」いわく、「夢で空の鳥や水底の魚になったとき、夢の中では夢に気づかず、醒めてようやく夢に気づくように、やがてはより大きな目醒めが訪れて、そのときようやく今という大きな夢に気づく」のである。
【参考文献】
『古代人と夢』 1993年、平凡社、西郷信綱
『列子』 2004年、明治書院(新書漢文大系24)、小林信明
『三国遺事 完訳』1980年、六興出版、金思燁(訳)
『日本の昔話1』1995年、福音館書店、おざわとしお(再話)、赤羽末吉(画)