誰が言い出したかは知らないが。
家には、それぞれ家訓めいたものがある。
例えば、菅原道真の子孫(直系ではないが)であると伝わる家系では、実際にこんな口伝がある。
──「藤原時平を祀った神社にお参りすれば、家が火事になる」
あれをするな、それに気をつけろ。まさしく予言めいた警告のようでもある。
ちなみに、我が京都の実家に伝わる内容はコレ。
──「ハンコだけは(軽々しく)絶対に押すな」
意外にも、具体的かつ実用的なアドバイスである。恐らく、言い出しっぺは弁護士だった祖父であろうと推測する。ハンコ1つで泣いた依頼人を見てきたからか、我が実家のハンコへの心の持ちようが分かるというもの。
そんなハンコを、代々、丁寧に作り続けている店がある。代々といっても、そんじょそこらの年数ではない。聞けば約430年。気が遠くなるような長さの歴史を刻む店。
それが、今回の取材先である金沢市尾張町の「細字印判店(ほそじいんばんてん)」だ。
本記事では、日本最古のハンコ屋といわれる所以や、先人が創作した見事なハンコの数々をご紹介する。
是非とも「ハンコ」のイメージを大きく覆していただきたい。
加賀藩を筆頭に豪華な取引先がズラリ
「昔の人の方が、センスがいいんだなあと思って」
そう語るのは、細字印判店の12代「細字左平(ほそじさへい)」氏だ。
金沢市の台所、武蔵ヶ辻󠄀の近江町市場から歩いて3分ほどの距離にある細字印判店。創業は天正16(1588)年。日本最古のハンコ屋といわれている。それにしても、戦国時代真っ只中のタイミングでなぜ創業できたのか。
「まあこれも言い伝えというか。(日本最古の)証拠を出せって言われてもねえ、何も残ってないんですよね。寺があったんですけれども、明治の終わり頃に燃えて……それで過去帳も全部燃えてしまったもんで」
確かに、創業してからの歳月はゆうに430年を越える。その間に幾多の戦火を経験しているはずだ。そう考えれば、遥か昔のモノが全てキレイに残っている方が、逆に疑わしいといえなくもない。
横澤利昌著『老舗(長寿)企業の研究(序論)アジア研究所紀要2008年』によれば、先祖の職業は当初、薬種商だったとか。6代続いたところで、7代が印判師に転業したという。当時の権力者が全国各地から100人の印判師を集め、ポルトガル人の下で研修をさせ、特に優秀な3人の印判師に「細字」の姓を賜ったといわれている。その1人が細字印判店の先祖なのだとか。
「ポルトガル人が指輪を彫る技術を我々に教えたと伝わっています。時代的には織田信長か豊臣秀吉かは微妙なんですけど。恐らく豊臣秀吉から『細字』をもらったと。昔は『ささじ』と読んだと言われてるんですけどね。その時から『細字左平』と名乗り、代々、その名前です。ずっと」
つまり、7代目となる「左平」氏が、細字印判店の初代「細字左平」氏となる。この初代、尾張(現在の愛知県)の荒子の生まれで、加賀藩祖である前田利家とは同郷。利家が金沢城に入城したその5年後、天正16(1588)年に召し抱えられたという。
これが御用印判師としてのスタートだったとか。
金沢市尾張町に土地を賜わって約430年。現在も同地で印判店を営んでいるというワケである。
「『御用』って書いてありますけど、うちは御用所だったんです。その証ですということで掲げてました。明治までは(ハンコ屋は)うちしかないですから」
ちなみに「御用」とは、宮中や官庁、幕府、諸大名などの公の用務や用命のこと。ということは……。なんとも恐れ多い。加賀藩がお得意様ということか。
「これは加賀の藩札。藩のお金です。これも(作ることができるのは)うちだけです」
藩のお金を細字家が一手に引き受けていたという。そうであれば信用度はピカイチ。こぞって依頼も舞い込むはずだ。
そんななか、またしても驚くハンコを発見した。
ズラリと並ぶ警察署の文字。
「廃藩置県になってすぐで、ハンコ屋はうちしかありませんでしたから。恐らくうちに依頼がきたんだと思います」
それにしても、今も昔もデザインが凝っている。字自体に遊び心があるというか。これが初代「細字左平」から脈々と受け継がれてきたセンスなのだろうか。そうであるならば、この天性のデザイン力こそが天下人に選ばれる決め手となったに違いない。
ハンコの決め手は……バランス?
さて、細字印判店の歴史を聞いたあとでなんだが。そもそも、ハンコはどのように作られるのだろうか。
「これが元の材料です。ツゲの木です。で、やすりで擦りますわね。印面を平らにするんです。そこに『朱』を打ち、『地割り』といって、2字入れるんなら、2つに(印面を)分けて。字を書いて彫るんです」
それにしても、道具がみな古い。先代が使っていたという筆も、ハンコを固定する台も。だが、脈々と受け継がれてきたのは、目に見えるモノだけではない。ハンコの神髄、ハンコに対する姿勢もである。
「うちの親父に言わせれば、彫ることは機械の方がうまいと。ただ、字はね。どの字にするか、これは絵の構図と一緒です。字を調べて、この中に自分の好きな字を入れていくんですね。だから字を勉強しろと。うちの親父はそればっかり厳しく言いました」
細字印判店の場合、実印や銀行員のオーダーが多いという。出来上がりまでは、だいたい4、5日から1週間くらいかかるのだとか。ちなみに、字のアイデアは瞬時に閃くものなのだろうか。
「字を考えるのはちょっと時間がかかりますわね。それが命ですから。まあ、もう長いことやってますし、こういう字を入れればいいなあとかは思います。字は要するにバランスですから。難しい字ばっかり入れても面白みがないし。簡単な字ばかり入れても面白みがないし」
そうして差し出されたのが1冊の辞書。聞いたこともないというか、情けないことに辞書の名前すら読めない。
「篆書体(てんしょたい)の辞書です。一番わかりやすいのは、お札に日本銀行って書いてありますよね。 あれが『篆書』です。実印や銀行員はだいたいがあの篆書体です。ちょっと読みにくい字です」
辞書を開くと、様々な形の漢字が並ぶ。どれも同じ漢字なのだが、印象が全く違う。丸みを帯びた字もあれば、象形文字のような面白い字も。崩したような字まである。
「篆書体は字の格としては一番高い格となります。辞典にはたくさん字が載ってますから、何か面白い字がないかなと思って調べて考えます」
漢字だけでもこれほど種類があるというのに。じつは、これだけではない。コチラは、先代が作られたという「ひらがな」のハンコだ。
「うちの親父とか、字体を勉強して、こうやって手本を全部残してくれてるんです。これは天性やね。頭にパッと浮かぶんでしょうね。私は、一旦、字を書いてみて、うーんと考えるぐらい。もちろん妥協はしないです」
ハンコの良し悪し。
それは「字そのもの」だと、12代細字左平氏は念を押す。ただ、丁寧に説明したところで、なかなか理解しづらい部分もあるという。
「私らの場合は1人1人、名前から字を1つ1つ考えてデザインする。ネットで安く作れる機械と一緒にされたら、正直腹が立ちます。けど、ハンコの何が上手なんですかって聞かれたら。もうどう言っていいかわからん。字そのものなんですから」
書を勉強している人などは、字の上手い入れ方だと分かるのだとか。ただ、私を含め一般人は、字そのものの上手下手など、なかなかピンとこない。
「本当に字はバランスなんですよね。簡単な字と複雑な字を5と5で入れたらバランスがおかしいでしょ。2と8で入れたり。1って聞いたら、数字のあの横の棒線を思いつきますけど、逆に難しくて入れられないですわ。簡単な字ほど一番難しいんです」
これもハンコ? あれもハンコ?
ハンコは、「字」を選び、組み合わせるバランス力、デザイン力がものをいう。だが、昔はそれだけではなかったようだ。必要なのは、まさかの「絵」を描く能力。信じられないことに、芸術家並みの腕前だ。
先代、先々代を飛び越え、さらにさらに、その先の先人たちが彫ったハンコの数々。それはもう見事の一言。早速、ご紹介しよう。
まずはコチラ。
「字」の周りも全て彫られたという当時のハンコ。なんなら材料も金属で、金、銀、銅などである。
「(素材が)本当に金だったら柔らかいでしょうね。銅までは、まあなんとか。でも、真鍮は……とても硬い。1回ミスしたらすべてパーですわ」
これだけでもハンコのイメージが大きく覆る。
だが、いやいや、まだまだ。
次のハンコはもう版画そのもの。絵心どころのレベルではない。
「全部これも墨ですからね。根気がいるというか。時代と共にこういう技術は廃れてしまうんでしょうね」
さらに面白いのがコチラ。
これもハンコなのだという。
1つでも字が判読できれば、大したものである。
「これは何か書いてあるんですけど、私もわからんのですよ。うちの親父、私には教えていかんかったから。これは誰も読めんのです」
「これ、字なんですか? へえ?」
「私も他の職人に怒られましてね。なんでわかるやつに聞いてこんかったんやと」
「これ、ホントに字なんですか? 何度も言いますけど」
「ええ。一番下にある『院』という字はわかるんですけど。ずっと見ていけば何とか読めるかなと……。そもそも頭の中に『字」がないと、こういうのは書けないんですわ。どっかでバランスが崩れてね。迷路みたいな字ですから」
作品集のページをめくる手がなかなか止まらない。自然と見入ってしまうほどである。
現時点で既に歴55年の印判師である12代細字左平氏。
それでも取材の最後、こんな話をされている。
「うちの先代とか、じいさんとかすごいんで。参考にはならんのです。あまりレベルが違うんで。プレッシャーって言ってもね。もう感じるのはやめとこうと。代々続いてきたと言ってもその人その人やから」
じつにハンコは奥が深い。
たった1時間の取材だったが、ハンコの魅力に気付かされるには十分な時間であった。
取材後記
金沢市尾張町には、時代を感じさせるような町屋がぽつぽつと見受けられる。今回の取材先は創業430年を超える老舗の細字印判店だ。向かう途中で、歩きながらどの町屋だろうかと目で探した。
それだけに、店の前に辿り着いたときは、正直驚いた。
近代的な建物、飾らない店の外観。至ってフツーの町のハンコ屋さんだ。創業430年という事実は、表面からは一切分からない。恐らく事前に知らなければ、その長すぎる歴史に気付くことはないだろう。
12代細字左平氏はこう話す。
「自分ちが仕事場だと。ハンコ屋だけじゃなくて、例えば食べ物屋さんだろうがなんだろうが。この空気を吸って育つと、やっぱりなんか受け継ぐものがあるというか。親の仕事をしている姿を見ると、こういうリズムで仕事をしとる、こういう流れがあると、自然に入ってくるようなことがある気がするんです」
店を継ぐのは自然なこと。そう捉えがちだが、実際は違う。これまで店を代々引き継いできた裏には、様々な苦労があったはずだ。「続ける」ことほど難しいことはないと、私たちは身を持って知っている。
だからこそ、細字印判店はそのままの姿で居続けられるのだ。
外観に頼ることなく、町のハンコ屋さんとして。
脈々と受け継がれた歴史とその確かな技術、そして先人の教え。
「続ける」ことへの誇りがあるからだろう。
店の窓ガラスに貼られた「ほそじさへい」のハンコ。
単純にマークとしてしか見ていなかったのだが。取材を終えた帰り道、ふと振り返ると、急に文字が大きく浮かび上がった。
全く気にしなかったバラバラの文字たち。
しかし、話を聞いたあとでは、しっくりと1つの名前に収まった。
その完璧なバランスの美しさに。
しばらくその場で立ち尽くしていた。
基本情報
名称:細字印判店
住所:金沢市尾張町2-9-22
公式webサイト: なし
参考文献
『老舗(長寿)企業の研究(序論) アジア研究所紀要2008年』横澤利昌著 亜細亜大学アジア研究所 (亜細亜大学)2009年3月