「昔の女の人が見えた。赤い汚れた布を身にまとっていて、土をかけないで、土をかけないで、と言ってる」と話す。
それを聞いて思い浮かんだのは、「殉葬(じゅんそう)」である。殉葬とは主君の没後、あとを追った家来などが主の墓の近くに葬られることだが、国内で古墳時代の殉葬が発掘で見つかった例はまだないという。しかし、卑弥呼(ひみこ)が死んだ時、100人もの奴婢(ぬひ)が殉葬されたという記録が残る。また殉葬される者を憐れんで、次第に埴輪(はにわ)が代用されるようになったというぐらいだから、実際に行われていたのだろう。
「土をかけないで」と言うのは、無理やり生き埋めにされたということではないのか。身にまとった赤い汚れた布とは、当時の「貫頭衣(かんとうい)」のことかもしれない。痰のような臭いはおそらく病死した古墳の主のもので、女性は殉葬を強制された奴婢ではなかったか……。すべては私の勝手な想像にすぎないのだが、なんとなく事態が呑み込めた気がした。歴史に関心がなく、知識もほとんどない妹が、こんな話を作れるはずもない。
もちろん常識的には、ただの夢で片づけられるものだろう。が、私には、そうは思えなかった。いずれにせよ、次に何が起きるかわからない怖さもあり、私は破片を宅配便用の封筒に入れると、早々にコンビニから地元へと送り返した。以後、異変は生じなかった。
17歳の美しい娘が人柱となった郡上八幡城
郡上八幡城 跡
不思議な力を持つ娘
古墳時代の殉葬は、次第に生きた人間から埴輪に代わることになったが、人が生き埋めにされる風習はその後も残った。多くは土木工事が難航した際に、神にいけにえを捧げることで工事の成功を祈願する人身御供(ひとみごくう)で、「人柱(ひとばしら)」と呼ばれる。人柱の伝説は全国に分布し、架橋、河川工事の他、築城に関するものが少なくない。そんな築城にまつわる伝説を紹介してみよう。