Culture
2024.08.09

あなたの顔は本当にひとつだけですか? 人の顔をした腫瘍「人面瘡」とは

この記事を書いた人

顔は首のうえにひとつだけ。 ほんとうにそうだろうか。
手塚治虫の漫画『ブラックジャック』には顔中をもうひとつの顔に覆われた患者が訪ねて来るエピソードがある。その顔は意志をもって話し、ものを食べ、いっぽうで患者のほうはみるみるうちに憔悴していく。歪な顔をめぐる奇妙なこの物語は、古くは和漢の俗説や江戸期の文芸作品のなかにもみられる。

顔は首のうえにひとつだけ、とは限らない。
いったいこの顔は何なのだろう。奇病? 怪異? それとも呪い? 

人面瘡とはなにか

『人面類似集』宮武外骨(国立国会図書館デジタルコレクション)

「まんま食い」「膝和郎」「ヒザヤラウ」……呼び名はいくつもあるけれど、おそらくもっともよく知られた名前は「人面瘡」だろう。
人面瘡とは人間の顔をした腫瘍で、その名の通り一見したところ目と鼻と口がある。口があるのだから、もちろん喋る。脳がどこにあるのかは分からないけれど、どうやら人並みに意志もあるらしい。そういうわけだから、症状が進行すると話すだけでなく口から物を食べたり飲んだり、酒を要求することもある。

顔、膝、腹、腫瘍は体のどこにでもできる。でも、はじめはただの傷に見える。傷が化膿し、腫れて、ただれて人の顔のようになったなら確実に悪性なので要注意だ。

人面瘡の主な症状

『人面類似集』宮武外骨(国立国会図書館デジタルコレクション)

人面瘡ができたら、もう無視はできない(し、させてもらえない)。恐ろしい見た目に加えて耐えがたい痛みが襲ってくるだろう。放っておけば、そのうち患者自身を喰いつくす。その奇妙な症例をみてみよう。真実は皮膚の下、物語の奥深くに隠されている。

股のあいだで笑う殺した女の顔  (『大和怪異記』より)

今は昔、幸若舞の家元の八郎という男が木曽呂の森のなかで初老の男に会った。
かつては幸せに暮らしていたという初老の男だが、若い頃、傍においた一人の女のために不幸になったという。その女というのがたいそう嫉妬深く、すぐに怒る女だった。

あるとき男が病を患い伏せていると、いつものように恨みごとを言うので男はついに腹に据えかねて扇で二つ三つ打った。すると女は「それほど憎いなら殺してください」と泣き叫んだので男は無残にも女の首を打ち落としてしまった。打ち落とされた女の首は転がり、生きているような顔色でこちらに向かってにっこりと笑ったという。

その夜、男の体が火照り股に腫れものができた。腫れものはみるみるうちに大きくなり、やがて殺した女の顔になった。髪は乱れ、お歯黒の口で笑っている。世に言う、人面瘡である。

腫れものは切り捨てても、すぐにまたできた。
祈祷師の祈りも効果はない。もはやどうしようもなく、ここに引きこもり二十年が過ぎたという。
どうか最後に舞を見せてもらえないだろうか。男は涙ながらに八郎に頼んできた。八郎は幸若舞を舞い、病人の男は嬉しそうにそれを眺めた。そして衣の下の奇怪な瘡を見せてくれた。股のあたりにはたしかに女の顔があり、笑っていたという。

浮かびあがる文字、飲食する口、蝕まれる体

人面瘡に関する記述は存外おおい。
たとえば『安斎随筆』では人面瘡を「ヒザヤラウ」という名前で紹介している。膝にできた腫瘍は虫にさされるように腫れて痛み、痛みをそのままにしておくと膝は太くなり、脛は歩けなくなるほどやせ細ったとある。

『故実叢書 安斉随筆』(国立国会図書館デジタルコレクション)

人の顔をした腫瘍の話は『中華若木詩抄』にもある。
これによれば、知玄法師にできた腫瘍には目と耳と口と鼻があり、食べたり笑ったりするとひどく痛んだという。特筆すべきは突起物の表面に「晁錯」の二文字が浮かんでいたことだ。殺された晁錯なる人物の怨念が世を超え人を超え、殺人犯の生まれ変わりである知玄法師の左股に人面瘡となって発したのである。

人面瘡が飲食したという話もおおい。
そのひとつ『伽婢子』では、瘡の口に餅や飯を放りこむと人のように口を動かして飲みこんだとか、お酒を呑ませたら瘡の顔が赤くなった、とある。

どうやら人面瘡というものはかなり痛みを伴うもので、でも食べものを与えているあいだは痛みが治まるらしい。いっぽう病人のほうは痩せて骨と皮のようになり死を待つばかりという有様だ。人面瘡は人並みによく食べ、よく飲み、そうして人間を蝕んでいく。

人面瘡の主な原因

『人面類似集』宮武外骨(国立国会図書館デジタルコレクション)

こうして人面瘡譚を集めていると不思議に思うことがある。
結局のところ、人面瘡とは何なのだろう。病? 怪異? 呪い?

体の上に顔があらわれるという謎の現象は奇病とも受け取れるし、突拍子がなさ過ぎて怪異の仕業にも思える。あるいは不幸を願う誰かの呪いが引き起こしたという可能性もぬぐえない。

原因その一、祟りによるもの

中国の随筆『酉陽雑俎』には又玄という男が荒れた墓のうえで粗相をし、あくる日に肘に傷ができた、とある。しかも又玄だけでなく、その兄弟にも傷はあらわれた。汚された墓の主の霊が粗相の報いに祟ったらしい。

原因その二、告発によるもの

おなじ祟りでも『大和怪異記』のように女の霊が人面瘡となって怨みを果たす場合もある。
この人面瘡は言葉を話さなかったみたいだが、人面瘡のなかにはとり憑いて生前の恨みを述べたり、祟った人物の罪を告発したりするものもある。人面瘡においては死人に口なし、とはいかないのだ。

原因その三、妖術によるもの

『人面類似集』宮武外骨(国立国会図書館デジタルコレクション)

祟りでも怪異の仕業でもなく、人間によって意図的に作られた場合もある。
山東京伝の合巻『松梅竹取談』には、ある坊主がお腹に見るも恐ろしい人面瘡を持っていた、という話がある。この僧曰く「女の執念にてかかる悪瘡を発しぬ」だそうで、「一念発起して頭を剃り、かく諸人に恥を晒して罪を滅するなり」と念仏を唱えて歩いているのだという。

そうして行き交う人たちに見てもらうことで因果の恐ろしさを感じてもらう、というのが目的らしいが、見せられたほうはたまらない。 しかもこれ、実は諸人を欺いてお金をせしめるための妖術だったらしい。

人面瘡の治療法

『人面類似集』宮武外骨(国立国会図書館デジタルコレクション)

もしも人面瘡が怪異によるものなら、どうにかして退いてもらえないものだろうか(なにせ会話ができるのだし)。
あるいは人面瘡が奇病のひとつで医学の範疇にあるなら、何かしらの処置ができそうにも思える(切るとか焼くとかそぎ落とすとか)。とはいえ、文献によれば祈祷も針も薬も人面瘡には効果がない(もうお手上げだ)。腫瘍はいくら取り除いても翌日にはもとにもどってしまう。

でも人面瘡を治療する方法がまるでない、というわけでもない。
『風流曲三味線』には「人面瘡に貝母の事、此外難経などを見るに、いろいろ無偶の療治」とある。おなじような記述は『怪妖古事談』にもあって、これが事実ならどうやら人面瘡は漢方薬の一種である貝母の粉末が苦手らしい。
偶然にも病人のもとを訪れた諸国行脚の修行者がいろんな薬を人面瘡の口に放り込み、粉にした貝母を口のなかへ吹き入れると、七日間のうちに瘡はかさぶたを作り癒着した(『伽婢子』)という記述もある。

そのほかにも治療法として有効なのが僧から頂戴した霊水で治療する、というもの。
とはいえ霊水はそう簡単に手に入らない。人面瘡で悶えているところを旅の途中の僧がちょうど通りかかる、なんてラッキーも期待できそうにない。心配性な人は貝母を常備しておくほうがずっと現実的だろう。人の恨みはどこで買うかわからないので。

早期発見のポイントと予防の基礎知識

『人面類似集』宮武外骨(国立国会図書館デジタルコレクション)

人面瘡を発した人の痛みと苦しみは当人にしかわからない。その痛みは当人だけのもので、他の誰も引き受けることができないし、譲ったり、分けたりすることのできない苦しみだ。それは、ある意味ではとても当たり前のことに思える。人の痛みというのは(それが肉体的な痛みであれ、精神的な痛みであれ)プライベートなもので、誰とも共有することはできないのだから。

物語を読み解いていくと、原因がなんであれ人面瘡が「人の心の闇」と深く結びついていることがわかる。
これは個人的な考えにすぎないのだけれど、腫瘍としてあらわれ出た人面瘡は、もしかすると思いもよらず傷つけられた者の痛みが、傷つけた者の体のうえに形となって生じたものなのではないだろうか。

たとえば人面瘡の患者のなかには、特効薬の貝母すら効かない激しさで病に苦しむ男もいる(『妖怪故事談』)。秘かに犯した殺人を長いあいだ隠して人面瘡を病んだ男だ。人が忘れ去ろうとした心の闇を、人面瘡はけっして見逃したりはしない。

【関連記事はこちら】
死後、そっくりの男があらわれて…。恐ろしすぎる身体変化の昔話

【参考文献】
「故実叢書 安斉随筆 巻之十三」伊勢貞丈(国立国会図書館デジタルコレクション)
「貞操帯秘聞 民俗随筆」佐藤紅霞、1934年(国立国会図書館デジタルコレクション)
「中華若木詩抄 湯山聯句鈔」(新日本古典文学大系53)1995年、岩波書店
「江戸怪談集 中」高田衛(編)、1989年、岩波書店
「近世民間異聞怪談集成」2003年、国書刊行会
「八文字屋集 叢書江戸文庫8」1988年、国書刊行会

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。