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大人だけが知っている!「静寂の京都」

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2024.08.23

肝試しは『光る君へ』に登場したあの人が起源だった? 

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暑い夏にひんやりする行事と言えば……。「肝試し」が思い浮かびますね。
皆さんは、肝試しをしたことがありますか?

暗がりの森など、人が恐れる場所に行かせて、度胸があるかどうかを試すこと。これが肝試しの目的ですが、その歴史は古く、平安時代に遡ると言われています。

肝試しを考えたのは誰?

さて、ここで問題です。肝試しを考えた人を下から選んで下さい。

1 安倍晴明
2 藤原兼家
3 花山天皇

答えは……。

3の花山天皇です! どうですか、意外でしたか?

では、誰が肝試しをしたのでしょう

藤原道長の栄華を中心に描かれた歴史物語『大鏡』の中に、肝試しを行う場面が出て来ます。そのため、肝試しの発想が当時からあったことが窺えます。

花山天皇が在位していた、ある闇夜のこと。花山天皇は、藤原兼家の3人の息子道隆・道兼・道長に肝試しを吹きかけました。

そして道隆は豊楽院(ぶらくいん)、道兼は仁寿殿(じじゅうでん)、道長は大極殿(だいごくでん)へ行くことを命じました。

道隆と道兼は広大な大内裏(だいだいり)をさまよう内、怪奇な物音や巨大な人影におびえて、逃げ帰ってしまいます。ところが道長だけは大極殿に到着し、証拠にと高座位の柱を削り取って持ち帰ったそうです。

お遊びの余興でも、道長は1人だけ冷静だったようですね。
しかし、こんな風に交流をしていたにも関わらず、3兄弟がその後花山天皇を失脚させてしまうとは。まさか、この時のことを根に持っていたとか? まあそれは、ないでしょうね!

▼花山天皇失脚の実行役と言われる、道兼の記事はコチラ
悲劇の七日関白・藤原道兼は本当に悪人だったのか?

参考書籍:『紫式部と源氏物語』メディアソフト、『日本大百科全集』小学館、『世界大百科全集』平凡社
アイキャッチ:『百鬼夜行図(模本)』ColBase

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。