三歳の子どもだって、かぐや姫がどこから来たのか知っている。竹取翁(たけとりのおきな)が竹林の光る竹のなかから見つけたのだ。
九世紀から十世紀にかけて成立した『竹取物語』は、日本の平安王朝物語では現存最古の作品とされている。竹から生まれた女の子が、やがて月へと昇天してゆくというファンタジーは、その情景も相まって数ある日本昔話のなかでもとびきりロマンチックなストーリーとなっている。
そう、かぐや姫は帰ってしまうのである。でも、どこへ?
おそらくは故郷である月の世界へ。それなら竹林は第二のふるさと、と言えなくもない。おじいさんとおばあさんの家は実家といったところか。しかも一説によれば、かぐや姫は外国の出身だとも伝え聞く。
いったい、かぐや姫にはいくつ故郷があるのだろう。ほんとうのところ、かぐや姫はどこから来たのだろう?
昔話『竹取物語』あらすじ
かぐや姫のことは知っていても『竹取物語』は子ども時代に読んだきり、という人も多いかもしれない。まずは物語を振り返ってみよう。
昔あるところに、竹取翁というおじいさんがおばあさんと一緒に暮らしていました。ある日、竹を取りに出かけたおじいさんは一本の光り輝く竹を見つけます。竹のなかには美しい女の子がいました。家に連れて帰り大切に育てると、みるみるうちに美しく成長しました。かぐや姫と名づけられたこの彼女の美しさは国中で評判になり、やがて身分の高い五人の男性が結婚を申しこみます。
かぐや姫はそれぞれに、あるものをもってくるように条件を出しました。
石作皇子には「仏の御石の鉢」
車持皇子には「蓬莱の玉の枝」
右大臣阿倍御主人には「火鼠の皮衣(かわぎぬ)」
大納言大伴御行には「龍の首についている光る玉」
中納言石上麻呂「燕の子安貝(こやすがい)」
どれも難題ばかり。
五人の婿候補の挑戦は失敗に終わります。
月日が経過し、かぐや姫は月を見ては涙するようになりました。竹取翁が理由を尋ねると、かぐや姫は自分が月から来たことを打ち明けます。そして、もうすぐ迎えが来るだろうことも。それを聞いた竹取翁とおばあさんは、悲しみに打ちひしがれました。
ついにその時が来ました。夜とは思えない光が家を照らし、空飛ぶ車からは迎えの者たちがやってきました。天女の衣を着て空飛ぶ車に乗ったかぐや姫は、おじいさんとおばあさんに別れを告げ、空高く昇っていきました。
かぐや姫は帰りたい
竹の中で生まれたかぐや姫は天上の世界へ帰っていく。育ての親である、おじいさんとおばあさんに別れを告げて……
物語の途中まで人間の娘だと思っていたかぐや姫が(竹から生まれたことに疑問を抱きつつも)、実は天上の世界の住人だと知ったときの(それがどこにあるのかという疑問を抱きつつも)、子どものころの驚きをよく覚えている。
常識的な解答をするなら、竹取翁の暮らす里は奈良の都の近くにあったから、かぐや姫はこのあたりの出身と言っていい。竹林は家の近くにあったので、より正確に言うなら、かぐや姫の出身は竹取翁の家の近くの竹のなか、ということになる。
でもいまわのきわに「実(マコト)ニハ己(オノ)レ人ニ非(アラ)ヌ身ニテ候フ也」と告げているから、やっぱりかぐや姫の母国は天上の世界なのかもしれない。
日本最古の説話文学作品なだけあって、これまでも多くの学者たちが『竹取物語』の作品誕生の経緯を語ってきた。そしてたしかに、この類まれなる昔話のヒロインの生い立ちは謎に包まれている。かぐや姫の故郷はどこなのか、物語を読むだけではいまいち釈然としない(そして、そんなことを本気で気にする読者もあまりいない)。が、誰にだってルーツというものがあるはずだ。かぐや姫だって例外ではない。
そのうえ、かぐや姫にはもうひとつ故郷があるとされている。一説によれば、その場所は、海と山を遠く隔てた、はるか彼方の国。チベットである。
『竹取物語』のルーツとされる物語『斑竹姑娘』
チベットに伝わる『斑竹姑娘(パヌチウクウニャン)』は、竹とともに暮らしてきた人びとのあいだで語り継がれてきた民間伝承で、『竹取物語』のルーツとされている物語のひとつである。
斑竹とは、幹の表面に紫褐色の斑紋のある竹のこと。そのなかから、可憐な女の子が生まれたことから物語ははじまる。
『斑竹姑娘』あらすじ
あるところに、貧しく暮らす母と子がいました。子どもはランパと言う名の少年で、わずかばかりの竹やぶを大事に育てています。このあたりを治める領主はたいそう欲張りで、村人の育てる竹を筍のうちに安値で買いたたき、大きな竹に成長するころを見計らって伐り倒し、売りさばいては大儲けをしていました。
ランパには、ことのほか愛する竹がありました。この竹も領主に売られてしまうのかと思うと涙がでます。涙は竹に降り注ぎ、美しい斑竹となりました。しかも不思議なことに、ランパの背丈より大きくなることはありませんでした。
すべての竹が伐り倒される日、ランパはこの竹を自分で伐り、隠すことにしました。あとで拾いに行ってみると、竹から声が聞こえてくるではありませんか。
竹のなかからは可愛い女の子が出てきました。女の子は、みるみるうちに背が伸びてランパほどになりました。やがて二人は愛しあい、一家三人で楽しく暮らしました。
『竹取物語』と『斑竹姑娘』よく似た二つの物語
この民間伝承のどこが『竹取物語』なのか、と言いたくなるかもしれないが、じつは物語にはまだ続きがある。
竹から生まれた娘の前に、やがて五人の身分の高い男が現れて求婚する。これを断りたい娘は、かぐや姫のごとき難題をつぎつぎと課していく。それというのが、
「打っても割れない金の鐘」
「打っても砕けない玉の樹」
「火にも燃えない火鼠の皮衣」
「燕の巣にある金の卵」
「海竜のあごの下の分水珠」
『竹取物語』で五人の求婚者に投げつけられたものを、もう一度思い出してほしい。
「仏の御石の鉢」
「蓬莱の玉の枝」
「火鼠の皮衣」
「燕の子安貝」
「龍の首についている光る玉」
二つの物語で娘たちが提示した難題は、とてもよく似ているのだ。
それだけじゃない。難題もさることながら、その内容、入手方法、登場人物、果ては挑戦が失敗に終わるところまで、物語は『竹取物語』とそっくりである。
こうした一致をただの偶然にすぎないと言うこともできるけれど、これだけ似通っていると、べつべつに成立した物語とはとうてい考えられそうにない。
ごく個人的には、日本の『竹取物語』とよく似た物語が異国の奥深い村里の人びとのあいだで語られていてもふしぎには思えない。
中国の昔話が日本に流れてくることはままあるし、もしかすると『竹取物語』と『斑竹姑娘』の祖となる、今では忘れられてしまった、もうひとつの物語がどこかに埋まっているのかもしれない。
あるいは『斑竹姑娘』が日本に入って来た際に、物語を伝承したのが竹とかかわる生業にいきた日本の古代人たちだったために、少年が竹取翁となって今日に伝わったのかもしれない。
そうした物語が時代の文才のある者の筆によって書かれ、今日にまで残っている。というのは私の勝手な想像だけれど、そう考えただけで、物語のおもしろみがぐっと深まる気がする。
あなたの知らない『竹取物語』
一人の人間の生い立ちは一つきりと決まっているが『竹取物語』のヒロインであるかぐや姫に限っていえば、そうではない。『竹取物語』のルーツがチベットにあるという説はひとまず置いといて、この物語にはほかにも謎がある。
そもそも、かぐや姫はなぜ「竹」から生まれてきたのだろうか。
梅でも桃でも杉の木でもよかったのでは? 中が空洞だったから? でも、桃太郎は桃から生まれているし……と自問自答していたら『鶯姫』なる物語に行きあった。
うぐいすの卵から生まれたかぐや姫
じつは、かぐや姫の誕生は、うぐいすの卵から孵化したもののように説かれることがある。たとえば鎌倉時代初期に書かれた『海道記(かいどうき)』の冒頭は、こんな具合だ。
「むかし採竹翁と云ふものあり。女(むすめ)をかぐや姫といふ。翁が宅(いえ)の竹林に、鶯の卵、女の形にかへりて巣の中にあり。」
のちに、このかぐや姫は名を「鶯姫」と改めて語られる。名前の由来はもちろん、うぐいすの卵から出てきたから。
『古今集註(こきんしゅうちゅう)』にも竹取説話が登場する。ここでも、かぐや姫はうぐいすの卵から誕生している。
「むかし、竹取翁と云ものありけり。竹の中に鶯のすをくひて、子をうめりけるが、いかにとかはしたりけん、このおやの鶯死にゝけり。あはれがりて、このかひこを、おきなとりてあたゝめけるほどに、みな鳥になりてあり、なかに一の貝子の中より、みめうつくしき女子いでたり」
竹とばかり思っていたけれど、もしかすると、かぐや姫の本当のふるさとは竹ではなくうぐいすの卵なのかもしれない。
鶯姫の生誕の地はこぞって竹林ということになっている。うぐいすの卵が竹林に転がっていて、竹取翁がこれを拾い、女の子を養うにいたったと仮定するなら、これこそが、かぐや姫が竹から生まれてきた理由になる。
とはいえ、これもただの想像に過ぎない。かぐや姫のふるさとは謎のままだ。
『竹取物語』のもとネタとされる物語たち
このほかにも文学史家たちは『竹取物語』のもとネタとされる物語を数々挙げてきた。
法を得たよろこびから捨身した仙人の身が地に融け、そこから三本の竹が生えて、やがて竹から童子が生まれたという『金色二童の説話』。水浴していた女性の足の間に流れてきた大きな竹の中から産声が聞こえたので、竹を裂いてみると一人の男の子が生まれたという『夜郎候伝説』。『仏説月上女経』では、光り輝くために月上女と名付けられた娘に王族や聖者やらが争って求婚している。
昔話『竹の子童子』は、三吉という桶屋の息子が竹やぶへ竹を切りに行くところからはじまる。「どの竹を切ろうかな」と三吉がひとりごとを言うと、後ろのほうで大きな竹が揺れ、声が聞こえてくる。声のする竹へ近づくと、竹が言う。「お願いです。この竹を切ってください」
三吉が竹を切り倒すと、なかから飛び出してきたのは小さな男の子。名前は、竹の子童子。齢は一千二百三十四歳。竹でいうところのまだ子どもらしい。話によると、悪い筍に捉われて今日まで天に還ることができなかったとか。竹の子童子は、助けてくれたお礼に三吉を立派な侍にしてくれた。
『竹取物語』と似ているような、でも別物のような昔話は挙げだしたらきりがない。ただ、こうして物語を収集してみると、竹を巡る物語が世の中にはこんなにもあるという、もうひとつの事実に驚かされる。
おわりに
天上の世界、竹のなか、おじいさんとおばあさんの家、うぐいすの卵。それからチベット。かぐや姫の故郷を何処とみるかで、物語はまったくちがった様子をみせる。慣れ親しんだ物語が、まるきりべつの物語に変身を遂げたりもする。
ちなみに最近の研究では『斑竹姑娘』の方が『竹取物語』を真似したとも言われていて、昔話のルーツをたどる旅はまだまだ楽しみが尽きない。
ただ、かぐや姫のルーツに触れることはできても、いまだかぐや姫が地上にやって来た謎だけは解き明かせていない。もしかすると、このあたりにかぐや姫生誕の謎が隠されているのでは、と私はにらんでいる。
竹にまつわる物語はそれこそ竹やぶのごとくたくさんあり、すべてを拾って読むにはまだまだ時間がかかりそう。でも、これだけは言える。かぐや姫の地上での生活は、幸せなものだったにちがいない。おそらくは、天上にいたときよりも、ずっと。
【参考文献】
伊藤清司「かぐや姫の誕生 古代説話の起源」講談社現代新書、1973年
上井久義「民俗信仰の伝統」人文書院、1985年