都心からもっとも近い観光地、箱根。そこは豊かな自然と歴史が息づく場所。そして伝承の集まる地でもある。
箱根の山中に残された『金太郎』伝説、関所にまつわる哀しい話、箱根に人が移り住んだはじまりを語る昔話、嫉妬深い天邪鬼と恐ろしい龍の伝説。箱根に集まる伝承だけで本がつくれてしまうほど、ここは物語に富んだ地なのだ。
箱根に出かけたら、ゆっくりと温泉に浸かるも良し。美術館をめぐるも良し。食べ歩くも良し。そうして心も体も満たされたら、お次は幽玄の世界へ足を伸ばしてみてはどうだろう。
今回は、これまで私が箱根を歩いて見聞きしてきた伝承の一部を紹介。古い記憶の余韻を帯びた、神秘的な世界があなたを待っている。
箱根に人が移り住んだはじまりの物語『シラナイ国とハラナイ国の姉妹』
箱根の権現様として親しまれる箱根神社。近年はパワースポットとしての人気も高まっている。パワースポットとしての効果はさておき、この神社に不思議な力が集まっていても、なんら不思議じゃない。なぜなら、箱根神社には箱根に人が移り住んだはじまりを物語る伝説が密かに残されているからだ。
日本の伝説と呼ぶにはロマンチックすぎて、まるで異国のお伽噺のよう。秘密の国の、二人の姉妹の物語を紹介しよう。
いつの時代かつまびらかではないが、シラナイ国という国にサダイエ中将という人がいた。中将には、先妻とのあいだにリョウサイ御前という美しい娘がいたが、新しい妻を迎えるために、娘を乳母に預けて隠していた。
さて、新しい妻にもリョウシュ御前という娘がいた。新しい妻は一人娘を可愛いがり、ゆくゆくはシラナイ国の女王にしようと考えていた。しかし、中将が留守にしている間にリョウサイ御前のことを知ってしまう。リョウサイ御前を亡き者にしようと考えた妻は、召使に姫を遠くの島へ捨ててくるように命じた。島に一人取り残されたリョウサイ御前。
満潮になった島では波がうねりをあげ、鮫が姫に群がった。姫は恐ろしさに手を合わせ、観音経を唱えた。すると不思議なことに鮫は姿を消し、黄金の船が浮かんでいた。無事に家へ戻った姫を新しい妻はふたたび殺そうと企んだ。そして、ついには姫を土牢に閉じ込めてしまう。
しかし、心優しいリョウシュ御前は姉を見捨てることができず、自らも土牢に閉じこもった。暗く寂しい土牢の中で、姉妹がじっと耐えているとハラナイ国の王子が二人やって来て、姫たちを迎え入れた。いっぽう、二人の娘を失った中将は悲しみから僧になり、ハラナイ国へ渡り、仏の導きによって娘たちに再会することができた。僧となった中将は、尊い仏の道をおおくの人に伝えるため、日本という国へ渡ることにした。王子たちと娘も賛成して、一同は日本へ向かった。
そうして箱根に移り住んだ妹夫婦(リョウシュ御前)は箱根三所権現に、伊豆に住んだ姉夫婦(リョウサイ御前)は伊豆三所権現となったという。意地悪な母は大蛇となり、山奥に隠れた。
豪力、動物……ユーモラスな昔話『金太郎』が暮らした金時山
「マサカリかついで 金太郎 熊にまたがり お馬のけいこ」の童謡や絵本で有名な『金太郎』。大きく「金」の文字が入った腹かけを着け、口を一文字に結び、堂々と構えた姿は一度見たら忘れられない。それでいて物語のほうはうろ覚え、という人もおおいのではないだろうか。
これは平安期のなかごろ、武士階級が生まれつつあった時代の話。
箱根の山中に、金太郎という名前の子どもが山姥(やまうば)と二人、山中の岩屋に暮らしていた。動物たちと一緒に大自然のなかで育った金太郎は、大木を押し倒すほどの怪力の持ち主である。あるとき、山の麓を武勇すぐれた源頼光の一行が通りかかった。その一行の前に姿を現した者がいる。金太郎だ。髪は伸び放題、肌は色黒く光り、腰には熊の毛皮を撒いている。片手には子熊を抱えている。強い光を放つ瞳には、邪悪の色はない。利発そうな子どもである。しかも頼光に「家来にしてくれ」と言ったものである。
家来たちは笑ったが、頼光は笑わなかった。頼光は家来に命じて相撲をとらせたが、次々と金太郎に投げ飛ばされてしまう。金太郎は息切れひとつしていない。金太郎を気に入った頼光は、家来に迎えることにした。この怪力の子どもというのが後に頼光四天王の一人として多くの武功をたてた、坂田金時である。
神奈川県の金時山は金太郎伝説の残る地だ。
金太郎の育ての親である山姥も、仲間の熊もとうにいなくなってしまったが、金太郎の物語だけは今日でも残されている。
登山道の途中には金太郎が産湯を使ったという「夕日の滝」、動物たちと遊んだ「金太郎遊び岩」、さらには金太郎の生家までそろっている。登山道は厳しいけれど、頂上から見る景色は圧巻。金太郎伝説に思いを馳せながら歩いてみては。
毒竜から神になった『九頭竜神社』の伝説
箱根へ出かけるなら、ぜったいに行っておきたい場所がある。『九頭竜神社』だ。山々に囲まれた芦の湖のほとりに佇む神社は、縁結びの神様としても有名。けれど、湖の底には哀しい物語が沈んでいる。
その昔、箱根の芦の湖には村里を襲う恐ろしい毒竜が棲んでいた。
毒竜は、夜になると湖を這いだして付近の村里へとやってきた。そうして女や子どもをひと飲みにして満足すると、湖へ戻っていくのである。
困り果てた里の人たちは、日が沈むと女子どもを家の奥に隠し、堅く戸を閉じて息をひそめた。それに怒った毒竜の祟りだろうか。やがて村では病が流行り、不審火が起こり、何日もの日照りがつづいて、田畑はついに干上がってしまった。
「こりゃ毒竜の祟りにちがいない。なんとか毒竜を鎮めなくては」
頭を抱えた里の人びとは、毒竜に人身御供を献ずることにした。白羽の矢が立った家の娘は、嘆き、悲しんだ。そして泣く泣く湖の底へと沈められていった。そのころ、箱根山中で仏道に励む万巻上人という僧がいた。
人づてにこの悲しい話を聞いた上人は、毒竜を退治するために村を訪れた。村人に石段を湖岸につくらせると、そこで断食苦行をした。毒竜が現れると、上人は毒竜を湖底に生える傾杉にしばりつけた。すると毒竜は九つの頭をもつ竜神と化し、末永く村人を守ると誓って姿を消したという。
喜んだ村人たちが建てたのが、九頭竜を祀る社「九頭竜神社」である。
周囲に遮るものがないせいか湖畔に佇む姿は幻想的で、どことなく異界の雰囲気が漂う(そして九頭竜の目がくらみそうなほどのインスタ映えスポットでもある)。
私の知る限り、この場所で湖底へ沈められていった娘に思いを馳せている人はいない。ただ、ただ、美しい場所なのだ。不憫な娘の記憶ですら飲み込んでしまうほど、九頭竜神社は美しい。
毎年執り行われる「湖水祭」では、湖の逆さ杉のところまで人身御供に代わる三升三合三勺の赤飯が運ばれ、芦の湖の湖底に沈められる。九頭龍の神さまへの捧げものは、今もまだつづいている。
ヒトでは越せない箱根八里。箱根関哀話『お玉ヶ池』と『仙石原』
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と詠まれたように、江戸時代の大井川は東海道の難所の一つだった。でも、今回は箱根の話。
箱根関所が現在の場所に置かれたのは元和五(1619)年の頃といわれている。さて、その関所を通るには(身分によりちがいはあったが)子どもから馬にいたるまで通行手形が必要だった。通行人は「千人だまり」という門前から大門に入り、番所の前にくると「お手つきの石」と呼ばれる四角い石に手をついて、役人に手形を差し出した。
この場所には、関所を訪れた芸人たちの哀しい物語が残されている。
京から流れてきたお玉とお杉という二人の芸人が箱根の関所へやってきた。二人は、親方の仕打ちから免れてここまで来たのだが、手形がなかった。迫りくる追手。留まるも地獄、進むも地獄……悩んだ末、近くの池に飛び込んだが憐れにも溺れ死んでしまった。
のちにこの池は「お玉ヶ池」と呼ばれ、今もお玉の涙で池をいっぱいにしている。
箱根の関所にまつわる昔話には、こんな話もある。
天保十一(1840)年、芸人の一行六人が御殿場へ出るために箱根の裏街道を取り締まる仙石原関所を通りかかった。この時代、芸人は手形の代わりに芸を見せることで、手形なしで通ることもできた。この芸人一行もまた、役人のまえで得意の芸を見せた。
芸を見た役人はひとこと「さがれ」と言い放った。もちろん「通ってよろしい」の意味だったが、「かえれ」と言われたと勘ちがいした一行はやむなく引き返し、べつの道から御殿場へと抜けて行った。
これを知った人が関所破りの罪人がいる、と役人に訴え出てしまった。掟により六人は捕らえられ、死罪を申し渡された。磔の場所は、仙石原の大井平である。
当日は、おおくの村人が見に訪れたという。大罪を犯したわけでもない六人のあまりに哀れな姿に村人たちはなにを思っただろう。
ちなみに秋の仙石原は見渡すかぎりススキの穂波となり、たくさんの観光客が訪れる。仙石原関所跡には、いまは石碑が建つのみだ。
関所破りの罪人も、そうでない者も、通行人たちを苦しめた関所が廃止されるのは明治を待たなくてはいけない。知らないと通りすぎてしまうささやかな史跡には、厳しい掟に命を奪われた人たちの足跡が刻まれている。彼らがヒトでなければ難なく通れたのかもしれない。
富士山の美しさに嫉妬した『二子山の天邪鬼』
二子山は、箱根でもっとも特徴的な山だ。遠くからでも、すぐそれとわかる、すこし変わった形をしている。
一般の入山が禁止されている二子山は、人の手がほとんど入っていないため、まさに自然の宝庫。しかし、この山にかつて登った者がいる。天から落ちてきた天邪鬼である。
昔むかし。箱根の山に、うっかり天から落っこちてきた天邪鬼という者が住んでいた。天邪鬼はものすごい怪力の持ち主だったが、力が出るのは夜の間だけだった。
ある晴れた日。天邪鬼は箱根の山の頂から周りを上機嫌で見渡した。
「遠くの山までよく見える。だが、わしの箱根山が一番だ!」
しかし、西の方を眺めると不機嫌になった。雲の間から日本一の富士山が見えたからだ。富士山のせいで箱根の山がかすんでしまう。天邪鬼は富士山の背丈を低くしてやろうと思いついた。その夜。天邪鬼は道具をかついで富士山に登った。そして、てっぺんの岩をつかむと海へ投げた。投げた岩によって、海にはいくつもの島ができた。しかし、富士山は相変わらず日本一の山のまま。そのうえ夜明けが迫っていた。
「夜が明けたら、力がなくなってしまう!」
天邪鬼は急いで箱根の山に逃げ帰った。その日、おてんとうさまが高く上ると、箱根の山の下に、お椀をふせた形の山が二つできていた。天邪鬼が逃げたときに投げてできた岩だ。これが、二子山(ふたごやま)とよばれている山である。
おわりに
私は箱根からそう遠くない場所に暮らしているせいもあって、ときどき、この地にお邪魔するのだけれど、箱根には、ほかでは感じることのできない雰囲気がある。妖しさと、哀しみが風に乗って流れてくる。
ふいに金太郎のことが頭をよぎる、こともある。シラナイ国のお姫様のことや、殺された芸人一行のことを思い出す。この道もまた、かつて誰かが哀しみを背負って歩いた道なのだ、と思う。そんなことを考えながら歩いていると、当時の時代背景や人びとの息づかいを、ぐっと近くに感じる。
「ぱっくりと口を開けて待っている異界」
私には、箱根がそんな場所に思えてならない。その地域に伝わる物語にふれることは、それだけで十分に旅をした気分にさせてくれる。
行楽シーズン、箱根への旅行を計画している人は、ぜひ物語を携えて出かけてほしい。ただ街道を歩くだけでは味わえない想像の世界へと足を踏み入れていく感覚は、旅を、いっそう特別なものにしてくれるはずだ。
【参考元】
箱根神社(九頭龍神社)公式ホームページ
南足柄市公式サイト